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ターン38 スロットルオープン、ハートもオープン

■□マリー・ルイス視点(オンボード)■□




 それはワタクシの想像を遥かに超える、強烈な加速でした。




「くっ! このくらい!」




 これでもワタクシ、護身用に空手や柔術を(たしな)んでおります。


 鍛え方には、自信がありました。


 しかしそれを打ち砕くように、加速Gがワタクシの体を押し潰します。


 固いシートへと、全身が縛り付けられました。




 ――舐めんなですわ!




 慣性力ごときが、このマリー・ルイスの自由を奪えると思いまして?


 ワタクシは、歯を食いしばりました。


 後方へと流されそうになる頭を起こして、前方を(にら)みつけます。




 その時、見てしまったのです。


 ハンドル中央のデータロガーに表示される、速度計を。




「速度は……101km/hですって!?」




 それは命の危機を感じさせる、3桁の数字。


 カートという乗り物は、運転手の全身がほぼ剥き出し。


 ゴボゴボと不気味な音を立てながら吹きつけてくる風圧が、知らしめてきます。


 ロガーの表示速度は、決して機械の故障などではないと。




 あまりのスピードに、本能は


「怖い。アクセルを緩めたい」


 と、(うった)えていました。


 でもワタクシはその訴えを、むりやり捻じ伏せます。


 ライセンスを取る時の講習では、


「怖いと感じたら、必ずペースを落とすように」


 と言われていました。


 ですがそんなことをしていたら、いつまでたっても速くなれる気がしませんわ。




 そうです。

 エンジンの音を聴けばわかります。


 他のレーサー達は、最初の緩いカーブにアクセル全開で飛び込んでるではありませんか。


 ワタクシにも、同じことができるはず。




 どぉりゃー! ――ですわ!




 度胸1発!


 ハンドルを切って、ワタクシもカーブに飛び込んでいきます。


 アクセルは、意地でも戻しません。




 するとワタクシの体は、カーブの外側に向かって吹き飛ばされそうになりました。




「く……はっ!」




 全身がシートに押し付けられて、呼吸ができません。


 肺が、ぺしゃんこになってしまったようです。


 頭も外側に振られてしまって、次のカーブの方向を見れません。



 信じられませんわ。


 レーサーという生き物は、本当にこんな車を乗りこなして競技しているというのですか?




 次のカーブは、直角に曲がっています。


 このスピードでは、とても曲がり切れないでしょう。




 ブレーキを――


 ブレーキを踏まないと――




 何とか左足を動かし、ワタクシはスピードを落とそうとしました。




「えっ!?」




 突然、お尻に違和感が走りました。


 同時に景色が、勢いよく真横に流れます。




 遠心力がワタクシの体を引っ掻き回し、何がどうなっているのか分かりません。




 車が()()のように回転しながら、路面を滑ってゆきます。




 ワタクシには、全くコントロールできません。




 怖い。


 いったい何が起こっているの?


 ワタクシは――死ぬの?




 誰か――助けて!




 ようやく、車が独楽のように回転するのは止まりました。


 それでもまだタイヤが芝生の上を横滑りして、ハンドルもブレーキも利きません。




 壁が――積み上げられた、タイヤの壁が迫ってきます。




 もうダメですわ――




 ワタクシは――






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■□ランドール・クロウリィ視点(オンボード)■□




「ああ、もう! 言わんこっちゃない!」




 俺はわざと、コースの外に飛び出した。


 タイヤバリアに激突したマリー・ルイス嬢の(かたわら)へと、マシンを走らせる。


 新車で芝生(グリーン)の上なんて走りたくないけど、今は仕方ない。




「マリーさん!」




 シートから飛び降りて、マリーさんのマシンに駆け寄る。




 右前輪(フロント)からの激突。


 無残にもマシンのフロントカウルは砕け、タイヤは脱落していた。


 去年まで自分が乗っていたマシンだけに、痛ましい気持ちが湧いてくる。




 でもいま気にかけるべきは、車よりもドライバー。




「大丈夫かい? マリーさん?」




 最初に自分のヘルメットのシールド、続けてマリーさんのシールドを押し上げて、顔を覗き込んだ。


 焦点の合わない、グレーの瞳。


 白いを通り越して、青ざめた肌。


 カチカチと細かく打ち鳴らされる歯が、彼女の受けた恐怖を物語っていた。




 仕方ないよな。


 堂々と振舞っているけど、まだ9歳の女の子なんだもん。




「マリーさん!」




 意識を確認するために、今度はちょっと大きい声で呼び掛けた。




「……あっ」




 ゆっくり、ゆっくりと、マリーさんの視線はぎこちなく俺の方を向く。


 ハンドル(ステアリング)から手を離そうとしているけど、握りしめた手が硬直しているみたいだ。


 上手く、指を(ひら)けないでいる。


 こりゃ自力で立ち上がって、マシンから降りるのは無理だな。




「失礼」




 マリーさんにこれ以上の恐怖を与えないよう、俺は両手で彼女の手のひらを包み込んだ。


 そのまま優しく、1本ずつ、マリーさんの指を開いてゆく。




 無事に手がステアリングから離れたところで、俺は彼女を抱き上げた。


 膝の下と腰に手を回して、ヒョイっとね。


 お姫様抱っこだ。


 非常事態だからね。


 セクハラとか、言わないでくれよ。


 俺の筋力が子供離れしているのを差し引いても、彼女の体重は軽い。


 あまりに軽すぎる。


 K2-100クラスのマシンに乗るには、明らかに筋肉量が足りていない。


 人間族(ヒューマン)の子供なら、当たり前の話なんだけど。


 この世界の車両規則(レギュレーション)は、ちょっと安全性を(かろ)んじてないかい?


 低年齢から、速いカテゴリーのマシンに乗れるのはいいんだけどさ。




「マリーさん。もう、大丈夫だから」


 安心させるために、優しい口調を心掛けて話しかける。


 するとマリーさんの瞳に、涙が浮かんだ。




「何でっ……貴方(あなた)は……」


「レース仲間を助けるのは、当たり前だよ」




 レース中なら、ちょっと迷うかもしれないけどね。


 係員(マーシャル)さんに、お任せするかもしれない。


 その方が、安全で確実だし。



 俺の台詞を聞いたマリーさんは、俺の首に回していた手に力を入れた。


 胸に顔を押しつけてくる。


 ヘルメットが当たって痛いんだけど、さすがにそれを口にするほど野暮じゃない。


 きっと、怖かったんだ。


 俺にしがみついて心が(いや)されるなら、存分にしがみついてくれ。


 その代わり、レースを嫌いにならないで欲しい。




 俺は彼女を抱きかかえたまま、コース外へと避難する。




 ちょうど駆けつけてきたベッテルさんに、震えるマリーさんを手渡した。






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■□マリー・ルイス視点(オンボード)■□




 目を閉じられれば、どれだけ心が楽だったことでしょう。


 迫るタイヤバリアを、ワタクシは見つめ続けておりましたの。


 ライセンス講習の時に、


「ぶつかる時には、目を閉じないように」


 と、言われておりましたので。


 ワタクシの体は、それを忠実に守ってしまいました。


 おかげで衝突の瞬間、体に力を入れて踏ん張ることはできました。


 ですから、怪我はしておりません。




 ただ――


 心は完璧に、折られました。


 今まで体験したことのない「死の恐怖」は、ワタクシがただの無力な小娘だということを存分に思い知らせてくれましたの。


 情けないお話ですわ。


 身体が全くいうことを聞かず、微動だにできません。


 視線すら、動かせません。


 もげたタイヤの跡と、割れた樹脂製のカウル。


 そこから目を逸らしたいのに、釘付けになったまま。


 1歩間違えば、ワタクシの体がこうなっていたのかもしれない。


 そう思うと怖くて、息を(あら)らげ震えるばかり。




 お願い。


 誰かこの恐怖の呪縛から、ワタクシを助けて。




「マリーさん!」




 (まが)(まが)しい事故の(つめ)(あと)からワタクシの視線を解き放ってくれたのは、聞き覚えのある男の子の声でした。


 心配そうに私を覗き込む、海のようなブルーの瞳。


 白いヘルメットの下から少しだけ覗く、ふわふわの金髪。


 それが、風にやさしく揺れていました。




 ランディ様――




 親が決めた許嫁(いいなずけ)との苦い思い出など、彼を見たその日から消えて無くなりました。


 正直言って、初めはランディ様の見目(うるわ)しさしか気にしておりませんでしたの。


 お気に入りのアクセサリーや、(おも)(ちゃ)が欲しい。


 その程度の気持ちでした。


 ワタクシの可愛らしさとルイス・グループの財力があれば、どんな殿方でも自分のものにできる。




 でも、この方は違うのです。


 いくらワタクシが欲しいと思っても、簡単にはものになりません。


 昨日は学校でちょっと強引な手に出ようとしましたが、それを完膚なきまでに跳ね返しスタコラと逃げおおせてしまいました。


 2回も地面に叩きつけられたベッテルや、ゴミ捨て場に廃棄されたキンバリーには悪いのですが、ワタクシはとても面白いと思ったのです。


 自分の思うようにならない、ランディ様を。


 ますます彼を、自分のものにしたいと思うようになりました。




 ――とはいえ、殿方へのまともなアプローチ方法など何から始めればいいのかさっぱりです。


 2つ年上のメイドであるキンバリーは、自信満々でワタクシに恋愛成就計画(プラン)を持ってきます。


 ですが彼女はどうやら変態さんのようなので、もうアテにはしません。




 ランディ様の気を引くために、まずはワタクシもレースとやらを始めてみることにしました。




 幸いなことに、マシンはランディ様が去年乗っていたレーシングカートを買い取ってコレクションしてあります。


 はぁ~。

 彼もこんな風に、お金を払うだけで手に入れられれば楽ですのに――


 でもそう簡単にはいかないから、ワタクシはこんなにもランディ様のことが気になるのでしょう。




 今日サーキットで彼に会った時、何故かワタクシは勝負をふっかけてしまいましたの。


 あわわわ。

 そんなつもりでは――


 ワタクシもレースを始めたということを、ランディ様に知っていただきたかっただけで――


 早く彼と同じ景色が見れるように、頑張ろうと思って――


 (した)う心とは裏腹に、生意気な言葉しか吐けない自分の口を呪いました。




 コース上でも、彼の車を探してキョロキョロしていました。




 彼の車が追いついてきた時、ワタクシは自分の技量も考えずアクセルを全開にしてしまったのです。


 ただただワタクシの走る姿を、見てもらいたくて――




 馬鹿みたいですわ。


 ランディ様のことを好きなくせに、突っかかって――


 ひとりで勝手に、舞い上がって――


 しかもそれで、事故を起こすなんて――




 ――絶対嫌われた。


 そう思っていたのに、ランディ様はすぐに駆けつけてくださいました。


 事故を起こした、ワタクシの元へと。


 新しい車の慣らし運転で、忙しそうだったのに。


 係員(マーシャル)に任せても、いい状況だったのに。




 こわばってハンドルから離せなくなったワタクシの手を、ランディ様は両手で優しく開いていってくれました。






 恐怖に閉じてしまったワタクシの心も、(いっ)(しょ)に開くかのように。






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本作にいただいた、イラストやファンアートの置き場
ユグドラFAギャラリー

この主人公、前世ではこちらの作品のラスボスを務めておりました
解放のゴーレム使い~ロボはゴーレムに入りますか?~

世界樹ユグドラシルやレナード神、戦女神リースディースなど本作と若干のリンクがある作品
【聖女はドラゴンスレイヤー】~回復魔法が弱いので教会を追放されましたが、冒険者として成り上がりますのでお構いなく。巨竜を素手でボコれる程度には、腕力に自信がありましてよ? 魔王の番として溺愛されます~

― 新着の感想 ―
[良い点] 「――その代わり、レースを嫌いにならないで欲しい。」 この言葉にレーサーの枠を超えた、レースに対する強い思いを感じました。 本当のファンは同じファンを切り捨てる行動はしないですよね。
[良い点] マリーお嬢様はやらかしましたけど、これはランディもやらかしましたね! 完全に『ドリル・イン』しちゃったじゃないですか(意味不明)
[一言] おおおおぉぉl! マリーぃぃぃぃ!!! 泣いてまいますやん。可愛すぐる。
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