ターン66 ひとり、またひとり
この世界の葬儀は、ほとんどが樹神信仰というものに則って行われる。
宗教というか、風習だ。
様々な宗教が存在しているから、異なるスタイルで行われる葬儀もたまにある。
だけど本当に、「たまに」って頻度だ。
樹神信仰の埋葬方式は、土葬。
四角く掘った墓穴に、木製の棺桶ごと死者を埋める。
その傍らには死者の名前と、生きた年代のみを伝える簡素なモニュメント。
そして遺体の頭上に当たる位置に、小さな木が植えられる。
木の種類は埋葬される者の人生や性格、好みによって選ばれる方式だ。
モータースポーツ関係者は、世界樹の子分といわれるユグドジーナスを植えることが多い。
死後は世界樹を経由して樹神レナードの元へと旅立ち、そこで走り続けられるようにと。
レナード神は、大のモータースポーツファンらしいからね。
エリック・ギルバート氏が生前から選択していたのも、ユグドジーナスだった。
晴れ渡った空の下、土をかけられ眠りにつくエリックさん。
その亡骸に向かって、俺は心の中で謝った。
すみません、エリック監督。
俺――
チャンピオンには、なれませんでした。
あれだけ資金援助をしてもらって――
速いマシンを用意してもらって――
チーム体制も整えてもらって――
それで勝てないとは、なんて情けないドライバーなんだろうか。
エリックさんは、俺に期待してくれた。
でも、その期待に応える機会は永久に失われてしまったんだ。
ギルバートレーシングのスタッフは、全員が葬儀に参加していた。
みんな、黒い喪服姿だ。
RTヘリオンの時代から親交のあった、シャーロット母さん。
ヴィオレッタ。
ルドルフィーネ・シェンカー。
ドーン・ドッケンハイムさん。
敵チームへ移籍したキース・ティプトン先輩と、グレン・ダウニング先輩。
ウチのオズワルド父さんもいる。
息子が世話になったという以上に、ゲームでライバルだったエリックさんはかけがえのない友人だったんだ。
なんのためらいもなく工場を閉めて葬儀に参加する決断をし、家族の誰もそれに反対しなかった。
エリックさんは社長さんでもあったから、もちろん会社関係の参加者が1番多い。
それでも結構な割合でモータースポーツ関係者が混ざっていることを考えると、エリックさんがいかにレースに情熱を注いでいたのかよく分かった。
レナード神様。
どうか来世でも、エリックさんをモータースポーツのある世界に――
そう祈ることしかできない自分が、とても情けなかった。
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埋葬が終った後、俺は墓地の隅にある林の中でルディと話していた。
俺がRTヘリオンを卒業してから1年。
ルディは何度か俺のスーパーカートレースを観に来てくれていたけど、会う機会は確実に減っていた。
喪服である黒いドレス姿の彼女は、やけに大人びて見える。
来年やっと中等部だとは、思えないぐらいに。
「ランディ先輩。ボクは来月から、ツェペリレッド連合にあるハーロイーン国に引っ越します。兄さんも一緒です」
ルディからいきなりの報告をされて、俺は驚いた。
同じモア連合に所属する国家なら、ちょっと遠くに引っ越すぐらいの感覚で済む。
だけど他の国家連合へ行くとなると、話は変わってくる。
言語は共通語があるから苦労しないだろうけど、文化はわりと違うんだ。
おまけに距離や費用の面から、簡単にはモア連合と往復できない。
「ずいぶん突然だね。あっ、ひょっとして……。今年国内チャンピオンになって、モア連合統一戦でも勝ったから……」
「はい。ハーロイーン国の古豪スーパーカートチーム、『オメガレイ』からオファーをいただきました」
――やったね!
そう喜ぶ自分がいる一方で、素直に喜べていない自分もいる。
これはたぶん、嫉妬じゃない。
ルディがこの国からいなくなることが、寂しいんだ。
自分が来季は走れるかどうかわからないから、シートを獲得した後輩を素直に祝福できないだなんて――
そこまで自分は器の小さい男だと、思いたくない。
「おめでとう、ルディ。でもそれだと、今後は気軽に会えないな」
「ボクもそれが、少し寂しい……」
潤んだルディの瞳に、俺は少しドキっとしてしまった。
髪を少し伸ばした彼女を、もう少年だと間違う奴はいないだろう。
何となく、見つめ合う2人。
俺はこの子のことを、どう思っているんだろうか?
胸の中。
囲炉裏火のように静かに燃えるこの感情は、ドライバーとしての尊敬か――
それとも――
残念ながら俺とルディに、それを確かめている時間はなかった。
地面に落ちた木の枝を、パキリと踏みつける音が聞こえたんだ。
「あっ、ランディ君……。その……。大事な場面に、ごめんな」
「ケイトさん……」
振り返った先には、ケイト・イガラシさんが呆然とした表情で立ちすくんでいた。
そこで俺は、思い出す。
まだケイトさんに、レース後の発言について謝罪していない。
思い出した時にはもう、ケイトさんは走り出していた。
「待って! ケイトさん!」
俺は思わず手を伸ばした。
空中をひと掻きして、力なく下に下がる右手。
もちろんケイトさんを止めることなんてできず、手を下ろした時にはもう彼女の姿は消えていた。
これじゃ、最終戦の時と一緒だ。
飼い主の代わりに地面にいたのは、眠りフクロウのショウヤ。
最近は体が大きくなり、ケイトさんの肩に止まっていることが少なくなった。
ショウヤは俺を非難するように強く「ホーッ!」と鳴くと、ケイトさんを追うように飛び去った。
ショウヤを追えば、ケイトさんのところまで辿りつけるだろう。
だけど俺は、追わなかった。
なんだか浮気現場を目撃された男が弁解しに行くみたいで、間抜けだと思ってしまったことがひとつ。
もうひとつは、客人がきたからだ。
林の間から出てくる、コートを羽織った40台後半の男。
種族は俺やエリックさんと同じ、人間族だ。
「お取込み中に失礼、ランドール・クロウリィ君。私はYAS研会社役員の1人で……」
「シーン専務……。ええ、存じております」
俺のメインスポンサー、YAS研。
そのYAS研会社役員達の中で、最も若いのがシーン専務。
まだ若いのに、仕事の実力だけで役員まで昇りつめた相当なやり手だ。
だけど彼は役員会において、会社がモータースポーツ活動を行うのに反対姿勢を取っていると聞いている。
このタイミングで聞かされる話なんて、どうせ碌な内容じゃない。
「ルドルフィーネ君も、一緒で構いません。もう今の段階では、隠すような話でもない」
ルディは同席許可を求めるように、視線を合わせてきた。
俺は静かに頷く。
その様子を見たシーン専務は咳払いを入れてから、ゆっくりと話を切り出した。
「ギルバート前社長の計画した我が社のモータースポーツ活動において、宣伝面でとても重要なポイントがありました。『我が社の社長が』、『わが社の商品を駆使して』レースを戦うという点です」
「我が社の社長」は当然エリックさんのことだし、「わが社の商品」というのはエリックさんが愛用していた筋電義手のことだ。
アマチュア向けカテゴリーとしては国内最高峰であるチューンド・プロダクション・カー耐久選手権に、自社製品を身に着けた社長が出場して活躍するのはかなりの宣伝になるだろう。
「私も、そのプラン自体には賛成でした。しかしギルバート前社長は、自分の相棒となるドライバーを一から育てたがった。私達反対派は、それが余計なコストだと感じていたのです」
後任も決まってないのにさっきからエリックさんを「前社長」呼ばわりしたり、俺達の活動を「余計なコスト」呼ばわりしたりするシーン専務には腹が立つ。
でもまあ、仕方ないことなのかもしれないな。
YAS研さんだって、慈善事業でレースを支援してくれていたわけじゃない。
働く社員さん達にも、生活があるんだ。
いくらモータースポーツ人気が高いこの世界でも、全ての人が熱狂的なレースファンというわけじゃない。
道楽に会社の金をつぎ込んでいると、批判する人もいるはずだ。
余計なコストっていうのも、事実だろう。
カートチームを支援して一から育てなくとも、シートの無いプロドライバーを適当に雇った方が遥かに安上がりだ。
「モータースポーツは世界的に人気が高く、広告として効果が高い。しかしスーパーカート程度のカテゴリーでは、対費用効果が薄いのですよ」
全て、シーン専務の言う通りだ。
スーパーカートも、それなりの人気はある。
だけどこの世界での花形は、市販の自動車をベースにした「ハコ車」のレース。
年間2000万~3000万モジャも使っているのに、ややマニアックなカテゴリーであるスーパーカートでは元が取れないって判断なんだ。
「では、来年は……?」
「大変申し訳ないのですが、資金援助を打ち切らせていただくことになるでしょう」
ああ、しまったな。
この発言は、ルディに聞かせたくなかった。
彼女のことだから、俺の来季を気にしてしまうに違いない。
同席させるべきじゃなかった。
でも、あのタイミングで追い返してもな――
やっぱり心配しただろうし――
「そ……そんな! ランディ先輩は、参戦初年度なのに予選1番手2回。優勝2回。レース中の最速タイム3回のスーパー新人ですよ? それを……」
案の定、ルディは動揺してシーン専務に食ってかかる。
いつの間にか煙草を吸い始めていたシーン専務は、煙を細長く噴き出しながら答えた。
おいおい。
アスリートの近くで、煙草吸うんじゃないよ。
「だから……とも言えますな。ランドール君ほどのドライバーなら、自動車メーカーチームも放っておかないでしょう? ギルバートレーシングが解散しても、色んなチームから引っ張りだこのはず」
「……今のところ、そんな話は聞きませんけどね」
悲しいことに、そういったオファーは今までに全くない。
俺が身体能力的に不利な、人間族だからだろうか?
そういえば同じ転生者で同じ人間族のクリス・マルムスティーンも、スーパーカートのシートが得られず苦労していたな。
学校の体育で測定した、身体能力テストの人間族ばなれした記録。
あれを公開したら、俺にもちょっとはオファーがくるだろうか?
「とにかく、これは確定事項です。早く教えてあげないと、君も来季の就職活動があるでしょうからね」
「それは、ご親切にどうも」
もちろん、この返事は皮肉だった。
俺とルディに背を向けて去る、シーン専務。
彼の背中を見送りながら、この時の俺はどこか楽観的に考えていたんだ。
「メインスポンサーを失うのは、確かにキツい。でも、心配しないで。さっきルディが言ってくれたように、今年の俺はスーパールーキー扱いされるぐらいの成績を残せた。資金持ち込みでなくても、きっとどこかのチームが拾ってくれる」
俺はルディの心配を解消するため――というよりは、自分に言い聞かせるためにそう呟いた。