ターン40 素晴らしきエントラント名
「ううっ、ランディ……。汚れてしまった俺達を、見ないでくれぃ」
「ごめん、ランディ。僕達の親、ルイスグループ関連企業で働いているから……」
蝶々仮面を着けたまま、妙ちくりんなポーズを取らされている少年達――キース先輩とグレン先輩。
2人はメイドっぽい服装のレースクィーンさん(これまた蝶々仮面装着)から、パラソルをさしてもらっている。
でも、嬉しくなさそうだ。
変態の仲間入りをさせられて、恥辱に悶え苦しんでいる。
彼らのさらに後方へと、俺は視線を向けた。
ウチの総監督であるドーンさんと、来季からNSD-125ジュニアクラスを監督する予定だったシャーロット母さん。
その2人に向かって、ペコペコと頭を下げている男女の姿が見える。
キース先輩のお父さんと、グレン先輩のお母さんだ。
「なるほどね。大人の事情ってヤツか」
俺はマリー・ルイス嬢を、じろりと睨む。
「あら? ワタクシ何か、悪いことをしまして? たまたまウチのグループ関連企業の従業員に、優秀なドライバー達の親がいただけですわよ? 『息子さん達、来季はウチで走りません?』と声を掛けたら、快く移籍を承諾して下さいましたの」
いやいや。
自分が勤めている会社の上層部から圧力を掛けられたら、そりゃあ断れないでしょ。
「シーズン開始直前に、ドライバーを引き抜かれるのは迷惑だよ。こっちだって、スポンサーとの契約とかがあるんだ」
そう。
スポンサーのエリック・ギルバートさんには、今年ウチのチームからNSD-125ジュニアに出るのは3台だと伝えてある。
広告塔が2台減るのは、契約違反なのかもしれない。
「違約金が必要でしたら、ワタクシが肩代わりしてもよろしくってよ。おーっほっほっほっほっ!」
「そう? それじゃあ、よろしく」
「えっ? あの? 本当に、違約金が発生するんですの?」
実際のところ、どうだろ?
エリックさんも違約金払えとまでは、言ってこないんじゃないかな?
しょせんは子供のクラスだし、俺達はまだプロドライバーってわけじゃないしね。
ふっふっふっ。
それでもエリックさんにゴネていただき、マリーさんから違約金をふんだくってもらおう。
まずは、資金面でダメージを与えるんだ。
新米監督さん。
レースはもう、始まってるんだよ?
「ま……まあ違約金ぐらい、大したことはありませんわ。ルイスグループの資金力は、そちらのメインスポンサーである『YAS研』とは比べ物になりませんわよ」
「じゃあ違約金の件は、全然大丈夫だね? キース先輩とグレン先輩、2人合せて2000万モジャでいいよ」
絶句するマリーさんの背後で、キース先輩とグレン先輩がヒソヒソと囁き合っていた。
「なあ、グレン。なんか俺達、金で売られているような気分にならないか?」
「そうだね、キース。そもそもランディに、そこまでスポンサーさんと交渉する権限はないよね?」
ええい。
余計なことは言うなよ、もふもふ先輩コンビ。
「フフフ……。ランディ様。こちらのチームに移籍してきたければ、貴方もきて良いのですよ?」
マリー・ルイス監督は挑発的な笑みを浮かべ、俺を勧誘してきた。
――だが断る!
おととい校舎裏で会った時、マリーさんは俺をプロのドライバーにはさせないと言っていた。
いくら今現在の条件が良くても、将来トップカテゴリーへの道が閉ざされるというのなら論外だ。
そんな移籍はできない。
「ウチのお兄ちゃんが、あなたみたいな腹黒ドリルのチームに行くわけないでしょう!?」
あっ!
俺が答えるより先に、ヴィオレッタが断っちゃった。
「おほほほほほほ……。その強気な態度が、いつまで続くものかしら? 泣いて謝っても、許してあげませんわよ? 来シーズン、あなた達は絶望に打ちのめされることでしょう」
「ずいぶんと、自信があるんだね。確かに俺は、NSD-125ジュニアクラスで走るのは来季が初めてだ。だけどチームはもう何年も出場して、経験と実績を積んでいる。キース先輩とグレン先輩がいなくなっても、データは豊富に残っているんだよ? 新参チームのそちらさんが、いきなり太刀打ちできると思っているのかい?」
俺の言葉に対して、マリーさんはニヤリと口角を吊り上げた。
腹黒ドリルと言われても仕方がない、悪そうな面構えだ。
「クリス・マルムスティーン……」
彼女の口から出たドライバーの名前に、思わず俺の眉毛がピクリと動いてしまった。
クリス・マルムスティーンは、俺と同じ転生者。
優れたマシンコントロールの技術を持つ、中央地域で最強のライバル。
おととしもK2-100クラスのタイトルを巡って、チャンピオン争いをした相手だ。
俺より学年が1個上だから、ひと足先にNSD-125ジュニアへとステップアップしていなくなってしまった。
おかげさまで、去年は楽にK2-100の年間王者を取らせていただきましたよ。
「へえ……。クリス君も、引き抜いたのか……。もふもふ達に、中身がオッサンの体力無し転生者。……あんまり負ける気がしないね」
これははったり。
正直、キツい戦いが予想される。
俺と同じ転生レーサーのクリスは、体力無いっていってもテクニックは確かだ。
もふもふコンビは獣人ならではの高い身体能力と、俺仕込みのドライビングテクニックがある。
もふもふが移籍すると分かっていたら、地球で培った技術をあんなに教えなかったのに――
「なあグレン。ランディの奴、移籍すると分かってから俺達の扱いが雑じゃないか? もふもふ達って言ったぞ?」
「そうだね、キース。もう敵扱いされていて、ちょっと悲しいよね。せめて、『もふもふ先輩』と呼んで欲しいよね」
「キース君、グレン君。君たちのことは、忘れないよ」
サラリと流した俺の言葉に、ジョージとケイトさんも続く
「そうですね。時々セットアップシートを見て、2人のことを思い出しましょう。……あ。ちなみに絶対シートをあげたり、コピーを取らせたりはしませんから」
「2人の走行データは、ウチのノートパソコンにしっかり入っとるからそのつもりでおってな。貴重なデータを残してくれて、おおきに。活用させてもらうで」
ウチのチームの連中、ドライだな――
「なあグレン。ジョージやランディがドライなのは知ってたけど、ケイトさんまで冷たいよな」
「そうだね、キース。きっと2年間で、あの2人の悪影響を受けたんだね」
「とにかく今さらマリーさんに抗議しても、2人ともRTヘリオンには戻ってこれないんだろう? だったらもう、何も言うことはないよ。シート喪失だったら可哀想だけど、マリーさんのところではいい待遇で乗せてもらえるんでしょ? だったら『来年もお互い、いいレースをしましょう』って言って、笑顔で送り出すだけだよ」
「そうそう! その来季の待遇なんだけどな、聞いて驚くなよ? なんと……むぐぐぐっ!」
ちっ! 惜しい。
もう少しでお調子者のキース君が、情報を漏らしてくれそうだったのに。
メイドレースクイーンが、背後から手の平でキース君の口をふさいでしまった。
もがいたキース君はそのまま抱き着かれて、動きを拘束される。
後頭部をメイドレースクィーンさんの年齢不相応な胸の谷間に挟まれて、何だか幸せそうなツラをしているな。
「キース様。開幕までは、黙っていて下さいね。学年が上がって、4月の第2週。全国ジュニア選手権の第1戦。そこであなた方RTヘリオンは、ワタクシ達のチーム『シルバーデビル』に蹂躙されることになるのです。せいぜい首を洗って……何です? キンバリー?」
メイドレースクィーンが、「お嬢様、お嬢様」と主の台詞を遮った。
「チーム名が違いますよ。私達のチーム名は、『シルバードリル』です」
「……は?」
「ですから私達のチーム名は、シルバー『デビル』ではなくて『ドリル』です。お嬢様も、参加用紙を確認なさったではありませんか」
沈黙が、辺りを支配する。
しばらくして、甲高い2ストロークエンジンの排気音がホーム直線を駆け抜けていった。
重苦しい雰囲気を、引き裂くように。
どこのチームのだかわからないそのマシンが通り過ぎてしまうと、再び気まずい沈黙が降りてくる。
――だ、ダメだ!
これはズルいだろう!?
俺は演技が苦手なんだ。
これ以上笑いを堪えるなんて、もう無理。
見ろよ、あのクールなジョージまで、口元を手で押さえて震えているじゃないか。
「な……なんということでしょう! すぐにエントリーするチーム名の変更を……」
「それは可能ですが、既にマシンやシャツ、ジャンパーのロゴ等は、『シルバードリル』として製作を開始してしまいました。残念ながらもう、そちらは手遅れです」
――限界突破。
俺とケイトさんが、噴き出した。
ジョージはまだ粘る。
顔が真っ赤じゃないか。
あんまり我慢は良くないぜ。
妹のヴィオレッタは、笑っていなかった。
冷ややかな紫紺の瞳でマリーさんの銀髪ドリルを見つめながら、「ピッタリな名前じゃない」と皮肉っぽく言い放つ。
マリー・ルイス嬢は怒りのあまり、顔面を紅潮させてプルプルと震えていた。
笑いと怒り。
堪えているものは全然違うのに、今のジョージとマリーさんの有様はそっくりだ。
そんな主人の様子を見ながら、キンバリーと呼ばれたメイドさんが僅かに唇を歪めたのを俺は見逃さなかった。
執事のベッテルが浮かべる、「やれやれ」といった感じの呆れ顔を見るに間違いない。
キンバリーさんは、ドSなんだろう。
羞恥と怒りを我慢しているマリーさんを見て、妙に恍惚とした笑顔を浮かべていた。
つまり――
この変態メイド、わざとチーム名を間違えやがった。