ターン57 イトゥーゼアリーナ
普段の太陽光と異なる人工的な光が、俺とマシン、そしてコースを照らしている。
LED投光器の光だ。
聞き慣れた、タカサキ社製水冷リードバルブエンジンの音。
これもいつもと違い、やたらと反響してから俺の耳に飛び込んでくる。
それもそのはず。
俺がいま走っているのは、屋内だ。
あまり数多くはなかったけど、一応地球にも屋内カート場というものはある。
ただ狭かったし、路面も一般的なサーキットのようにアスファルトじゃなかった。
ツルツル滑るコンクリート路面だったから、全日本選手権のマシンとか本格的なレーシングカートは走れない。
でもモータースポーツが人気のこの世界では、作ってしまったのですよ。
本格的な、屋内カート場を。
――イトゥーゼアリーナ。
巨大なドーム状の建物内に作れられた、本格的なレーシングカートコース。
どれぐらい本格的かというと、まずデカい。
建物の広さが、東京ドームの2倍ぐらいある。
路面も本格的なカート場と同じくアスファルトで、タイヤがしっかりと食い付く。
直線長は、裏ストレートで150mぐらい。
でもここが、最高速をマークするポイントじゃない。
俺は慣れない縦Gに耐えながら、このイトゥーゼアリーナをぐるりと回る外周路を走行していた。
アメリカのレースでは、「オーバルトラック」という形態のコースがある。
「オーバル」っていうのは、楕円形って意味。
つまりオーバルトラックっていうのは、でっかい競輪場だと思ってもらえばいい。
このイトゥーゼアリーナの外周路は、そのオーバルによく似ていた。
アメリカのオーバルは左回りだけど、このコースは右回り。
そして外周路には、もの凄い傾きが付いているんだ。
その角度、なんと35度。
走っていないと、コーナーの内側に落っこちちゃう。
バンクが付いているおかげで、曲がっているのに猛スピードで走り続けられるんだけど。
その代わりマシンも俺も、上から下にかかる縦Gに耐え続けないといけない。
俺は下半身の筋肉に、力を入れた。
足の方に下がってしまおうとする血液を、むりやり押し上げるんだ。
脳の血液が足りなくなると、失神してしまう。
それにしても、いったいいつまで全開区間なんだ?
俺は最終コーナーを抜けてから、15秒もアクセルを踏み続けているよ?
あ。
今やっと、コントロールラインを通過した。
ここから新しい周回だ。
アクセル全開に入ってから、約20秒。
全日本F3で走った富士スピードウェイより、全開時間が長いな。
ようやくコーナーのバンクが無くなり、平坦路に戻る。
なんてこった。
手元のデータロガーに表示されている最高速は、145km/h。
カートとしては、出過ぎだろう。
平坦路に入ってからも、休むヒマなんてない。
直角の1コーナーに向けて、すぐにブレーキングを開始しなければ。
国内レースではやったことがない、長~いブレーキング。
速度を落として、俺とマシンは右直角コーナーへと入っていく。
ここからは外周路の内側を走行する、インフィールドセクションだ。
1コーナーを脱出したと思ったら、また直角の右コーナー。
ここはスピードが乗っていないから、ブレーキはチョンブレで充分。
2コーナーの立ち上がりは、コースを外側いっぱいまでは使わない。
続く3コーナーが左曲がりになるから、苦しくならないようアウト・イン・センターの走行ラインで立ち上がる。
3コーナーを抜けたら、ちょっとだけ短い直線。
そしてその先――いやらしいコーナーだ。
連続して続く5コーナー、6コーナー。
左曲がりの5コーナーは、緩く曲がっている。
そして奥の右、6コーナーはキツく曲がり込んでいるんだ。
手前の左コーナーで発生した遠心力を上手く抜きながら、右コーナーへ向けて強くブレーキングする必要がある。
それが上手くいかないと、スピンしながら吹っ飛んでしまう。
7コーナーは、特に難しくはない右の中速コーナー。
出口の縁石が低いから、コース幅を外側ギリギリまで使いスピードを乗せさせてもらう。
続いて、150mの裏ストレートだ。
外周路ほどじゃないけど、そこそこスピードが乗る。
そのあとに待ち構える8コーナーは、追い越しポイントになるかもな。
ヘアピンカーブというよりは、ほとんど「V」の字に曲がっている。
手前のバックストレートでスピードを乗せ、Vコーナーのブレーキングで勝負――っていう展開に持ち込めそうだ。
そしてVコーナーを抜けた先には、非常識なコーナーがある。
こんなコーナー、地球では目にしたことがない。
「ワールウィンド」と名付けられたそのコーナーは、手前から見るとコンクリート製のウォータースライダーみたいに見える。
ここはループコーナーなんだ。
ビルの2階相当の高さを、スロープで左に2周も円を描きながら駆け昇る。
走り方は――どう走っていいか、正直まだ分からない。
早めに内側について、インベタで旋回するのが正解か?
それとも、出口に近づくまでは外側で我慢した方が脱出速度が上がるのか?
外側も内側もすぐコンクリートの壁だから、ミスしたら即クラッシュだ。
あー、恐ろしい。
ブルブル。
「ワールウィンド」を抜けても、まだ恐ろしいコーナーは続く。
ターン10は、右の高速コーナー。
全開でいけることはいけるんだけど、尻が流れる。
逆ハンドルを当てて、コントロールしないといけない。
ビル2階の高さに相当する橋の上だから、両側はやっぱり圧迫感を放つコンクリートウォール。
そりゃ壁が無かったら落っこちちゃうから、無いよりマシなんだけどね。
そして――ターン10を抜けた後に、俺が大嫌いなセクションがある。
いきなり無重力下に放り出される、俺とマシン。
そう、ジャンピングスポットだ。
唐突に20パーセント勾配の急な下り坂に入るもんだから、マシンは宙に浮く。
着地する時のガシャン! って衝撃が、嫌で嫌でたまらない。
俺も不快だし、マシンも痛みそうだ。
飛ぶ前に、「フェイントモーション」という技を使う。
マシンを一旦逆方向に振ってから、その勢いを利用して曲がる方向にスライドさせるんだ。
俺とマシンは、ドリフト状態でジャンプした。
このジャンピングスポットでは、着地してから曲がり始めしても遅すぎる。
ああもう!
やっていることはカートレースじゃなく、ラリーとかダートトライアルだな。
カートはそういう競技用にできていないから、こんなコースを走っていたら壊れちゃうじゃないか。
着地と同時に、アクセルワークでドリフトを止める。
せめてタイヤちゃんにだけは、これ以上負担をかけたくない。
でも、かかっちゃうんだよなぁ。
再び外周路の、オーバル部分に出ていく俺。
バンクは走るだけでタイヤが押し潰されて、負荷が凄いことになる。
全開時間が長いから、エンジンも故障しないか心配でしょうがない。
「俺、このコース嫌いだぁー!」
エンジンの爆音や建物排気ファンの轟音で聞こえないのをいいことに、俺は思いっきりサーキットの悪口をぶちまけた。
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ピットに戻った俺はヘルメットを脱ぎ、汗だくのフェイスマスクも外す。
そこへ、メカニックのジョージ・ドッケンハイムが話しかけてきた。
「ランディは、このコースがお気に召さないようですね」
「ああ、愛せそうにないね」
俺はジョージに、小さな声でボソリと返す。
苦手だというのは、他のドライバーやレース関係者に聞かれたくない。
レース中に舐められるし、ドライバーとしての評価を下げることにもなりかねないからだ。
「えーっ!? ランディ先輩は、このコース好きじゃないんですか? ボクは好きだなぁ。ジェットコースターみたいで」
ルディ、声が大きいよ?
「あら? ランディ様は、これしきのコースで震え上がってしまうのですね。そんなに恐ろしいのなら、いっそ棄権してしまってはいかがですか?」
ほら。
聞かれたくない人に、聞かれちゃった。
チーム「シルバードリル」の監督、マリー・ルイス嬢だ。
彼女達のチームも、モア連合統一戦に出場している。
クリス、グレン、キースの3人は、もう「シルバードリル」にいない。
ジュニアクラスを卒業したからな。
その代わり今年は、4年生の新人達を4人もマリーノ国全国選手権に出場させてきたんだ。
そのうち1人がランキング5位に入り、今回の統一選への参加資格を手に入れている。
「お嬢さん。ウチの大事な広告塔に、棄権を勧めてもらっては困りますな」
俺の前に立ち塞がったのは、黒いカッターシャツの紳士。
ウチのチームロゴと一緒に描かれている、最先端義手・義足メーカーYAS研のロゴが頼もしく見える。
RTヘリオンのメインスポンサー、エリック・ギルバート社長だ。
「エリックさん! 到着は、明日になるって聞いていましたけど……?」
「ふふふ……。年甲斐もなくワクワクしてしまって、仕事が手につかなくなりましてな。予定をこじ開けて、1日早く出発してきてしまいました。ちょっと咳が出るのをいいことに、重度の風邪だと仮病を使いましてな」
エリックさんは少しコホコホと咳をしながらサングラスをずらし、グレーの瞳をいたずらっぽく輝かせて笑う。
屋内なのにサングラスをかけているのは、投光器の明かりがけっこう眩しいからだ。
「お嬢さん。残念ながらランドール・クロウリィというドライバーは、私のものです。私が先に才能を見出し、契約を交わした。将来の自分の相棒として、代わりにレースを戦う剣としてね。そして彼自身も、その契約が続くことを望んでいる」
「何を言っていますの? ワタクシには、意味がよく分かりませんわ」
「もう、手遅れだと言っているのです。ランディ君は、あなたを選びませんでした。自分を選んでくれなかったドライバーを貶めるなど、見苦しくはありませんかな?」
うわー。
俺っていま、老紳士と小さな女の子に取り合いをされているのか?
どうせなら、美人のお姉さん同士とかで取り合って欲しい。
だけどエリックさんからドライバーとして、ここまで必要とされるのは嬉しいな。
「我々スポンサーには、お金を出すことしかできません。しかし我々は紛れもなく、チームと一緒に戦っているのです。今のあなたは、ドライバーが『一緒にレースがしたい』と思ってくれるスポンサーですか?」
マリーさんは、押し黙った。
これは怒りを爆発させて、言い返すって展開になるな。
「……エリック様の言葉、憶えておきますわ」
あれ?
怒って反論するかと思いきや、マリーさんは大人しく自チームのピットへと帰って行ったぞ?
「頭の良い子ですからね。きっといつか、スポンサーの面白さと矜持に目覚めてくれるはずです」
「そうなったらそうなったで、『シルバードリル』がさらに強敵になりそうですけどね」
「面白いではありませんか。私は決めました。来年は何としてでも、ランディ君をスーパーカート選手権に乗せてみせます。あのマリー嬢と、スーパーカートで決着をつけるのです」
去っていくマリーさんの背中を、エリックさんは見つめる。
表情は穏やかだけど、瞳の中には熱い炎が揺らめいて見えた。
「スーパーカートチームを立ち上げる予算を獲得するためには、会社の他の役員連中を説得しなければなりません。私の一存では無理です。説得のためには……」
エリックさんと、視線が合う。
俺の瞳にも、エリックさんの炎が引火したな。
目の奥が熱い。
「わかっています。国内チャンピオンだけでなく、もうひと押し結果が必要ですね。このモア連合統一戦で、俺は優勝します」