ターン69 リスタート(3)
■□ランドール・クロウリィ視点■□
ケイト・イガラシさんに、土下座で詫びた翌日。
俺はケイトさんと2人で、北プリースト町を訪れていた。
おっと。
正確には、2人じゃないな。
ケイトさんの肩には、眠りフクロウのショウヤも止まっていた。
今日のケイトさんは、白いワンピースにカーディガン姿。
ちょっと薄着に思えるけど、彼女ら天翼族は背中の翼で身体を覆ってしまえる。
そうしたら、かなり暖かいらしい。
俺はというと、白いパーカーとジーンズ。
墓参りだからといって、別に黒に拘らなくてもいいらしい。
この町の霊園に、眠っているんだ。
俺のレース活動を支援してくれていた、エリック・ギルバート氏が――
路面電車から降りる、俺とケイトさん。
停留所の隣には、線路の敷石の代わりに芝生が植えてあった。
この町は俺の住む南プリースト町より、ずっと都会だ。
だけど、都市景観には気を配っているみたいだな。
街路樹や芝生なんかが至るところにあって、緑が豊かな景色だ。
特に、霊園の近くは。
お墓に供える花束を片手に、俺達は徒歩で霊園の坂を上ってゆく。
ブルーが濃く見える、爽やかな空。
優しい風に吹かれて、さわさわと音を立てる草木。
時々聞こえる、小鳥の囀り。
土曜日の霊園は、静かで穏やかな雰囲気に満たされていた。
これならきっと、エリックさんも安らかに眠れているだろう。
この世界の霊園は、死者1人1人のスペースが広い。
大抵の人は樹神信仰に基づいて、木を植えるからね。
木が育っても大丈夫な間隔は、確保しておかないといけない。
エリックさんのお墓は、霊園のちょっと奥まった位置にある。
小さなユグドジーナスの若木が、ちょこんと生えていた。
小さいとはいっても、埋葬からの1年でけっこう大きくなったというのが俺の印象だ。
「エリックさんは埋葬された直後から、新しい生を全力で生きているんですね」
樹神信仰の定義では、死者の魂は樹神レナードの元に旅立つことになっている。
だけど俺には、この小さなユグドジーナスがエリックさんの生まれ変わりに思えてならない。
スポンサーがさっさと気持ちを切り替えて次の人生を走り始めたっていうのに、ドライバーの俺は1年間も何をやってたんだか――
俺とケイトさんは、育ちつつあるユグドジーナスの木に向かって祈った。
エリックさんの新しい生が、幸福なものであるように。
そして、自分達の生き方を見守っていて欲しいと。
さらには「ユグドラシル24時間に出場できますように」とか、「新しいスポンサーを紹介して下さい」とか、どう考えてもエリックさんの管轄でないこともついでにお願いしておく。
エリックさんは、神様じゃないのにね。
たとえ神様相手でも、こんなに色々とお願いするのはいかがなものかと思う。
そんなことを考えていると、背後に気配が生まれた。
数は3人か――
この気配には、覚えがある。
「意外だね。君とエリックさんは、そんなに接点ないかと思っていたよ」
「エリック・ギルバート氏は、スポンサーとしてはワタクシの先輩。オーナー監督としては、ワタクシの後輩に当たるお方。お互いに色々と相談したり、レースの話をする仲でしたわ」
背後を振り返ると、そこにはマリー・ルイス嬢が立っていた。
後ろに控えるのは、花束を抱えた執事服のベッテルさん。
その隣には、メイドのキンバリーさんが立っている。
変態メイドのキンバリーさんも、さすがに墓地では怪しげな蝶々の仮面を着けてはいない。
初めて素顔を見たけど、ものすごい美人だった。
怪しげなマスクなんて、着けなきゃいいのに。
マリーさんはベッテルさんから花束を受け取り、そっと若木の根元に供えた。
相変わらず眩しく光る銀髪ドリルヘアだったけど、今日はどこか寂し気な輝きに見える。
「ランディ様、来年のシートは決まりましたの?」
「いいや」
「そう……」
「でも、もう大丈夫。シートが得られなかったからって、腐ったりはしない。俺は自分にできることを精一杯やる。それが俺を支えてくれたエリックさんに対する、1番の供養だと思うから」
「……いい顔に、戻りましたのね。ここ最近のランディ様は、死人のようなお顔をされていましたから」
「ここ最近……?」
おかしい。
ここ最近がどうとか言われるほどに、俺はマリーさんと頻繁には会っていない。
こないだ商店街の路地裏で、1回会っただけのはずだ。
「この1年間、ランドール様の動向は常に私共がチェックしておりましたので」
「キンバリー! 余計なことを、言うのではありません!」
ははぁ。
どうやら俺はまたひっそりと、ストーカーされていたみたいだな。
それに、気付かないなんて――
やっぱりこの1年、俺はどうかしていたんだろう。
マリーさんは、まだ俺に執着しているんだろうか?
「マリーさん、お願いがある」
「な……なんですの?」
「君は、ルイス・グループの跡継ぎなんだよね?」
「そ……そうですのよ。それなりに、財力はありますのよ。資金援助のお願いかしら?」
彼女はこう言っているけど、実際にお金出すのはお父さんなんだろうな。
「いや。そこまで甘えるわけにはいかない」
だってそれを盾に、また俺と婚約をとか言い出されたら困るし。
「マリーさんはその歳で、ビジネスに関する知識も大人顔負けだと聞いた。俺がスポンサー探しをする時に作る企画書を、いちどチェックしてもらえないだろうか? アドバイスが欲しい」
「……え? それだけ?」
「忙しい君には、迷惑だろう。だけど他に、頼めそうな人がいないんだ」
「えっと……その……。もっとワタクシを、頼ってもいいんですのよ?」
「ランディ君、あかんで! マリーちゃんを頼ったら、きっと代りになんかいやらしいことされんで」
「イガラシ様! あなたと一緒にしないで下さい!」
「お嬢様。もう面倒ですから、ランドール様を拉致していうことを聞かせましょう」
ケイトさんだけじゃなくメイドのキンバリーさんまで口を挟んで、なんだか収拾がつかなくなってきたぞ。
「いうことを聞かせる」って、何をさせる気だろう?
やっぱりまた、婚約しろとかかな?
「皆様、墓前ですぞ」
ベッテルさんの押し殺した声で、俺達はみんなシュンとなった。
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樹神暦2032年1月の終わり。
俺は国際格式サーキットである、メイデンスピードウェイのピットにいた。
山間部に、爆音が響き渡る。
スーパーカートの最高峰、MFK-400クラスのマシンが奏でる極上の排気音。
俺が初等部の頃に乗っていたNSD-125クラスのカートに比べると、そのサウンドは腹に響く。
排気量が3倍以上になっているから、当然だな。
アクセルワイヤーを引っ張って空吹かしをしているメカニックは、水色の髪を持つヒョロ眼鏡ドワーフ。
ジョージ・ドッケンハイムだ。
しばらく会わないうちに、奴はニット帽を着用するようになっていた。
冬場で寒いから――というわけじゃない。
最近生えはじめた、成人ドワーフの証――額の両端から生える、2本の小さな角を見られるのが恥ずかしいらしい。
再会した時にそれをからかったら、鉄拳が飛んできた。
しかも眼鏡を外して、マッチョモードのパンチだ。
ドワーフの怒りのツボって、よく分からないね。
俺が不貞腐れ、ケイトさんが凹んでいる間も、ジョージは淡々とメカの仕事をこなしていた。
なんとジョージは現在、「シルバードリル」のメカニックになっている。
そこで、NSD-125ジュニアのマシンを手掛けていたらしい。
おまけに実家のカートショップで、お客さんのマシン整備も手伝っていたというんだから大したもんだ。
それにひきかえ俺ときたら、1年間もヘタレてて本当に申し訳ない。
「シルバードリル」がジョージを加入させたのには、理由がある。
スーパーカート選手権に1人の若手ドライバーを送り込む計画があったから、優秀なメカニックも必要になったんだ。
そのドライバーっていうのは、もちろん俺――
――じゃなかった。
「うわーっ! ランドール・クロウリィさんだぁー! 本物? 本物っすか? 俺っち、大ファンなんスよ! 感激! 大感激! 握手して欲しいっス」
小柄な小鬼族の少年に求められるがまま、俺は握手をした。
彼の腕は細いけど、手の平は思ったより大きく、がっしりしている。
肌は緑色。
小鬼族という種族にしては、丸っこくて愛嬌のある顔をしている。
来年13歳になり、基礎学校中等部に進級する予定の彼はポール・トゥーヴィー。
チーム「シルバードリル」が、基礎学校4年生からずっと育てていたドライバーだ。
国内NSD-125ジュニアクラスで、昨年の全国選手権ランキング2位を獲得している。
モア連合統一戦にも3年連続で出場を果たした、注目株ドライバーだ。
「そんなに騒がないでくれよ。俺はこの1年間浪人していた、平凡なドライバーだよ」
「何を言ってるんスか? K2-100で2年連続王者。NSD-125ジュニアでもチャンピオンになって、モア連合統一戦でも初代優勝者。スーパーカートでは、自動車メーカーチーム相手に1歩も引かず。……ランドールさんはもう、生ける伝説っスよ!」
「この若さで『生ける伝説』って呼び名は、気が早すぎると思うよ」
俺はまだ14歳。
今年でやっと、15歳だ。
生ける伝説って、もっとベテランのドライバーとかに使うべき表現だろう?
「それに俺、今年は第2ドライバー待遇だと聞いているよ? 君の方が、このチームでの経験は長いし」
「へっ? なんスかそれ? 俺っちはてっきり、ランドールさんがエースだと……」
「あれ? マリーさん俺を誘う時に、『セカンドなら、乗せてやらなくもありませんわよ!』って言ってたのに……」
「うっそだー! マリーさんは1年前からランドールさんをチームに入れたくて、色々準備してたんスよ? それがセカンド扱いとか、あり得ないっス!」
うーん。
俺はそんなに前から、マリーさんにロックオンされていたのか。
それがドライバーとしての期待だというのなら、悪い気はしない。
まあどっちがエースでどっちがセカンドか? なんてのは、まだチームも判断できないだろう。
シーズンが始まって、俺とポールの調子を見極めないとね。
いま俺が纏っているのは、グレーのレーシングスーツ。
これが俺の出した答えだ。
来季の俺は、「シルバードリル」のドライバーとして1年を戦う。
使命は今度こそ、マリーノ国スーパーカート選手権のチャンピオンを獲ること。
俺は暖気を終えたマシンに飛び乗ると、アクセルをやや大きめに踏み込みコース上へと飛び出していった。
――あ。
婚約云々は、今回は無しだってさ。