ターン60 チームメイトとの関係
予選ヒート終了後。
宿泊中のホテルで、夕食を済ませた後の出来事だ。
俺はチームメイトのルドルフィーネ・シェンカーを、廊下にある休憩スペースへと呼びだした。
俺達が泊っている部屋は7階。
休憩室はガラス張りの面積が大きく、アーク・エナ・シティの夜景を一望できる。
宿泊料金抑えめのホテルにしては、なかなかの景観だ。
ハイウェイを、光の川が流れていく。
赤と白。
車のテールランプと、ヘッドライトの灯火。
夜空の星は見えないけど、それに代わる地上の星。
ビルの明かりやお店のネオンが、夜の街並みをキラキラと照らしていた。
たぶん母国マリーノの首都、インパクトシティも同じような夜景なんだろう。
だけど俺は、中央地区在住とはいっても田舎者。
首都にはまだ、行ったことがないからなぁ――
さて。
こんなムーディでロマンチックな場所に、女の子を呼びだしてしまった俺。
だけど相手は俺と同じで子供だし、深い意味はないよ。
「ルディ。俺は君に、言っておきたいことがある」
「は……はい。ランディ先輩。何でしょう? 明日の作戦ですか? そうだったら、他のメンバーのも呼んだ方が……。はっ! まさか今回は、ボクの勘違いじゃなくって……」
えっと――
前回は、どんな勘違いをしたんだっけ?
なんかそれが理由でケイトさんからどつかれたような気がしたけど、よく憶えていないなぁ――
「勘違いじゃないよ。俺の本当の気持ちを、君に伝えたかったんだ」
「そ……それじゃあ先輩!」
「明日の決勝ヒート。作戦は無しで、ガチの真剣勝負をしよう」
真っ赤な顔をしていたルディは、ホテルの廊下にバッタリと倒れた。
危ない!
明日は大事なレースなのに。
このホテルは小ぎれいだけど安宿だから、廊下に敷いてある絨毯も薄いんだぞ?
そんな倒れ込み方したら、怪我しちゃうだろう?
俺の反射神経をもってしても、受け止める間もなかったな。
うつ伏せになっていたルディは、プルプルと肩を震わせながら顔を上げた。
真っ赤だったその顔色は、魂が抜けたように蒼白く変化する。
「な……何を言ってるんですか? ボクは明日の決勝ヒート、先輩の真後ろからスタートするんですよ? 『しっかり後続をブロックしろ』なら分かるけど、『ガチで勝負しろ』なんて……。意味がわからない」
「あんまり俺を舐めないでくれよ、ルドルフィーネ・シェンカー。援護が無いぐらいで、俺がヤニ・トルキに勝てないとでも思っているのか?」
「たとえ勝てるとしても、2人で協力してヤニ・トルキに挑むべきです! 幸い奴のチームメイトは、今回出場できていない。ナタークティカ国のランキング5位以内に、入れなかったから。……数の優位を、生かさない手はないでしょう!?」
予想できた返答だ。
俺だって、自分が馬鹿げたことを言ってるって自覚していた。
「なあ、ルディ。明日の決勝ヒート。トラック上で、1番速いのは俺か? ヤニか? ……俺が最も脅威に感じているドライバーは、ヤニじゃない。君だ」
怒った表情が一転。
ルディの顔が、悲しみに染まる。
「だったら……余計になぜか、わかりません。2人で協力すれば、どんな相手にも負けないと思っていました。今回だって……。先輩のパートナーでいることは、許されないんですか?」
「ああ。今回は、敵同士だ」
ルディの細い肩が、ビクリと震える。
レーシングカートに乗り始めた頃と比べると、ずいぶんと鍛えられてはきた。
だけど、エルフらしい細身な体型は変わらない。
「ボクは……今回優勝なんて、しなくていい! 先輩は6年生だから、最初で最後のチャンス! だけどボクには、来年がある! マリーノ国内の王者だって、来年まで待てばいいと思っていた! 自分の優勝より、先輩が勝つ方が嬉しかったんだ!」
ルディは思いやりに溢れた、いい子だとは思う。
でも、それじゃダメなんだ。
チームタイトルのかかった選手権なら、話は違ってくる。
第2ドライバーとしての仕事に集中し、チームプレーに徹する必要もあるだろう。
だけど今回のモア連合統一戦は、1発勝負のイベント。
ここで俺の勝利を優先するなんて、レーシングドライバーとはいえない。
だから俺は――
「来年、RTヘリオンのエースは君になる。誰かに優勝を任せるんじゃなくて、自分の手でもぎ取りに行かないといけない。今回のレースで、それができるって証明してみせるんだ」
「わかり……ました……。先輩……後悔しないで下さいね」
ぞっとするような冷たい笑みを浮かべて、ルディは女性陣が宿泊している部屋へと消えた。
あの悲しそうな表情。
そして、俺に向けた冷たい笑み。
いつも控えめにニッコリと笑う、可憐なルディの表情とは程遠かった。
そんな表情を、自分がさせてしまった。
罪悪感と後ろめたさの沼に、足からズブズブとのめり込んでいくような感覚になる。
「困るわね、ランドール・クロウリィ君。チームの和を乱しては」
自動販売機の陰から現れたのは、今回の統一戦で現場を任されている俺の母さん。
シャーロット・クロウリィ監督だ。
「母さんは、ルディが今のままでいいと思う?」
「確かにプロドライバーを目指すには、ちょっと物分かりが良過ぎるわね」
自分がナンバーワンだという、自惚れ。
自己顕示欲。
それもまた、レーサーとして必要な資質。
もちろん、謙虚さが重要になる場面も多々あるけど。
今のルディは、謙虚過ぎだ。
1年半前。
彼女はデビューレースの後、表彰台の俺に向かって銃の引き金を引くジェスチャーをしてみせた。
あの時のギラついた雰囲気が、今のルディからは感じられない
「ルディちゃんのためみたいなことを言っているけど、自分のためでもあるんでしょう?」
「あ。やっぱり母さんには、分かっちゃう?」
「前世の話をする時、あなたよく言ってたものね。『俺はいちども、チームメイトに勝ったことがない』って」
地球での前世。
レーシングカート時代からFIAーF4まで。
俺は父がお金を出して作ったチームに在籍し、1台体制で走っていた。
チームメイトと比較されたことなんて無かった。
全日本F3に、ステップアップするまでは。
それから4年間。
F3では全て2台体制のチームに乗ってきて、シーズンを通してチームメイトよりいい成績を残したことはいちども無い。
とうとういちども勝つことなく、俺は異世界へと転生してしまった。
転生してからも、低学年でK2ー100に乗っている頃はよかったさ。
キースもグレンも、まだ子供だった。
ドライバーとしての評価だの、明日のシートだの、スーパーカートへのステップアップだの、難しいことは考えていなかったし、俺も考えずに済んだ。
ただ、ここから先は違う。
1学年先輩のクリス・マルムスティーンは、ひとつ上のカテゴリーであるスーパーカートのシートを得られずに苦労している。
速さを見せつけなければ――評価を得なければ、道は開けないんだ。
チャンスすら、与えられない。
同じ道具を使うチームメイトに負け続けるドライバーなんて、評価の遡上にも上げてもらえない。
俺は本気のルドルフィーネ・シェンカーを打ち負かし、スーパーカートのチーム関係者にエースは自分だと証明しないといけない。
そして――
「本気で挑みかかってくるチームメイトには、勝てない」というトラウマを、克服しなければならない。
「自分のトラウマを克服するために、女の子を泣かせるなんて酷い子……。親の顔が、見てみたいわ」
「きっと、凄い美人のお母さんだよ。……やっぱり、俺の見間違いじゃないよね? ルディ、泣いてたよね……」
「いい結果になるわよ。あなたにとっても、ルディちゃんにとっても……」
母さんにそう言われて、少し心が軽くなった気がした。
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樹神暦2629年12月
日曜日
ジュニアカートNSD-125クラス
モア連合統一戦
イトゥーゼアリーナ
決勝ヒートの朝を迎えた。
俺とルディは、あれからひと言も口をきいていない。
それどころか、お互い目を合わせようともしない。
険悪な状態のチームメイト同士というのは、こういうもんだろう。
ジョージは俺とルディの間に流れる空気を読み取りながらも、普段と変わらないように接してくれる。
一方のケイトさんは、俺に対して冷たい。
ああ。
ケイトさんは、こりゃルディの味方だな。
俺は女の子を泣かせる男が、大嫌いだ。
そんなクソ野郎は、ケツにダイナマイトを突っ込んで爆散しろとまで思う。
だから自分が女の子を泣かせた以上、冷たくされる程度は甘んじて受け入れるべきだろう。
サーキットに入ると、その観客数に驚いた。
昨日の予選日だけでも驚いたのに、今日はその倍は入っている。
「こんなに入るわけないだろ」と思っていた、やたら座席数の多い観客席。
それが、ほぼ満席だ。
こんな視線の豪雨を受けたら、俺がアガっちゃうよ。
わかってる。
観客の視線は母国の英雄、鬼族のヤニ・トルキに向いているってことはね。
でも、流れ弾みたいに俺も見られちゃうんだよね。
ヤニの最有力対抗馬だと、思われているみたいだし。
午前中はK2-100のナタークティカ国選手権最終戦や、改造軽自動車のレースが前座レースとして組まれていた。
特に改造軽自動車のレースは、人気が高いみたいだ。
田舎に行けば狭い山道が多いモア連合には、コンパクトな自動車が合う。
だから地球の日本国から持ち込まれた、軽自動車規格が存在していた。
街中でもそこそこの台数が走っていて、それら身近な車を使ったレースに人々は熱くなるようだ。
もっとも俺は、軽自動車が好きじゃない。
いや。
そもそも公道を走る車をベースにしたハコ車レース全般に、あまり興味が持てない。
だって嫌じゃん。
フォーミュラカーと比べて、動きがもっさりしてるし。
俺が今、ステップアップするのを目標にしているスーパーカート。
スーパーカートの上は、ハコ車のカテゴリーしかこの世界には無いんだよね。
大きくて重いハコ車に、カートとフォーミュラの経験しかない俺が対応できるだろうか?
はあ、ちょっと憂鬱。
そんな俺の気分とは関係無く、会場内のボルテージは上がってゆく。
そして、14:30。
本日のメインイベント。
レーシングカートNSD-125ジュニアクラス、モア連合統一戦のスタートが切られる。