ターン55 マーメイドコーリダー
さあさあ。
ナタークティカ国への旅立ちが、近づいてまいりました。
俺達RTヘリオンNSD-125ジュニアチームの面々は、クロウリィ・モータースの工場内に集合している。
海外遠征に向けて、現在ミーティング中だ。
海の向こうのまだ見ぬ大地、クオメタル大陸へいざ行かん!
移動手段は、飛行機かな?
船かな?
どっちもこの世界に転生してからは、初めてだ。
精神年齢34歳とは思えないほどに、俺はワクワクしていた。
だけど母さんから交通手段を聞かされて、拍子抜けしちゃったよ。
「ランディ、何を言っているの? 車で行くに、決まっているじゃない」
ええ~。
そりゃあ俺、車での移動も大好きだけどさ。
最近ちょっと、飽きちゃってるんだ。
全国選手権に参戦して、マリーノ国中を嫌というほど車で移動したから。
この国は、高速道路が広範囲に渡って細かく張り巡らされている。
日本とは、比べ物にならないぐらいに。
だから車で、大抵のところに行けてしまう。
おまけに高速道路は速度無制限だから、下手に鉄道や飛行機を使うよりも早く目的地に着いちゃったりする。
けどまさか、海外も車で行く羽目になるとはね。
っていうか、海はどうやって渡るの?
「ナタークティカといえば、経路は『マーメイドコーリダー』やね! ウチは楽しみ!」
ケイト・イガラシさんは、とてもウキウキしていた。
こういう時の彼女は、背中の翼も落ち着きなく動く。
ケイトさんの発言を聞いて、ようやく俺も思い出した。
「ああ。そういえば、社会科の授業で習ったな。『マーメイドコーリダー』……。めちゃめちゃ長い、海底トンネルだっけ?」
海底トンネルなんて、海の底のそのまた地下を通るただの長いトンネルだ。
景色も何も見えない。
どうせなら海底トンネルより、景色の見える橋がよかった。
そんな長い橋を架けるなんて、地球より文明が進んだこの世界でも無理か。
「ははあ。ランディ君は、『マーメイドコーリダー』がどんな海底トンネルなのかまでは知らへんのやね。どうせなら、ラウネスネットとかで検索せぇへん方がええで。実物見た時、驚くからな」
俺はケイトさんの忠告を、受け入れることにした。
そんなに凄い代物なら、いきなり実物を見てビックリしたい。
「ぶぅ~。私は今回、お留守番なの~?」
「ごめんな、ヴィオレッタ。ちゃんと、お土産買ってくるから」
妹のヴィオレッタは、父さんと一緒にお留守番だ。
余計な人員だなんて、思っていない。
いつもよく働いてくれるから、連れていけないのが痛いぐらいだ。
「いまナタークティカとは、国交が悪化しててね」
そう。
今から2600年前、世界を混沌の渦に巻き込んだ大戦があった。
その大戦の中で、マリーノとナタークティカは幾度となく戦火を交えたんだ。
だから現在でも、ちょっとだけ仲が悪い。
お互いモア国家連合に併呑されて仲直りすることになったけど、一部の者達はいまだに互いを嫌っている。
今はちょうど、向こうの大統領が反マリーノ寄りの人なんだ。
国民も、反マリーノに傾いている。
過激なのは、一部の人達だけなんだろうけど――
マリーノからの観光客が、暴漢に襲われたというニュースもあった。
そんな国に、ヴィオレッタを連れていけるわけがない。
まだ小さく、天使のように可愛いヴィオレッタを――
美人のシャーロット母さんや、ケイトさんも本当は連れて行きたくない。
母さんもケイトさんも賢いし、逃げ足が速いから大丈夫だろうとは思うけど。
――というか、この2人なしでレースとかありえないし。
ありえないといえば――
総監督のドーン・ドッケンハイムさんが、お留守番だ。
「ワシよりもシャーロットの方が、NSD-125ジュニアチームの現状を分かっとるし」
確かに、ドーンさんの言う通り。
ドーンさんは今年、K2-100クラスのチビッ子どもにかかりっきり。
高学年クラスの仕切りは、母さんと俺に任せっきりだったんだよなぁ。
おまけに俺が抜ける来年に備えて、色々忙しいらしい。
新しいドライバーの確保とか、K2-100からNSD-125ジュニアに上げる子の準備とか。
――というわけで俺達のチームは総監督不在な上に、引率の大人がクラス監督の母さんだけ。
ケイトさんはまだ基礎学校を卒業していないから、大人にカウントするのは微妙なところ。
他には子供が3人だけという、ありえないくらい小規模な体制で海を渡る。
レース当日には、スポンサーのエリック・ギルバート氏も駆けつけてくれるらしい。
スポンサー様をマンパワーとしてアテにしないといけないなんて、ろくでもないチームだとは思う。
だけどエリックさんにチームの仕事を頼むと、とても楽しそうにやってくれるんだ。
だから別にいいんじゃないかな~と、みんな思っていた。
「今回初開催のモア連合統一戦は、何もかもが初めて。手探りの部分が多いです。あまり多くのスタッフがいても、混乱するだけでしょう。『船頭多くして船山に上る』……。元は、地球のことわざですよね?」
ジョージの言う通りだ。
今回は、未知なる部分が多過ぎる。
俺達にとって、国外レースは初めて。
国外のドライバー達がどんな走りをするのか、全然見当がつかない。
一応はネットの動画サイトとかカート雑誌とかで、有名どころはチェックしている。
だけど実際にコース上で見てみないことには、何ともいえないな。
未知の要素は、まだまだある。
俺達マリーノ国からの参加者は、いつもの使い慣れたタカサキ社製のエンジンと車体を使用する。
だけど他の国からの参加者達――ナタークティカ国とかラトヴァリウス国みたいな大陸の国内選手権を勝ち上がってきた連中は違うんだ。
ナタークティカ国の自動車メーカー、ドラグ・フォース社のエンジンと車体を使ってくる。
同じコースで比較されたデータが無いから、メーカー間の性能優劣は分からない。
そして、痛い要素がタイヤだ。
使い慣れた、ブリザード社のタイヤじゃない。
これまたナタークティカ国のメーカー、エウロパタイヤの使用統一っていうルールになっていた。
なんで痛いかっていうと、俺らマリーノ国勢は履いたことがない。
なのに大陸勢は、そのタイヤで国内選手権を戦っているからだ。
俺達は初めて履くタイヤで、履き慣れたドライバー達を相手にしないといけない。
これはキツい。
タイヤっていうのはエンジン以上に、マシンの速さに直結する部分だからなぁ――
最後にコース。
これはどこの勢力にも、平等な条件。
このジュニアカートモア連合統一戦は、新しく完成するサーキットのこけら落としとして開催される。
完成後のテストランを担当したドライバー以外、誰も走ったことがない。
資料を見たけど、とんでもないコースだ。
走るのが楽しみでもあるし、怖くもある。
「結局、出たとこ勝負か……。俺とルディは、念入りに体調を整えておこう」
あとは自分達の適応力を、信じるしかない。
ルディと目が合う。
この1年半で、すっかり頼もしい相棒になった。
――そうだ。
俺達なら、やれるさ。
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「うっわ~! これが、『マーメイドコーリダー』かぁ~! すごい! なんてキレイなんだ! ボク、興奮してきちゃいました!」
「ははは……。ルディ、あんまりハシャギ過ぎるなよ?」
「そんなこと言って……。ランディ。君がこの中で、1番興奮しているでしょう? 鼻の穴が、ヒクヒクしていますよ?」
せっかく後輩の前で、落ち着いたところを見せたかったのに――
ジョージのせいで、台無しになった。
ああ、そうさ。
俺は今、メチャクチャ興奮しているよ。
「マーメイドコーリダー」がこんなに凄い海底トンネルだなんて、知りもしなかったからな。
俺達が乗るチーム所有のマイクロバスは、泳ぐイルカと並走している。
このトンネルは、海底に埋められていないんだ。
海底の上を、透明なチューブ状のトンネルが走っている。
トンネルのチューブはMKKクリスタルという特殊素材で作られていて、固くて軽量。
おまけにびっくりするほど、透明度が高い。
トンネルを中心に、周囲の海中・海底もライトアップされている。
泳ぐ魚の姿が、鮮やかに照らし出されていた。
まるで海の底を、そのまま車で走っているみたいだ。
「ナタークティカ国にあるトンネルの出口まで、約150km。途中にサービスエリアはあるけど、数は少ないわ。トイレは休憩の度、こまめに済ませておくこと」
『はーい!』
運転手である母さんからの指示に、チームの面々は元気よく応えた。
「ごめんね、母さん。1人で運転させることになっちゃって……」
「大丈夫よ。これでも私、長距離運転は得意なのよ?」
そう言って母さんは、変速レバーを6速から5速に入れ減速チェンジした。
途中で空ぶかしを入れて回転合わせをしたから、クラッチを繋いだときの変速ショックは全く無い。
見事な等速シフトだった。
力が強い1個下のギヤに落とした母さんは、滑らかに加速。
するりと進路変更して、ノロノロ走っていた小型車を追い越してゆく。
前から思ってたけど、父さんも母さんも運転上手いな。
安全かつ、スムーズだ。
「休憩も、多めに入れるから大丈夫よ。気を使い過ぎて、レース前にくたびれないでね」
「わかったよ、母さん。今は、休むのがドライバーの仕事だね」
心配したところで、運転免許も持っていない俺が手助けできるわけじゃないしな。
後部座席から、さらに後ろを見やる。
俺らが座っているより後ろの座席は取り払われ、トランクスペースと化していた。
そこにはバンドで固定された、2台のレーシングカート。
スペース削減のため、分解して積み上げてある。
必要なパーツや工具はキッチリと整理整頓され、トランクスペースは一部の無駄もなく有効活用されていた。
ジョージはこういうの、めっちゃ手際がいいんだよな。
「マイクロバスじゃなくて、君を運転するのが俺の仕事だったな……」
カートのフレームが光を反射して、銀色に輝く。
マシンから、「頼んだわよ」と言われたような気がした。
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それから3時間。
母さんのスムーズな運転と、サービスエリアでのこまめな休憩のおかげで旅は快適だった。
喋る話題も尽きて皆が外の景色を眺めていた頃、少しずつトンネルの道路が上り勾配になり始める。
出口が近いんだ。
海の色が、濃紺からエメラルドグリーンへと変わる。
「さあ、着いたわよ。ここはもう、ナタークティカ国。レースが開催される都市でもある、アーク・エナ・シティね」
トンネルを抜けた俺達の前に現れた、アーク・エナ・シティの街並みは――
マリーノ国と、あんまり代わり映えがしなかった。