ターン36 シェイクダウンとドリル
「勝負ですわ! ランディ様! 負けたら大人しく、ワタクシのものにおなりなさい!」
背後でマリー・ルイス嬢がわめいているけど、コレは関わっちゃいけない気がする。
「ケイトさん、固定バンド外して~。ジョージ、前側は掴んだ? いくよ? いち、にーの、さん!」
ゴメンね、スルーさせて。
女の子を無視するのは気が引けるけど、今はバンからマシンを降ろす作業の方が大事だ。
――よーし。
無事にカートを、スタンドに載せたぞ。
「ワタクシを無視するとは、いい度胸ですわね。その態度、あとから後悔しますわよ!」
「あなたがお兄ちゃんの言っていた、『泥棒どりる』ね。後悔するのは、あなたの方よ。私がユルサナイ……」
ひいっ!
妹のヴィオレッタが、俺でも鳥肌モノの殺気を放っているよ!
スルーしきれなくって、思わず対峙している女の子2人の方を見ちゃった。
ヴィオレッタの迫力に、マリーさんもたじろいで1歩後退。
それだけで済むなんて、君もなかなかの胆力だね。
ケイトさんなんか、真っ青になって震えているよ?
基礎学校高等部の10年生なのにさ。
マリーさんの背後にいる、ベッテルさんのこめかみにも汗が流れた。
平然としているのは、ジョージ・ドッケンハイムとシャーロット母さんの2人だけ。
母さんは、さすがだね。
年の功ってヤツだ。
なーんて考えていたら、ギロリと睨まれた。
なんで、俺の考えていることがバレたの?
「あー、うん。マリーさん? 勝負とか何とか言ってたけど君、カート経験ないよね?」
「今から練習するのですわ!」
「それに俺と君のマシンは、クラスが違うんだけど……」
「そんなの関係ありませんわ! マシンのクラス差など、ひっくり返してみせます」
だめだ、全然わかってない。
俺のマシンは基礎学校初等部高学年向けクラス、NSD-125ジュニア。
これの車体が大人用になると、そのまま成人向けの本格的クラスになる。
マリーさんのマシンは低学年向けのクラス、K2ー100。
これも大人用のフレームを使えば、成人向け入門用クラスとしてそのまま使えるほどの動力性能がある。
だけどNSD-125のマシンとは、隔絶した性能差があるんだ。
そもそもK2-100クラスのマシンでも、マリーさんは乗りこなせるんだろうか?
K2-100は車体こそ低学年の子供に向けて、小さく作られている。
だけどエンジン出力は吸入空気量制限装置とかで絞っていないし、ローグリップタイヤとはいってもNSD-125と比べての話。
普通の乗用車にしか乗ったことのない人が溝無しタイヤのカートに乗ったら、あまりの食い付き力にぶったまげてしまう。
下手したら、ハンドルが重すぎて切れない。
K2-100は地球のカートに当てはめるなら、YAMAHAーSSクラスの速さに相当する。
大人が乗っても、次の日に全身筋肉痛で立てなくなるレベルのスピードだ。
壮絶なガン飛ばし合いをする紫髪の少女ヴィオレッタと、銀髪ドリルヘアの少女マリーさん。
2人を遠目に見ながら、俺は執事のベッテルさんにコソっと話しかけた。
「マリーさんを止めなくて、大丈夫なんですか? K2-100は初等部低学年向けのマシンとはいっても、身体能力に優れた獣人族やドワーフ族が乗る場合の話。人間族の女の子には、危険なスピードレンジですよ?」
「まあ、お止めしても無駄でしょうからね。これも社会勉強のひとつ。思い通りにならないことも、体験しておいた方がお嬢様のためでしょうな」
おーっと。
お嬢様の言いなり執事さんかと思いきや、なかなか突き放した台詞だ。
「お嬢様は文武ともに優秀なぶん、挫折を味わったことが少ないのです。それゆえに婚約破棄されたことも、貴方が手に入らないことにも戸惑っておられます。戸惑ってはおられますが……」
「……ますが?」
「昨日学校から帰ってきてからのお嬢様は、とても楽しそうでしたな。習い事を全てキャンセルして、今日カートデビューするために猛然と準備を始められたのです。少々淑女らしくない、獰猛な表情ではありましたが」
「へえ……」
ちなみにマリーさんが今日持ち込んだマシンは、俺が去年まで乗っていたものだってさ。
ニューマシン購入資金の足しにするために、売りに出してたもんな。
マリーさんは俺のことを知ってから、そのマシンを買って手元に置き、毎晩眺めては微笑んでいたらしい。
そのヤンデレっぷりは何なの!?
正直、怖いんですけど!
あ。
俺が鳥肌立ててる間に、ヴィオレッタとマリーさんがついに掴み合いの喧嘩を始めた。
母さん、そろそろ止めようよ。
ヴィオレッタのセコンドについている場合じゃないでしょ?
――カン! カン! カン!
唐突に、ラウンド終了のゴングが鳴り響く。
――ゴング?
違った。
ジョージがプラグレンチとコンビネーションレンチを、打ち合わせた音だった。
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現在マリーさんは、ピット裏のパドックエリアで初心者向けの講習を受けている。
講師はコース管理人のロブさんだ。
俺はピットから、講習の様子を遠目に見ていた。
「……ではマリーさん、左足のブレーキを戻してください。ゆっくり、少ーしだけ、右足のアクセルを踏んでみましょう。……はい! ブレーキ! 完全に、車を止めましょう。……バッチリです。良くできました」
「こんなの簡単ですわ。しっかり予習してきましたもの」
講義内容は、基本的な運転操作。
そして、サーキットを走る際のルールとマナー。
最初に座学で、旗の種類と意味なんかも教わっているはずだ。
これに合格すると、ようやくカート競技者ライセンスが発行される。
そしたらサーキットを、カートで走れるようになるんだ。
――といっても座学で居眠りしたり、実技で暴走したりしなければ誰でも合格できるんだけど。
地球のカートライセンスより、この世界のカートライセンスは単純だ。
講習を受けるだけで、国内B級を獲得できる。
そして各サーキットで行われているサーキットシリーズや、地方選手権で一定の成績を上げれば国内A級に昇格。
全国選手権に出場できる。
基礎学校初等部の生徒は、みんなジュニアライセンス。
7年生――中等部になると、自動的に大人と同じライセンスに書き換え。
以降は、大人と一緒にレースすることになっている。
地球のカートライセンス制度との大きな違いは、そのサーキットを走るためのコースライセンスに該当するものが存在しないこと。
その代わり競技者ライセンスを取得すれば、国内全てのカート用コースで走行する資格が手に入るんだ。
「ランディ君! ウチの話、聞いとる!?」
「聞いてるよ、ケイトさん。まずは、7000~9000回転からでしょ?」
マリー嬢も気になるけど、まずは自分の仕事に集中しないとね。
俺はニューエンジンの慣らしに向けて、走行準備中。
エンジンの内部では、金属の部品同士が高速で往復したり、回転したりする。
2ストロークエンジンだと、オイルとガソリンを最初から混ぜた混合油を使うことで内部は潤滑されている。
それでも新しい部品同士だと摩擦が大きくて、性能をフルに発揮できない。
そのまま無理にぶん回してしまうと摩耗が激しくなったり、下手すりゃ焼き付いてエンジンブローしてしまう。
そんな悲惨な結果にならないように、新品のエンジンや分解整備直後のエンジンは「慣らし」が必要になってくるんだ。
少しづつ回転数を上げて、馴染ませていく。
ケイトさんは戦略担当兼エンジニアだから、慣らしのエンジン回転数も細かく指定してくるってわけ。
ちなみにジョージも、エンジニアとメカニックを兼任している。
「ランディ君。マリーお嬢様が、そんなに気になるん?」
ケイトさんは、どこか不満げだった。
大丈夫だよ、ケイトさん。
ちゃんとドライバーとしての仕事は、バッチリこなすから。
でも――
「マリーさんが、気になるのは確かなんだ……」
「え!?」
ケイトさんの表情が、強張った。
何をそんなに怒っているのさ?
「マリーさん、なーんかコース上でやらかしそうな気がするんだ」
「ランディも、そう思いますか? 僕も同意見です。彼女が講習を終えてコースインしてきても、なるべく距離を空けた方がよいでしょう」
眼鏡のブリッジをクイッとしながら、ジョージも俺の意見に追従した。
鼻息荒い初心者っていうのは、すごく危ないんだ。
自分の限界も分からず、ガムシャラに飛ばしてしまう。
マリーさんは、そういうタイプなんじゃないかと思うんだ。
怖がり屋さんで、ゆっくり走ってくれる初心者の方が安心できるんだけどなぁ。
こっちで勝手に抜いていくから、邪魔にはならない。
マリーさんに目の前でスピンでもされて、突っ込んだら大惨事。
それでニューマシンが、壊れようものなら――
父さんは凹んで仕事が手につかなくなるし、母さんは鬼族へとその姿を変えるだろう。
スポンサーになってくれている、YAS研のエリック・ギルバート氏にも申し訳ない。
「君子危うきに近寄らず」ってね。
結構ひどい物言いだと思うけど、モータースポーツは自己責任が問われる世界。
事故に巻き込まれたからって、損害賠償は請求できない。
リスクマネジメントだって、ドライバーの大事な仕事なんだ。
「一応俺も、警戒しとくけどさ……。マリーさんがコースインしてきたら、サインボード出してよ」
「分かったで」
「さーて。前世以来10年ぶり、今世では初めての押し掛けだ」
このNSD-125クラスのカートは、クラッチの無いダイレクトドライブ方式。
セルスターターも着いていないから、エンジンスタートは押しがけになる。
「ジョージ、手伝ってよ」
「君の筋力なら、1人でもかけられるでしょう?」
「普通、9歳の人間族に押しがけは無理だと思うよ?」
まあ俺なら、多分できると思うけどさ。
この押し掛けってヤツは、結構大変なんだ。
今日は慣らしだから、重量調整用の重りは積んでいない。
それでも車体+エンジンだけで、70kg以上はある。
おまけに始動前のエンジン内部では、空気が圧縮されて抵抗になるから重いのなんの。
「仕方ありませんね。一応ケイト先輩も、押しがけ補助のやり方を見て覚えておいて下さい。実際に補助する時は、馬鹿力のランディがほとんど自力でかけてくれると思いますが」
そう言ってマシンのリヤバンパーを掴み、後輪を持ち上げるジョージ。
何気にコイツ、変身前のヒョロヒョロモードでも力強いんだよな。
「ただ押すだけじゃなくって、駆動輪を持ち上げるんやね?」
「安全の為に大事なポイントが、バンパーは必ず下から持ち上げることです」
「何で、上からじゃアカンの?」
「エンジンがかかった瞬間、引きずられて大怪我しないようにです。上から握っていると、とっさに手を放すことが難しくなるので。路面で大根おろしには、なりたくはないでしょう?」
ケイトさんは、ぶるっと翼を震わせた。
ちょっと恐怖を刷り込んでおくぐらいじゃないと、怪我してからじゃ遅いからね。
そう。
俺達が今から扱うのは、子供向けとはいえ、モンスターマシンなんだ。
「行くよ!」
俺はマシンの左側に立った。
左手をハンドル。
右手をシートに添え、マシンを押す。
ジョージは持ち上げていた後輪を地面に落とし、そのままリヤバンパーを押し続ける。
俺とジョージの馬鹿力キッズコンビによって、エンジンにはあっさり火が入った。
俺達の筋力が子供離れしているってのもあるけど、この世界のカートは始動性がいい。
エンジンが地球みたいに気化器方式じゃなくって、電子制御式燃料噴射装置化されているからね。
ヒラリとシートに飛び乗った俺は、エンストしないよう右足でアクセルペダルを軽く煽る。
「これからよろしくね」
俺は新しい相棒のステアリングホイールを、ポンポンと軽く叩いて挨拶。
ヘルメットのシールドを下ろし、ピットロード出口へとマシンを進めた。




