ターン51 今日のボクは乗れています!
俺の左側から、激しく自己主張するようなエンジン音が聞こえてくる。
ルディ君のマシンだ。
(ランドール先輩、ボクを見て!)
そう叫んでいるように感じるのは、俺の気のせいか?
見てるよ!
コーナーでマシンの鼻先をねじ込まれて、見えないはずがないだろう?
幸いまだ、横並びにはなっていない。
俺の方が、鼻先は前に出ている。
ルール上、優先権は俺にあるんだ。
次の2コーナーで、ちゃんと引いてくれよ。
ここで俺は、不味いことに気づいた。
ルディ君のマシンは、右タイヤが最速ラインの上にある。
ゴムがたっぷり乗った、良く食い付く路面だ。
なのに左タイヤは、ラバーが乗っていない通常の路面上。
相対的に見れば、左タイヤだけ滑りやすい。
つまりこのままフルブレーキングを開始すれば、ルディ君のマシンはバランスを崩してスピンする可能性が高かった。
ええい、くそっ!
こうなったら遅いブレーキングで、コーナー進入前に抜くんだ。
俺が完全に前まで出ておけば、ルディ君も無理なブレーキング勝負は仕掛けてこないだろう。
俺はタイヤの性能を余すことなく使い切る、フルブレーキングを実行した。
背後からはクリス君のエンジンが、回転数を下げる音が聞こえる。
俺より一瞬早く、ブレーキを踏んだみたいだ。
ルディ君は――
まだ、俺の横にいる!
暴れるマシンを抑え込みながら、俺と変わらない遅いブレーキングを敢行していた。
さらには信じられないスピードで、コーナーに進入していく。
俺や突っ込み番長のクリス君でさえギョッとするような、鳥肌ものの曲がり始め。
少し多めに、後輪がスライドした。
「そんなに無理な進入をしたら、立ち上がり加速が……」
「遅くなるぞ」って呟く前に、ルディ君の後輪はグリップを取り戻した。
路面を蹴飛ばした反動で左前輪を持ち上げ、縁石を大胆にカット。
急な3コーナーに向けたブレーキングを開始する頃には、ルディ君のマシンが完全に俺の前まで出ていた。
眼前に突き付けられる、ルディ君のゼッケンプレート。
チームメイトの俺と、続き番号になっているカーナンバー16。
まいったな。
完全に、やられたよ。
今朝クリス君が「スタートに気を付けろ」って言ってたのは、これを予言していたのか?
後ろから、去年のチャンピオンの不満げなエンジン音が聞こえる。
(そうじゃねぇよ!)
クリス君がそう言いたがっているのは、明らかだった。
だよな。
こんな展開、誰も予想してなかったよな。
俺はルディ君が、けっこういいとこ見せるんじゃないかと思ってたけど――
ここまでやるとはね。
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■□ルドルフィーネ・シェンカー視点■□
レーススタート直前。
ボクの位置からは、ランドール先輩の背中が見えた。
周りのドライバー達が殺気立ってて怖いけど、先輩の背中を見ていると心が落ち着いてくる。
スポンサー企業であるYAS研さんとチームのロゴが入った、ボクとおそろいの背中だ。
先輩は5年生の人間族としては、かなり身長が高い。
だけど背中が大きく見えるのは、単に背が高いからじゃないんだろうな。
ボクはランドール先輩を、尊敬している。
ドライバーとしての速さも。
ボクを導いてくれる頼もしさも。
そして心優しさも。
だから余計に、背中が大きく見える。
今日のレースでは、あの背中を見失わずにゴールできるかな?
いや。
それだけじゃ、寂しいな。
このレース中、先輩にボクを意識してもらいたい。
視界の中に入りたい。
そのためには――
加速OKになる、イエローラインが迫る。
最前列2台の加速が、少し遅れた気がした。
ボクはためらわずに、アクセルペダルを踏み込んだ。
イエローラインを越えると同時に、フル加速を始める。
目の前を走るグレンさんの後部にぶつかりそうな勢いだけど、アクセルは緩めない。
赤信号が消えるのとほぼ同時に、ボクはマシンをサッと左に寄せた。
グレンさんも加速タイミングを外されて、スピードが伸びない。
フライングになったって、構うもんか。
銀色のカウルで覆われたグレンさんのマシンに、ボクは並びかける。
コントロールラインを越えると同時に、彼を抜き去った。
グレンさんに並びかけていたキースさんも、気付いた時には一緒にパスしていた。
ラッキー!
これで順位は、2つもアップ!
でもまだ、先輩の視界には入っていない。
1コーナーが迫る。
ランドール先輩とクリスさんは、大外の最速ラインからアプローチするみたい。
ならばボクは、最短距離でいってやる。
内ベタのさらにイン。
左タイヤは空中を通す、三次元の走行ラインだ。
下手をしたら、ショートカットの違反を取られる可能性もあった。
でもボクは、あえてそこに飛び込む。
大外からコーナーの内側――クリッピングポイントへとマシンを寄せてきたランドール先輩が、タイヤ1本分走行ラインを開けてくれたから。
「おいで」って言われたような気がしたのは、ボクの勘違いかな?
勘違いでも、いいや。
ボクは、先輩の内側――ううん。
胸へと、飛び込んでいったんだ。
ランドール先輩!
ボクの走りを、見て下さい!
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■□ランドール・クロウリィ視点■□
「おお、速い速い。さすがはバーチャルレースの世界一。いや、俺の教え方が良かったのかな? ……なんてね」
ヘルメット内で、俺は呟く。
もし聞こえた人がいたら、呑気な奴だと呆れられたかもしれない。
俺は少しずつルディ君に離され、遅れ始めていたから。
特に俺のすぐ後ろにいるクリス・マルムスティーン君は、イラついていた。
時折走行ラインを変え、俺の内側をうかがっているな?
エンジン音で分かるぜ。
ええい。
ちょろちょろするなよ。
ウチの後輩の見事な走りを、君も堪能したらどうだ?
ルディ君は上手い。
実車のカートに乗り始めて、まだ2ケ月しか経ってないんだぜ?
それがマリーノ国1番の子供を決める選手権で、堂々のトップを走っている。
レーシングカート雑誌「カーティングオン」で、特集記事が組まれちゃったりするかもね。
嫉妬しないのかって?
俺は雑誌取材とかインタビューとか、死ぬほど苦手なんでパスだ。
――あ。
そういえばルディ君も、そういうの苦手そうだよな。
仕方ない。
俺が代わりに、取材やインタビューを受けてやろう。
ルディ君に、勝つことでね。
そうと決まれば、走りをよく観察しよう。
いつも練習走行で、穴が開くほど観察してきたルディ君の走り。
だけどレース本番で見るのは初めてだし、ドライビングからどんな戦略で走っているのか見抜けるかもしれない。
まずルディ君は、旋回スピードがメチャクチャに速い。
進入も速ければ、立ち上がりも速い。
クリッピングポイント手前で、最も速度が落ちる瞬間――ボトムスピードも速い。
タイヤのグリップ力を、横方向に使い切る技術に長けている。
長年レースをやってきた俺でも、ゾッとするような走りだ。
どこか非現実的な印象を受けるのは、ルディ君がドライビングシミュレーターゲーム出身だからかもしれない。
タイヤにはすでに充分な熱が入っているらしく、明らかに俺やクリス君のタイヤより食い付きがいい。
そういえばローリングラップ中に、タイヤを念入りに温めていたな。
初めから、スタートダッシュを決めるつもりだったんだろう。
いい作戦と、それを実現するいい走りだ。
レースが終わったら、褒めてやろう。
次のレースまでの、課題としては――
ひとつはコーナーで、タイヤのグリップを使い切り過ぎていること。
もうひとつは――
「集中力があるのは、ドライバーとしての長所だけど……。ちょっと、集中し過ぎているかな?」
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■□ルドルフィーネ・シェンカー視点■□
凄い!
今日のボクは、乗れている!
ブレーキパッドが、ディスクローターを挟み込む感触が分かる。
ブレーキングやコーナリング中、タイヤの微妙なたわみが分かる。
ドライブシャフトのねじれを感じる。
エンジンのシリンダー内で、往復するピストンが見える。
ドライビングシミュレーター「レーサーXX」世界大会の時でも、こんなに乗れていると感じたことは無かった。
ボク自身のコンディションがいいのもあるけど、マシンのセッティングもバッチリ決まっているんだと思う。
ジョージ先輩やケイト先輩と、一緒に作り上げたマシンなんだ。
路面にピタリと吸い付くような感触で、何をやってもスピンする気がしない。
ペースが上がって、憧れのランドール先輩と距離が離れていった。
それは少し、寂しい気がする。
だけどボクは今、走ることに夢中だった。
17000回転まで回るエンジンが、ボクの心臓。
ドロドロに溶けて地面をガッツリ掴む、ハイグリップタイヤがボクの手足。
ハードなブレーキング、加速、旋回。
生き物では支えきれない大きな力を、全部受け止めてくれる車体がボクの骨格。
ボクは体育の授業の時、足が遅い。
それなのに今は、130km/ものスピードで走っている。
こういう感じを、何ていうんだろう?
全能感?
身体がマシンと一体になる。
ボクは超人になったんだ。
マシンがあれば、怖いものなんて何もない。
そう、ボクは酔っていた。
お兄ちゃんがお酒飲んで酔っ払った時とか、大人ってすっごい馬鹿だと思う。
だけどボクも今、その馬鹿になっていた。
車をコントロールする気持ち良さに、呑まれちゃってたんだ。
酔っ払いよりマシなのは、すぐに正気に戻ったこと。
お酒は簡単には、抜けないからね。
ボクを正気に戻してくれたのは、サインボードで表示されたランドール先輩との差。
スタートしてから3周の間に、少しづつ開いていってた。
それが4周目を終えた時は、前の周と全然変わってなかったんだ。
後ろを振り返ると、ランドール先輩がついてきていた。
差は、コーナーひとつ分くらい。
そのすぐ後ろにクリスさん、キースさん、グレンさんと銀色のマシンが続く。
みんな冷静だ。
ボクに置いていかれて、焦っているようには全然見えない。
怖い。
ボクはあの人達の手の平で、踊らされているだけなんじゃないだろうか?
5周目が終わった。
サインボードを出すジョージ先輩は、ボクの走りを冷静に見ている。
喜んでもいなければ、落胆してもいない。
ランドール先輩とのギャップが2秒。
その下に表示されている、残り20周の表示。
ボクはそれを見て、重苦しいプレッシャーを感じていた。