ターン58 ヤツの走りで気になること
■□3人称視点■□
樹神暦2629年12月
土曜日
「『優勝します』とかカッコつけておいて、このタイムはどういうことなんでしょうかね?」
タイミングモニターを見つめるジョージ・ドッケンハイムは、眉間に皺を寄せていた。
現在コース上で行われているのは、予選のタイムトライアル。
このモア連合統一戦は、普段彼らが参戦しているマリーノ国のレースと異なる点があった。
予選タイムトライアルの後、予選ヒートと呼ばれる10周の短いレースが行われる。
そして明日、予選ヒートの順位結果を元に20周の決勝ヒートを行う。
それでようやく、順位を確定するのだ。
現在、モニターに映るランドール・クロウリィのタイムは56秒781。
トップタイムのヤニ・トルキから、2秒落ち。
チームメイトであるルドルフィーネ・シェンカーからも1.8秒落ちと、あまり振るわない。
幸い、今回は予選落ちする心配が無い。
参加が7か国×5台の35台しかいないため、全車決勝へは進める。
予選を走れなかったり基準タイムをクリアできずとも、嘆願書を提出すれば最後尾からのスタート許可が出るだろう。
しかし優勝を狙うランディにとって、後方からのスタートというのは絶望的条件だ。
「さすがにタイヤの空気圧、下げ過ぎやったんとちゃうん?」
「あれぐらい、ランディなら上げてきます。……というか、上げられなかったら、工具でぶん殴ります」
ケイトの不安げな発言に、ジョージは工具を手で弄びながら応じる
コンビネーションレンチと呼ばれる、スパナとメガネレンチが一緒になった工具。
それの穴部分に指を突っ込み、クルクルと回転させていた。
「おっ! ジョージ君! きたで! 第1区間で、丸々1秒刻んどる。相変わらず、ハラハラさせてくれるわ」
「ランディは、手の内隠したがり君ですからね。予選ヒートに向けて、タイヤを無駄づかいしたくないというのもあるのでしょう」
この大会で各チームに供給されるタイヤは、3セットまでとルールで決まっていた。
昨日の金曜日に行われた公式練習走行で1セット使い切ったため、ランディに残されているタイヤは2セット。
長丁場の決勝ヒートは、新品を投入する以外選択肢がない。
なのでほとんどのチームは、タイムトライアルと予選ヒートで同じタイヤを続けて使う作戦を取っていた。
ジョージとケイトは、タイミングモニター隣の場内カメラモニターに目を移す。
ちょうどカメラが、タイムアタック中のランディを追っていた。
無駄なスライドや、マシンが暴れる様子が全くない。
氷の上をフィギュアスケーターがゆっくり流すような、滑らかな走り。
ランディが本気でアタックする時の、いつものスタイルだ。
ループコーナーである「ワールウィンド」で、ランディは早めに内側についた。
前バンパーが、コンクリートの内壁から5mmの距離をかすめる。
目が回りそうなスロープを登り切り、立体コースの2階部分へ。
右高速コーナーのターン10。
「……ん? アクセルを……戻した?」
ジョージはエンジン音を拾う自分の耳に、自信が持てなかった。
タイムアタック中にアクセルを戻すなど、考えにくかったからだ。
「最終コーナー手前のジャンピングスポット、ブレーキ踏んどる! ……ランディ君はこの周、捨てたんとちゃう?」
「1周も、無駄にできないという状況なのに……。あのバカは、何をやっているんだか……え?」
タイミングモニターへと視線を戻したジョージは、映った数字が信じられなかった。
『出ました~! RTヘリオン、ランドール・クロウリィ選手! 54秒662! すべてをひっくり返す、芸術的1周! これでヤニ・トルキ選手を抜き、トップタイムです!』
興奮気味な女性アナウンサーの実況が、ドーム内に響き渡った。
自分を追っているカメラに、視線を向けるランディ。
彼はマシンに乗っている時ならば、マイクを向けられようがカメラを向けられようがアガってしまうことはない。
ジョージはモニター越しに、ランディと目が合う。
ランディから「バカはどっちだ?」と言われた気がして、彼はちょっぴり悔しかった。
「全開でもいける場面で、あえてアクセルを戻す。ノーブレーキでいける場面で、あえてブレーキを踏む……。レーサーの本能が邪魔をして、なかなか取れる選択ではありませんな」
「そっか……。けっきょく車は、タイヤが地面に着いてないと加速できないんだ。ターン10だってスライドさせてエンジン回転数を高く保つより、アクセルを戻してでもスムーズに向きを変えた方が速い。駆動力がかかって、タイムは上がる。……先輩の走りは、勉強になるなぁ」
モニターを見ながら、エリックとルディはしきりに感心していた。
だがデータエンジニア兼戦略担当のケイトは、固い表情を崩さない。
「2人共、安心するのはまだ早いで。ヤニ・トルキが、最後のアタックに入っとる。セクター1でコンマ2、ランディ君のタイムを更新してきよった」
モニター上では、カメラがヤニ・トルキのマシンを追っていた。
赤と青。
ツートンカラーのカウルを纏ったマシンは走りの「鬼」を乗せて、入り組んだ屋内サーキットを縦横無尽に駆け抜けている。
「第2区間は、ランディ君の方が圧倒的に速い。このままいけば、ランディ君が予選1番手なんやけど……」
「ヤニ・トルキは前の周、ランディの走りを後ろから観察していましたからね」
それを参考に、どこまで走りを修正してくるか?
ケイトやジョージにも、計算できない部分だった。
「まさに、鬼気迫る走りですね。……鬼族だけに」
ジョージの冗談に、誰も突っ込むだけの余裕が無い。
ヤニの走りは、決して雑でも荒くもない。
スムーズの極みにあるようなドライビングだが、攻めるところは攻める。
ループコーナー「ワールウィンド」のクリッピングポイント――内側の壁に最も寄る地点では、前バンパーが壁と軽くキス。
そして高速コーナー、ターン10。
ヤニはランディを見習って、アクセルを少し戻した。
道幅は思い切りワイドに使い、左後輪が外壁をかすめる。
耳の良いエルフ族であるルディには、確かに聞こえた。
タイヤの側面が、コンクリートを掠める音が。
最終コーナー手前のジャンピングスポット。
ここでもヤニは、走りを修正してきた。
あまりジャンプしないよう、ブレーキを使って車体を路面に貼り付ける。
「ランディ君の真似してきよった! あかん! やられるで!」
RTヘリオンの全員が、モニターに向けて「ミスれ!」と祈った。
その祈りも虚しく、赤と青に彩られたカートスーツのオーガは危なげないアクセル操作で最終コーナーを抜ける。
車体底面が路面を擦り、激しく火花が舞った。
ヤニ・トルキはサーキットという名のキャンバスに、最高傑作を描き切ったのだ。
四方から見えるように、高い柱全ての面に設置された電光掲示板。
その最上段に、新たなコース最速記録が刻み込まれた。
予選日の今日は来場者が少なく、観客席の人影はまばらだ。
それでも大きな歓声がドーム内を飲み込み、英雄と伝説の誕生を歓迎した。
ちょうどその歓声をバックに、クールダウンを終えたランディがゆっくりとピットに帰ってくる。
暗い表情のチームメンバーを見て、彼は自分のタイムが抜かれたことを確信した。
「ヤニの奴、あっさり自分の走りを変えてきたか……。ただ速いだけじゃなく、柔軟な思考の持ち主だね」
「1番手を奪われたのに、ずいぶん余裕の表情に見えますが……」
ジョージは無表情で、ランディを見つめる。
ドワーフメカニック少年は、内心かなり不満そうだ。
「このコースは、そこまで追い抜きが困難なレイアウトじゃない。まだ、予選ヒートも決勝ヒートもあるんだ。勝負はこれからさ。それに……」
「それに?」
「警戒しなくちゃならないドライバーは、ヤニだけじゃないよ」
「せやな。ラトヴァリウス国のチャンピオンが、タイムトライアル4位。それから『シルバードリル』のポール・トゥーヴィーが、5位に入っとる。こいつらも、要注意やな」
「そうだね……」
「大丈夫。3位に入ったボクが、後ろの人達を全部ブロックします。先輩を、しっかり援護しますよ」
「ルディ。今俺達が走っているのは、国内選手権じゃないんだよ?」
「は……はい。そうですね」
ルドルフィーネ・シェンカーは返事をするが、
「先輩は、何が言いたかったんだろう?」
とでも言いたげな、よく分かっていない反応だ。
そんな彼女に、ランディはちょっと困ったように微笑む。
微笑みながら母シャーロットが差し出したスポーツドリンク入りのボトルを受け取り、水分補給を開始した。
「そういえばヤニ・トルキについて、凄く気になることがあるんだ」
今までの余裕があった表情と違い、ランディの表情に影が差す。
その重苦しい雰囲気に、周りの者達も重要な話題だろうと真剣に聞き入った。
――だが付き合いの長いジョージ・ドッケンハイムと、母であるシャーロット・クロウリィは直感していた。
「また何か、しょうもないことを考えている」
と。
「あいつヘルメット被る時、角はどうしているんだろうか……?」
真剣に聞いていたケイト、エリック、ルディの3人が、腰砕けになった。
ピット内を弛緩した空気が流れている中、タイムアタックを終えたヤニのマシンが戻ってきた。
悠々と予選最前列スタートの風格を漂わせて、ランディ達の前を通過してゆく。
ヤニのマシンは血のように赤く、冷たく青いツートンカラー。
フロントバンパー左側には、僅かな傷が見て取れた。
さらには左後輪の側面に描かれているエウロパタイヤのロゴが、コンクリート壁と擦れて消えている。
それを見てルディは、ヤニの攻め込み方に戦慄した。
しかしメカニックのジョージは眼鏡を押し上げながら、つまらなさそうに鼻を鳴らす。
「ふん。ランディと似たタイプのドライバーかと思いましたが、ちょっと違うようですね」
ランドール・クロウリィは、マシンが傷付くことを良しとしない。
特にスポンサーロゴは、企業からの信頼の証だと大事にしていた。
多少マシンを傷付けてでも結果を出しにいくヤニと、どちらがレーシングドライバーとして正しいのかは分からない。
だがジョージが一緒にレースをしたいのは、マシンを大切にしてくれるランディの方だ。
ジョージは振り返り、自分の相方であるドライバーを見る。
ランディは自分のヘルメットを持ち、角が邪魔にならないよう被る方法を延々とシミュレーションしていた。