ターン56 鬼の走り(徒走)
「なんか……こう……代わり映えがしないよね」
俺のボヤきに、誰も反応しない。
だけどみんなそう思っているのは、表情を見れば明らかだった。
ナタークティカ国の無機質なビルの群れは、マリーノ国の市街中心部と大差ない。
街を歩く人々の恰好も、カジュアルで――
はっきりいって、マリーノ国人と見分けがつかない。
「ランディ。僕達は、観光をしにきたのではありませんよ」
「分かっているさ」
たしなめてくるジョージにそう応じながらも、俺は車の窓から外を眺めて溜息をひとつ。
――はあ。
海外遠征にきたっていう、実感が湧かない。
「今夜のご飯は、美味しいナタークティカ料理を食べに行くわよ! エリックさんから遠征費用として、食事代が多めに出ているの」
母さんの言葉に、ケイトさんとルディは歓喜した。
見開かれた美少女2人の瞳が、夕日を反射して眩しく輝く。
――だけどそれ以上に、母さんの目が輝いている。
よっぽどナタークティカ料理が、楽しみだったみたいだな。
時刻はすでに、晩ごはん時だ。
「ホテルに荷物を置いたら、すぐ晩御飯を食べに出かけるわよ!」
レースの指揮を執る時と変わらないハイテンションで、母さんは皆に指示を飛ばした。
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ところが母さんの指示に、従わない奴が1人いた。
メカニックのジョージ・ドッケンハイムだ。
「僕はホテルに残って、ちょっとラウネスネットで調べものをしたいんですよ」
「ええっ? ジョージ君。ネットで調べられることは、マリーノにおる時ウチと一緒に調べつくしたやんけ」
「もう少し……。エウロパタイヤユーザーの感想や、今回レースが開かれる『イトゥーゼアリーナ』について何か新しい情報が仕入れられないかと」
「ジョージは真面目ね。いいわ。ジョージの晩御飯は、私が隣のコンビニエンスストアで買ってくる。ちょっと待ってなさい」
俺と母さんがコンビニから帰ってきた時には、ジョージはすでにノートパソコンをテーブルの上に広げていた。
真剣な目をして、ラウネスネット検索を開始している。
そんな真面目なジョージを置いて、俺は非情にも豪華ナタークティカ料理を食べに出る。
許せ、ジョージ。
しっかり栄養を摂るのも、ドライバーの仕事だ。
真剣なジョージを背にして、俺は浮かれた足取りでホテルの部屋を出た。
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「君、可愛いねえ。ご飯食べるところを探しているの? 俺達、美味しい店を知ってるんだ。行ってみない? もちろん、奢るからさ」
レストラン街に入って、すぐのことだ。
下心が服を着て歩いているようなお兄さん達が、俺達一行の前に立ち塞がった。
おいおい。
ウチの母さんは、もう3●歳だぞ?
心の中で呟いただけなのに、なぜか母さんこらジロリと睨まれた。
「あらやだ。私、これでも2人の子持ちなのよ?」
母さん、ちょっと嬉しそうですね?
でも下心ブラザーズの3人は、怪訝そうな顔をしてるよ?
「はあ? おばさんになんか、用はねえよ!」
な――なんて命知らずな発言を!
母さんが世紀末救世主伝説な顔になって、拳の関節を鳴らし始めちゃったじゃないか!
だけど奴らは、そんな危機に気付かない。
奴らのお目当ては――
「ヒューッ! 真っ白くて綺麗な羽根。天使みたいって、よく言われない?」
下心ブラザーズのターゲットは、天翼族のケイト・イガラシさん。
奴らの気持ちは、分からなくもない。
ウチの母さんやヴィオレッタみたいな美人系とはまた違うけれども、ケイトさんはとても愛嬌があって可愛らしい。
なのにその可愛らしい顔が、ナンパへの嫌悪感に歪んでいた。
「あの~。そろそろナンパは、諦めてくれません? その子、まだ基礎学校生なんで」
俺はわざと大きな声で叫んで、牽制した。
義務教育である基礎学校の生徒を大人がナンパすることを、条例で禁止している都市は多い。
相手は見たところ、20代半ば。
大学生ならともかく、基礎学校生をナンパするなんて外聞が悪いだろう。
「そうや。ウチはまだ、基礎学校の高等部や。条例違反で、捕まるで」
あっちゃー!
ケイトさん、やっちゃったー!
「マリーノ国、西地域の訛り……。テメーら、マリーノ国民か?」
俺達がいま会話で使っているのは、「共通語」。
2600年ほど前から、この世界中で使われている。
だけど地方によっては訛りが残っていて、それだけで出身地が分かっちゃったりするんだ。
ちなみになぜか俺には、ウエストエリア訛りが地球の関西弁っぽく聞こえる。
「なんだよ。大戦の時にやりたい放題かましてくれた野蛮人どもが、偉そうにこのナタークティカを歩き回るんじゃねえよ」
出ました。
下心ブラザーズは、コテコテの反マリーノ主義者です。
まいったね、こりゃ。
周りの人達を味方につけようと思ったのに、白い視線は俺達に向いちゃったよ。
「マリーノ国民相手なら、何したって構わないんじゃねえか? 警察も真面目に、捜査したりしねーよ」
下心ブラザーズBが、そんなことを言い出した。
構うよ!
それに俺が心配しているのは、君達から乱暴されることじゃない。
母さんが、君達をぶん殴っちゃうんじゃないかってこと。
暴力沙汰になったら、明日からのレースは確実に出場停止だ。
「オメーらが悪いんだぜ? 大統領も言っている。『マリーノ国民は、同じモア連合の同胞じゃない。ゴミだ』ってな」
ナタークティカの大統領、そんなこと言ってたっけ?
確かマリーノからの輸入自動車への関税でウチの大統領と揉めて、「誠に遺憾である」って言っただけじゃなかったっけ?
下心ブラザーズAが、ケイトさんの肩へ手を伸ばそうとする。
だから俺は素早くケイトさんの手を引き、自分の背後へと庇った。
「なんだぁてめぇ? 弟か? 姉ちゃんと俺達の問題だ。しゃしゃり出てくるんじゃねえよ!」
俺がいま悩んでいるのは、こいつらの処理方法だ。
はっきりいって、3人とも叩き伏せるのは容易い。
でもそれをやってしまったら、警察沙汰にならないだろうか?
周りに分からないよう瞬殺するには、視線が集まり過ぎている。
困ったなあ。
俺が盾になって、一方的に殴られてもいいんだけど――
そうしたら母さんが、黙っていないだろうし――
そんなことを、考えていた時だ。
「貴様ら。異国からのお客人に、何をしておる?」
まるで時代劇のような芝居がかった口調で、バリトンボイスが響き渡った。
声の主はジーパンにタンクトップという、ラフな格好。
つばを逆にして、帽子を被っている。
彼の場合は、逆にかぶるしかない。
なぜならその額からは、1本の角が生えている。
通常通りに帽子をかぶると、つばを押し上げてしまうんだ。
赤銅色の肌。
下唇から突き出た犬歯。
そして、タンクトップを破らんばかりに、発達した筋肉。
背は6年生としては高い俺よりも、さらに高い。
鬼族だ。
この異世界でも、有数の戦闘種族として知られている。
「なんだぁ? 関係無い奴は、あっちいけよ!」
追い払おうと、鬼族氏に殴りかかる下心ブラザーズA。
その腕を鬼族氏は外側から掴み、巻き込むように引き寄せる。
上体が泳いだ下心ブラザーズAの死角から、鞭のようにしなるハイキックが見舞われた。
何が起こったのか分からないまま、白目をむいて失神するA。
「てめぇ、よくも!」
兄弟のB、Cも襲い掛かったけど、当然かなう相手じゃない。
Bはローキックを受けて、その場に蹲ってしまった。
鉈でブッた切るような、重いローだ。
これは空手の蹴りだな。
Cはなんと、ナイフを取り出した。
鬼族氏の顔面を、刺そうとする。
だけど、全く心配は要らない。
鬼族氏は頭部を下げてナイフを避けると、そのまま顔を地面の近くへ。
彼は地面に手をつき逆立ちすると、両足を嵐のように回転させCを薙ぎ払った。
これは――カポエィラの技?
最初のハイキックは、テコンドーっぽかったな。
そういえば、聞いたことがある。
地球からの転生者達が伝えた、テコンドー、空手、カポエィラ、キックボクシング、ムエタイなどの足技格闘技。
それらをミックスして作られた実戦的格闘技が、ナタークティカ国にはあると。
確か名前は、嵐蹴道。
鬼族氏にやられてしまった下心ブラザーズ達は、失神したままのAを両脇から抱えて逃走していく。
「お客人、災難じゃったな。ナタークティカ国民の全員が、あのような阿呆ばかりではない。それを分かって欲しくてな」
鬼族氏に、同調の歓声が飛ぶ。
どうやら白い目を向けられていたのは俺達じゃなくって、下心ブラザーズ達の方だったようだ。
「助かりました。私達、警察沙汰は避けたかったので……」
一行を代表して、母さんがお礼の言葉を述べる。
「当然のことをしたまでじゃ。それにライバルがこんな形でいなくなるなど、興を削がれる。なあ。マリーノ国のチャンピオンと、ランキング2位の武士達よ」
そこまで言われて、俺は相手の正体に気づいた。
ネットで見た写真よりも体と角が大きかったし、何よりレーシングスーツじゃなかったからピンとこなかったんだ。
「君は……。ナタークティカ国のチャンピオン、ヤニ・トルキか?」
「うむ、そうじゃ。お主があのような輩に後れを取ることなど無いと、分かってはいたのだがな……。話がこじれて、出場停止にでもなったら困るじゃろう?」
「ああ、本当に困るところだった。でもそれ、君も一緒なんじゃないのかい?」
「なぬ?」
俺の人間族離れした視力は、人だかりの向こうから駆けつけて来る警察官の姿を捉えていた。
ちょっと遅れて、ヤニも気付く。
「これは……いかんな。お主らも、逃げた方がよいじゃろう。ランドール・クロウリィ、ルドルフィーネ・シェンカー。明日コース上で会えるのを、楽しみにしとるぞ」
完全に言い終わる前に、ヤニ・トルキは俺達に背を向け走り出した。
――めちゃくちゃ足速いな!
100m走で勝負したら、さすがの俺でも負けるかもしれない。
「あいつ……。あのジジイ言葉で、俺と同じ12歳なんだよな……」
それがちょっと信じられなくて、俺は呆然と呟いてしまった。