ターン62 クローズドフィニッシュ
場内放送が、響き渡る。
ホームストレートには、短い間隔でスピーカーが並んでいるんだ。
だから走行中の俺でも、内容を聞き取ることができた。
ちょっと、飛び飛びに聞こえるけどね。
『ただいまの周ですが……。トップのルドルフィーネ・シェンカー選手と2位のランドール・クロウリィ選手の差が、僅かに縮まりました! 前の周では2秒近くあったその差は、この周1.6秒!』
放送からワンテンポ遅れて、観客席はどよめきで埋め尽くされた。
みんな、そんなにびっくりするなよ。
正直、俺にとっても予想外だったんだけどね。
もっとジリジリとしか、差は詰まらないと思っていた。
一気にコンマ4秒も詰まったってことは、ルディに何かミスがあったか?
あるいは彼女のタイヤが、性能低下を起こしているのか?
たぶん、後者だろう。
タイヤがヘタり始めたとしても、無理はない。
もうレースは、16周目だ。
俺も最後までタイヤの性能を保てるかは、微妙なところだったりする。
少しずつ、でも確実に大きくなるルディの背中。
ここまで背後に迫れば、圧力をかけることもできる。
変な気分だ。
いつも俺の背中を守ってくれていたルディに、背後から襲い掛かろうとしている。
小さな背中には、ロゴが乗っかっていた。
RTヘリオンのチーム名と、メインスポンサーYAS研さんのロゴだ。
他のドライバー達は、いつもこれを拝みながら走っていたんだな。
レース序盤は、前を行くルディの背中から確かな自信を感じられた。
でも今は、微かな戸惑いがにじみ出ている。
わかるぜ。
思った以上に、バテちゃったんだろう?
ルディは裏ストレートでしっかりリラックスして、体力温存に努めていた。
横Gがかかり続け、体に負担がかかるループコーナーも計算に入れていたに違いない。
問題は、その2ヵ所じゃない。
ルディが休憩区間だと思っていたのに、実は休めていなかった場所――
それは外周の、オーバルトラック部分だ。
ひたすらアクセル全開。
傾きが35°も付いているから、カート程度の速度なら全く減速の必要が無い。
ハンドルなんて切らなくても、バンクの傾斜で自然と内側に曲がってくれる。
でもその代わりに、かかっていたんだ。
頭から腰に向かって、全身を押し潰そうとする縦のGが。
多くのカートドライバーは縦Gに慣れていないから、感じにくかったのかもしれない。
休めていると思った場所で、実は休めていなかった。
この差は大きい。
体力の配分が、大幅に狂ってしまったはずだ。
18周目。
俺はきっとこの周から、タイヤの性能低下が始まる。
だから――ここで仕掛ける!
すでに、ルディとの差はテール・トゥー・ノーズ。
接触しそうなほど張り付いた状態まで、迫っていた。
1コーナーが近づく。
ルディの得意とする、ブレーキングで勝負だ。
彼女は内側を開けなかった。
仕方なく、俺は外側へとマシンを振る。
ルディの後輪から聞こえる滑る音は、独特だ。
1秒間に繰り返される、ブレーキのロックとリリースの回数が異常なほど多い。
ロック状態だと、制動距離は伸びてしまう。
しかも下手するとタイヤが削れて平らな部分ができ、まともに走れなくなってしまう。
それでもルディは、一瞬ロックする状態までは平気でタイヤを追い込む。
5歳の時にやり合ったブレイズ・ルーレイロも、こういうブレーキングだった。
だけど今のルディは、その上を行っている。
凄まじいブレーキングだった。
条件が同じなら、俺はブレーキング競争に負けていただろう。
ザーッと長いスキール音が、俺の耳に届いた。
ルディはブレーキ踏力のコントロールに失敗して、長くロックさせすぎたんだ。
彼女の想定以上に、タイヤは摩耗していた。
俺はというと、全くタイヤをロックさせていない。
タイヤ状態の差もある。
だけどそれよりも、俺は元からブレーキの意識が違うんだ。
「短く止める」ということよりも、「車の姿勢をコントロールする」のを優先させている。
だからルディやブレイズみたいなタイプのブレーキングは、滅多にやらない。
ルディのコーナー進入は、失敗だ。
ほんのちょっとだけど、オーバースピードになってしまった。
アンダーステアが発生し、マシンは外側へ膨らもうとする。
もう、充分だ。
ここで俺が取るべきベストな走行ラインは、ハンドルを切り込むタイミングをずらしてラインを交差。
立ち上がりでルディを抜くっていうのが、賢いやり方。
だけど俺はルディに付き合って、コーナーのアウト側へと膨らんでいく。
ミスじゃない、わざとだ。
滑り続けてコースアウトしようとするルディの前輪を、俺は自分の後輪で受け止めた。
支えができたことで、食い付きを取り戻すルディのタイヤ。
もちろんその衝撃で、自分がスピンしてしまうようなヘマはしないぜ。
接触の瞬間に合わせて、俺は逆ハンドルを当てる。
その結果、後輪が滑るオーバーステアに陥ることもなかった。
外側の縁石ギリギリを舐め、コース内に留まる。
大きく外側にはらんでしまった、代償はあった。
内側から、ヤニ・トルキがちゃっかり抜いていく。
コーナーを立ち上がる時、ルディと目が合った。
(どうして?)
追い抜きざま、彼女の瞳はそう語りかけてくる。
もう充分だよ。
君の意地は、見せてもらった。
来年のエースは、君だ。
君は俺がいなくなっても、勝てるドライバーだ。
それに俺も、証明できた。
チームメイトと本気でバトルをして、勝てるってことをね。
周りの人達にじゃなくって、自分自身にだ。
もうこれで、俺が自分とルディに課した課題は完了している。
だからあとは、自分達の外側に向けた課題をこなすんだ。
あのちゃっかり鬼族野郎から、表彰台の真ん中を奪い返す!
俺とルディの接触は、極めてソフトだった。
両車にダメージは無い。
ヤニも抜いていったもののタイヤが苦しく、逃げ切れるようなペースじゃない。
3台の中で1番タイヤに余力のあった俺は、すぐヤニの背後に張り付くことができた。
だけどすでに、レースは最後の1周。
俺とルディがヤニを再び追い抜くのは、困難に見えていることだろう。
――当事者である、俺とルディ以外にはね。
抜き返すと決めた時から、勝負のポイントは1箇所に絞っている。
――ここだ!
バックストレート後の、V字コーナー!
俺はヤニにべったり追従したまま、ブレーキングポイントまでこれた。
タカサキエンジンが、直線終盤でよく伸びるおかげだ。
俺はマシンを、サッと内側に振った。
そしてブレーキング開始を遅らせ、ヤニの真横へと並びかける。
ルディ。
君の技、使わせてもらうよ。
今回繰り出したブレーキングは、ルディやブレイズと同種のもの。
断続的に一瞬だけのロックを繰り返し、タイヤの性能を限界――のちょっと上まで使い切る。
超ハードブレーキングだ。
この時点でヤニは、旋回ラインの変更を強いられた。
俺の勝ちだ。
だけど、まだ終わりじゃないぜ。
俺はヤニに対して幅寄せし、外側へと追い立てる。
さっきの仕返しとか、そんなつまらない理由じゃない。
ウチの姫様が通る道を、空けてやろうと思っただけだ。
俺はともかく、ルディにまで順位を譲る気はなかったヤニ。
奴の内側に、黒い鼻先がねじこまれる。
阿吽の呼吸って、こういうのをいうんだろう。
俺とルディ。
黒いマシン、2台の隊列が完成した。
そのまま俺達は、駆け抜ける。
ループコーナー。
高速のターン10。
最終コーナー。
そして、外周路の楕円トラック部分。
コントロールラインを越えるまでは、気を緩められない。
先頭で風圧を受ける俺より、後ろのルディとヤニの方がスピードが伸びる。
チェッカーフラッグを構えた係員の姿が、遠くに見えた。
ヤニはバンクを下に降りて、内側から俺を抜こうと試みる。
ルディはバンク角が大きい、外側から。
俺は両側を挟まれ、行き場がない。
後はマシンを信じて、アクセルを踏み続けるだけだ。
3台はほぼ真横に並んだ状態で、チェッカーフラッグを受けた。
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「素晴らしいレースじゃった。お主たちには感謝しかない。これでワシはまた、新しい領域に踏み込める」
俺は衝撃を受けた。
レース終了後に、3位のヤニが爽やかな態度だったからじゃない。
奴の1人称が、「ワシ」だったことに対してだ。
すでに俺もヤニもカートスーツから着替え、ラフな私服姿になっていた。
ここはワンツーフィニッシュを決めた、俺達RTヘリオンのピット内。
シャーロット母さんやジョージ、ケイトさんは、撤収作業で慌ただしく動き回っている。
そんなところにヤニは、わざわざ祝辞を述べに来てくれたんだろうか?
「あっ、ヤニさん。お疲れ様です」
私服に着替えた、2位のルディが戻ってきた。
「ルディ。素晴らしい走りじゃったな。ぜひ今度、同じサーキットで練習走行でも……」
なんだなんだ~?
ヤニが来た目的は、ナンパか?
っていうかデートのお誘いとして、サーキットでの練習走行ってのはどうなんだよ?
「ボクとヤニさんは敵チームなので、それはできませーん」
その返事に、ガッカリしたヤニ。
だけど、続く言葉で奴は元気を取り戻した。
「それにヤニさんもランディ先輩も、来年はスーパーカートに行っちゃうんでしょう? そしたら2人はおっきな国際格式サーキットで走るから、ボクは一緒に走れません。再来年にはボクも、スーパーカートに上がれるよう頑張ります。だからそれまで、待っていて下さいね」
悪戯っぽく笑うルディは、小悪魔的な魅力があるな。
ヤニ。
鼻の下を伸ばしているけど、分かっているのか?
彼女は強力なライバルなんだぞ?
いずれトップカテゴリーのシートを、俺やお前から奪い取る可能性がある。
「ルディ。エリックさんが頑張ってくれるみたいだけど、スーパーカート参戦はまだ確定じゃないよ」
気の早いルディを、俺はたしなめた。
だけどそこへ、老紳士が携帯情報端末を片手にやってきたんだ。
スポンサーのエリック・ギルバート氏だ。
エリックさんは、ニヤリとしながら告げた。
「いえ、確定しました。他の役員達が動画サイトでレースの中継を観て、私に次々と電話をかけてきましたよ。役員会を待つまでもなく、確定です。来年君が乗るマシンは、最高時速230km/hオーバーのモンスター。戦場は、国際格式サーキットになります」
――やった!
来年は、スーパーカートだ!
地球でも乗ったことがない、変速機と空力装置付きのモンスターカートだ!
「エリックさん……。本当に、ありがとうございます。エリックさんが支えてくれなければ、俺は優勝どころか、カートに乗ることさえできなかった……」
「なに、投資した分は、後で働いて返してもらいますよ。……あと3年。16歳になる年から、君は4輪車のライセンスを取って、市販車ベース競技車両のレースに出場できます。……チューンド・プロダクション・カー耐久選手権で、私とコンビを組む。それも契約内容に入っていますから、忘れないでくださいね」
忘れたことなんかない。
伯父さんが果たす予定だった、エリックさんとの約束。
「……ゲホゲホッ! 興奮して、咳が……。風邪など、引いている場合ではないというのに。……年を取ると、治りが遅くていけませんな」
エリックさんも、けっこうお年を召していらっしゃる。
俺が4輪ライセンスを取っても、一緒に走れるのは1~2年くらいかもしれない。
市販車ベースのハコ車はあんまり好きじゃないし、耐久レースの経験もない。
だけどエリックさんと一緒に走れる、限られた時間を大切にしたいと思う。
そのために、少しでも速くなるんだ。
強いドライバーに、俺はなる。
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ナタークティカ国の出国ゲートを、母さんの運転するマイクロバスがくぐった。
日程も遠征の予算もギリギリだったから、観光する時間なんて無い。
「さらば、ナタークティカ国。プロドライバーになったら、たぶんまた来るよ」
マイクロバスの後部ガラスから見える、夕暮れのアーク・エナ・シティ。
そのビル街に向けて、俺は別れの挨拶をした。
「みんな、疲れたでしょう? 寝ててもいいのよ?」
母さんがそう言う前に、ルディは車に乗り込むやいなや気絶するように寝入ってしまった。
母さん1人に運転させて寝るのは申し訳ないけど、俺も今は体を休めるべきか?
明日からはもう、トレーニングを再開したい。
スーパーカートのイカレたスピードに耐えられる、タフな肉体が必要だ。
「うん。そうさせてもらうよ……母さん……。スーパーカート、楽しみだ……。次に目を開けたら、俺はメイデンスピードウェイを走るスーパーカートのシートに収まって……」
楽しい未来を想像しながら、俺の意識は闇の中へと落ちていった。
えへへ……、ルドルフィーネ・シェンカーです。
2章まで読んでくれて、ありがとうございます。
あーあ、負けちゃいました。悔しいな。
いつかボクは、先輩に勝ちたい。
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