ターン46 ピットに帰りたいんです!
ルディ君は、チームへの勧誘に難色を示した。
参戦費用一切無料という誘い文句に、胡散くさいものを感じてしまったようだ。
「しばらく、考えさせてもらえませんか?」
「ああ、いいよ。でも、2週間ぐらいで結論を出してくれるかな? 第1戦の参戦に向けた練習とか、必要書類の提出とかがあるからね」
「はい。それだけ時間があれば、充分に考えられます」
うーん。
慎重な返事だな。
エリックさんの調査報告で、実車のモータースポーツにも興味津々って聞いていたのに。
思慮深いチームメイトは、歓迎したい。
キース先輩やグレン先輩はバカじゃないけど、本能で走るタイプだったからなぁ。
組んでて、やりにくい時もあった。
ルディ君はぺこりと俺に一礼して、教室へと帰っていく。
――と、それを追うように低学年の子達が姿を現した。
倉庫や樹木、建物の陰からゾロゾロと。
全員が、女の子だ。
さっき教室の前にいた、三つ編みの子も混ざっている。
「なんだ~。愛の告白じゃ、なかったのか~。つまんな~い」
「これでランドール先輩は、まだフリーってことよ!」
みんな口々に勝手なことを言いながら、ルディ君を追って教室へと戻っていく。
「それじゃ、ケイトさん。俺も、自分の教室に戻るね」
「えっ? ランディ君……その……。せっかくやから、お昼ごはん一緒に食べへん?」
「あー、ゴメン。もう俺、お弁当食べちゃった」
「そ……そうなんやね。ほな、しゃあないな」
ケイトさんは、がっくりと項垂れてしまった。
そこへ割り込む、聞き慣れた少年の声。
「僕はまだ、食べていませんよ」
「なんだ、ジョージも隠れて見ていたのかい? ……ちょうどいいや。3人揃ったところで、ミーティングしよう」
俺の提案に、ケイトさんが小さくガッツポーズした。
そんなにお弁当を、一緒に食べたかったのかな?
ひょっとして一緒にお弁当食べてくれるお友達が、高等部にいないんじゃないだろうか?
ケイトさんボッチ説が俺の脳裏に浮かび、心配になった。
彼女は性格だってとっつきやすそうなのに、なぜ?
「ん? どうかしましたか? ランディ?」
「いや、ジョージ。何でもないよ」
ひょっとして、俺だけじゃなくケイトさんまで、
「番長ジョージ・ドッケンハイムとつるんでいる危険人物」
という、噂が立っているんじゃないのか?
俺はジョージを横目で見ながら、そう疑っていた。
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「ランドール先輩。昨日の件、お受けしたいと思います。ボクをチームに入れてください」
翌日。
昼休みに入るやいなや、俺の教室に駆け込んできたのは美ショタエルフ。
ルディ・シェンカー君だ。
心なしか、息が上がっているように見える。
背後をチラチラと振り向き、注意を向けていた。
まるで誰かから、必死で逃げているみたいだ。
「……ルディ君。何かあったのかい?」
「実は……4年生の変な髪型をした女の子が、教室に押しかけてきて……。『ワタクシのカートチームに入りなさい、オーッホッホッホッ!』って、迫られました。あんな怖い子がいるチームに、入りたくないです」
「あー、うん。それは、大変だったね」
「その子がランディ先輩のチーム、『RTヘリオンに入るのだけは、許しませんわ!』とか言ってたんです。だから先輩のチームに入れば……その……守ってくれるのかな? なんて……」
ルディ君は人差し指を突き合わせながら、モジモジしている。
その仕草が可愛くて、俺はついその両手を自分の両手で包み込んでしまった。
相手が男の子じゃなかったら、セクハラと言われても仕方ない行動だ。
「大丈夫! 俺が君を守るよ」
教室内にいる女子達が、キャー! っと歓声だか悲鳴だか分からない声を上げる。
そうかい。
君たちも「腐」かい。
ルディ君も、顔を赤らめるんじゃないよ。
マリー・ルイス嬢め。
さては嗅ぎつけたな?
ルディ君がシミュレーターのオンラインレースで、世界一になったという情報を。
ウチに加入しないように、囲い込んでしまおうって算段だろう。
そうは問屋がおろさないぜ。
「行こう! ルディ君! あのワガママドリルに、宣戦布告だ」
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マリー・ルイス嬢の教室は、俺のクラスの隣。
4年D組だ。
「あら? 去年、ランキング8位止まりのランドール様ではありませんか。ドライバーズタイトル、チームタイトルの両方を手にした『シルバードリル』のオーナー監督であるワタクシに、何か御用ですの?」
俺が教室に入った瞬間、マリーさんは悪役令嬢スマイルで嫌味を言ってくる。
「ひょっとして、ワタクシのチームに入れて欲しいと今頃頼みに……っ! その子は……」
俺に手を引かれて、教室に入ってきたルディ君。
その姿を見て、マリーお嬢様は表情を強張らせた。
彼女はひと呼吸置いてから、冷ややかな視線を俺に向けてくる。
「そう……。ワタクシの手は取らなかったのに、その子の手は取りますのね……」
「ルディ君は、RTヘリオンの一員になる。今後、余計な手出しは止めてもらおうか?」
俺はちょっとだけ、凄んでみせる。
するとマリーさんはたじろいだだけなのに、彼女の後方にいた4年生男子数人は腰を抜かしてしまった。
ありゃりゃ、ゴメンよ。
そんなに怖かったかな?
「くっ……! 分かりました。ルディ・シェンカーは、くれてやりますの。ワタクシの手を取らなかったことを、今年も後悔していただきましょう」
「俺は去年も、自分の選択を後悔してはいないよ」
「……そこまでワタクシが、お嫌いなのですわね」
なんでそういう、好き嫌いの話になるんだ?
「……マリーさんが本気でモータースポーツを愛するなら、仲間になれると思っていた」
「ワタクシが愛しているのは……! いえ。ランディ様の仲間になど、なりたくありませんわ」
マリーさんは扇子を取り出して広げ、口元を覆い隠しながら続けた。
「いいでしょう。今年は去年よりも完膚なきまでに叩きのめし、ドライバーとして再起不能にして差し上げます。ルディ・シェンカーも、『シルバードリル』に来なかったのを後悔することになるでしょう」
マリーさんの脅しを受けて、ルディ君が怯えている。
背中越しだけど、なんとなく気配で分かった。
なので俺は振り返り、ビクビクしているルディ君を優しい笑顔で安心させてやる。
「ルディ君。君が俺(のチームへの加入)を選んだこと、絶対後悔させないからね」
するとなぜかマリーさんが、悔しそうな声を上げた。
「くぅ~っ! 羨ましくなんか、ありませんことよ!」
「そうかい。シーズン開幕を、楽しみにしているよ」
チームの絆に嫉妬してるっぽいマリーさんに背を向け、俺は颯爽と教室を後にした。
もちろん、ルディ君の手を引っ張っていくことも忘れない。
それにしても、この手――
細い指と、柔らかい手の平――
まるで――
「あ……あの……。ランドール先輩? そろそろ手を放してもらっても、大丈夫ですよ?」
「ああ、悪い悪い」
「それに先輩の笑顔、ちょっと怖いですよ?」
「ん? そうかい?」
俺はただ、考えていただけなんだけどな。
どうやったらルディ君を、速くできるかを。
ルディ君がウチのチームを選んだことを、後悔しないように。
「……シミュレーターで速いなら、マシンコントロール力は優れているはずだ。……となると、最優先課題は筋力。次に、タイヤからのフィードバックを磨く訓練」
「えっ? あっ……。はい……」
「セットアップについてはシミュレーターの中でも細かいセッティングができてたから、それなりの知識はあると見て間違いない。とりあえず、最初はしこたま身体能力を鍛えるか……」
「せ……先輩? なんか、怖い言葉が聞こえたんですけど? ボ……ボクは実車のカート、初めてだから……」
「大丈夫、俺に任せて。優しくするよ」
俺の言葉に、青ざめて引きつった笑みを返してくるルディ君だった。
さっき4年生の教室で微笑みかけた時は、いい笑顔で返してくれたのにな。
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2628年。
今日は2月で最初の日曜日。
場所はドッケンハイムカートウェイ。
「喉が……乾いたな……」
今日の空は曇っていて、空気もすっごく冷たい。
でもボクの喉は、カラカラだった。
砂漠で迷子になった人みたいに。
体中が、汗びっしょり。
おまけにもう、手足が鉛のように重いんだ。
骨も筋肉も軋んで、いうことをきかない。
それでも、動かさないと――
動かさないと、死んじゃう!
先輩は「見てもあんまり意味ないよ」って言ってたけど、ボクはついつい見ちゃう。
ハンドル真ん中のデータロガーに表示される、スピードメーターを。
いま、120km/hを超えた。
凄い勢いで、1コーナーが迫ってくる。
シミュレーターでは何度も走り込んで、慣れ親しんだドッケンハイムカートウェイのコーナー。
「レーサーXX」は、よくできたドライビングシミュレーターだった。
だからVRゴーグルを装着してプレイすると、見える風景はほとんど現実と変わらないはず。
それなのに!
現実のドッケンハイムカートウェイは、怖い!
ゴウゴウ鳴っている、風切音が――
あり得ないぐらいパワーを絞り出してくる、レーシングエンジンの音が――
こんなに恐ろしく聞こえるなんて、知らなかったよ。
それに溝無しタイヤを履いたカートのハンドルが、ここまで重いなんてことも知らなかった。
シミュレーターでも、モーター反力でハンドルの重さは再現されていたはずなのに。
そして――
「ぐうっ!」
コーナーを曲がって行く時、強烈な遠心力で体がペシャンコになった気がした。
もう全身の骨が、バラバラになったんじゃないかっていうぐらい。
これも知らなかったよ。
Gがこんなに、キツいものだったなんて。
だってシミュレーターじゃ、Gまで再現しているものなんてないんだもん。
プロが練習で使う本格的なヤツには、シートを傾けてGを再現する代物もあるって聞いたことがあるけど。
緩く曲がった1コーナーを、なんとか曲がり切ったボク。
そこへ今度は、直角に曲がった2コーナーが襲い掛かってきた。
ブレーキを踏んで減速しないと、とても曲がり切れない。
ボクはシミュレーターをプレイ中に、アンチロック・ブレーキ・システムは一切使わない。
ロックを起こさないようにコンピューターがブレーキをコントロールする装置なんだけど、常にOFFの設定で走っていた。
だから実車でも、ロックさせないように踏力でコントロールできると思っていたんだ。
でも現実って、そんなに甘くないよね。
ブレーキを踏んだ瞬間、背中の方からザアーッ! っていうスキール音が聞こえてきた。
お尻がふわりと浮いたような、気持ち悪い感触がシート越しに伝わってくる。
また、ロックさせちゃった。
タイヤからの情報は、実車の方がシミュレーターより多い。
それでも上手くブレーキをコントロールできないのは、足りていないから。
繊細なペダル操作をするために必要な、足の筋力や体幹の強さが。
前に向かって蹴飛ばされるような減速Gの中では、操作するのにも凄い力が必要になる。
ボクはなんとか踏力を緩めて、後輪のグリップを取り戻すことができた。
減速が遅れたから、クリッピングポイントなんかにはつけない。
大回りしてヨタヨタとコーナーを曲がる姿は、みんなの目にとてもカッコ悪く映っているんだろうな。
キツい――
アタックをやめたい――
ピットに帰りたい――
でもそんなこと、とても言い出せる雰囲気じゃない。
白いヘルメットの悪魔――ランドール先輩がピッタリと追走して、ボクのドライビングを観察しているから。
もう毛穴まで見えてるんじゃないかってぐらい、近距離からじっくりと。
(こんなチーム! 入るんじゃなかったー!)
走行中だけど、声に出したらすぐ近くのランドール先輩に聞こえちゃうかもしれない。
そう思ったボク――ルディ・シェンカーは、心の中で絶叫した。