ターン4 異世界の自動車ってやつは
樹神歴2620年、1月。
異世界の暦は、1年が12カ月。
ひと月が全て30日と、非常に分かりやすい。
俺が暮らすマリーノ国は、緯度や経度が地球の日本国に酷似していて四季がある。
今、季節は冬だ。
俺がこの世界に転生して、3回目の冬となる。
ストーブも点いていない、クロウリィ・モータースの整備工場内。
ヨレヨレのフリースを着込んだ俺は白い息を吐きながら、父オズワルド・クロウリィの作業を眺めていた。
これもレーシングドライバーとしての、勉強の一環だ。
地球とラウネスの自動車の違いを、見極めないといけない。
幸い今のところ、大幅な違いは感じられない。
異世界だから動力源が魔法だとか、なんちゃらリアクターだとかいうことはなかった。
ちゃんとガソリンで動く、レシプロエンジンだ。
サスペンション関係も、馴染みのある地球のものとほぼ同じだ。
ショックアブソーバーや、スプリングは変わらない。
アーム類が、見たことないレイアウトの車があったりするけど。
使われている素材も、地球と同じ。
高張力鋼板に鋳鉄。
アルミニウム合金。
ABS樹脂。
一部の高級車には、カーボンファイバーといったところ。
異世界金属のお約束、オリハルコンだのミスリルだのが使われているなんてこともない。
こうも地球の自動車に酷似しているのには、理由がある。
250年前から現れ始めた地球からの転生者達によって、自動車技術がこの世界に伝わったらしい。
そう。
地球からの転生者って、前例がいっぱいある。
俺だけじゃないんだ。
最初に生み出された自動車は、一応ラウネス人の発明だったらしい。
だけど地球からの技術流入を受けて、爆発的に進化した。
おかげで一部の技術においては、地球を追い越してしまっている。
通電させると変形する、形状記憶合金。
カーボンコンポジット素材よりも軽い、ホロウメタル。
そういった、SFチックな技術が存在している。
父さんの持つレース雑誌に、これらの技術が書いてあった。
とてつもなく高価な技術や素材だから、市販の自動車には使われていない。
使われているのは、超の字がつくほど高級なスーパーカー。
あるいは、速く走るためには金に糸目をつけないレーシングカーぐらいのもんだ。
「ランディ。オフセットレンチの14を取ってくれ」
「はい、父さん」
父さんは寝板を使って、セダン車の下に潜り込んでいた。
その体勢からメカニックグローブを着けた手をニュッと伸ばし、工具をくれとアピールする。
俺は父さんの作業を見ながら、ある程度使う工具を予測していた。
1秒と待たせずに、レンチを手渡してやる。
「おっ、早いな。助かるぞ」
最初は3歳児が工場内に入ることにも、難色を示していた父さん。
危険がいっぱいあるからね。
だけど今は、完全に俺をアシスタント扱いだ。
幼児が工具の種類を把握していることに、疑問を感じないんだろうか?
工具を渡してすぐ、父さんはチャチャっと作業を終わらせた。
寝板をスライドさせて、車の下から出てくる。
俺は地球にいた頃、何人ものレースメカニックの作業を見てきた。
レーシングカーと市販の乗用車では、整備のやり方も違うんだろう。
それでも、ハッキリ分かる。
父さんは、腕のいいメカニックだ。
作業はとても手際が良く、速い。
工具や部品はいつも綺麗に整理整頓されているし、着ている作業着が汚れていることもほとんどない。
「ん? どうした? じっと見つめたりして?」
「いや……。仕事している父さんは、カッコイイなと思って」
本当に、そう思っているのもある。
だけど、別の思惑もあった。
父さんを調子に乗せて、仕事を頑張ってもらおうというね。
息子からこう言われて、嬉しくない父親なんていないだろう。
ところが――だ。
「うっ……くっ……馬鹿野郎。いきなりそんなこと、言うんじゃねぇ。涙が溢れて、仕事にならねえよ」
作戦は、裏目に出てしまった。
まさか嬉しさのあまり、張り切るのを通り越して泣き出すなんて――
涙脆いにも、程があるよ父さん。
俺は工具の次に、箱入りティッシュペーパーを父さんに差し出す。
「ズビーッ! ……ランディは賢いし、車も好きみたいだな。お前がこの工場を継いでくれるなら、俺は安心だよ」
豪快にティッシュで鼻をかみながら、父さんはそんなことを言ってくる。
それって3歳の息子に話すには、ちょっと気が早過ぎない?
父さんには悪いけど、俺が目指すのはプロレーシングドライバーだ。
「うん、車は大好き」
こういう答え方をするのが、無難だろう。
ただ俺が「整備工場の跡を継がない」、「レーシングドライバーを目指す」と宣言しても、父さんは喜んでくれるかもしれない。
父さんは、大のモータースポーツファンだったりする。
仕事の時に着ているツナギは、色んなレーシングチームのヤツだ。
レーシングカーの技術解説本やレーサーの自伝、モータースポーツ雑誌なんかも大量に蔵書している。
俺はよくその本を、読ませてもらっていた。
写真を眺めて楽しんでいるだけで、内容までは理解していないと思われているみたいだけどね。
なんせ、3歳児だから。
「そういえばよ、ランディ。もう、この本は見たか? かっこいいレーシングカーの写真が、いっぱい載ってるぞ」
父さんが差し出してたのは、地球の規格でいうなら新書サイズの本。
タイトルには、「アクセル・ルーレイロ音速伝説」と書いてあった。
こういう本のタイトルって、やたらオーバーだったりするよね。
表紙に載っている写真は、赤いレーシングスーツを身に纏った赤髪のエルフ族ドライバー。
これが、タイトルのアクセル・ルーレイロ氏に違いない。
「……え?」
俺は表紙のルーレイロ氏と、目が合ったような気がした。
穏やかな、緑色の眼差し――
俺はこの人を、知っている気がする。
「父さん、この本借りてもいい?」
「ああ。手伝いはもういいから、リビングに行ってゆっくり見るといい」
工場を出た俺は、狭い階段を2段飛ばしで駆け上り居住区へ。
リビングに入ると、古いソファに飛び乗り腰を下ろす。
すぐテーブルの上に、本を広げた。
アクセル・ルーレイロ。
昨年、「ユグドラシル24時間耐久レース」を制したドライバー。
「ユグドラシル24時間」は、この世界の最高峰レースだ。
ユグドラシル制覇時のルーレイロは、海外の自動車メーカーと契約していた。
だけど今年は、移籍している。
俺が住むマリーノ国の自動車メーカー、レイヴンのドライバーになっていた。
ルーレイロは、前世の記憶を持つ転生者。
地球にいた頃の彼は、異世界地球最速のレースカテゴリーであるF1のドライバーだった。
しかも、世界王者に3回も輝いている。
そしてレース中の事故で命を落とし、この世界へと転生したと本には書かれていた。
「名前は……? 地球にいた頃の名前は、分からないのか?」
前世の名前が本に記載されていないか、俺はページを高速でめくりながら必死で目を走らせた。
だけど残念ながら、見つけることはできなかった。
たぶんアクセル・ルーレイロは、生前の名前を憶えていないんだろう。
なぜなら、俺もそうだから。
自分の名前はもとより、地球での両親。
兄の名前。
レースで競い合った、ライバル達。
誰ひとり、名前が思い出せない。
そのことが寂しくて、悔しい。
他の転生者達も、きっと同じような思いをしているんだろうな。
アクセル・ルーレイロはたぶん、俺が地球にいた頃ずっと憧れていたF1ドライバーの彼に違いない。
名前が思い出せないのがもどかしいけど、彼がこっちに来ていると思うと血が滾る。
本に記載されているプロフィールによると、ルーレイロは今年で25歳。
俺が20歳になった時、彼は42歳だ。
レースの種類にもよるけど、まだ現役かな?
燃えてきたぞ!
地球じゃ俺が生まれる前に亡くなってしまっていたけど、こっちの世界なら同じレースで競い合えるかもしれないんだ!
テンションが上死点を突破した俺は、思わず誰もいないリビングでスクワットを始めてしまった。
いやいや。
母さんに見られたら、また止められるぞ?
落ち着けよ、俺。
深呼吸をした後、俺は再びソファの上に戻る。
心を落ち着けてから、本の続きを読み始めた。
「ん? ルーレイロの転生過程って、俺とはちょっと違うな」
ルーレイロはF1でのレース中、200km/hを超える速度でコンクリートバリアに激突。
意識を失う。
次に目を覚ました時、彼は深い森の中にいた。
周りには、空がほとんど見えない程に生い茂った木々。
そして淡い光を放つ、不思議な苔。
蛍のように飛び交う光に導かれ、歩き着いた場所。
そこは天を貫かんばかりに巨大な、大樹の麓だった。
大樹の麓では、草色の髪をしたトーガ姿の青年が不敵に笑っていた。
トーガ姿の青年は、戸惑うルーレイロにこう告げたそうだ。
「よう、チャンピオン。俺の世界で、走ってみないか? 企業チーム並みの待遇を、約束するぜ」
かくしてF1ワールドチャンピオンは、0歳のエルフとして異世界に生を受けた。
――と、本には書かれている。
「ふ~む、草色の髪をした青年? これって絵本なんかによく出てくる、樹神レナード様なんだろうか? 俺の時は、金髪に白い鎧の女神様だったんだけどな」
俺は本を閉じ、両眼も閉じてしまった。
頭の後ろで手を組み、ソファの背もたれに体重を預ける。
その体勢で、自分が転生した時のことを思い出していた。
実は俺には、前世で死んだ瞬間の記憶というものがない。
気がついた時には、真っ暗な空間を漂っていた。
そこで随分と、長い時間を過ごしたような気がする。
ある時、その真っ暗空間を切り裂くような光が走った。
光とともに女神様が現れて、俺を異世界に転生させるとか言ってきたんだ。
そう言われてなけりゃ、俺は前世で自分が死んだってことを理解できなかっただろうな。
俺はいったい、どんな最期を迎えたんだろう?
せめて、レース中の事故死であって欲しくないと思う。
そんなことになったら、俺の愛するモータースポーツは家族から憎まれてしまうだろう。
世間からのイメージも、悪くなるだろう。
だからレーサーは、死んじゃいけないんだ。
「俺……。地球の家族とは、もう会えないんだな……」
そう声に出して呟くと、急激に寂しさが胸に湧き上がってきた。
何かがポタリと、本の表紙を濡らす。
それが自分の涙だと、しばらくしてから気付かされた。