ターン43 リアルドライビングシミュレーター
さあ。
いい歳してドライビングシミュレーターゲームに熱くなっている、オッサンと爺さんの戦況を見てみようか。
前を走るドライバーは、ウチの父さんオズワルド・クロウリィ。
対戦相手であるエリック・ギルバートさんの画面には、父さんが選んだマシンの後部が映し出されている。
エグい楔形にデザインされたブレーキランプ。
長い前部、短い後部でいかにもアメ車っぽい。
――おっと。
ラウネスでは、ガンズ車っていうんだ。
北米からの転生者が多いガンズ国家連邦は、文化や車の雰囲気がアメリカっぽい。
そのガンズ車の中でも、スポーティさとマッスルなデザインを両立させた漢の夢といえる車。
それが父さんの愛車である(ただし、ゲームの中だけ)、クワイエット社のスーパースポーツ〈ライオット〉。
8.6ℓ(8600cc)っていう、アホ丸出しの大排気量V型10気筒OHVエンジン。
それを車体前方に搭載し、後輪を駆動するFRレイアウト。
こんな重くて大きなエンジンをフロントに搭載したら、鼻先が重くてしょうがない。
バランスが悪く、まともに走れない車――というのは、初代モデルだけのお話。
この〈ライオット〉はモデルチェンジを繰り返す毎にエンジンの搭載位置が低く、車体中央寄りになってきていた。
いま父さんがシミュレーター内でドライブしている現行型の4代目は、フロントヘビーを感じさせない優れた操縦性を誇るマシンだ。
対するエリックさんのマシンは、丸目4灯ヘッドライトが特徴的なセダン。
いや。
ぱっと見は4ドアのセダンに見えるけど、実は2ドアのクーペだ。
現実世界におけるエリックさんの愛車と同じ、EFF社製。
だけど日常での使いやすさより、サーキットでスポーティに走ることを主眼に開発された別の車種。EFF〈MZ-3〉だ。
エンジンは、2ℓ直列6気筒ツインターボ。
駆動方式は、父さんの〈ライオット〉と同じFR。
ターボチャージャーが2個付いているとはいえ、2ℓクラスの車にしては重量が重い。
だけどそれは、車体が剛性を重視した堅牢な造りになっているからなんだ。
どんなに食い付きのいいタイヤを履いていても、車体剛性が低いと性能を発揮できない。
地球にいた頃は、レース畑以外の人に言っても信じてもらえなかったなぁ。
車っていうのはレーシングスピードで走ると、車体が捩れるものなんだ。
金属製なのにだよ?
その捩れで、タイヤがちゃんと路面に接地しなくなってしまう。
剛性の大切さをよく分かっているEFF社のスポーツカーは、緩衝装置だけでなく車体もカッチリ作ってくる。
車体剛性はエンジン最高出力や車両重量みたいに、数字でわかりやすい性能じゃない。
だからって、手を抜いたりしないんだ。
EFF社のそういう堅実な車づくりが好きなんだと、エリックさんは常日頃から俺達に話していた。
質実剛健。
ハーロイーン国の車は、そういうイメージの車種が多い。
EFF社以外のメーカーが作った車もだ。
そしてそういう性格のハーロイーン車は、エリックさんのドライビングスタイルとよく噛み合う。
最近のエリックさんは、ドライビングシミュレーターをやり込んでいるだけじゃない。
レーシングカートにも、時々乗っている。
俺が乗っているNSD-125のようなバケモノじゃなくて、K2-100のエンジンを大人用の大きな車体に載せた入門用カートだ。
入門用とはいっても、60歳近いじっちゃんには狂暴な性能なんだけど。
実車のカートでもシミュレーターでも、エリックさんは1発の速さがあんまりない。
年齢の割に、鍛えているとは思う。
それでも若手と比べると、反射神経と瞬発力は劣っていると言わざるを得ない。
だけど――
シミュレーターだから、モニター上には様々な情報が表示されている。
タイヤの摩耗度を示すインジケーターも、そのひとつ。
このインジケーターが青だと、冷えていて内圧が上がらない状態。
タイヤの性能は、発揮できない。
温まると緑色になって、タイヤが正常に食いつくようになる。
ここがベストな状態。
そこからさらに走り込んでいくと、徐々に黄色くなっていって性能が落ちる。
最後には、真っ赤になる。
地球のシミュレーターよりリアルなこの「レーサーXX」では、インジケーターが真っ赤な状態で走り続けるとタイヤ破裂を起こしてしまう。
オレンジ色ぐらいでも、急激に負荷を掛けると破裂する。
実車のレーシングカーにはタイヤの内圧センサーはあっても、こんな風に色分けで摩耗状態が分かるインジケーターなんて無い。
だからドライバーは、感覚でタイヤの摩耗状態を把握しなきゃいけない。
ハンドル越しの手応えで、前輪の摩耗状態を――
腰から伝わる感覚で、後輪の摩耗状態を――
それこそ、高性能センサーを超える精度でね。
いま4輪オレンジ色の父さんは、はっきりいって大ピンチだ。
それに比べてエリックさんのタイヤインジケーターは、4輪ともまだ黄色。
少し、余力を残していた。
コレがエリックさんの強み。
タイヤへの負担と、ミスが少ないドライビングをするんだ。
レースの周回数表示をよく見ると、10周も回って決着をつける設定になっていた。
1周4.7kmもあるメイデン・スピードウェイを、10周だって?
この2人の車と腕なら、周回タイムは2分弱。
20分間も集中し続けるなんて、大した漢達だと思う。
特に父さん。
仕事中なのにリアルな距離でのレースをやるなんて、鋼の精神だといっても過言じゃないだろう。
シャーロット母さんに見つかって、怒られるのが怖くはないのかい?
最後の1周。
強靱精神な父さんでも、ドライビングが崩れ始めた。
もう、タイヤがズルズルなんだ。
父さんが駆る〈ライオット〉の後輪には、大排気量エンジンのパワーを受け止めるだけの余力が残されてない。
父さんは繊細なアクセルワークで限られたタイヤのグリップを使い、少しでも車体を前に押し進めようとしている。
実は父さんって、実車でもシミュレーターでも結構速い。
トミー伯父さんと組んでツーリングカーレースをやっていた頃、セットアップとドライバーの感覚を学ぶために自分も時々走っていたんだそうな。
その逆に、伯父さんもある程度マシンの整備はできた。
俺とジョージだって、互いにカートの運転も整備もそれなりにできる。
マシンの技術が高度になってドライバーやメカニック、エンジニアの専門化が進むのは、もっと上のカテゴリーに行ってからの話さ。
まあ父さんが結構速いっていっても、俺の方が速いけどね。
シミュレーターでも、カートでも。
そんな父さんを、エリックさんの〈MZ-3〉が追い詰めていく。
メイデンスピードウェイの第3区間は、登りながら左右に切り返していくレイアウト。
低・中速コーナーから途中で曲率が変わる複合コーナーまで、バリエーション豊かに曲がりくねったテクニカル区間だ。
奥できつく曲がり込んだ左複合コーナーで、アウトから並びかける〈MZ-3〉。
セダンに近い形状と漆黒のボディが醸し出す、落ち着いた大人の走り。
車体を父さんの白い〈ライオット〉に被せて、小さく苦しい旋回を要求する。
父さんの車は、もうタイヤが4輪ともダメだ。
かなりスピードを落とさないと、この左コーナーを回れない。
アクセルを踏むタイミングや量も、相当我慢しないと――
あっ!
父さん大人げない!
エリックさんを外側へと押し出すように、幅寄せしてる!
まあギリギリ当たってないし、このまま1台分スペースを残してやればフェアなバトルの範囲内ではあるけど。
大きく膨らんでくる父さんに対し、エリックさんも応じて外に逃げる。
1台分のスペース――
うーん。
ギリか?
エリックさんのマシン、車体半分縁石の外側まで追いやられてたぞ?
でも、父さんの悪あがきもここまでだ。
いくら有利な内側に陣取っていても、アクセルを踏めなきゃ意味がない。
いや。
踏んでも車が前に進まなきゃ、意味がないというべきか。
ちょっとだけ余計にアクセルを踏み込んだ父さんを、〈ライオット〉の後輪は許容しなかった。
わずかに空転。
その間にエリックさんの〈MZ-3〉は、鼻先をするすると差し込んでゆく。
次の右コーナーのブレーキングでは、完全に車体が前に出ていた。
エリックさんは義手である左手だけで、ハンドルを操作。
生身の右手でシフトレバーを動かし、シフトアップしていく。
昔のF1ドライバーがやっていた、見事な片手運転だ。
なんで「昔」のかっていうと、俺が死んだ頃のF1はもうセミATになっていた。
ハンドルから手を放さずに、パドルでポチポチと変速できるんだ。
まるで、ゲームみたいでしょ?
実はこの「レーサーXX」のハンドルコントローラーにも、パドルが付いていた。
そっちで変速操作もできるんだけど、エリックさんはレバーでの変速に拘る。
たぶん左手の筋電義手の操作訓練と、ツーリングカーレースでシフトレバーを操作するのを想定した練習なんだろう。
そう。
最近エリックさんは、ツーリングカーレースに出たがっている。
時々カートに乗るのも、こうやってシミュレーターで練習するのもそのための準備だ。
俺と出会った頃は、「ドライバーとしての参加は諦めました」なんて言っていたのになぁ。
カートで走っている俺の姿を見て、また火がついてしまったらしい。
俺が自動車の運転免許と競技者ライセンスが取れる年齢になったら、コンビを組んでツーリングカーの耐久レースに出たいと。
本当は俺が生まれる前に、伯父さんと果たされるはずだった約束。
エリックさんは今でもその夢を実現するために、自分のドライビングテクニックを磨いているんだ。
俺も頑張らないと。
せっかくエリックさんが資金援助してくれたのに、去年は大した成績が残せず申し訳なかったな。
そんなことを考えている間に、エリックさんの〈MZ-3〉は最終コーナーを立ち上がっていた。
ホーム直線へと、帰ってくる。
リードは3車身ぐらい。
父さんの〈ライオット〉は直線で8.6ℓエンジンのパワーを解放し、追い縋る。
一方のエリックさんが駆るEFF〈MZ-3〉も、排気量は小さいけどツインターボエンジン。
2ℓとしては異例の350馬力を絞り出していた。
図太い排気音の中で微かに甲高いタービンの過給音を響かせながら、漆黒の2ドアクーペが逃げる。
さあ。
もういちど〈ライオット〉が、〈MZ-3〉に迫るぞ!
先にフィニッシュラインを越えるのは、どっちだ!?
〈ライオット〉とは倍のパワー差があっても、最終コーナーを立ち上がったスピードは圧倒的に〈MZ-3〉が上だった。
ハンドルコントローラーから片手を離し、老紳士は生身の人差し指を天井に向ける。
――勝者! エリック・ギルバート!