ターン41 モータースポーツは資金力
「シルバードリル(笑)」が去った後のピットで、ケイトさんは顎に手を当て不安げにぼやいていた。
「さて……。マリーちゃんは蹂躙とか言うとったけど、具体的にはどんな戦法を仕掛けてくるんやろうか?」
すぐに予想を立て、口にしたのはジョージだ。
「おそらく、資金力にモノをいわせての物量戦でしょう。クリス、キース、グレン以外にも、もう1人ぐらいドライバーがいそうです。クリスのチームメイトだった、イングヴェイ・インペリテリとか」
「4対1かあ~。コース上で囲まれたら、しんどいよね」
頭が痛くなった俺は、ため息をつきながらこめかみを押さえた。
「あと考えられるのは、毎レース新品のエンジンと車体を投入してくるとかだね」
「ええっ!? そこまでやるん!?」
俺の予想に、ケイトさんが驚くのも無理はない。
勝ちを捨てているドライバーじゃなければ、当然みんなタイヤは新品を履いてくる。
だけどエンジンや車体まで毎レース新品を投入してくるなんて、いったいどれだけお金がかかることやら。
俺が毎年新品エンジンと車体を投入してもらっているのでさえ、贅沢なことなんだ。
カートは乗用車やフォーミュラカーみたいな、緩衝装置を持たない。
代わりに車体がしなって路面からの衝撃を吸収したり、タイヤを地面に押し付けたりする。
古い車体は、そのしなりを失っていく。
操縦性が、徐々に落ちちゃうんだ。
だから相手に毎レース新品のエンジンや車体を投入されたら、マシン戦闘力の面ではかなり差をつけられてしまう。
厳しい戦いになりそうだ。
「まあレースの勝敗は、資金力やマシンの戦闘力だけで決まるわけではありませんからね」
眼鏡のブリッジを、指でクイッと押し上げるジョージ。
レンズが日光を反射して、白く輝いた。
「ほんま。RTヘリオンはドライバーの戦闘力なら、国内でも1番やねんから」
俺を持ち上げるケイトさん。
彼女の肩に止まっていた眠り梟のショウヤも、「その通りだ」と言いたげに瞼を開いた。
その直後、再び眠ってしまったんだけど。
「ウチのお兄ちゃんは、世界一速いんだから!」
世界一可愛い妹、ヴィオレッタよ。
それはさすがに、持ち上げすぎだ。
1発の速さなら、同じ転生レーサーのクリス・インペリテリもかなり俺に近い。
ブレイズ・ルーレイロだって、今度コース上で出会ったら勝てるかどうかわからない。
今は戦う機会がないけど、いずれは大人達ともコース上で戦って勝たなきゃいけない。
ブレイズの親父で、元F1ワールドチャンピオン。
神のスロットル操作、音速の貴公子アクセル・ルーレイロ。
米国最高の人気を誇るNASCARで、何回もチャンピオンに輝いた英雄。
攻撃的な走りがウリのデイヴ・アグレス。
ウルトラスムーズなドライビングと、優れた頭脳。
地球では事故で負った大やけどを克服し、復活した不死鳥ラムダ・フェニックス。
地球の世界ラリー選手権で勝利を挙げ、ラウネスに来てからもラリーで世界チャンピオンに。
そしてサーキットレースでも活躍する、ウォーレン・ヘンドリックス。
みんな地球からやってきた、転生レーサー。
俺の最終目標、「ユグドラシル24時間耐久レース」を制した男達。
「まだこの世界には、俺よりずっと速いドライバー達がゴロゴロしているんだ。……いいね。そういう連中を追いかけて、追い越しする。……考えるだけで、ワクワクするよ」
「謙虚なのか自信家なのか、よく分からない発言ね。まずは今日のレースシミュレーションで、勝てるタイムを出しなさい」
「OK、母さん。……いや、監督。まずは目の前の仕事に、集中するだけさ」
母さんにそう答えてから、俺はヘルメットをかぶる。
あごひもを締めながらピットの中を見渡すと、なにやらいじけている筋肉ダルマなオッサンを発見した。
水色の髪と短い角を持つ、ドワーフ族のオッサンだ。
「ワシが総監督なのに、最近ちょっと影が薄い気がする……」
あ、ドーンさん。
気にしてたのね。
ジョージ。
自分の親父さんに、「あれ、いたの?」って視線を向けるのはやめて差し上げろ。
いたたまれなくなった俺はさっさとマシンのシートに跨り、逃げるようにピットを後にした。
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■□3人称視点■□
樹神暦2627年11月
全国選手権最終戦
NSD-125ジュニアクラス決勝レース
マリーノ国の国土面積は、地球にある日本国の3分の2ほどしかない。
それでも全国に点在するカートコースの数は、日本よりも多い。
モータースポーツが絶大な人気を誇る、異世界ラウネスならではのサーキット密度である。
それでいて客の取り合いにならず経営が成り立つのだから、いかにカートの競技人口が多いか分かるというものだ。
ここは全国選手権が行われるカートコースの中でも、最も南に位置する舞台。
マッコーリオートスポーツランド。
星の北半球に位置するマリーノ国では、南に行くほど温暖な気候になる。
海沿いにあるこのコースでは、回り込むコーナーの内側にヤシの木が生えていたりする。
コースレイアウトは、曲がりくねる路面と狭い道幅で有名。
年間7つのサーキットを転戦する全国選手権の中では、比較的直線が短いコースだ。
それでも毎分17000回転まで回る怪物125ccエンジンは、たやすく120km/hオーバーの世界へと誘う。
年端もいかない少年・少女達が乗ったマシンを。
いや。
彼らは年若くても、レーシングドライバー。
誘われるのではなく、自らの意思でアクセルペダルを踏み込んでいた。
回転数を上げるエンジンをさらに煽り立て、勝利を目指し突撃する。
排気音という名の、鬨の声を響かせながら。
サインエリアからレースの様子を見守るケイト・イガラシは、大気を震わせて目の前を通過するNSD-125ジュニアクラスのマシンにたじろいだ。
このクラスのマシンを現場で見るのは、もう7戦目だというのに。
マシンの速さだけに、たじろいだわけではない。
自チームのドライバーが放つ、炎のような闘争心にあてられたのだ。
ホームストレートを流れる、銀色の流星群。
そこに混じって、黒い暴風が一条だけ吹き抜ける。
ランディが駆る、RTヘリオンのマシンだ。
「ジョージ君。ランディ君はまだ、レースを諦めてへんな。……それにしてもマリーお嬢様は、とんでもないことを仕掛けてきたもんやね」
「物量戦は予想していましたが、ここまでスケールが大きいとは……。来年から、競技規則が変更されるのは間違いありませんね。1チームからの参加台数に、制限が掛かることでしょう」
マリー・ルイス監督率いる新興チーム、「シルバー・ドリル」。
新興とはいっても、母体になったのは名門「レーシングトルーパーズ」だ。
マリー嬢が、チームごと買収したのである。
彼女達は非常識な資金力にものをいわせ、これまた非常識な作戦で全国選手権を席巻した。
1チームからの参加台数を制限する規則がないことに目を付けた彼女達は、正気の沙汰とは思えない台数をエントリーさせてきたのだ。
その数、実に10台。
「年間の費用は、総額でいくら掛かっているのかしら? おかげでウチの息子は今シーズン、予選も決勝も全部まともに走れていないわ」
RTヘリオンの監督シャーロット・クロウリィは、ため息をつきながらコースを駆ける息子のマシンを見つめる。
ランディは今も前後と右サイドを銀色カウルのマシンに抑えられ、思うように走れていない。
このコースの1コーナーは、少しだけブレーキングが必要な高速の左コーナー。
そこで敵チームに内側を取られないように、ランディは最終コーナーを内側から離れないで立ち上がってきている。
これにより1コーナーで幅寄せされ、外側に押しやられる危険はなくなった。
その代わり窮屈な走行ラインでの旋回を強いられたため、直線スピードは伸びていない。
「あ……! 後ろの犬っころ……グレンが、スリップに入った。お兄ちゃん、抜かれちゃう!」
ヴィオレッタ・クロウリィが、悔しそうに叫ぶ。
銀のマシンに、青いヘルメット。
昨年まではランディのチームメイトだった、犬獣人の少年グレン・ダウニング。
彼がランディのすぐ背後まで、迫ってきていたのだ。
最終コーナーで、ランディの立ち上がりが苦しかったこと。
ランディの前を走っていたキース・ティプトンが、わざとアクセルオンを遅らせたこと。
そして1年間エンジンを 分解整備しながら戦ってきたランディに対し、グレンのエンジンはレース直前におろした新品であったこと。
それらの要因が絡み合い、ランディとグレンの直線速度差は決定的なものになった。
通常であれば、前走車を風よけにするスリップストリームを使い車速を伸ばす。
さらにブレーキングのタイミングを遅らせて、ようやく追い越しは成立するものだ。
しかしグレンは、ブレーキング開始よりも遥かに手前でランディのマシンに並びかけた。
そのままスルスルと、前に出ていく。
グレンは「ちょいとごめんよ」と言わんばかりに、ランディのマシン前方に割り込んだ。
ここまでが、減速開始地点手前での出来事。
いかにランディが同世代より優れた運転技術を持っていても、抵抗のしようがない順位低下であった。
「きっとヘルメットの中で、『クソッタレ!』とか叫んでいますね」
ジョージ・ドッケンハイムは、表情を崩さなかった。
しかし手掛けたマシンが直線であっさり抜かれるなど、メカニックにとって屈辱以外の何物でもない。
本当に「クソッタレ!」と叫びたいのは、ジョージ自身だった。
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ランドール・クロウリィはさらに順位をひとつ落として、6位で2627年最終戦を終えた。
この年、彼の全国選手権でのドライバーズランキングは年間8位。
同時に参戦していた、中央地域選手権での年間ランキングは7位。
両シリーズとも年間王者の栄光は、「シルバードリル」のエースであるクリス・マルムスティーンが手にした。
クリス以外にも、キース・ティプトンやグレン・ダウニング等の有力ドライバーを10人も送り込んだ「シルバードリル」。
彼らは、チーム全体で獲得したポイントも凄まじい。
2位以下に圧倒的な差をつけて、チームタイトルを獲得した。
RTヘリオンはドライバーが1人しかいなかったので、ポイントは全てランディに依存。
チームランキングは15位と、低迷した。
大人顔負けの技術と戦略、そして溢れる才能を武器に、マリーノ国最速を目指した少年・少女達。
お金という強大な力の前に、彼らは完全に敗北した。