ターン32 闇を穿つ銀のどりる
■□3人称視点■□
緊迫感と闇に包まれた部屋の中を、微かな光が照らしていた。
光の正体は、プロジェクターによりスクリーンに映し出される映像。
それが光源となり、部屋の主の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせている。
無駄に大きく、豪奢なソファに背を預けた少女。
彼女の銀髪は闇の中で微かな光を反射し、美しく――そして冷たく浮かび上がっていた。
銀髪の少女は、指を自らの形の良い唇に当てている。
その姿勢のまま、不機嫌そうにスクリーンの映像を見つめていた。
「次の映像です。サウスプリースト基礎学校5年A組、イアン・グローヴァー。野球クラブのエースピッチャーで、将来はプロになる逸材と言われております。そのワイルドで野性味溢れるマスクから、校内でも女子からの人気は高く……」
プロジェクターの脇から聞こえる成人男性の声を、銀髪の少女は途中で遮った。
「却下。ワタクシ、獣人男子は好きではありませんの。脳筋っぽくって、品が無さそうですわ。このイアン先輩も、頭の悪そうなお顔立ちですこと」
鈴を転がすような、可憐な声。
だがその内容は、差別的かつ辛辣極まりない。
しかし、残念なことに彼女の言う通りなのである。
イアン少年は、学業成績が芳しくなかった。
「では、知的な少年を。6年C組、ドワーフ族のジョージ・ドッケンハイム。彼は非常に、成績優秀な生徒です。特に理数系科目の成績は、初等部のレベルでは収まりません。レーシングカートショップと、カートコースの経営者の息子で……」
「破壊神ジョージ! 誰ですの!? この男を、リストに入れた者は!? 先日も中等部の不良グループ5人を相手にして、1人で全滅させてしまったのですよ!」
「お嬢様、情報に誤りがございます。相手の不良は、8人です」
「なお、凶悪ですわ! ワタクシにそんな危険人物と、交際しろとおっしゃるの!?」
今この部屋で行われているのは、銀髪少女の婚約者候補選び。
要は彼氏にしたい男子を、ピックアップしている最中だ。
今年で9歳になる彼女の名前は、マリー・ルイス。
ウェアを中心に、様々なスポーツ用品事業を展開するルイスグループのご令嬢だ。
そもそも彼女には、7歳の時に父親が決めた婚約者がいたのだが――
(……お嬢様、相変わらず我儘ですね……)
(……あんな調子ですから、婚約破棄などされるのですわ……)
部屋の隅でコソコソと囁き合うメイド達。
その会話を、聴力に優れたマリーの耳はしっかりと捉えてしまった。
人形のように白く美しい顔に、怒りの青筋が走る。
「そこ! 聞こえていますわよ! ……あんな頼りない男、ワタクシの夫には相応しくありません! 婚約破棄を申し出てくるように、こちらから圧力を掛けたのですわ!」
完全に、マリーの負け惜しみである。
「僕には、マリーお嬢様は無理ですぅ~!」
婚約者だった大手財閥の次男は、泣きながら自分の父親に訴えたそうだ。
(まあいいでしょう。代わりはいくらでも、お父様が探して来てくれますの)
そんな風に、鷹揚に構えていたマリー。
だが父親は、こんなことを言い出したのだ。
「マリーよ。やはり現代において、親が決めた許嫁や婚約者など、時代錯誤も甚だしい。お前には1人の女の子として、自由に恋愛して欲しいのだよ」
娘に対して理解がある、懐の深い発言のように聞こえる。
だがその時、父の視線が泳ぎまくっていたのをマリーは見逃さなかった。
「どうせグループの経営は、お前自身がやるのだ。婿に口出しさせぬように、すれば良い。グループの繁栄を考えて、政略結婚紛いの男選びなど……。今更お前の噂が広まった、経済界では無理……ゲフン! ゲフン!」
口をスライドさせまくる父。
普段はこんなことはないのだが、彼は娘の前ではやらかしが多い。
つまり父は、こう言っているのだ。
良いとこのお坊ちゃんを、父が探してくるのは無理。
自分で男を捕まえろと。
人の口に戸は立てられぬというもので、マリーが婚約破棄された噂はすでに学校中へと広がっていた。
面と向かって、婚約破棄の話題に触れる者はいない。
しかし校内の至るところでヒソヒソと、囁き声が彼女の耳に入ってきてしまう。
「マリーお嬢様、婚約破棄されたんだってよ」
と。
哀れみのこもったその囁きと視線が、プライドの高い彼女には我慢がならない。
ならばせめて、誰もが羨むような男子と交際しプライドを保ちたいのだ。
そういう見栄っ張りなところも振られた原因のひとつだということに、本人は気づいていなかった。
「では、次です。3年B組、ランドール・クロウリィ。レーシングカートのドライバーです。去年と一昨年のマリーノ中央地域ジュニア選手権、K2-100クラスの年間王者です」
「ふーむ、レーサーですの……。悪くないですわね」
レーシングドライバーの地位が高いこの世界において、彼氏が優秀なレーサーというのはかなり自慢になる。
「映像を出します」
スクリーンが切り替わると同時に、マリーは感嘆の声を上げた。
「まあ……」
ふわりとしたウェーブのかかった金髪と、透き通る青い瞳。
その顔立ちは、整っていながらも優し気。
マリーが少々我儘を言ったところで、その全てを笑って受け止めてくれそうな包容力を感じさせる。
――王子様!
マリー・ルイスが抱いた、ランドール・クロウリィへの第一印象はそれであった。
天才少女と呼ばれ、物心ついた頃から帝王学や経済学を学び、幼いながらもグループの跡継ぎになるべく邁進してきたマリー。
彼女でも、持ち合わせていたのだ。
普通の女の子みたいに、絵本や物語の中の王子様に憧れる感性を。
スクリーンに映る美少年は、マリーの抱く王子様像が具現化した存在。
(ドンピシャ! ストライクですの!)
婚約破棄してきたかつての婚約者のことなど、もはやどうでもよかった。
マリーは操られたように立ち上がり、壁に掛けてあったスクリーンにフラフラと歩み寄る。
彼女は熱に浮かされたような表情で、金髪の美少年の映像へと指を這わせた。
「ランドール・クロウリィ……。絶対に貴方を、ワタクシのものにしてみせますわ」
スクリーンに寄りかかり、うっとりしていたマリー。
そんな彼女を、メイド達の失礼な囁き合いが現実へと引き戻す。
(先輩。あれって、ストーカーみたいですね)
(「みたい」じゃなくて、ストーカーそのものね。どうせまた振られる方に、2000モジャ)
(えー。それじゃ、賭けになりませんよ。使用人全員、振られる方に賭けますから)
「だからそこのメイド2人! ヒソヒソ話は、もっと小さな声でしなさい! お父様に、言いつけますわよ!」
振り返りながら、メイド達をビシッ! と指さすマリー。
その拍子に、彼女のトレードマークである銀色の縦ロールヘアーが揺れた。
マリーは知らない。
父もその後、賭けに参加することを。
自らの希望を込めて、上手くいく方に50000モジャも賭けることを。
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■□ランドール・クロウリィ視点■□
樹神暦2627年、3月の始め。
俺が通うサウスプリースト基礎学校では、校門から校舎までレンガ敷きのアプローチ散歩道が伸びている。
両側に植えられているのは、「ユグトジーナス」と呼ばれる地球のトネリコによく似た街路樹だ。
キャメルカラーのレンガ道と色鮮やかな緑の葉が、道行く人達の心を和ませてくれる。
そんなプロムナードを、俺は2人の上級生と一緒に歩いていた。
1人はジョージ・ドッケンハイム。
こいつは高等部生徒と言っても通用しそうなほど、高身長だ。
だけどガッチリした体格の者が多いドワーフという種族にしては、痩身すぎる。
成人ドワーフ男性の証である小さな角は、まだ生えていない。
「いよいよ明日、ニューマシンの慣らし運転ですね。ケイト先輩、タイムの試算はしてみましたか?」
眼鏡を人差し指で押し上げながら、ジョージはもう1人の上級生に話しかける。
相手は背中に白い翼が生えた、天翼族の少女。
来年から高等部に進級する、ケイト・イガラシさんだ。
彼女は肩まである鮮やかなピンク色の髪を風に靡かせながら、ジョージの問いに答えた。
「グレン君とキース君がK2-100からNSD-125へステップアップした時のベストタイム差を、そのままランディ君に当てはめてみたで。目標タイムは、36秒4ってところやね」
「えっ? ケイトさん。それってちょっと、速くない? 俺のイメージランでは、36秒6ぐらいだけど……」
「ランディ君係数を掛けて、約コンマ0.2秒のアップや」
「何? その謎係数は?」
「そうですね。ランディには、それぐらいのタイムは出してもらわないと。ダメだったら、罰ゲームでジュースでも奢ってもらいましょう」
「ジョージ、そりゃないよ。俺ん家貧乏なのに……。36秒4っていったら、ほぼコース最速記録じゃん」
俺達は3人で笑い合いながら、下校しようとしていた。
だけど校門前まで来た時、成人男性に行く手を遮られてしまったんだ。
「ご歓談中のところ、申し訳ありません。私、マリー・ルイスの執事を務めておりますベッテルと申します。今日は我が主が、ランドール・クロウリィ様とぜひお話がしたいと。もしよろしければ、少々お時間をいただけませんか?」
ベッテルさんは、髪を綺麗なオールバックに整えた執事さんだった。
髪色はグレーで、白髪じゃない。
顔には皺が少なく、年齢はまだ40代といったところかな?
恭しく頭を下げる様は、落ち着きと若々しさを兼ね備えていた。
「ちょっと失礼。ミーティングをさせて下さい」
俺は宣言するなり、作戦会議を始めた。
ジョージ、ケイトさんと、素早く円陣を組む。
「マリー・ルイス? 最近婚約破棄されたっていう、ルイスグループのお嬢様やね?」
「ああ、有名な『シルバードリル』ですね。確か、3年生でしたか?」
「噂のお嬢様が、俺に接触してくる理由なんて、ひとつしか考えられない」
俺達3人は視線を合わせ、頷き合う。
『資金援助の申し出!』
俺とジョージの発言に、円陣の一部が崩れた。
ケイトさんが、盛大にコケたんだ。
ん?
なんか俺、変なこと言った?
「ランディ君、ジョージ君。ウチ、絶対違うと思うで……」
なぜかケイトさんは呆れていたけど、俺はスキップをしながらベッテルさんについていった。