ターン34 逃げ切りのレース!
ジョージから出されたぺースアップのサインに、俺は愕然とした。
なん――だと?
ジョージ。
つまり君は、こう言いたいのか?
このまま話を進めて、マリー・ルイス嬢と結婚を前提にお付き合いしろと?
俺もマリー嬢も、9歳だぞ?
結婚なんて遠い将来のこと、考えられないよ。
普通の男女交際だって、ちょっと早過ぎないか?
ちなみにこのマリーノ国で結婚できる年齢は、男女共に18歳からだったりする。
ペースアップのサインを出したジョージの首を、ケイトさんが絞めていた。
君達、仲いいね。
ケイトさん、最初はジョージを怖がってたのに。
確かにこのお話は、アリなのかもしれない。
俺のこれからのキャリアを、考えれば。
このお嬢様と結婚したら、ルイスグループの手厚い資金援助を受けられる。
俺はすでに、エリック・ギルバートさんのYAS研から資金援助を受けている身。
だけど1社が出せる額には、限度がある。
それにエリックさんが経営者じゃなくなったり、役員会の方針が変われば資金援助が打ち切られる可能性もある。
確かにこちらの世界では、スポンサー集めがしやすい。
レースにかかるコストも、地球よりは低い。
だけどやっぱり、難しいんだ。
俺のように貧乏な家庭の子供が、腕だけでのし上がるというのは。
地球でもこの異世界ラウネスでも、成功しているドライバーは実家が裕福な人が多い。
「ランディ様……。ワタクシでは、ご不満ですか?」
とんでもない!
少々個性的な髪型だけど、マリーさんはすごく可愛い!
おっと。
俺はロリコンじゃないぜ?
あと10年も経てば、絶世の美女になるだろうという期待も込めての感想だ。
我儘というのも、噂に過ぎなかったみたいだな。
礼儀正しいし、可憐で守ってあげたくなる。
いいお話――なんだけど――
確認しておきたいことがある。
「マリーさん。将来俺が君と結婚した場合、レースを続けてもいいのかい?」
「もちろんですわ。ちゃんと毎日、ワタクシの元へ帰って来てくださるのでしたら」
――ん?
ちょっと待った。
「えーっとね、マリーさん。プロのレーシングドライバーは、世界中を飛び回る仕事になるんだ。シーズン中は、なかなか家に帰れない時期もあると思うんだけど?」
「ご心配なく。プロに拘る必要などございません。ランディ様自ら稼がなくとも、私が養ってあげます。レースに掛ける資金も、潤沢に用意いたします。趣味として、存分に楽しんで下さい」
あー。
これは、完全な認識のずれがあるな。
確かに、趣味でレースをやるのも悪くない。
地球でも会社の社長さんとかで、そういう趣味のお金持ちドライバーはいた。
それもスーパーGT選手権とかトップカテゴリーに出場してきて、中にはプロ顔負けの凄腕だっているそうだ。
趣味だからといって、ジェントルマンドライバーが真剣じゃないとか格下だという考えは持っていない。
彼等は多忙な仕事の合間を縫って、練習走行の時間を確保する。
プロドライバーを講師に雇ったりして、短時間で自らの速さを磨く。
そして貴重な隙間時間でトレーニングをして、レーシングカーのGに耐えうる体を作り上げていく。
それはそれで、尊敬している生き様なんだよ。
だけど、俺が目指すのは――
「ゴメン。俺が目指しているのは、プロのドライバーなんだ。毎日君の元へは、帰ってこられない」
俺と付き合う女の子には、これだけは理解してもらわないと――
俺は「レースと私、どっちが大事なの!?」って問われたら、迷わず「両方!」と即答する欲張り君なんだ。
できれば世界中を飛び回る俺やチームに、ついてきてもらいたい。
でもそれは、ルイスグループのお嬢様である彼女にとって難しい注文だろうな。
コレで彼女が、
「寂しいけど、我慢して待ちますわ」
と、言ってくれるコなら――
「ふふっ……」
少女の笑い声で、色々と考えていた俺の意識は現実へと引き戻された。
「うふふふふふっ……。ワタクシより、レースを取るとおっしゃるのね」
はい?
マリーさん、なんで笑っているの?
相変わらず可愛らしい笑顔だけど、瞳のハイライトが消えているように見えるのは気のせいかな?
「知りませんでしたの? マリー・ルイスからは、逃げられない」
マリーさんは澄んだ声なのに、大魔王のような風格で宣言した。
「先程ランディ様がお飲みになった紅茶には、痺れ薬が入っておりました。自由の利かなくなったあなたにあーんなことやこーんなことをして、既成事実を作らせてもらいますの」
な――ナンダッテー!?
そんなの、9歳の女の子の発想じゃないぞー!
あ、ヤバい!
この状況で悪者にされそうなのは、中身が31歳の俺の方だ。
転生者の俺は、一応法的には9歳児扱いになる。
だけど、ロリコンの謗りは避けられない。
やめて、ベッテルさん!
ビデオカメラとか、準備しないで!
「さあ、そろそろ薬が効いてくる時間ですの。ハアハア……。大人しく、ワタクシのものになりなさい」
マリーさん!
鞭とか蝋燭なんて、淑女がそんなアイテムを取り出したらダメだよ!
俺には、断じてそんな趣味はない!
誰だよ!?
彼女に、間違った知識を吹き込んだ奴は?
「さあ、ランディ様。ワタクシのペットにして差し上げ……あの、ランディ様? そろそろ手足が痺れてきたりとか、頭がボーッとしたりとか、そういう症状はありませんの?」
マリーさんにそう言われて、俺は確認のために両手をニギニギ。
足を伸ばす、伸脚運動。
ダメ押しとばかりに、得意の後方宙返りを決める。
うん。
絶好調!
「なっ! そんな! なぜ、痺れ薬が効いていないんですの!?」
「うーん。体質……かな?」
そう。
俺はなぜか、病気とか怪我とかにメチャクチャ強い。
怪我した時の治癒速度は、お医者さんから「君は本当に人間族かね?」と訝しがられるスピードだ。
筋肉痛の治りも早い。
ここら辺が、俺がハードトレーニングに耐えられる理由だ。
食中毒にも、強いぜ。
父さんと一緒にこっそり食べたお菓子が、腐っていたことがあった。
タフな巨人族の血を引くはずの父さんがトイレの守護巨人になってしまった時も、俺だけケロッとしていたんだ。
そのおかげで、俺だけ母さんの説教を受ける羽目になったんだけど。
「こうなったら、仕方ありませんわ。……ベッテル!」
主人の呼び声と同時に、グレー髪執事のシルエットがかき消える。
同時に俺は、前方へと身を投げ出した。
執事服の袖が、頭上を掠める感覚。
ベッテルさんが背後から俺に組み付き、ヘッドロックで締め上げようとしたんだ。
ちっ!
大の大人が俺みたいなガキんちょを、力づくで拘束しようとするなんてな!
雇い主からの命令は、絶対ってわけかい?
マリーさんは優秀なお嬢様なんだろうけど、まだ小さな子供なんだ。
間違いだって起こす。
大人のベッテルさんが、少しは止めるとかしないとダメだろ!?
俺は素早く体を捻り、ベッテルさんを振り返る。
するとグレー髪執事は、低いタックルで俺に追撃を掛けてきていた。
中身は31歳だけど体は9歳児の俺に、本気のタックルをかまそうとするだと?
ちょっと頭にきた俺は、遠慮しないと決断した。
地面を蹴って跳躍。
低いタックルで、頭の位置が下がっているのが不味かったね。
俺はベッテルさんの頭を踏んづけて、彼の背後に着地。
そのまま全力疾走を始め、スピードに乗る。
背後でドサリと、ベッテルさんが地面に倒れ込む音が聞こえた。
俺が走る方向は、倉庫の陰。
ジョージとケイトさんが、隠れている場所。
見ればジョージは眼鏡を外し、「変身済み」だ。
6年生になって、身長が伸びたジョージ。
それが変身してマッチョ化すると、本当に怖い。
威圧感が、半端ない。
そんなジョージは今、ケイトさんを背後に庇いつつ長い黒髪のメイドさんと掌を合わせていた。
プロレスラー同士のように、力比べの真っ最中だ。
背は高いけど、メイドさんはかなり若い。
ジョージと同い年ぐらいか?
どう見ても、ジョージがメイドさんを襲っているようにしか見えない。
だけど、メイドさんが可哀想なんて気持ちはちっとも湧いてこなかった。
彼女の顔は、蝶々をモチーフにしたマスクが覆い隠している。
SMの女王様が付けるような、アレだ。
このメイドさんが、無垢なマリー嬢に変な知識を与えた犯人に違いない。
――っていうか、マリーさんの配下だっていうのはもうバレバレだろう?
いまさら顔を隠してもなぁ。
授業中の俺を、盗撮していたメイドさんだよね?
「ジョージ! ケイトさん! 逃げるよ!」
「ランディ君! 後ろ!」
ケイトさんに警告されるまでもなく、分かっているさ。
敏捷性は俺の方が遥かに上でも、大人とは歩幅が全然違う。
トップスピードで勝るベッテルさんが、起き上がって追いついてきていたんだ。
またもや低いタックルが、俺の背後から襲い掛かる。
低いタックルに、せざるを得ないんだろうね。
俺の背が低いから。
クラスじゃ背の高い方だといっても、大人からみれば低い。
それが命取りだ。
俺が無用なケガをしないようにという、配慮もあったんだろう。
タックルの狙いは腰。
ベッテルさんの腕が腰を包囲し、締め上げようとする瞬間――
それはベッテルさんの頭部が、俺の腰に近づく瞬間でもある。
俺は彼の頭を、上から思いっきり押さえつけた。
「なっ!」
ラグビーやアメフトで後衛の選手がボールを持って走る際、ディフェンスを振り切るための技だ。
子供なのに意外と力が強くて、びっくりしただろう?
俺、鍛えていますから。
巨人族やドワーフ族、獣人族並みの腕力だぜ。
ベッテルさんは、再び地面に倒れ込んだ。
もう捕まらないよ。
逃げ切らせてもらう。
「ケイトさん! アレを!」
「わかったで!」
ケイトさんが取り出したのは、ボールペン――に見える、ジョージ作の護身用アイテム。
ケイトさんはキャップを抜いて、俺の背後で起き上がろうとしていたベッテルさんに投げつけた。
するとボールペンはボン! っという音と共に、真っ白い煙を大量に吐き出した。
周囲の人達の視界を、一瞬で奪う。
「逃がしませんわよー! ランドール・クロウリィー!」
煙幕の向こう側から、マリー・ルイス嬢の叫び声が聞こえる。
彼女を無視して、俺達はその場を立ち去った。
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俺、ジョージ、ケイトさんの3人は、校門への散歩道を走り抜けながら今後のことを相談していた。
「どないしよう? ウチら、ルイスグループのお嬢様に目をつけられてもうたで?」
「これからの学校生活で何か仕掛けられないよう、充分気を付けねえとな。高等部のケイトと、中等部の俺は校舎が違うから問題ねえ。同じ校舎のランディが、問題だな。1番狙われるのは間違いねえ」
ジョージは眼鏡を外したままだからまだマッチョだし、言葉遣いも荒々しいモードを継続中だ。
「うーん。まあ、俺の身は何とかなると思うよ。心配なのはケイトさんや、俺の家族に何かしてこないかってこと。そうなったら……。俺は相手が女の子でも、容赦しない」
あっ。
俺の殺気が漏れて、ケイトさんがちょっと引いちゃった。
自重、自重。
「ところでジョージ君。ウチ、ずっと気になってたんやけど……。それ、持って帰るん?」
ケイトさんが指さしたのは、ジョージの肩に担がれている物体。
怪しい仮面のメイドさんだ。
何をされたのか、気を失ってグッタリしている。
人1人担いで――しかも足の速い俺やケイトさんと同じペースで走るなんて、やっぱり変身後のジョージは化け物だな。
「……思わず拾ってきちまったが、要るか?」
「「要らないと思う」」
俺とケイトさんの意見を受けて、ジョージは怪しい仮面のメイドさんを、 そっと捨てていくことにした。
捨てた場所は、学校のゴミ集積場だった。