ターン44 バーチャルの世界一
エリック・ギルバートさんの喜びようと、オズワルド父さんの悔しがり方は半端じゃなかった。
勝利から1分以上経っているのに、未だにガッツポーズを連発するエリックさん。
まるでこの世界最高峰のレース「ユグドラシル24時間耐久」を制覇したか、地球のF1ワールドチャンピオンにでもなったみたいな喜び方だ。
一方の父さんは、床に手足をつけうなだれていた。
重力に逆らう、気力がないって感じだ。
その姿勢のまま力なく、拳で床を叩いていた。
何? この雰囲気?
ただのゲームだよね?
大金を賭けたりとか、してないよね?
「オズワルドさんの悔しがり方、ランディがシミュレーターで負けた時にそっくりですね」
「さすが親子やね」
へっ?
ジョージ。
ケイトさん。
俺って負けた時、あんなに悔しそうな態度してる?
うーん。
こないだラウネスネットを通じたオンラインレースで、ブレイズ・ルーレイロの野郎に負けた時はそりゃ悔しかったけどさ。
全身から、青い不死鳥が出そうなほどに。
「おや、もう学校は終わりですか? お邪魔していますよ、ランディ君」
「エリックさん、こんにちは。ナイスランでしたね。幅寄せされた時の冷静な判断が、素晴らしかったです」
「なーに。コーチが良かったからですよ」
コーチっていうのは、俺のことだ。
カートでのドライビング指導は、任せてくれ。
ただ俺は、市販車ベースである「ハコ車」のレース経験は全然ないからなぁ。
スポーツカーとか、レース用ツーリングカーとか。
エリックさんにも、そういったハコの乗り方はアドバイスしていない。
今回父さんに勝てたのは、本人の努力の賜物だろうね。
さて。
勝ってホクホク顔のエリックさんは、このままにしといていい。
問題は敗戦のショックから立ち直れていないウチの父さんを、どうフォローするべきか?
「父さん……」
「ランディ……。負けちまったよ……」
父さんは、絶望感ただよう虚ろな目で俺を見上げてきた。
まるで全財産を賭けてスポット参戦したレースを、1周も走らずに終えてしまったかのような表情だ。
トミー・ブラック伯父さんもチューンド・プロダクション・カー耐久で走れずにレースを終えた時、こんな表情だったのかな?
何となく、伯父さんが天国から「一緒にするな」と言っているような気がする。
とにかく、工場はまだ営業時間内だ。
落ち込んで行動不能になった父さんを、そのまま放置はできない。
元気に働いてもらわないとね。
養われの身としては、申し訳ないけど。
「父さん……」
「ランディ……」
「ラスボス出現だよ」
俺は、父さんの背後を指差した。
父さんは、恐ろしいほどの身軽さで巨体を飛び上がらせる。
そのまま空中で反転して、背後を振り返った。
凄い身体能力だ。
振り返った父さんの、視線の先にいたのは――
「あなた、ずいぶんと楽しそうね……。お仕事は、どうしたのかしら?」
鋭い眼光を放つ、妙齢の美女。
腕を組んで佇む、シャーロット母さんの姿があった。
父さんの全身から、ぶわっと汗が噴き出す。
「シ……シャーロット……! これはだな……」
「あら? 何か言い訳があるの? 仕事中なのに、ドライビングシミュレーターゲームをプレイしていたことへの言い訳が。しかも、息子たちが帰ってきても気づかないほどに熱中して」
――鬼だ。
おっかしいな。
母さんの額に、うっすら角が見えるぞ?
母さんにはダークエルフの血が入っていても、鬼族の血は入ってなかったはずだけどな?
「これは……その……あの……」
しどろもどろになる父さんを、情けないとは思わない。
なぜなら隣で話を聞いている俺も、内心超ビビってしまっているから。
レーシングドライバーを、頭のネジが緩い怖いもの知らずばっかりだと思わないでくれ。
そんな人は、危険に対する本能のセンサーが鈍いだけだ。
今の母さんは、超危険な存在。
地球時代も含む俺の全レースキャリアで遭遇した、どのアクシデントよりもだ。
だけどその母さんに、父さんは予想外の反撃を試みた。
「これは接待だ」
「え?」
父さんの台詞に、母さんもちょっとビックリしている。
「エリックさんは、ランディのスポンサーというだけじゃない。ウチの整備工場の、お客さんでもあるだろう? 接待ゴルフとかと同じで、これは接待レース……つまり、仕事の一部だ」
ナイス父さん。
地球でもスーパーカー好きの社長さん達とかを相手に、レースショップの「接待走行会」って実在したらしいからね。
だけどそれは、実車を使った走行会のお話。
今回みたいに、ドライビングシミュレーターでの話じゃない。
しかもゲーム機本体、ソフト、ハンドルコントローラー、モニター2台、全てエリックさんの持ち物だし。
ゲーム用にこしらえたバケットシート2脚だけは、父さんが用意した物だ。
走り屋のお客さんが処分依頼してきた品を、再利用している。
ほぼ借り物で接待というのは、いかがなものか?
それに父さんは手段を選ばず、ガチで勝ちに行ってた。
接待の意味、知ってますか?
「そ……そんなこと言って、ごまかそうとしても……」
「俺は今から、お客さんの車を納車しに行く。シャーロット、後は任せたぞ」
「……! ちょっ……」
母さんが呼び止めるより前に、父さんは素早く応接室を出て行った。
やるなぁ――
「まったくもう! あの人ったら!」
「ハッハッハッ。ご主人を、あまり怒らんでやって下さい。ドライビングシミュレーターでの勝負を提案したのは、わたくしの方なのですから」
快活に笑ったあと、エリックさんはひっそりと呟いた。
――10周もの長距離で勝負しようとおっしゃったのは、ご主人ですが。
エリックさんの小さな呟きは、幸い母さんには聞こえなかったようだ。
「さて。NSDー125ジュニアに参戦しているチームメンバーの、主だった顔ぶれは揃ったようですな」
――エリックさん!
主だった顔ぶれは揃ったって言いましたけど、総監督のドーン・ドッケンハイムさんがいません!
息子のジョージ!
君がドーンさんを、思い出してやらないでどうする?
「今日は皆さんに、お話したいことがあるのです。……来季の資金援助について」
き――きた!
聞きたくない。
聞きたくないけど、聞かなきゃいけない話題だ。
や――やっぱり減額かなぁ?
仕方ないよな。
俺はK2ー100クラスで一昨年、その前年とチャンピオンを獲ってきた。
なのにもっとお金の掛かるNSDー125ジュニアにステップアップした途端、全国選手権でのランキングは8位。
中央地区選手権でも、7位だもんなぁ。
そりゃエリックさんも「YAS研」の役員さん達も、去年と同じ額の援助は難しいって言うだろう。
「……皆さん。このゲーム画面に、注目して下さい」
エリックさんはハンドル型コントローラーに付いているボタンを操作し、「レーサーXX」の画面をオンラインレースモードへと切り替える。
ラウネスネット――地球でいうインターネットのようなものを介して、世界中のプレイヤーとレースができるモードだ。
「この『レーサーXX』というドライビングシミュレーターには、レーシングカートも収録されていることはご存じですね?」
エリックさんの言葉に、黙って頷く俺達。
もちろん、知っていますとも。
俺が一昨年まで乗っていたK2ー100クラスのカートも、去年乗ったNSD-125クラスのカートも収録されているって。
エンジンが統一規則じゃなくなるスーパーカートでは、タカサキやレイヴン等各社のエンジンごとに別車種として収録している徹底ぶり。
しかもこのマリーノ国を中心に、世界各国の主要なカートコースも網羅している。
この世界にドライビングシミュレーター系のゲームは数あれど、ここまで国内カートが充実したゲームは他にないだろう。
ここにゲーム機やハンドルコントローラー、バケットシートが設置してあるのは、工場を閉めたあと俺がトレーニングに使っているからだ。
たかがゲームと、馬鹿にするなかれ。
地球でもドライビングシミュレーターゲームのアカデミーから、プロのレーシングドライバーを輩出していたりする。
練習走行するだけでものすごくお金の掛かるモータースポーツでは、こういったシミュレーターでの訓練も有効なんだ。
マシンを限界域でコントロールする感覚を、鈍らせないよう維持するために。
「ランディ君は、知っていますか? K2ー100クラスの世界一を決める大会が、このゲームの中では存在していることを。現実世界では、参戦コスト等の問題から開催されていませんが」
「一応は、知っていますよ」
一応どころか、よく知っている。
一昨年。
この「レーサーXX」をプレイするための道具一式が我が家に設置された直後、俺はそのオンライン対戦K2ー100世界大会に出場しているんだ。
その予選でブレイズの野郎に負けて、悔しい思いをしていた。
オンライン世界大会では、国や地域、年齢は関係なく、ランダムにグループ分けをされての予選レース。
そこで偶然にも、ブレイズと同じグループになってしまったんだ。
グループ内では俺とブレイズだけが飛び抜けて速く、2人だけのマッチレースになった。
接戦の末に俺は負けて、めちゃめちゃ悔しい思いをしている。
いずれブレイズの野郎には、実車で借りを返してやるぜ。
中等部になったら乗れるスーパーカートの世界一決定戦、「パラダイスシティGP」でな。
「厳密にいうと子供用車体を使ったK2ー100ではなく、大人用フレームを使ったクラスの大会です。そこで並み居る大人達を蹴散らして、世界一になった子がいるのですよ」
エリックさんは再びコントローラーのボタンを操作し、画面をニュースモードに切り替えた。
『世界大会優勝者のルディ・シェンカー君は、弱冠9歳!!』
センセーショナルな見出しとともに、レースリプレイ動画へのリンクが貼られている。
俺は記事の内容を読んでいく。
その子が今大会で、いかに速かったのかということ。
そして今まで、全くの無名だったことが分かった。
しまったな。
俺もモータースポーツ界の情報収集は心がけているんだけど、この記事はノーチェックだった。
「わたくしが調査したところ、このルディ君はマリーノ国在住。しかもランディ君と同じサウスプリースト基礎学校に、3年生として通っているそうですよ。来年は4年生に上がり、NSD-125ジュニアに乗れますね」
なんてこった――
つまりそれって――
「俺……。来季はクビですか?」
おそるおそる、訊ねてみる。
エリックさんは数秒間、きょとんとしていた。
だけどすぐに表情を崩し、笑い始める。
「はっはっはっ……! チームのエースドライバーをクビにして、どうするというのです?」
ふぅ~!
なんとかクビは繋がったか。
あれ?
それじゃあ、ルディ君の話はいったい?
「このルディ君を、ランディ君のチームメイトにどうかと思いましてね」