ターン50 スタートに気を付けろ
俺、ルディ君、ケイトさんの3人でご褒美検討会をしていると、背後から声をかけられた。
「あら? レース直前にふざけ合うなんて、ずいぶん余裕ですのね? 頭ナデナデ? レースを舐めていらっしゃるの?」
呼ばれてもいないのに現れたのは、敵チーム「シルバードリル」の監督。
マリー・ルイス嬢だ。
今日も頭にぶら下げた凶器、銀色のドリルヘアが陽光を反射している。
眩しいぐらいの輝きだ。
あの輝きで、レース中に俺への目くらましとかやってきたらイヤだな。
それにしても――
マリーさんはドリルヘア以外の恰好が、ずいぶんレーシングチームの監督らしくなったもんだ。
上はルイスブランドロゴと、チーム名が大きく印刷されたグレーの襟付きシャツ。
下はスカートではなく、白いホットパンツ。
こちらもロゴ入り。
よくよく見れば、ルイスグループ以外にも細かいスポンサーロゴが増えている。
ドリルヘアの上には、ブリザードタイヤ社の青白いキャップが乗せられていた。
今の彼女には、こだわりのヘアスタイルよりスポンサーアピールの方が大事なんだなと感じる。
去年サーキットデビューで大クラッシュして以来、マリーさんはドライバーへの道はあきらめたみたいだ。
だけどモータースポーツというものを理解するために、ちょくちょく自身もカートで走っているらしい。
もう、すっかりレーシングチームの人間だね。
まだ基礎学校5年生なのに、そういう努力家なところは凄いと思う。
その努力家なすごい子は、俺達の前に立ち塞がる敵なんだ。
締めてかからないと、今年も勝てない。
――というわけで、容赦はしないぞ。
すでにチーム同士の心理戦は、始まっているんだ。
「なんだい? わざわざ絡んできて。ひょっとしてマリーさんも、頭ナデナデして欲しいのかな? いいよ。RTヘリオンに勝ったらね」
せっかくだ。
敵エースだけでなく、監督にも挑発をかましておく。
少しでも、カッカしてくれればもうけもんだ。
「言質取りましたわよ。我がチームのドライバー3人、誰か1人でもランディ様の前でチェッカーを受けたら頭を撫でていただきます。もちろん、レーシンググローブは外して素手でですわ」
な、何ー!
そうくるとは、思わなかった。
だってさっき頭ナデナデの話をしていたら、「レースを舐めていらっしゃるの?」とか言ってたじゃん。
だけどいまさら焦って撤回するのも、向こうが調子づくかもしれないからなぁ。
「わ……わかったよ。『シルバードリル』が勝ったら、マリーさんは頭ナデナデね。まあ3人とも、俺の前は走らせないけどね」
自信満々な態度で答えたけど、3対1はちょっと厳しいかなぁ?
俺の不安を見透かしたのか、ルディ君がカートスーツの腰辺りを掴み振り向かせてきた。
さっきまでの不安げな表情は、消えている。
瞳の中から溢れる強い決心が、俺をまっすぐに射抜く。
――ボクを忘れないで。
ルディ君の言いたいことは、口にしなくても充分に伝わった。
そうだ。
俺達の戦いは、3対2。
そんなに絶望的な数字じゃない。
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ヘルメットを被り、レーシンググローブをはめた。
すると自然に、脳が戦闘モードに入る。
さっきまではどのドライバーも和気あいあいとしていたのに、今は全員眼光が鋭い。
スピーカーから流れる場内放送で、選手紹介が聞こえてきた。
『予選1番手は、カーナンバー15番! RTヘリオン、ランドール・クロウリィ! 昨年は孤軍奮闘するも、年間ランキングは8位にとどまりました。2625年と2626年のK2-100中央地区チャンピオンは、昨年の雪辱を晴らすことができるのか~!?』
俺もルディ君と一緒で、視線が集まると緊張するタイプだ。
選手紹介とか、苦手だったりする。
でも今はヘルメットを被っているから、ある程度は落ち着けていた。
シートに座ってステアリングを握っていれば、もっと平気なんだけどね。
サーキットクィーンの女性が、ローリングラップ開始3分前のボードを提示した。
ローリングラップっていうのは、レーススタート前にタイヤを温めるための周回だ。
サーキットクィーンの彼女は、巨人族。
身長は、190cm以上あるだろう。
そんな人が高いヒールの靴を履いているもんだから、ボードが提示される位置はめちゃくちゃ高い。
後ろのドライバーには見やすいだろうけど、最前列の俺が見るには高すぎる。
首が痛くなりそうだ。
俺はケイトさんと一緒に、マシンをスタンドから地面に降ろす。
怪力ジョージ・ドッケンハイムとその次にパワーのあるシャーロット母さん(普通に大人だからだよ)は、ルディ君の押しがけを担当だ。
馬鹿力の俺は、その気になれば1人でも楽々押しがけができるからね。
ルディ君に押しがけはちょっと厳しいから、「殿様スタート」というやり方でいく。
ドライバーには最初からシートに座っておいてもらい、後ろからスタッフ2人がかりで押す方式だ。
周りを見回しても、ドライバーが押し掛けに参加するのは俺達だけだ。
軽々押し掛けできそうな6年生のドワーフ族や巨人族、ゴリラ獣人の連中まで殿様スタートをやる。
ええい!
軟弱者どもめ!
それでも、筋力が自慢の種族か?
「いいかいケイトさん? ちょっと重いけど後輪を少し持ち上げて、前に投げ落とすような感じでスタートするんだ」
「大丈夫や。ウチもルディちゃんのマシンを、何度か押しがけしたことあるで」
それは頼もしい。
この世界のレーシングカートは燃料装置が電子制御化されていて、エンジン始動性は抜群にいい。
俺1人でも楽々始動できるんだけど、たまたまエンジンのかかりが悪い可能性もある。
そんな時はさすがに、補助が欲しい。
1分前ボード、30秒前のボード提示に続いて、緑旗が係員の手によって振られる。
さあ、ローリングラップ開始だ。
ケイトさんと2人がかりで押しがけすると、あっさりエンジンがかかった。
エンストしないようすぐシートに飛び乗り、アクセルをあおる。
ケイトさんはエンジン始動を確認すると、走ったまま脇に逸れた。
後方で押しがけをする、他の選手達の邪魔にならないように。
ケイトさん、なかなか鮮やかな押しがけ補助だ。
コースインした俺の背後から、モンスター達目覚めの咆哮が響いてくる。
クリス、グレン、キース、――そして、ルディ君。
予選を通過した計36名のドライバー達が、サーキットに解き放たれた。
ローリングラップが1周。
その後続けて、スタートのために隊列を整えるフォーメーションラップに入る。
ローリングラップ中にタイヤを温めようと、皆がマシンを激しく揺さぶり蛇行運転していた。
俺は蛇行運転だけでなく、ハードなブレーキングも繰り返す。
後輪も、温めたいからね。
レーシングカートのブレーキは、後輪にのみ装着されている。
ブレーキの熱も使って、タイヤを覚醒させるんだ。
俺はタイヤへの熱入れ作業と並行して、時々後方を振り返ってはルディ君の様子を観察していた。
しっかりと左右に蛇行運転して、タイヤに熱を入れている。
ずいぶん、念入りに温めてるな。
あんまり、気負い過ぎていないといいんだけど。
ローリングラップからフォーメーションラップに入り、それも終わりが近づいていた。
コース係員から提示される、「DOWN」のボード。
俺は指示に従い、ペースダウンした。
他のマシンと隊列を組んで、レーススタートの準備をする。
少し引いて右後ろに並ぶのは、チーム「シルバードリル」のクリス・マルムスティーン。
奴のヘルメットは、派手なオレンジと黄色に塗り分けられたトロピカルなカラーだ。
その奥からガンを飛ばしてきたから、俺も冷ややかに睨み返してやる。
レースの種類にもよるけど、マリーノ国のカートレースでは隊列を組んだ状態で露骨な加減速をするとペナルティを取られる。
『スタート時あまり駆け引きをせず、イエローラインを越えてから一斉に加速しましょうね』
って競技規則になっているんだ。
俺は大人しく隊列を牽引し、イエローラインを越えてアクセルを全開に――
――するタイミングを、一瞬だけ遅らせてやった。
フライングを避けるため、とっさにアクセルを戻したクリス君。
すぐにアクセルを全開に戻すけど、加速タイミングが合わない。
じりじりと、離れていく。
これは、俺にとっても賭けだった。
あんまり露骨にやるとペナルティを取られる可能性があったし、通常タイミングで加速し始めたドライバー達からは抜かれる危険性があるからだ。
赤信号消灯!
ここから進路変更OK。
俺はクリス君の眼前に、マシンをねじ込む。
悪いけど今回のレースでは、ずっと俺のケツを拝んで走ってもらおう。
俺とクリス君が取った走行ラインは、大外の最速ライン。
昨日からの走行で、タイヤのゴムがたっぷり乗っているラインだ。
コースの他の部分と比べると、圧倒的に食い付きがいい。
そこを占拠した俺とクリス君には、誰もついてこられない――
――はずだった。
緩い左曲がりの1コーナーで、視界の左端に何かが映る。
そんなところに、マシンはいないはずだ。
なぜなら、俺達が通っているのが最速ライン。
大外から進入して、コーナーの最も内側――クリッピングポイントにつこうとしていたところ。
これ以上内側に、車が走れるスペースはない。
誰かが追突され、コントロールを失いながら内側の芝生に吹っ飛んだ可能性が頭をよぎった。
事故に巻き込まれてはたまらないと、俺は瞬間的に判断。
完全にはクリッピングポイントにつかず、縁石からタイヤ1本分内側を空ける。
――結論から言うと、俺は順位を落とした。
だけどそうしないと、当てられてもっと順位を落としたかもしれない。
俺がタイヤ1本分だけ空けたスペースに、右前輪を通したクレイジーな奴がいたんだ。
右前輪がその位置ってことは、シートに座っているドライバーは縁石の真上。
左のタイヤは、芝の上だろう。
それでスピンしないなんて、とてつもないマシンコントロールの持ち主だ。
俺のマシンの車体半分ぐらいまで、先端をねじ込まれた。
ここまで並びかけられると、前方を見たままでも横目で相手が誰なのか分かる。
俺と全く同じ、黒いカウルのマシン。
そして、同じ真っ黒なカート用レーシングスーツ。
違うのは、ヘルメットの色。
鮮やかな水色のヘルメットを被ったそのドライバーは、俺の後輩――
「やってくれるね! ルディ・シェンカー! そんなに頭を撫でて欲しいのかい!」
迫る直角ターンの2コーナーを見据えたまま、俺はヘルメットの中で叫んだ。