ターン68 地面すれすれにレイアウト
■□ケイト・イガラシ視点■□
ウチ――ケイト・イガラシは、現在20歳。
流体力学を専攻しとる、大学の2年生や。
ちょっと前までは、レースに夢中やった。
それが、色々あって――
最近は、学業に集中しとる。
いや。
ウチは本当に、レースに夢中やったんやろうか?
夢中になっていたのはレースにやのうて、ドライバーのランディ君個人になんやないんか?
ランディ君が、レース界を駆け上がっていくところが見たかったんとちゃうん?
ウチはそのランディ君の夢を、邪魔してしもうた。
そう考えると、自分を許せへん。
せめてひと言、ウチのミスを謝りたかったんやけど――
色々タイミングが、合わんかってな。
とうとう謝らんまま、チームは解散してしもた。
去年の最終戦。
ウチのせいで、エンジン大破せなんだらな――
チームはスポンサーに逃げられず、存続しとったんやなかろうか?
ランディ君は今年、シートを獲得できんと浪人しとるって聞いとった。
これは、ウチのせいやな。
そう思うと、謝りに行く勇気が湧かへんやった。
あれから1年。
空しい日々が続いとる。
何をやっても、おもんない。
まるで、時間が止まってしもたみたいや。
「会いたいな……。みんなに……」
自転車に乗って大学から家に帰りながら、ウチはそう口走っとった。
途中でランディ君の伯父さん――トミー・ブラックさんの事故現場に寄る。
いつも通り、道に生えている花を供えようとして気がついたんや。
「ん? 別の花? 誰か供えていったんか?」
いつもウチが花を供えている場所の隣に、きちんとラッピングされた花束が置かれとった。
ひょっとして、ランディ君やろうか?
いつの間にか、ウチは花束の柄を撫でとった。
ランディ君の温もりが、残ってへんか確認や。
――なんか、ストーカーみたいやな。
ウチは慌てて、花束の柄から手を離した。
あほらし。
ほんまにランディ君が置いた花束かどうか、分からへんのに。
ウチは事故現場の崖下に向かって手を合わせると、自宅へと自転車を押して歩いた。
舗装路から森の中の道へと入り、自宅が見えてきた頃や。
違和感に気づいた。
何か変な荷物が、玄関に置いてある?
気味悪うて、ウチはおそるおそる玄関に近寄った。
「……人? 誰か……玄関におる?」
遠くからは分からへんかったけど、近づくとそれが荷物やのうて人だっちゅうのが分かる。
ただ、ポーズが変やった。
土下座や。
ウチの家の玄関からこちらに向かって、土下座の姿勢で固まっとる。
地面スレスレにレイアウトされたゆるふわの金髪を見て、土下座マンの正体が分かった。
「な……何しとるの? ランディ君?」
土下座マンことランディ君は、その姿勢キープのまま大声で叫んだ。
「ケイトさん! 去年は酷いこと言って、すみませんでしたー!」
むっちゃ恥ずかしい!
やめて!
近所に家があれへんように見えるけど、林の向こうに2軒建っとんねん。
「基礎学校中等部生徒を、土下座させる女子大生」なんて評判が立ったら、 ご近所歩けないやん!
「ラ……ランディ君! お願いやから、顔上げて! ご近所さんや、宅配便の人に見られたら……」
「ああ。宅配便の人なら、さっき来たよ。ちゃんとケイトさんのお母さんが、荷物受け取ってた」
手遅れやん!
おかん、ランディ君が土下座モードなの知っとるんやな?
止めえや!
「と……とにかく土下座は、堪忍してー!」
「いや! 俺はケイトさんを、深く傷つけた! あと2時間は土下座しないと、足りない!」
地面に這いつくばったままの土下座マンを説得して、なんとか部屋に上がらせたんは、それから5分も経ってのことや。
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話し合いの場所は変わって、ウチの部屋。
女の子の部屋やから、ランディ君も初めはちょっと緊張しとった。
女の子の部屋にしては、可愛い系のグッズとかがない殺風景な部屋なんやけどな。
緊張するランディ君、なんか可愛ええな。
お姉さん、色々イタズラしたくなるで。
せやけど緊張しとったのは、レースの話になるまでや。
去年の最終戦の話題になった途端、ランディ君の脳はサーキットモード。
可愛くないな――
「去年の最終戦のあれは、ウチのミス……。謝らなアカンのは、ウチの方や」
「なに言ってるのさ。燃料をギリギリまで薄いセッティングに振るっていうのは、チーム全員の意見が一致してたろ? ミスなんかじゃない。攻めたセッティングにすれば、ああなる可能性があった。みんな覚悟はしていたさ」
もうランディ君から話を聞いて、分かっとる。
あの発言がウチじゃなくて、チーフに言った冗談ちゅうことは。
ただ、それでもウチは思うねん。
あの時エンジン大破さえせえへんかったら、ギルバートレーシングには他の未来もあったんちゃうかなって。
エリックさんも、病気に負けへんかったんちゃうかなって。
科学的な根拠とかは、何もあらへんけど。
「俺、ずっと思ってたんだ。俺があのレースで、勝ってたら……。もっと頑張って、チャンピオンになっていたら……。ギルバートレーシングには、違う未来もあったんじゃないかって……」
「奇遇やな。ウチも同じようなこと、考えとった」
「でも、そんな風に考えるのも傲慢かなって最近は思い始めた」
「傲慢?」
「そう。きっと俺達はチャンピオンになるために、色々と足りていなかったんだ。それはドライバーの腕がどうのとか、ましてやエンジンのコントロールユニットがどうとか、小さくて単純なものじゃない。もっと複雑で、複合的なものさ」
「つまり、自身を含めた『みんなのせい』っちゅうこと?」
「平たく言えば、そうだね。『俺のせい』って自分を責めるのは、自身を過大評価している。ドライバーは、神じゃない。1人でできることには、限りがあるぞ……ってね。父さんにボコられて、ようやくそれに気づけたよ」
「ランディ君の腕っ節は、人間族ばなれしとるのに……。おっちゃん、化け物やな」
「ちょっと身体能力が高いからって……転生して人生2周目だからって、うぬぼれてた。レーシングチームを車に例えるなら、ドライバーなんてそれを構成するひとつの部品でしかないのにね」
「それはちょっと、卑屈なんちゃう?」
「そうかい? 部品は大事だよ? レーシングマシンの部品に、何ひとつ余分なものはない」
「ウチも、重要な部品なんかな?」
「そうだよ。ケイトさんが欠けてたら、きっと俺はスーパーカートに乗ることすら叶わなかった」
「ランディ君に重要って言われるのは、悪うないな」
「きっと、誰だってそうさ。別の誰かの人生の重要な部品……一部なんだ。亡くなったエリックさんが、俺達にとってそうだったように」
そう言って、ウチが出したコーヒーをすするランディ君。
ちょっと表情に、影がある。
しばらく見ないうちに背が伸びて、さらにカッコ良うなった。
ウチの方が、6歳も年上なんやけどな。
童顔で背があまり高くないウチと年齢の割に背の高いランディ君は、そんなに年齢差が感じられへん。
ちょっと、ドキドキしてきたわ。
そういえば部屋で2人っきりの今の状況って、けっこう危険なんちゃう?
ランディ君の肉体年齢は14歳でも、精神年齢は36やで?
いや。
14歳も、充分危険なお年頃やわ。
あかんで、ランディ君。
ウチが魅力的なお姉さんやからって、いやらしいことしたら――
でもランディ君やったら、ちょっとぐらいは――
いやいや!
アカンアカン!
ルディちゃんが、ごっつ怒るで。
――そういえばルディちゃんとランディ君、エリックさんの葬儀の時は怪しい雰囲気やったな。
やっぱり2人は、つき合うとるんやろか?
だとしてもルディちゃんは、ツェペリレッド連合に引っ越してしもうた。
これは、チャンスなんちゃう?
「……ケイトさん?」
いつの間にかランディ君が、怪訝そうな表情でウチの顔を覗き込んどった。
顔、近いっちゅうねん!
どんだけ乙女の心臓に悪いか、ランディ君分かってへんやろ?
その透き通った、ブルーの瞳とか――
整っとるのに、優し気な顔立ちとか――
金細工みたいにキラキラした、ゆるふわのブロンドヘアーとか――
「ケイトさん、大丈夫かい? 顔赤いけど? 熱でもあるんじゃない?」
こともあろうに、この男は白い手の平をウチの額に当ててきおった。
ちょっと、イラっとくんねん。
ランディ君はこんな風に、女の子を誤解させるような行動ばっかりすんねん。
でも――
ええかな?
ウチはランディ君の大きな手で額を包まれて、幸せな気分なんよ。
誤解でも、なんでもええ。
ウチは、ランディ君のことが好きや。
女の子にモテるくせに、あんまり気づいていないニブチンなところ。
嘘ついてもすぐバレる、正直なところ。
1年も前のことなのに、こうしてわざわざ謝りにきてくれる誠実なところ。
シスコ――妹想いなところ。
シートを失って、ちょっとグレてしまう繊細なところ。
それでもまた立ち上がってくれる、強いところ。
全部好きや。
この子が走るところを、近くで見ていたいねん。
だからウチは、モータースポーツに復帰しようと思う。
ひょっとしたらランディ君はもう、スーパーカートには乗れんかもしれへん。
ならばカートを飛び越して、市販のスポーツカーをベースにしたハコ車のレースに出ればええだけの話や。
ランディ君が16歳になってハコ車の競技者ライセンス取れるようになったら、一緒にチューンド・プロダクション・カー耐久選手権に殴り込んだるで。
耐久レースになれば、燃料給油時期やらタイヤ交換のタイミングやらの戦略が重要になる。
短距離レースのスーパーカートより、戦略担当としての腕の見せどころ満載や!
見とれ、ルドルフィーネ・シェンカー!
それと相手にされとらんけど、マリー・ルイスお嬢様も!
ランドール・クロウリィっちゅうドライバーに、1番必要なんはウチ――ケイト・イガラシや!
「熱、上がってるよ? お母さん呼ぼうか?」
「……風邪ちゃうよ」
ランディ君がボケを続けるから、ウチは現実に引き戻されてしもうた。
ええねん。
ちょっとの間、夢が見れた。
この男に、女の子の想いなんて伝わらへん。
頭の中はもう、レースのことでいっぱいや。
はあ~。
たまにはウチを、デートに誘うぐらいしたって罰は当たらんで?
「ケイトさん。風邪じゃないなら、明日俺とデートしない?」
そうそう、こんな感じで――
「ふえぇっ!?」
あかんな。
このリアクションは、ウチのキャラやない。