ターン64 天使のECU
「少しはスッキリするかと、思ったんだけどね……」
俺の周囲で苦し気に呻く、10人の少年達。
半数は、意識が無い。
骨折とかの大きな怪我はさせないように気をつけたけど、血を流している奴はいる。
10対1で喧嘩して、完勝。
そこに爽快感なんて、欠片も無かった。
クラス下のマシンをコース上で追い越す時のような、当たり前の作業。
同格のマシンと攻防の末に達成できる追い越しの瞬間とは、何もかもが違う。
「こんなんじゃない……。こんなんじゃないんだ……」
俺が求めているものとは、雲泥の差だ。
残念な気持ちが深い溜息になって、口からこぼれる。
俺は脱いでいたジャケットを、羽織り直した。
まだ呻いている連中を無視して、その場を立ち去ろうとする。
その時だ。
響いてきたのは、鈴を転がすような可憐な声だった。
この殺伐とした乱闘の現場には、相応しくない。
「ずいぶんと、退屈していらっしゃるようですわね? ランドール・クロウリィ様」
ややカジュアルな、ピンクのドレス姿。
最後に会ったのは、去年のマリーノ国スーパーカート選手権最終戦か。
ちょうど、去年の今頃だな。
俺を偵察にきていた。
彼女がオーナー監督を務めるカートチームの「シルバードリル」には、スーパーカートへの参戦計画でもあったのかもしれない。
1年近く会っていないと、別人のように背が伸びるな。
きっと向こうも、そう思っているんだろう。
彼女は同級生だから、今年で14歳。
薄暗い路地裏でもギラギラと悪目立ちする、銀色ロールヘアーは健在だった。
「マリーさんか……。君のようなお嬢様がこんな治安の悪い場所を歩いていると、トラブルに巻き込まれるよ?」
商店街の路地裏は不良グループのたむろする場所だと、町民の間では有名だ。
俺はそいつらに遭遇したくて、わざとぶらついていた。
不良グループならば、殴ってもあまり世間から非難されないだろうと思ってね。
マリー・ルイスお嬢様も、この辺りの土地事情は知らないはずないと思うけどな。
「建物の陰に、ベッテルが護衛として隠れています。初等部生徒だった頃のあなたに出し抜かれたこともありますが、普通に優秀な護衛でもあるんですのよ?」
「そうかい、だったら安心だ。それじゃ、お気をつけて」
「あら? ワタクシに小言を言われるのが嫌で、そそくさと逃げ出すのですわね? ……本当に、情けない男」
反論する気も起らない。
なぜなら、彼女が言っているのは事実なんだから。
「ああ。自分でも、そう思うよ」
冷めた返答に、沸騰してしまったのはマリーさんの方だった。
「どうして!? どうしてあなたは、そんな風に自分を……! エリック・ギルバートさんが亡くなったのは、肺の病気。あなたの行動とは、なんの因果関係も無い!」
なにをそんなに、熱くなっているのか。
俺には彼女の言動が、理解できなかった。
「俺みたいなつまらない男に、もう関わらない方がいいよ。時間の無駄さ……」
マリー・ルイス嬢は、まだ何やら叫んでいた。
だけど俺はそれを聞かず、風に溶け込むようにその場を去る。
消えてなくなってしまいたい。
俺自身が、そう望んでいたから。
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樹神暦2630年。
去年のことだ。
俺は、エリック・ギルバート氏が中心となって立ち上げたレーシングチームに在籍していた。
その名もズバリ、ギルバートレーシングだ。
参戦カテゴリーは、スーパーカート選手権。
カートという乗り物を使ったレースでは、国内最高峰の選手権だ。
予算の関係で、マシンは1台体制。
スーパーカート経験の豊富なベテランエンジニアをチーフに据え、そのサポートをジョージとケイトさんが務めていた。
大人のメカニックやエンジニアも多くいて、チームスタッフは総勢10人。
監督には、エリックさん自らが就任。
陣頭指揮を執っていた。
このカテゴリーからは、タイヤも車体もエンジンも色々なメーカーが参戦しているマルチメイク方式になっている。
ウチのチームはエンジンと車体のマッチングが良いのか、絶好調だった。
どれぐらい好調かというと、参戦1年目の俺が初戦でレース中の最速周を記録したり、2戦目で初表彰台に乗ったり、3戦目で初優勝を遂げてしまうぐらい絶好調だった。
新人ドライバー+新興個人参加チームの成績としては、快進撃と言ってもよかっただろう。
全7戦中第6戦までをを消化した時点で、ランキングトップのダレル・パンテーラと俺とのポイント差は4ポイント。
最終戦で優勝さえすれば、逆転して王者を奪うことも可能な差だった。
そんな時だ。
エリックさんが、倒れたのは。
思えばその前年。
カートのモア連合統一戦のあたりから、咳の症状はあったな。
シーズン中、日に日に咳が増えてチームの皆が心配していた。
それでもエリックさんは紳士的な物腰を貫いていたし、矍鑠としているように見えたんだ。
だから命にかかわるような病気だとは、誰も思っていなかった。
本人だけは、余命がわかっていたのかもしれないな。
監督としてのエリックさんは、物静かでありつつも勝利に拘っていた。
「参戦1年目から、そう欲をかくものではない」っていう意見を持ったベテランのチーフエンジニアと、何度か衝突したぐらいだ。
この年がエリックさんにとっては、最初で最後のシーズンだったんだ。
それを知ったチームは、ひとつになった。
自分達がエリック監督にしてやれるのは、初年度チャンピオンの栄誉を取ってくることだけ。
やや守りの姿勢だったチーフも、最終戦は必勝態勢を敷くことに何も反対しなかった。
攻めるんだ。
新興個人参加チームの俺達が王座をもぎ取るには、攻めるしかない。
マシンのセッティングは乗りやすさを犠牲にして、1発の速さを求めた方向に振った。
1番攻めていたのは、エンジン・コントロール・ユニット。
このスーパーカートでは、ECUをパソコンで書き換えるのがOKなルールになっていた。
ECUっていうのは、エンジンへの燃料噴射量、点火タイミングを制御するコンピュータ。
これを書き換えると、エンジンのパワーアップや反応を向上させることが可能だ。
必勝態勢の俺達は、当然エンジン耐久性を犠牲にしてパワーを絞り出すセッティングに。
最終戦のフリー走行で走ってみて、そのパワーに驚いた。
本当に同じ排気量かって思うほど中間加速がいいし、高回転も良く伸びる。
あまりの素晴らしさにテンションが上がり過ぎた俺は、大声で笑いながら予選のタイムアタックを走り切った。
そんな俺を、ジョージの奴は「気持ち悪い」って言ってたな。
結果はぶっちぎりのタイムで、予選1番手。
この時は、知らなかったんだ。
あまりにECUのセッティングが決まっていたから、当然ベテランのチーフエンジニアが手掛けたものだと思い込んでいた。
まさかケイトさんが、マッピングを担当していたなんて――
いくら彼女がコンピュータに強いとはいっても、今年からECUセッティングの勉強を始めたばかりだったのに――
この時の俺は、全く知らなかった。
知っていたら、あんなことは言わなかった。
でも、もう遅い。
なにもかも、もう遅いんだ。