ターン59 鬼ごっこの予選ヒート
■□ランドール・クロウリィ視点■□
タイムトライアルと同日、土曜日14:30。
周回数10周の短距離レース、「予選ヒート」がいま始まる。
このレースの順位が、そのまま明日の決勝ヒートでスタート位置になる。
少しでも有利なグリッドを確保するために、どのドライバーも全てを出し切ってこの予選ヒートに挑むはずだ。
まあ、少々の駆け引きや順位調整はあるかもしれないけど。
すでにフォーメーションラップは終盤。
各国の選手権を勝ち抜いてきた精鋭たちは、一糸乱れぬ隊列を組んで、スタートの瞬間を待っていた。
俺は最前列の外側、2番グリッドの位置につけている。
それにしても、楕円コースのフォーメーションラップというのは面倒なもんだ。
ハンドルを外側に切り続けてないと、内側に落っこちそうになる。
レーシングスピードで走っている時は遠心力で傾きの上側にも引っ張られるから、落ちはしないんだけどね。
内側に引っ張られ続けるのは、気持ち悪い。
速くスタートしてくれ。
俺はそう祈りながら、ヤニ・トルキの横を並走していく。
奴はチラリと、俺の方を振り返った。
俺も奴の方を見る。
――ダメだ。
ヘルメットの中でヤツの角がどうなっているのか、外から見ていても分からない。
いやいや。
レースに集中しろよ、俺。
ヤニは速い。
集中力を欠いたら、一気に引き離されるぞ。
加速OKの証、イエローラインが近づく。
ヤニがフル加速を開始した。
俺とヤツは、半車身も離れていなかった。
なのに自分がイエローラインを越えるまでの時間が、やたら長く感じる。
まだか――
まだか――
ようやく俺もイエローラインを越え、加速OK。
右足に力を込め、アクセルペダルを床まで踏み抜く。
赤信号消灯!
だけど俺の周りで、大きく進路変更する奴はいない。
フォーメーションラップの隊列ほとんどそのままで、みんな整然と1コーナーに雪崩れ込んでいった。
エンジンの轟音と、タイヤが滑る音を響かせながら。
クランク状の1コーナーから4コーナーまで、コーナー頂点を綺麗になぞっていく35台のレーシングカート。
極彩色のマシンとドライバーが蛇となって、アスファルトの上を高速でのたうつ。
毎分17000回転の甲高いエンジンの叫びが、すぐ右斜め後ろから聞こえる。
それに負けじと、観客席からの大歓声が届いた。
タイムトライアルの時と、客の入りが全然違う。
子供クラスのカートレースなのに、この観客動員数は凄い。
予選の今日だけで、1万人ぐらいは入っているんじゃないだろうか?
俺はちょっと、戸惑っていた。
ヤニのペースが上がらない。
いや。
上げていないと見るべきか。
恐らく奴は、こう判断しているんだ。
――最初から全開で行けば、タイヤはもたないと。
俺も同意見だよ。
このコースは、回り込んでいるコーナーが多い。
そういうレイアウトは、タイヤに負担を強いるもんだ。
そして理由その2。
外周路の楕円部分。
楕円コースは傾きがついてるおかげで、超スピードで曲がれる。
だけど、タイヤに負担がかかっていないわけじゃない。
むしろ下向きにギュウギュウ路面へと押し付けられて、とてつもない荷重がかかっている。
こんな高負荷は、メーカーであるエウロパタイヤさんも未知の領域のはずなんだ。
幸い今のところ、タイヤ破裂とかの致命的なトラブルを起こした選手はいない。
公式練習走行で長距離走行をした時も、予選タイムトライアルでもだ。
だけど昨日の練習走行後半、ちょっと嫌な潰れ感がタイヤから伝わってきたんだよね。
140km/hオーバーからのタイヤトラブルなんて、勘弁してもらいたい。
一応、安全対策は普通のサーキットより厳重だ。
傾き部分の上にある壁は、ただのコンクリートウォールとは違う。
ウレタンや薄い金属で成形されたバリアを手前に配置する、SAFERバリアという特殊な壁になっている。
だけどそんな情報を知っていたところで、安心して事故れるわけじゃない。
そんなわけで俺は、おとなしくついていく所存だ。
ヤニの奴が、ペースを上げるまではね。
俺の背後からついてくるのは、チームメイトのルドルフィーネ・シェンカー。
彼女は俺のチームメイトということもあって、無理に俺を追い越ししようとはしてこない。
代わりに4位の選手を、ブロックしていた。
俺はそんな彼女に、少し不満を感じている。
なんでだろう?
チームメイトが、自分を援護してくれているのに。
俺とヤニは、傍目には全開に見えているだろう。
だけどほんの僅かに余力を残したペースで、走り続けた。
レースが動いたのは、4周目だ。
1コーナー。
147km/hからのフルブレーキング。
ヤニのブレーキングが変化した。
研ぎ澄まされた刀剣のように鋭く、圧力を振り撒くものに。
俺の背筋を、ゾクリとした感触が走る。
――きた!
ここからがヤニ・トルキ、本気のアタックだ。
「面白い! 俺をチギれるもんなら、やってみろ!」
聞こえるわけはないんだけど、ついついヘルメットの中で叫んじゃうよね。
これが耳のいいエルフ族のルディとかブレイズだったら、本当に聞こえちゃうかもしれない。
剣で斬りかかってきたヤニの斬撃を、交差する剣閃で迎撃する。
そんなイメージを抱きながら、俺も1コーナーへのブレーキングを開始した。
エウロパタイヤの特性は、もう充分理解している。
国内選手権で使っていたブリザード社製のタイヤより、若干縦方向の食い付きと、側面の剛性感は劣る。
だけど横方向のグリップが高く、温まりやすいのが特徴だ。
秘めた性能の差は、あまり無い。
俺に力を貸してくれ、エウロパKNS-CH3。
ブリザードタイヤと比べたりした、俺が悪かった。
今の俺には、キミしかいない。
俺は「短く止める」を意識して、ブレーキングを開始した。
コーナーへの進入速度は、そこまで上げない。
荷重移動でクルリと向きを変えた後は、減速も加速もしない。
ハンドルも、一定舵角で止めている時間を長めに取る。
引きずるブレーキングを行っている時間や、最も内側に寄るポイントまでの小刻みなアクセル操作の時間は短く。
タイヤが横方向にだけ食い付き力を発揮している時間を、若干長めに取る。
こういう乗り方をした時、エウロパタイヤは最も力を発揮してくれるんだ。
俺とヤニは、じわりと後続を引き離す。
マシンの列という大蛇。
その頭部が、飛び出した形だ。
3位にいる、ルディはついてこない。
ペースを上げるより、後続を抑えてポジションを守る選択をしたようだ。
ペースアップしたヤニは、まさに鬼だった。
このコースは芝生ゾーンや砂利みたいな、車がコース外に飛び出しても安全なエスケープゾーンがほとんど無い。
ワンミス=即事故。
コンクリートウォールの熱い抱擁が待っている。
F1のモナコGPやF3のマカオGPみたいな、公道コースに似ていた。
そんな危険な屋内サーキットを、ヤニの奴は果敢に攻める。
本当に、ギリギリまで攻める。
時々バンパーやカウルが、ガードレールやコンクリートウォールにフレンチ・キスしていく。
いや。
「フレンチ・キス」って本当は軽いキスじゃなくて、ディープキスのことだっけ?
とにかく、奴の走行ラインはギリギリだ。
俺はそこまで攻めた走行ラインを取れるのかというと――
――できるけどやらない。
負け惜しみじゃないよ?
ヤニも俺も、マシンの至るところにスポンサーロゴを貼り付けている。
支援して下さる皆様方。
彼らの魂が籠った代物だ。
それを傷つけることは、あってはならないというのが俺のポリシーだ。
エリックさんところのYAS研さん以外にも、小口のスポンサーはいくつか付いている。
今回はエンジンや車体を供給してくれているタカサキ社のエンジニアも、ナタークティカ国まで出向してきてくれている。
当然彼らのロゴも、マシンやスーツ、ヘルメットに入っていた。
勝つことは、ドライバーに課せられた使命。
だけど、忘れてはいけないと思う。
戦っているのは、ドライバーだけじゃないことを。
だから俺は、なるべく避けたい。
マシンが傷を負って、スポンサーロゴが見えなくなるような事態は。
全員でゴールするんだ。
その上で勝つ!
とはいうものの、ヤニとの差は一向に詰まらない。
コンマ8秒離れた状態で、ずーっと追いかけっこをやっている。
時々タイヤカスが飛んできて、ヘルメットのシールドをビシバシ叩いていく。
正直、ちょっと腹立たしい。
でもここは我慢、我慢。
忘れるな、ランドール・クロウリィ。
今は「予選ヒート」だということを。
大事なのは、明日の決勝ヒート。
そこで勝つために、今はまだ「牙」を隠しておかないといけない。
ヤニ本人は大丈夫。
俺の「牙」に、気付いてはいない。
いくら奴でも、このペースで走りながら後ろの俺を気にしている余裕は無いはずだ。
逆に俺は、奴の走りをしっかりと観察し続けることができた。
問題は、奴のチームのエンジニアに気付かれないかどうかだな。
ま、大丈夫だとは思うけどね。
世界的大根役者な俺だけど、マシンに乗るとアカデミー賞ものの名優に変身するからな。
10周の予選ヒートが終り、チェッカーフラッグが振られる。
トップはそのまま、ヤニ・トルキ。
2番手は俺。
3番手は俺の2秒後方で、チームメイトのルディがチェッカーを受けた。
ヤニはサインエリアにいるチームスタッフ達に、軽く手を上げて応えただけ。
派手に喜んだりはしていない。
しっかりと、明日の決勝ヒートを見据えてるようだ。
もうちょっと、浮かれろよ。
君はまだ、12歳の子供だろう?
まあいいや。
準備は整った。
ヤニ・トルキを、ぶち抜く準備はね。