ターン47 ボクは戦える体が欲しい!
■□ランドール・クロウリィ視点■□
俺の前を走ってるのは、黒いカウルのマシン。
運転しているドライバーは、黒いカートスーツに身を包んだ子。
黒はRTヘリオンのトレードカラーだ。
水色のヘルメットが、明るく目立つその後ろ姿。
新しくチームメイトになった、エルフのルディ・シェンカー君だ。
俺はコースインしてから、ずっとルディ君の後ろに貼りついて走りを観察していた。
周回数が7周を超えた辺りから、段々ドライビングが怪しくなってきている。
前輪の強大なグリップに腕力が負け、ハンドルを切り込めていない。
こりゃタイヤより先に、ドライバーの方が音を上げてるな。
かと思えばブレーキングやコーナー立ち上がりでも尻が暴れ、今にもスピンしそう。
足も疲れて、ペダル操作が上手くいっていないみたいだ。
極めつけが、首の傾き。
コーナーの外側に、流されてしまっている。
あれじゃ曲がっていく方向――内側に視線を向けられず、危険だ。
無理もないか。
NSD-125ジュニアクラスのマシンは、遠心力が最大で4Gぐらいかかるからな。
本当は1個下のクラス、K2-100のマシンから乗せたかった。
だけど今、チームにK2-100マシンがないから仕方ないね。
準備できていたのは、4月からルディ君を乗せる予定でチームが購入していたNSDー125ジュニアのマシン。
つまり、いきなり本番用マシンに乗せることになってしまった。
「そろそろルディ君は、体力的に限界だな」
そう判断した俺は、直線でルディ君のスリップに入る。
風よけにして速度を伸ばし、危なげなくパス。
S字コーナーを立ち上がり、裏の直線に入ったところでハンドサインを出した。
後ろを走るルディ君に、ピットに入るよう促す。
それを見たルディ君は、明らかにホッとした様子でアクセルを緩めた。
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ピットでマシンを停め、降りようとするルディ君。
のっそりとした、力ない立ち上がり方だ。
ゾンビだって、もっと機敏に元気よく動くぞっていうぐらい。
ゾンビと違うのは、その呼吸か。
荒い。
肺が過回転してるんじゃないかっていうほどに、荒い呼吸だ。
見てるこっちまで、苦しくなってしまう。
「ルディ君、大丈夫かい? 少し長めに、休憩を取ろう。マシンだって、少し休ませないとね」
俺は肩を貸し、ピットに設置してある折り畳み式の椅子まで連れて行こうとした。
だけど――
「ハアハア、大丈夫です……。まだ走行2回目なのに、ヘバってなんかいられませんよ。体力をつけないと……」
「焦って鍛えても、そんなすぐにタフな体が手に入るわけじゃない。俺達人間族や君達エルフ族は、どうしたって筋力勝負じゃ分が悪い。ドワーフ族や獣人族、巨人族のドライバーには敵わないさ。じっくりトレーニングするんだ」
「開幕まで、もう2カ月もありません。ボクがチームの足を、引っ張ってしまったら……」
「今年1年間は、存分に引っ張ってもらって構わないよ」
「えっ!?」
「チームの方針としては、今年1年かけて君に速くなってもらうつもりだ。来年……俺が6年生になる年に、タイトルを取る予定なんだよ。もちろんチームタイトル、ドライバーズタイトルともにね」
「今年……2628年シーズンは、『捨てる』って意味ですか?」
「『捨てる』は、適切な表現じゃないね。『照準は2629年シーズンに合せる』っていう方が合ってる。今年から勝てたら、そりゃ嬉しいけど」
敵チーム、「シルバードリル」の戦闘力は脅威だ。
圧倒的な資金力。
豪華なドライバーの顔ぶれ。
エンジニアやメカニックだって、大人の有名な人員をかき集めている。
これに立ち向かうためには、時間をかけることも必要なんだ。
もっとも――
「ランドール先輩。ボク、ちょっとトイレに行ってきます」
「フラフラだけど、大丈夫かい? ついていこうか?」
「……! 全然大丈夫です! だから絶対に、ついてこないで下さい!」
連れションを強い口調で断られて、ちょっとビックリ。
だけどルディ君の意思を尊重して、1人で行かせた。
ルディ君を見送る俺の横にやってきたのは、メカニック兼エンジニアのジョージ・ドッケンハイム。
よく混同されやすいけど、メカニックとエンジニアの仕事は別物だ。
直接車に触ってセッティングを変更したり、修理するのがメカニック。
ドライバーと相談してセッティングの方向性を決めたり、レース時以外では車を速くするための試験・実験を担当するのがエンジニアだ。
だけどアマチュアカテゴリーでは各スタッフの人手は足りないし、専門化も進んでいない。
だからジョージのように、兼任している人も多い。
ジョージが手に持っているクリップボードには紙が挟まれ、いくつもの数字が書き込まれていた。
ルディ君のマシンに装着されていたデータロガーから、周回タイムを書き写したものだ。
「驚きましたね、本当に、実車は初めてなんですか? ヘバるまでのタイムは、異様に速い。3周目なんて、ランディの持つ非公式コース最速記録からコンマ5秒しか遅れていませんよ」
「さすが、仮想現実の世界一ドライバー。今のところ、俺の方が速いけどね」
「ふう……。君は、負けず嫌いですね」
意識せずにはいられない。
ルディ君はいつか、俺とチャンピオンを争うドライバーに成長する。
まったく、エルフ族って奴らは――
体力無いくせに、ドライビングセンスは超一流だな。
1年かけて、戦う準備をするって言ったけど――
そんなに長くは、かからないかもしれない。
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■□3人称視点■□
「おヴぇ! ◎×△*/%……! げほっ! ごほっ!」
トイレの個室から、嘔吐する音と咳き込む音が聞こえる。
一応便器には、小鳥の囀りと小川の音が流れる機能が付いていた。
しかしトイレに籠っている人物は盛大に吐きすぎて、小鳥の囀りをかき消してしまっている。
「ちょっと、ルディちゃん大丈夫なん?」
清掃が徹底された、ドッケンハイムカートウェイの女子トイレ。
アイボリー色のタイルが敷き詰められたそこに入ってきたのは、背中に白い翼を持つ天翼族の少女。
ケイト・イガラシだった。
新入りドライバーを心配して、様子を見にきた彼女。
だが閉ざされた個室ドアの向こうから、返事は返ってこなかった。
沈黙に対して、ケイトは溜息をひとつ。
そのまま翼を胸の前に回し、背中を個室のドアに預けた。
「最初からNSD-125ジュニアのマシンに乗るなんて、無茶もいいところやね。レンタル走行用にパワーを絞った、K2-100から始めても良かったんちゃう?」
まだケイトの背中に、返事は返ってこない。
彼女は視線を、少し上に向けた。
ピンク色の髪が、さらりと揺れる。
「それに女の子だってこと、なんで黙っとるん? ルドルフィーネちゃん。ランディ君やシャーロット監督は、女の子やからって侮るような人達やないで。監督とかヴィオレッタちゃんとか、女子達はみんな気付いとる」
ケイトは、少し長めに返事を待った。
しかし言葉も嘔吐する音も、呼吸音すら聞こえてこない。
「ま、色々と事情があるんやろ? ウチはルディちゃんが自分から話してくれるまで、誰にも言わずに待つで。……あんまり無理したらアカンよ」
そこまでケイトが言った時、背中越しにザァーという水音が聞こえた。
トイレの個室内――ドアの向こうからだ。
「お? 心を開いてくれたん?」
ドアから1歩退き、目を輝かせるケイト。
だが彼女は、全身を彫像と化し固まってしまった。
開いたドアから出てきた人物を、見たからだ。
「ちょっとアナタ! さっきからずっと語りかけてきて、何なの? ゆっくり用も足せないじゃない!」
「え~っと……。その~。人違いでした! えろうすんまへん!」
開いた個室のドアから現れたのは、恰幅のいい人物。
豚と猪を、掛け合わせたような容姿をしている。
オーク族の女性だ。
服装から察するに、どこか他チームのスタッフなのだろう。
盛大な人違いに気づいたケイトは翼を翻し、トイレの外へと駆け出した。
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ケイト・イガラシが女子トイレを立ち去ってから、数十秒後。
「ふぅ……。ケイト先輩、行っちゃったかな?」
個室のドアから、ひょっこり顔を覗かせるルディ。
ケイトが寄りかかり、オーク女性が出てきた個室の隣からだ。
身体は疲労したままのルディだったが、ひとまず呼吸は落ち着いていた。
吐き気も収まっている。
個室から出てきたルディは、洗面台に向かった。
すると蛇口の上に、小さなフクロウが止まっている。
「あれ? ショウヤ君?」
いつもケイトの肩にいる、眠りフクロウ。
飼い主のケイトが慌てて走り去ったため、彼は置いてけぼりを食らっていたのだ。
「君も気になる? なんでボクが、女の子ってことを言わないのか」
ルディの問いかけに対して、ショウヤは首を傾げる。
まるで、人の言葉を理解しているかのようだ。
「世界中にプロの女性ドライバーっているけど、人間族やエルフ族でプロの女性ドライバーって少ないでしょう?」
この世界において、入門用ツーリングカーレース等では女性ドライバーも多い。
だが上位のカテゴリーにいくほど、女性ドライバーの数は減る。
特に、人間族とエルフの女性は。
「筋肉量の差だね。上のカテゴリーほど、マシンの旋回スピードが高くて筋力が要る。強いGの中でも、体をしっかり支えられるようにね。エルフは特に、肉が付きにくいから……。太りにくいっていうのは、長所でもあるけど」
上位カテゴリーのマシンはタイヤが太く、食い付き力も高い。
走行風を利用して車体を地面に押し付け、安定させる力――ダウンフォースも強く、とんでもない速度で曲がれてしまう。
そうなると遠心力も大きくなり、ドライバーに求められる筋力も段違いになっていくのだ。
筋肉量の差だけで人間族やエルフの女性ドライバーが淘汰されていくことを、ルディは残念に思っていた。
運転技術に、男女の差はないのに――と。
だからルディは、体力の差が出にくい仮想現実の世界でレースに打ち込んだ。
今まで彼女が実車のレースを始めることができなかったのは、もちろん経済的な理由もある。
だがそれ以上に、信じられなかったのだ。
自分の種族と、性別が。
洗面台の前に貼られた鏡で、ルディは自分の体をじっくりと見る。
細くて華奢な体。
125ccのモンスターカートが生み出す、あの悪夢のような遠心力に耐えられる体だろうか?
耐えながら、屈強な他種族のドライバー達と戦える体だろうか?
ランディは弟分ができたことを、心から楽しんでいるように見える。
ルディが女の子だと知ったら、ガッカリしないだろうか?
「ショウヤ君、君はどう思う?」
一緒に鏡を覗き込んでいたフクロウに、エルフ少女は不安げに問いかける。
ショウヤは返事をせず、ただキュッと目をつぶった。
「ふふっ、そうだよね。乗るって言ったからには、自信が無くても結果を出すしかないんだ。ボクにだって、少しは矜持ってもんがあるよ。バーチャルで、世界一になったっていうプライドが。だから頑張るよ! 話を聞いてくれて、ありがとう」
「どういたしまして」とばかりに、ショウヤは翼をひと振りした。
「……それとショウヤ君。キミにひとこと、言いたいことがある」
鏡の中のルディを見つめていたショウヤだったが、彼は首を現実のルディへと向けた。
「何でしょう?」とでも、言いたげだ。
「ここ、女子トイレ。君って、男の子だよね?」
小さな眠りフクロウは、何も聞いていない素振りでトイレの出口へと飛び去った。