ターン61 ストレートは休憩所
赤信号消灯消灯。
決勝ヒートがスタートした。
予選ヒートの時と違い、各車一斉に進路変更してバラける。
コーナーに進入する際、通常なら外側は大回りになって不利だ。
だけど楕円トラックは、そうだと断言できない。
外側ほど傾きが大きくついているから、高速で曲がれる。
外側からのアプローチでも、勝負権があるんだ。
道幅も広いもんだから、みんな平気で3台横並びや4台横並びに持ち込む。
もっとも、大混雑していたのは4位以下の選手達の話。
先頭のヤニ・トルキ。
2番手の俺。
そして3番手のルディは、隊列そのままに綺麗なスタートを切った。
昨日の予選ヒートとは違い、今日はヤニのペースが最初から速い。
原因は背後から追ってくる、俺の圧力――ではないね。
背中にナイフを突きつけられているような、ゾワリとする感覚がある。
ルドルフィーネ・シェンカー。
彼女の走りに、俺もヤニも追い立てられているんだ。
そんなハイペースで、タイヤは最後まで持つのか? という疑問も湧いてくる。
だけど今朝、ルディはケイトさんと走行データを見ながら何やら熱心に打ち合わせていた。
タイヤがもつギリギリのハイペースを、ケイトさんが計算して提案したんだろう。
他のライバル達の動向は一切気にせず、限界ペースで20周を走り切って勝つ。
そういう戦略だ。
多分だけど――いちど前に出したら、抜き返すのは難しいと思う。
今の状況だと、前も後ろも敵に挟まれた俺が1番走りにくい。
俺はヤニを、早目に料理することに決めた。
仕掛けるのは、2周目の1コーナー。
俺はこの時のために隠しておいた「牙」を、鬼の首に突き立てる。
この「牙」を持っているのは、実は俺だけじゃない。
ルディも持っているし、「シルバードリル」から参加しているポール・トゥーヴィーも持っている。
ただ俺だけが、持っていないかのように見せかけていただけ。
その「牙」とは――
「愛してるよ。だから力を貸してくれ、タカサキエンジン」
俺はオーバル区間後半でいつも緩めていたアクセルを、最後まで踏み抜いた。
聴衆の魂を震わせる、最高にロックなエンジンの叫びが響き渡る。
それに押された俺とマシンは、重たい大気の壁の中へジリジリとめり込んでいった。
何のことはない。
ナタークティカ国やラトヴァリウス国の連中が使っているドラグ・フォース社エンジンの方が、中間加速は上。
だけど直線終盤での最高速は、タカサキ社のエンジンが上だったというだけの話。
それを俺は、隠していた。
早めにアクセルを戻し、惰性で車を走らせる「リフト&コースト」を行うことでね。
いや。
タカサキエンジンの方が伸びるっていうのは、ドラグ・フォース社の優秀なエンジニア達はとっくに気づいていただろう。
ドラグ・フォースエンジンのユーザー達は、俺のエンジンがイマイチな個体だと思い込んでくれていたみたいだ。
その証拠に、ヤニは一瞬戸惑った。
第1コーナー手前で、車速を伸ばす俺に。
戸惑ったのは一瞬だけっていうのが、ヤニの判断力の高さを物語っている。
奴はすぐに冷静さを取り戻し、有効かつエグい手段に出た。
バンクから平坦路に戻り、俺とヤニはブレーキングを開始――と同時に奴は、幅寄せをしてきやがったんだ。
ギリギリだけど、競技規則違反じゃない。
奴は俺のスペースを、残してくれている。
壁まで2cmしか、余裕が無いけどな!
この際どさは、俺の技量を信頼しているからなんだろう。
信頼されても、今の場面ではちっとも嬉しくない。
左側は壁に阻まれて、これ以上行けない俺。
そんな俺と、ヤニのマシンの後輪同士が擦れる。
手ごたえも感じない程、わずかに――だけど確かに接触した。
金属製のホイール同士がぶつかり、火花が飛んで路面を照らす。
「馬鹿野郎! こんな露骨な幅寄せをしてきやがって!」
俺はヤニを睨みつけながら、吐き捨てた。
奴も頭を動かし、外側の俺を見る。
その顔には、獰猛な薄ら笑いが浮かんでいた。
笑ってる場合か!
俺が怒っているのは、幅寄せされたからじゃないんだぞ!?
こんなに2台とも、外側に寄ったら――
視界の右隅を、黒い何かがサッと横切った。
予想通りの展開に、俺は舌打ちする。
「エルフの超遅いブレーキングを、甘く見るなっての!」
何度か短く、鈍いスキール音が鳴り響く。
溝無しタイヤが鳴く音は、溝が彫ってある乗用車のタイヤと比べると低くてエンジン音に紛れやすい。
黒い影――ルドルフィーネ・シェンカーの後輪は、ブレーキロックを起こした。
だけど彼女はすぐにブレーキ踏力を弱め、ロックを解除する。
そしてまたロックさせては解除し、またロックさせて――というのを、秒間に何回も繰り返す。
繊細で大胆なコントロールは、まさに人間アンチロック・ブレーキ・システム。
ルディは人間族じゃなくって、エルフ族だけどね。
ルディの周囲だけ、時間が逆流したように見えた。
誰の目にもオーバースピードに映る勢いで、1コーナーに飛び込んだルディ。
だけど突っ込み過ぎた事実なんて、存在しない。
そんな風に思わせるまで減速し、当たり前のようにコーナーを曲がり始めた。
その神技を横目で見ていたヤニは、珍しくミスを犯した。
一瞬――ほんの一瞬だけどブレーキ踏力のコントロールに失敗し、タイヤをロックさせてしまったんだ。
すぐに奴はブレーキを戻して、タイヤのロック状態を解除する。
だけど、1~2mは制動距離が伸びてしまった。
「ガチでやり合おうって言ったのに、結果はナイスサポートだな」
俺はルディほどのハードブレーキングじゃなかったけど、ミスの無い確実なブレーキングで車速を落とす。
結果、時間の流れに取り残されたのはヤニだけだ。
ほんの少し制動距離が伸びただけで、奴の完璧なコーナリングは崩壊する。
進入スピードが、若干速くなってしまったヤニ。
奴はコーナーで1番内側に寄る地点――クリッピングポイントを手前に取り、突っ込み重視の走行ラインを取るしかなかった。
そうしないと前輪の滑りが発生して、コーナーの外側に膨らんでしまうからだ。
そんな隙を、見逃すわけがない。
俺はヤニと対照的に、クリッピングポイントを奥に取る立ち上がり重視の走行ラインを選択した。
左右の位置関係が、入れ替わる。
クロスラインという技だ。
ヤニよりコーナー脱出速度が速くなった俺は、グイグイとマシンの鼻先を押し込む。
右曲がりの2コーナーまでに、並走状態にできた。
有利な内側。
完全に並んだ鼻先。
これで相手を抜けないようなドライバーは、このモア連合統一戦に出場してきてはいない。
ヤニもこのコーナーで、これ以上粘っても仕方ないと判断したらしい。
あっさりと引いて、タイムを落とさない旋回へと切り替えた。
よしよし、聞き分けのいい奴だ。
いま俺とお前が争っても、トップのルディが喜ぶだけだもんな。
バトルをすると、タイムは落ちる。
ド素人同士なら熱くなってタイムが向上することもあるけど、レース経験者同士がやり合ってタイムが落ちないなんてまずない。
そんなことをやってれば、トップのルディはあっという間に逃げてしまう。
現に俺とヤニが1コーナーから2コーナーの間で繰り広げた攻防の隙に、ルディとの差は約3車身離されていた。
なんだか、ルディがレースデビューした日のことを思い出すなぁ。
あの時もこんな風に、いきなり俺の前を走って見せた。
後半は体力切れで、ペースガタ落ちになったっけ?
それでも彼女は、15位に入賞してみせた。
思えばあの頃から、俺は彼女を脅威に感じていたんだと思う。
今もそうだ。
俺の全てをぶつけても、追いつけるかどうか――
天性のものなのか、バーチャルのレースで鍛えられたものなのかは分からない。
圧倒的なスピードセンス。
レース人生2周目の俺でも、まだ手に入れていない感覚。
それを、ルディは持ってるんだ。
そんな相手に、俺が取れる戦略は――
「やっぱ、体力勝負だよな」
持ち前のドラテクチートで――と、言えないのが悲しい。
認めるしかない。
現時点で、1発の速さはルディが上だ。
そこで勝負したら負ける。
レースデビューした頃と比べると、彼女の体力は飛躍的に向上している。
それでもエルフという種族の限界を、超えるほどには鍛えられていない。
「――ヘバらせてやる。でもその前に、追いつかないとな」
外周路のオーバル部分に突入したルディ。
彼女のマシンから飛び散る火花が、俺のマシンとヘルメットに降り注いだ。
熱くはない。
だけど――
(ランディ先輩、追いつけますか?)
そう挑発されているような気がして、ちょっとムッとした。
■□■□■□■□
□■□■□■□■
■□■□■□■□
□■□■□■□■
3周目――コンマ7秒差。
4周目――1秒差。
5周目――1.2秒差。
毎周サインエリアから、ジョージ・ドッケンハイムが提示するサインボード。
そこに表示される俺とルディとの差が、少しづつ離れていく。
レース全体という視点から見れば、まだ射程圏内だ。
だけどレース中の1バトルとしては、チギられ気味ともいえる。
1周が1分を切るカートのコースで、1.2秒差は結構大きい。
これだけ差があれば、ルディにかかる圧力はけっこう軽くなっているはずだ。
現にルディは、裏ストレートで休憩している。
後ろを走る俺には、それがよく分かった。
「ルディ……。休み方が、上手くなったなぁ」
ルディのデビューレース直後、俺が1番最初にしたアドバイスは体の鍛え方じゃない。
――レース中の手の抜き方だった。
彼女の集中力は、類稀なる才能。
だけどその集中力を、上手く扱えていないと思ったんだ。
当初の彼女はサーキットを1周する間、ずっと集中しっぱなしだった。
ホームストレートやバックストレートみたいなアクセル全開区間でも、全身に力が入りっぱなしになっていたんだ。
実はレーシングドライバーって、直線区間では250km/hオーバーで走りながら体を休めている。
実験でプロドライバーの心拍数を測ったら、直線では落ちていたという結果もあった。
俺自身も直線では、他車と競り合っている時以外わりと気を抜いている。
休み方を覚えてからのルディは、速かった。
デビュー半年後には、初表彰台を獲得。
その後も表彰台常連になり、転生レーサーのクリス・マルムスティーンより2回も上位でフィニッシュしている。
彼女は5年生になった今年からは、俺以外のドライバーを全く寄せつけていない。
だけど――
「優勝は、まだ経験してないよね? 欲しいだろう? 表彰台の真ん中が」
レースは10周を経過。
俺はルディの走りが変化したのを、見逃さなかった。