表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

37/195

ターン37 意味不明なサインボード

 俺は彼女に、甘く(ささや)きかけた。




「大丈夫? 痛くはない?」


『うん、大丈夫。でもまだ慣れていないから、優しくしてね。速く動かすと、私壊れちゃう』


「ああ、わかっているさ。ゆっくり動かすから、痛かったら言ってくれ」




 俺は彼女をびっくりさせないよう、慎重に動く。


 すでに彼女の内側は(うるお)っていたけど、無理は禁物だ。


 まだ充分に、馴染んではいない。


 ゆっくりゆっくり、気遣いながら。


 彼女が気持ちよくなる部分を探りつつ、俺は()()に力を込める。




「何だよ? みんな? なんでそんな可愛そうな子を見る目で、俺を見るのさ?」




 俺とエンジン(彼女)の大事な初めての時間。


 甘美な(むつみ)(ごと)タイムに水を差す冷たい視線が、コンクリートウォールの向こうから飛んできた。


 シャーロット母さん。


 妹のヴィオレッタ。


 メカニックのジョージ。


 ――あ、あれ?


 ひょっとして君達、走行中ヘルメットの中で(つぶや)いてる俺の独り言が聞こえてたりする?


 まさかね。




 ケイトさんだけは、真剣な目をして耳に手を添えている。


 メインストレートを駆け抜ける俺のエンジン音を、注意深く聴いていた。


 やだな~、ケイトさん。


 慣らし中のエンジンちゃんを、オーバー回転数(レブ)させるようなヘマはしないってば。


 いかんいかん。

 エンジンちゃんが刺激的過ぎて、ついつい煩悩が駄々洩れになっていたかな?


 やっぱ、水冷リードバルブの125ccエンジンって凄い!


 この世界(ラウネス)のエンジンは、地球のFS-125クラスのものより遥かに反応がいい(ハイレスポンス)


 まだ美味しい回転域(パワーバンド)まで回していないのに、この回転力(トルク)の豊かさは何だ?


 めいっぱい回したら、どうなっちゃうの?


 ヤバい!

 子供みたいに、ワクワクしてきた。


 いいじゃない。

 今は子供の体だもの。


 ニヤニヤしてしまっているのが、自分でも分かる。


 他のドライバー達が気持ち悪そうな表情で振り返り、わざわざ俺の顔を覗き込みながら抜き去っていった。


 よそ見すると、危ないよ!




 舞い上がっていた俺の心に、ピリリと緊張の電流が走った。


 険しい顔のヴィオレッタから、提示されるサインボード。




『ドリル・イン』




 ヴィオレッタの隣に陣取っていた他チームの人達が、ウチのサインボードを見て首を(かし)げた。


 「何じゃそりゃ?」と、言いたげに。




「あちゃー。もう、講習が終ったのか。頼むから、絡んできたりしないでくれよ」




 俺はコース全体を見まわし、問題のドリル――マリー・ルイス嬢のマシンを探す。




 ――いた!


 銀色カウルのマシンとグレーのスーツ。

 桜色のヘルメット。


 約半周、離れている。




 思ったより、慎重だな。


 マリーさんはアクセルやブレーキの感触を確かめながら、ゆっくりと流していた。


 初心者にありがちな、「周りが全然見えていない」なんてこともなさそうだ。


 ヘルメットの向きが、キョロキョロと動いている。


 後ろから速いマシンが迫ってきても、慌てることなく自分の走行ラインをキープしていた。




 そう。

 それでいい。


 下手に道を譲ろうとすると、同じ方向に動いてしまって事故につながったりする。


 上手い奴は、自分で走行ラインを変えて抜いていくからね。


 マリーさんはロブさんの講習を、真面目に聞いていたみたいだな。


 それでも彼女の年頃だと、焦ってしまって実践できない子が多いんだけど。


 ベッテルさんが言っていた、「文武共に優秀」っていうのは本当みたいだね。




 変に絡まれたりは、なさそう。


 それでも、念には念を入れるとするか。


 俺は彼女に接近しないよう、さっさとピットインしてしまった。






■□■□■□■□

□■□■□■□■

■□■□■□■□

□■□■□■□■






「え~! ランディ君。ちょっと、ピットイン(はよ)うない?」


「もう、低速域でのアタリはついたよ」


 ()(げん)そうなケイトさんに、俺はにっこりと微笑んで見せる。


 エンジンのアタリがついたというのは、マジだ。


 ただ漫然とメーカーの指定している回転数、走行時間で走っているだけじゃ不充分。


 速いエンジンには、仕上がらない。


 ピストンリングとシリンダー内壁。


 ピストンピンや、クランクピンとコンロッド。


 クランクベアリング。


 ありとあらゆるエンジン内の(しゅう)(どう)部品を、キッチリ馴染ませるイメージを(えが)きながら走った。


 アタリが付いた、手応えはある。


 これ以上、この回転域での走行は無意味だ。


 無駄な走行距離は、増やさないようにしないと。


 K2ー100クラスの頃と違って、レース本番でのエンジンはレンタルじゃない。


 持ち込みだ。


 無駄に走行距離を、伸ばしちゃいけない。




「ランディは、慣らしが得意ですからね。僕も今の走行で、充分だと思います。次はエンジンを(いっ)(たん)冷ましてから、中速域の慣らしに入ります。回転数を、9000~11000に上げますよ」


 ジョージはテキパキと、タイヤの空気圧を空気圧計(エアゲージ)で測定。


 車体各部のボルトなどに、緩みが無いかもチェックする。


 決して急いでいるように見えないのに、作業は流れるようにスムーズだ。


 その結果、とても早い。




 ケイトさんはノートパソコンに、空気圧等のデータを入力していく。


 彼女は数字や、データ管理に強いんだ。




 淡々と予定を打ち合わせる、俺達3人。


 そこへマリーさんが、銀色の縦ロールヘアを揺らしながら近寄ってきた。


 揺れる(たび)に、ドリルが回転しているように見える。


 午前の日差しが反射して、眩しいぜ。




 母さんがヴィオレッタを連れて、飲み物を買いに行ってる隙の襲来。


 どうやら、保護者不在のタイミングを狙ったみたいだな。




「あら? ワタクシに恐れをなして、ピットへと逃げ込んでいたのですわね」


「うん。怖い怖い」


 ピットで絡んできたマリー・ルイス嬢を、テキトーにあしらう俺。


 いや。

 怖いって部分は、事実だったりするんだよね。


 もらい事故がさ。




「今日走り始めたばかりのワタクシが、怖いのですか? 尻尾を巻いて逃げ出しても、よろしいのですわよ?」


「そう? じゃ、遠慮なく逃げるよ。勝負とかは、なしってことで」


「ちょっ……! 貴方(あなた)! レーサーとしての矜持(プライド)は、ありませんの?」


「いや。そもそも、マシンのクラスが違うし……。下のクラスに勝ったって、『当たり前』の話だからね。そんな勝負、受ける奴の方がよっぽどプライドないと思うよ」


 階級別に分けられた格闘技なんかでは、話は違ってくるだろう。


 ひとつ下の階級のものすごく強い人と、ひとつ上の階級の大したことない人だったら、それなりに勝負になりそうだ。


 だけどそうはいかないのが、モータースポーツ。


 ド素人ならともかく、レース経験者同士ならマシンのクラス差は絶対だ。


 そうなるように、車両規則は作られている。




「ぐぬぬぬ……」




 マリーさんは怒りのあまり、腕をピーンと伸ばして肩をプルプルと震わせていた。


 顔はもちろん、耳まで真っ赤だ。




 そこへケイトさんが、ヒソヒソと俺に耳打ちしてきた。


(なあなあ、ランディ君。勝負、受けちゃったらアカンの? クラス差があるんやから、間違いなく勝てるやろ? 『俺が勝ったら、二度と近づくな』とか条件を付ければ……)


(レースに絶対は無いよ。俺がマシントラブルでも起こしたら、負けが確定しちゃう。それで、あのお嬢様との婚約エンド決定ってのはゴメンだね)


 マリー嬢とご婚約=プロドライバーへの道は断たれるって意味だよ?


 軽はずみな決断で、永久にチャンスを失うのは勘弁してもらいたい。




 なのにジョージときたら、とんでもないことを(ささや)いてきたんだ。




(ランディ。いっそあのお嬢様と今だけ婚約して、資金援助してもらうというのはどうです? 適当なタイミングで婚約破棄して、オサラバすれば……)


((うわ~))


 俺とケイトさんが、同時にドン引く。


 うちのメカが、ゲスくてすみません。


 いや。

 俺もその案は、(いっ)(しゅん)考えたんだけどね。


 「プロになる為には、何でもしてやろう」と思っている俺だけど、そこまでゲスいことはできない。


 (いち)()(てき)には自分に有利になっても、行った非道は巡り巡って自分に返ってくると思うんだ。


 誰だって利己的な人間とは、(いっ)(しょ)に仕事したくないだろう?


 正義感とか、そういうんじゃない。


 長期的にレースキャリアを考えた場合、酷いことはやらない方が「得」だって思うだけさ。


 マリーお嬢様に恨まれるようなことは、あんまりしたくない。


 お金の力って、怖いからね。




「何をコソコソと(たくら)んでいますの? いいですか? 次にコースインした時、絶対抜いてみせますわ」


「マリーさん、コレコレ」


 俺が指さすのは、マシンの後部ゼッケンプレート。


 今はレース中じゃないから、ゼッケンは貼られていない。


 代わりにデカデカと貼られているのは、「慣らし中」の文字。




「俺、今日はエンジンの慣らし運転中なんだ。だから君とは、勝負できないよ」


「……そうですのね。慣らしというものは、どれぐらいの時間で終わるのですか?」


「俺は慣らしが得意だからね。早ければ、1ヶ月ぐらいで終わらせられるよ」




 もちろん嘘さ。


 今日中には終わる。


 1ヶ月も経てば、俺への興味も失せるだろうって算段だ。


 俺のあからさまな嘘に、ジョージとケイトさんが眉をひそめた。


 ――あ、ハイ。

 嘘ついたことが問題なんじゃなくって、すぐバレるような嘘をつくなって言いたいんですね?




「お嬢様……」


 ベッテルさんが、何やらマリー嬢に耳打ちしている。


 これはヤバいな。


 ベッテルさんは、エンジンの慣らし期間について知ってるっぽい。




 俺は素早くヘルメットを被り、1人でマシンの押し掛けを始める。




「騙しましたわね! ランドール・クロウリィー!」




 マリーさんの怒声を、始動したエンジンの爆音が遮った。


 逃げるが勝ちだ。


 さらば、お嬢様。




 俺とマシンはマリーさんを置き去りにして、コース内へと飛び込んだ。






■□■□■□■□

□■□■□■□■

■□■□■□■□

□■□■□■□■

 





「あーもう。どうしても、絡んでくるつもりだな? 丸々1周スロー走行して俺を待ち伏せするなんて、ブレイズ・ルーレイロみたいなことしないでくれよ」




 慣らし運転(シェイクダウン)を続けていた俺の前方に、マリーお嬢様のマシンが現れたんだ。


 彼女はチラチラと後方を振り返って、俺のマシンを確認している。


 うんざりした気持ちになった。


 いったいどうして、そこまで絡んでくるのか。




 しょうがないなあ。


 さっさと抜いて、引き離すか?


 でも俺のマシンはまだ慣らし中だから、エンジンを存分に回せないんだよね。


 ならばタイヤのグリップ力の差を生かして、ブレーキングかコーナーで抜く――といいたいところだけど、車体(フレーム)にも余計な負荷を掛けたくないんだ。


 今日はまだ、タイヤを取り付ける「ハブ」って部分のベアリングとかが馴染んでいないし。


 あと、ブレーキパッドも余計に減らしたくない。


 明日の日曜日(リースディース)に、新品タイヤを履いてレース本番のシミュレーションをやる予定なんだ。


 そこで、ベストなタイムが出るようにしたい。


 ケイトさんの指定したタイムを上回らないと、ジュースを(おご)らされちゃうからね。


 今日のタイヤはグレン先輩に無料(タダ)で貰った中古だから、タイヤだけは多少減ってもいいんだけどねえ――




 そんな俺の思惑をドン無視して、マリーさんは勝手にレースモードへ突入してしまった。


 最終コーナーで、彼女はアクセルを大きく踏み込む。


 唸りを上げ、エンジンに流れ込む大気。


 酸素が大量に吸い込まれたのを認識したエンジン()コントロール()ユニット()燃料噴射装置(インジェクター)の開弁時間を引き延ばし、大量の混合油(ねんりょう)を噴射する。


 レーシング2ストロークエンジンが目覚めた。


 乾いた甲高い音を響かせて、マリー嬢のマシンは力強く大地を蹴る。




 クラス下とはいっても、いい音だな。


 さすが、去年まで俺が乗っていたマシン。


 彼女はぐんぐんと加速し、のんびり走っている俺を置いていく。




「俺が慣らし中だって話、聞いていたの? 頑張れ、頑張れ。俺は勝負なんて、しないけどね」






 ――いや。


 ちょっと待て!




「やめるんだマリーさん! それ以上、頑張るな!」






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
本作にいただいた、イラストやファンアートの置き場
ユグドラFAギャラリー

この主人公、前世ではこちらの作品のラスボスを務めておりました
解放のゴーレム使い~ロボはゴーレムに入りますか?~

世界樹ユグドラシルやレナード神、戦女神リースディースなど本作と若干のリンクがある作品
【聖女はドラゴンスレイヤー】~回復魔法が弱いので教会を追放されましたが、冒険者として成り上がりますのでお構いなく。巨竜を素手でボコれる程度には、腕力に自信がありましてよ? 魔王の番として溺愛されます~

― 新着の感想 ―
[気になる点] これは……カーブで曲がりきれないパターンでしょうか。
[一言] こ、これは危険なことが? 後、なろう界では婚約破棄はした方が大概ひどい目にあうからね。
[一言] >『ドリル・イン』 このライディーンのフェード・イン感( ˘ω˘ ) >正義感とかそういうんじゃなくって、長期的にレースキャリアを考えた場合、酷い事はやらない方が「得」だって思うだけさ。 …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ