ターン35 レースって追いかけられる方が、メンタル的にきついのよ
「……っていう出来事が、今日学校であったんだよ。父さん」
「ワッハッハッハッ! そいつは災難だったな。ランディ、ジョージ」
ここは俺の実家、クロウリィ・モータースの整備工場。
貧乏なはずなのに、なぜか工場の建物は結構大きかったりする。
ここら辺の土地は、安いからね。
おかげで俺のカートは走っていない時、工場の隅っこに置かせてもらえていた。
広いから、邪魔にはならないのさ。
ドッケンハイムカートウェイにはレンタルガレージがあって、そこにマシンを保管することもできる。
そしたらいちいちサーキットまでマシンを運搬する手間を省けるけど、毎月お金がかかるんだよなぁ。
それに今、ドッケンハイムカートウェイのレンタルガレージは満車だ。
あと、工場の隅にマシンがあるととっても喜ぶ。
俺がじゃなくて、オズワルド父さんがね。
だけど父さんが勝手にマシンを弄ったりするのは、ジョージから禁止されていた。
「ランディの走り方や好みのセッティングを、1番理解しているのは僕ですから」
そう言い切られた父さんは、巨体を縮こまらせてシュンとなった。
ジョージ。
あんまり父さんを、虐めないでくれよ。
そのうち本気で、「店を閉めてランディのカートに付き添う」とか言い出しかねないからな。
そうなったら、我が家の経済危機だ。
ちなみに明日の土曜日は、工場に置いてあるニューマシンの慣らし運転を行う予定なんだけど――
メンバーは俺。
ジョージ。
ケイトさん。
シャーロット母さん。
妹のヴィオレッタ。
父さんは――かわいそうに。
また1人で、仕事&お留守番だ。
父さんは無念そうに、俺のマシンを綺麗な布で清掃している。
清掃は父さんに許された、数少ないマシンに触れる機会だ。
俺よりも父さんの方が、こまめに磨いている。
それもワックスを掛けまくって、ピッカピカにだ。
たまに仕事中に磨いていて、母さんに怒られたりしている。
ごめんよ父さん。
本当はもうちょっと、親子でカートやれたらいいんだけどね。
父さんに清掃されたニューマシンは、黒いカウルが黒曜石みたいに輝いていかにも速そうだ。
車体は、タカサキ社製のSDIー86。
剛性は固過ぎず、柔らか過ぎず。
4輪のグリップバランスが良い、優等生だ。
タイヤはこのクラスでも、ブリザード社製の単一使用規則になっていた。
去年まで乗っていたK2-100に比べ、前輪、後輪共に太く、大きくなっている。
接地面積は、大幅アップだ。
ついでに材質もドロドロに溶けるヤツになっていて、信じられないぐらいのグリップ力を発揮する。
そのぶん旋回中のGが強くなって、ドライバーに要求される筋力も跳ね上がるんだけど。
現在マシンについているのは、使い古しの中古タイヤ。
来年から新しいモデルに切り替わり、さらに食い付きが増すという情報だ。
エンジンも同じく、タカサキ製。
K2-100クラスよりも、25ccだけ排気量がアップしたエンジン。
たった25ccアップとはいっても、パワーは2倍以上になっている。
空冷から、水冷リードバルブ方式になったしね。
40馬力のモンスターだ。
明日はコイツと一緒に、サーキットを走る。
そう思うと、俺だってテンションが上がっていた。
父さんほど、露骨じゃないけど。
面には出さないけど、ジョージだって。
なのにマリーお嬢様騒動で、水を差されるのは勘弁してもらいたい。
「泥棒猫め……。お兄ちゃんは、大きくなったら私と結婚するのよ。そんなドリル、お呼びじゃないわ」
お嬢様の件を聞いて、かなりご立腹だったのが妹のヴィオレッタ。
ふくれっ面も、可愛いなぁ……。
「ヴィオレッタ……。こないだは『大きくなったら、お父さんと結婚する』って言ってたのに……」
本気で肩を落とす父さんを見て、母さんが呆れ顔を向けた。
はっはっはっ!
残念だったね、父さん。
若くてカッコイイ、兄の方がいいってさ。
あと何年かしたら「お父さん臭い」とか、「お父さんの下着と私の洗濯物、一緒に洗わないで」とか言われちゃうんじゃない?
「私はお父さんともお兄ちゃんとも、両方と結婚するの」
「ヴィオレッタ……。この国では、お兄さんやお父さんとは結婚できないんですよ? それにお父さんはもう、シャーロットお母さんと結婚しているでしょう?」
ええい、ジョージ。
くだらないことは、気にするな。
「知ってるよ。法律で、そう決まっているんだよね? だから私、大きくなったら政治家になって法律を改正するの。お父さんやお兄ちゃんと、結婚できるようにする。それにお父さんはお母さんのものでもあるから、重婚できるようにもするの」
「聞いたかい? ジョージ? ウチの妹は、超賢いだろう? 基礎学校に入ったばっかりだっていうのに、もう将来のことをしっかり考えているんだ。それに法律とか政治家なんて言葉を、これぐらいの年頃から理解しているんだよ?」
「果たして本当に、理解しているのやら……。ランディ。君が救いようのないシスコンだということは、よく分かりました。マリー・ルイス嬢も、これを知ったら幻滅して手を引いてくれるかもしれませんね」
むう、失礼なヤツだ。
そりゃあちょーっとばかし、兄の贔屓目ってのも入っているかもしれないけどさ。
「あっ、それいいかも? 学校で私とお兄ちゃんがラブラブなのをドリルに見せつけて、諦めさせてやるの」
ナイスアイディアだ!
やっぱりウチの妹は、天才だな!
「しかしそれだとマリー・ルイス嬢が、ヴィオレッタにまで何かちょっかいを出してきませんかね?」
「ジョージさん、大丈夫よ。クラスには、私の『親衛隊』がいるから」
ヴィオレッタ、もう少し詳しく。
親衛隊って、男の子たちじゃないよね?
男子を侍らせるなんて、お兄さんは許しませんよ。
「さて、僕はそろそろ失礼しますね。さあ、ランディ。ロードワークの時間ですよ」
最近の日課として、俺は毎朝早朝からジョージ・ドッケンハイムの家までランニングをする。
そして自転車のジョージと一緒にクロウリィ家まで帰ってきて、近くの停留所からスクールバスに乗って登校。
放課後ジョージはウチの整備工場に置いてあるカートをいじったり、父さんから乗用車の整備知識、技術を教わったりして過ごす。
そしてジョージがドッケンハイム家の晩御飯に間に合うように、また2人で山の上にあるジョージの家までロードワークに出かけるって流れになってるんだ。
俺がランニングなのに、自転車のジョージは結構なペースで走りやがるからね。
なかなかのハードワークなんだよ。
「マリーお嬢様の問題は、いま悩んでも仕方ないよね」
「ランディの言う通りです。明日の慣らし運転に、集中しましょう」
動きがあるなら、休み明けの月曜日からだ。
さすがにあのヤンデレお嬢様も、サーキットまでは押し掛けてはこないだろう。
俺は白いジャージに着替え、準備体操をしながらそんな風に考えていた。
その時は、俺もジョージもすっかり忘れていたんだ。
具体的な住所こそ出さなかったものの、マリーお嬢様に「ドッケンハイムカートウェイ」で走ると言ってしまったことを。
■□■□■□■□
□■□■□■□■
■□■□■□■□
□■□■□■□■
翌朝俺達は、母さんの運転するバンでドッケンハイムカートウェイに到着した。
「来ましたわね! ランドール・クロウリィ!」
バンを降りたら、マリー・ルイス嬢が立ち塞がっているじゃないか。
銀髪ドリルが朝日を反射して、めちゃめちゃ眩しい。
「まさか、サーキットまで来るとはね……」
「まあラウネスネットで調べれば、すぐに分かりますからね。ウェブサイトに、地図も載せてますし」
「でも、あの恰好は予想外やったな。ひと晩で、用意したんやろか?」
ケイトさんが、不思議に思うのも無理はない。
俺だって不思議だ。
どうやって用意したのか――
マリーさんは、カートスーツ姿だった。
髪色と同じ銀にしたかったんだろうけど、それはさすがに派手過ぎるんだろう。
銀色に近い、グレーのスーツだ。
脇に抱えたヘルメットは桜色。
その開口部からはみ出すグローブ、履いているレーシングシューズも同色だ。
そういえば昨日呼び出された場所も、桜の木の下だったな。
きっと、彼女が好きな色なんだろう。
マリーさんの背後には、ベッテルさんが控えている。
今日は、さすがに執事服じゃない。
下はベージュのパンツ。
上は、ルイスブランドのウィンドブレーカーを着込んでいる。
色はマリーさんのスーツに合わせたのか、明るめのグレーだ。
そしてベッテルさんが手で押しているのは、スタンドに乗せられた1台のカート。
新品のタイヤが装着されいる。
ハンドル下にある樹脂製のタンクには、燃料である混合油がなみなみと注がれていた。
今すぐにでも、走り出せそうなマシンだ。
「えーっと、マリーさん? 一応聞くけどさ。ひょっとして、君は今日……」
「もちろん、このカートでサーキットデビューしますわ。貴方をけちょんけちょんに打ち負かして、ワタクシに逆らったことを後悔させて差し上げますの」
エッヘンと、胸を張って答えるマリーお嬢様。
俺、ジョージ、ケイトさんは顔を見合わせて、「はぁーっ」と深いため息をつく。
ヴィオレッタだけは、「フーッ!」と猫が威嚇するような声を発していた。