ターン67 変わらない夕日
そして時は流れ、樹神暦2031年。
秋の終わり。
1年前。
エリックさんの葬儀でルディに「心配しないで」なんて言った俺は、見事に浪人する羽目になっていた。
うん。
甘く見ていたね。
レイヴンやタカサキみたいな自動車メーカーチームから拾い上げてもらうどころか、その2軍チーム――はおろか、あまり成績の良くない個人参加チームからでさえ見向きもされなかった。
理由はスポンサーを持たず、資金をチームに持ち込めなかったからだ。
ここ数年スーパーカートはマシンのレベルが上がり過ぎて、参戦費用が跳ね上がっているからなぁ――
どのチームも、台所事情は厳しい。
一応言っておくと、俺には全くスポンサーがいなかったわけじゃない。
ただ――
カート時代から支援してくれた個人商店とか、家族経営の小さな企業だとか、規模が小口すぎた。
支援していただけるのに申し訳ないけど、年間2000万~3000万モジャもの大金を使うスーパーカートではね――
その支援金額は、雀の涙。
とても参戦資金には、届かない。
もちろん俺も、指をくわえて状況を見ていたわけじゃない。
新たなスポンサー獲得に、挑んださ。
俺は中等部学生なのにビジネスマンみたいな恰好をして、レースの企画書を片手に企業を訪問しまくった。
新しいビジネススーツなんて買う余裕ないから、母方の爺さんが着ていたスーツを仕立て直してな。
結果は惨敗。
モータースポーツに関心のある企業や、俺の実績を評価してくれる企業は何社かあった。
だけど参戦カテゴリーがスーパーカート選手権だということに、難色を示すところが多かったんだ。
市販車ベースのハコ車レーシングカーに比べたら、小さな車体だから広告が目立たないと指摘してきた会社もある。
うーん、そう言われてもな。
まだ俺の年齢じゃ、カート以外のカテゴリーには乗れないし。
ハコ車で競技できる4輪競技者ライセンスが取れるのは、16歳になる年。
基礎学校10年生からなんだよなぁ――
そういう訳で、2031年シーズン。
俺が乗るマシンは無い。
そんな状況でも、夏頃までは頑張っていたさ。
企業訪問は続けていたし、ドライバーとしてのトレーニングも休まなかった。
地元メイデンスピードウェイでレースがある時は、自転車でサーキットまで行ってレース関係者に顔も売った。
レイヴンワークスのディータ・シャムシエル監督は、散々自分達を追い込んだ俺を獲りたかったみたいなんだけど――
レイヴン社上層部が、首を縦に振らなかったらしい。
そんな裏事情を聞いた俺は、自分がワークスチームの監督から評価されていたことにちょっぴりテンションを上げたりして――
でも、ダメだった。
夏の終わり頃から、モチベーションを保てなくなってきていたんだ。
長期間、レーシングスピードでマシンを走らせないことによる不安もあった。
ひょっとして俺は、ブランクの間に取り返しがつかないぐらい遅くなっているんじゃないだろうか?
そんな考えが頭を支配して、離れない。
父さんは、
「久しぶりに、レンタルカートで走ったらどうだ?」
と言ってくれたけど、お金を使うことに抵抗を感じてやめてしまった。
ジョージやケイトさん、ルディが近くにいないというのも大きい。
同じ目標を持つ彼らが、近くにいてくれたら――
結局ケイトさんには、まだ謝れていない。
エリックさんの死以来、チームのみんなは疎遠になってしまっていた。
モチベーションを保てなかった俺は、毎日イラついた学校生活を送った。
イラついているうちに、いつしか喧嘩に明け暮れるようになる。
緊張感の中に身を置くことで、少しでもレースと同じ感覚を味わいたかったのかもしれない。
だけど結局なんの満足感も得られないまま、ただいたずらに時間を浪費していった。
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俺は路面電車に揺られながら、この2年間を回想していた。
窓の外を流れる南プリースト町の街並みは、今日も静かだ。
俺の心は、こんなにもざわついているっていうのに。
終点の停留所で、電車を降りた。
俺が住む「クロウリィ・モータース」の整備工場まで、残りは歩きだ。
あまり家にはいたくない。
最近父さんも母さんも、妹のヴィオレッタでさえ、俺の顔を見ると小言を言ってくる。
今日の喧嘩もバレないようにしないと、煩いな。
俺に小言を言ったところで、スポンサーが見つかるわけじゃないっていうのに。
閑静な住宅街を歩きながら、俺はぼんやりとそんなことを考えていた。
考え事をしていると、家まであっという間に辿り着いてしまう。
貧乏なのに、なぜか敷地と建物だけはそこそこ大きいクロウリィ・モータースの整備工場が俺を出迎える。
整備待ちのお客さんの車が点在する、広いけど殺風景な庭。
そこを通り抜けて建物内に入り、俺はさっさと自室に逃げ込もうとした。
「あっ、お兄ちゃん。おかえりなさい」
俺を目ざとく見つけたのは、妹のヴィオレッタだった。
最近12歳になった彼女は家の手伝いをバリバリとこなし、家族に貢献している。
それにひきかえ、俺はいったいなんだろう?
自分が何も家族の役に立っていないような気がして、いたたまれない。
「ただいま……」
小さくそう挨拶をして、自室への階段を上ろうとした俺。
ヴィオレッタはそんな俺のジャケットを素早く掴み、こびりついた黒い汚れを指差した。
「お兄ちゃん、説明して。これはなんの汚れ?」
ヴィオレッタの声色は硬い。
彼女が指差しているのは、さっき獅子獣人一派をぶちのめした時に付いた返り血だ。
もちろん喧嘩したのがバレたら面倒なので、適当にとぼける。
「さあ? 油汚れかな?」
「……また、喧嘩したのね?」
俺の嘘は、相変わらず一瞬で看破されるな。
悲しそうに、瞳を伏せるヴィオレッタ。
そんな妹の顔を、これ以上見ていたくなかった。
俺はヴィオレッタを振り払い、再び階段に足を掛けようとする。
その時何かが、俺に向かって飛んできたんだ。
固くて重いその何かを、完全に防ぐことはできなかった。
受け止めようとした手の平を弾き、それは頬へとめり込んでくる。
とっさに後ろへ飛んで威力を殺したけど、俺は3mほどの距離をふっ飛ばされた。
「……何をするんだい? 父さん」
「……ふん。退屈してるみたいだからな。遊んでやるよ」
俺を吹き飛ばしたのは、父さんの拳だった。
巨人族の血が入っている父さんは、身長190cmを超える筋骨隆々の巨漢。
そのガタイで、俺みたいな中等部学生を殴るなんて――
俺は心底頭にきた。
「……ふうん、いいのかい? 父の威厳ってやつが、完全に無くなるかもよ?」
地球にいた頃も、この世界に転生してからも、俺は父親に殴られた経験なんてなかった。
だから少々、冷静さを失っていたのかもしれない。
父さんに向かって、挑発めいたことを言ってしまった。
「うるせえ! ガキが! さっさと掛かって来い!」
「あなた! ランディ! 工場や家の中で、暴れないで!」
いつの間にか駆けつけてきていた母さんが、悲鳴交じりの声で俺と父さんに呼びかける。
俺は父さんを工場の外へ追い出すべく、嵐のような拳のラッシュを放った。
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まるでタイヤをバットでぶっ叩いたような、肉同士が激しくぶつかり合う音が響き渡る。
もう、何度目の衝突音だか分からない。
はっきりいって、近所迷惑だろう。
このマリーノ国にも、決闘罪はあったはずだ。
近所の住民が、警察に通報していないことを祈る。
俺と父さんの殴り合いは、単なる親子喧嘩とはいえないほど激しい闘いになった。
昼間蹴散らした不良共とは比べ物にならないぐらい、父さんは強い。
獅子獣人を1発でダウンさせた俺の蹴りを、片手で受け止めるとはどういうことだよ?
まともに打ち合うのは不利だと判断し、俺は小細工に走った。
鋭い右のジャブで、視界を遮る。
意識を上半身に向けさせてから、鉈でぶった切るような下段蹴りを左足で放った。
参考にしたのは、2年前に見たヤニ・トルキの下段蹴り。
ところが父さんときたら、俺のジャブに怯まない。
平然と顔面で受け止め、下段蹴りは足の筋肉に力を入れるだけでガード。
蹴った俺の足の方が、痺れてしまった。
「見え見えなんだよ! バカ正直が!」
「うるさいよ! 脳筋親父!」
フェイントもダメか――
ならば動体視力と反応速度を活かした、カウンターで決める。
俺は両腕のガードを下げ、あからさまに父さんのパンチを誘った。
――この緊張感。
商店街で不良共とやり合った時よりは、レースに近い。
だけど、まだまだ――
どう見ても罠なのに、父さんは無造作に間合いを詰めてきて右腕を振るった。
――ここだ!
もらった!
フックの軌道で迫る父さんのパンチに対して、俺のパンチは最短距離で突き刺さるストレート。
リーチの差はあっても、俺の方が先に届く――
――はずだったのに。
パンチが命中したのは、同時だった。
脳を揺さぶる強烈な一撃に、俺の意識は飛びそうになる。
なんとか気絶は避けられたけど、かなりダメージが足にきてしまった。
俺は尻もちをつき、そのまま大の字になって地面に倒れる。
「……ふん。いいパンチを、打つようになったじゃねえか」
意識が朦朧とする俺を、父さんはしばらく見下ろしていた。
――と思ったら、父さんも後ろにズデンと転び、ダウンしてしまう。
ダブルノックダウン。
この場合、勝敗はどうなるんだ?
先に立ち上がった方が、勝ちかな?
格闘技の試合じゃないから、明確な勝敗の付け方はわからない。
なんだか勝ち負けなんて、どうでもいい気持ちになっていた。
ただ感じていたのは、寝転がったまま見上げた夕日が綺麗だなって。
あの日――
ケイトさんが初めてレースを観に来てくれた時、俺は夕日に向かって誓った。
「ユグドラシル24時間を獲る」と。
俺は腐ってしまったのに、夕日はあの時と変わらず綺麗だ。
「暴れて少しはスッキリしたか? ランディ」
父さんは少し鼻血が出て息も乱れているけど、笑顔で俺に語りかけてきた。
「『遊んでやる』っていうのは、本気で言ってたんだね……。無茶苦茶だよ、父さん」
「ストレスが、溜まっているみたいだったからな」
地面に倒れたまま、俺達は笑い合った。
ひとしきり笑った後、俺は心の中に秘めていた思いを正直に吐き出す。
「俺……走りたいよ」