ターン30 だからレーシングドライバーはヒーロー
■□クリス・マルムスティーン視点■□
「ははっ! どうだ!? 抜けねえだろう? 俺達ドリフト上がりの人間は、タイヤが滑り出してからが本番なんだよ!」
聞こえるはずもねえんだが、俺はランドールに向かって叫んでやる。
奴は何度もマシンの鼻先をねじ込もうとしては、追い抜きに失敗していた。
認めるぜ。
俺は、タイヤマネジメントに失敗している。
無理して後輪を滑らせ続けたせいで、表面が発熱し過ぎちまった。
熱ダレってヤツだ。
このウィッカーマンズサーキットの長いストレートでも、冷却しきれねえ。
こいつは想定外だ。
普通、このクラスに配給されるブリザード社製のタイヤはこんな性格じゃねえ。
予選、決勝日の公式練習、決勝レースまでの距離をぶっ続けで走って、最大のパフォーマンスを発揮。
その後は、緩やかにグリップ力が落ちていく。
そういう風に、作られている。
だが、俺の場合は酷使し過ぎた。
緩やかに落ちていくはずの性能が、急激に落ちちまった。
タイヤがこんな状態じゃ、まともに走れねえ。
「普通のドライバー」ならな。
だけど、俺は違う。
タイヤが滑ることなんか、怖くねえ。
現にランドールの奴を、封じ込めることに成功している。
マシンコントロールの技術が、てめえらフォーミュラの連中とは違うんだよ!
そう。
てめえらは、ビビりなんだ。
「ぶつかると空力部品が壊れて、ダウンフォースが無くなるから」
とかなんとか言って、他車とバトルするのが嫌いなんだろう?
俺は怖くなんてないぜ。
ちょっとやそっとの接触はな。
さあ来い!
ランドール!
狙いは、ダブルヘアピンの2個目だろう?
左コーナーのそこで外側から被せてしまえば、その後は右→右と続くからな。
次の連続右コーナーで、内側を取るつもりだろう?
そうはいくかよ!
フォーミュラ上がりの甘ちゃんであるお前に、バトルの激しさってやつを見せてやるぜ!
コースアウトして、泣くんじゃねえぞ!?
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■□ランドール・クロウリィ視点■□
「クリスの奴、イイ感じにヘバってきたな。あとひと押しで、目標達成なんだけど……」
そう。
今回俺の目標は、ただクリスを抜いて優勝することじゃない。
クリスを下位に落としつつ、自分が優勝することだ。
なんでそんな、手間のかかることをするかって?
それはこのマリーノ中央地区ジュニア選手権が、年間7戦の総合成績で争われるからなんだ。
それぞれのレース順位ごとにランキングポイントが与えられて、その合計値で年間王者を決める。
だからクリス君には、このレースを2位でフィニッシュして欲しくない。
ポイント圏外である、21位以下に落っこちてくれるのが理想的だ。
俺個人のタイトルだけでなく、今年はチームタイトルも狙っているからね。
キース先輩とグレン先輩が、クリスより上位でチェッカーフラッグを受けるのが望ましい。
そのためにはクリスのタイヤを徹底的に痛めつけ、その上で大きなミスをさせる必要があった。
俺の度重なるアタック(名演技!)を無理にブロックし続けたせいで、奴のタイヤはもうボロボロだ。
レースは残り3周。
そろそろ仕掛けても、いいだろう。
俺はメイン直線でクリスの背後、スリップストリームにつく。
マシン同士の距離は、5cmもない。
いつもは唸りを上げるはずの風切音が、ほとんど聞こえなくなる。
引っ張られるように、伸びる車速。
その勢いを利用して、俺はクリスの右側へと並びかけた。
右曲がりの第1ヘアピンでは、内側になる。
抜かせてなるものかとばかりに、ブレーキを我慢するクリス。
あんまり我慢は良くないぜ。
心にも、マシンやタイヤにもな。
だから俺は、あんまり無理はしない。
いつも通りのブレーキングポイントで、減速を始めた。
ブレーキを遅らせたクリスはマシンをスライドさせ、なんとかクリッピングポイント――コーナー内側の頂点へと車をつける。
奴は強引に後輪をスライドさせてラインに乗せたもんだから、かなり失速してしまっていた。
第1ヘアピンで突っ込み過ぎず、余裕を持って加速に入っていた俺にとっては千載一遇のチャンス。
第2ヘアピンで、アウトから被せる!
――っていうのは、クリス君の筋書き通りなんだろうけどね。
君って、俺以上の大根役者なんだね。
俺が被せたら、後輪をスライドさせてぶつけるつもりなんだろう?
キース先輩に、やったみたいにさ。
バレバレだよ?
でもいいや。
乗ってやろうじゃないの。
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■□3人称視点■□
カートでは、無線などの使用が禁止されている。
なのでケイトが叫んでも、ランディの耳には届かない。
それでも彼女はサインエリアのコンクリート壁から身を乗り出し、力の限りに声を張り上げた。
「アカンで! 外側から行ったら、ぶつけてくるで!」
それは彼女のような素人から見ても、簡単に予想がつく展開。
だが周りの大人達やジョージ・ドッケンハイム、ヴィオレッタ・クロウリィは全く動じてはいない。
周囲の反応に、ケイトは違和感を覚えた。
違和感を覚えつつも、ケイトは見守る。
平然と外側から、クリスのマシンに並びかけるランディのマシンを。
そして、彼女が予想した通りの展開が起こった。
クリスの駆る白いマシンが、旋回中さらに内側へと切れ込む。
アクセルを多めに開け、故意に後輪を滑らせたのだ。
ケイトが息を呑む暇すらなかった。
勢いよく振り出された後輪が、襲い掛かる。
クリスの外側を走る黒いマシン――ランディの左前輪へと。
ランディはタイヤの食い付きをフルに使い、曲がり始めていた瞬間だった。
当てられては、ひとたまりもない
モータースポーツの理論的なことは何もわかっていないケイトだったが、彼女は物理科目でも成績優秀。
ぶつかれば車は簡単にコース外まで弾き出されてしまうというのは、容易に想像がついた。
だが次の瞬間には、信じられない光景が展開する。
ケイトの予想も想像も、あっさり置き去りにした信じられない光景が。
「んな……アホな……」
車というものは、地面に着いた4つのタイヤに支えられて走る乗り物。
それが、ケイトの認識。
だから、受け入れられるはずもなかった。
ランディのマシンの内側2輪がふわりと浮き上がり、片輪で走行するなど――
車の機動として、あり得ない。
しかし現にランディのマシンは、片輪走行している。
アクロバット中の飛行機みたいに車体を大きく傾け、その状態をキープしながらコーナーを旋回していた。
ケイトが知ったのは、だいぶ後のことだ。
タイヤに掛かる荷重をコントロールする、卓越した運転技術。
今年で8歳の人間族とは思えない怪力を活かした、体重移動。
これらの組み合わせで、なせる技だと。
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■□ランドール・クロウリィ視点■□
空振ったクリス君の後輪が、俺のマシンの下を潜り抜けた。
それを確認して、左側に体重をかける。
俺はタイヤを、静かに着地させた。
クリスの奴は俺に後輪をヒットさせ、壁にしてスライドを止めるつもりだったんだろう。
空振っちゃったもんだから、横滑りが止まらない。
タイヤは悲痛な叫び声を上げながら、遠心力に屈服して車体を支えることを放棄。
クリス君のマシンは、スピンモードへと陥る。
それでも彼はドリフト競技で鍛えたマシンコントロールを発揮して、逆ハンドルを当てた。
アクセルでケツを沈め、マシンを制御下に置こうとしている。
だけど――
健闘むなしく、クリス・マルムスティーンはスピンを喫する羽目になった。
万全な状態のクリスなら、立て直せたかもしれないな。
タイヤの話じゃないよ?
ドライバーの体力の話さ。
カウンターステアが、ちょっと遅れたぜ?
後ろから、走りを観察していてわかった。
あいつは、トレーニング不足だ。
後半は横Gに負けて、首が外側に流されていたよ。
転生者でドラテクチートだから、それに胡座をかいていたんだろう。
甘いね。
この世界には俺達人間族なんかより、遥かに身体能力に優れた種族がいっぱいいるんだ。
人間族に生まれたってだけで、ハンデ背負っているようなもんだよ。
その差を埋めるには、トレーニングで鍛えるしかないじゃないか。
スピンしているクリスの眼前を、俺は悠々と通過してやった。
ヘルメットのシールドから、奴の血走った目がチラリと覗いた。
だけど、気にしない。
さあ。
カースタントの時間は終わりだ。
邪魔者は、いなくなった。
残り2周半。
俺とマシンの2人だけで、楽しむとしようか?
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■□3人称視点■□
「うわあ……。かっこええな……」
大気を切り裂くような排気音を上げながら、ケイトの眼前を走り抜ける黒いレーシングカート。
レースが始まった時は「猛獣だ」と感じていたのに、今はそんな怖い存在には思えない。
滑るようにコーナーを抜けていくその姿を、ケイトは美しいとさえ感じるようになっていた。
「かっこいいというのは、カートのことですか? それともランディのことですか?」
「……! ジョージ君! ちゃうで! カートのことや! ランドール君は私より6つも年下やのに、凄いなって……」
ケイトは顔を真っ赤にさせて叫んだかと思えば、最後の方は口をモゴモゴさせて俯いてしまった。
「年上なのを、気にしているのですか? 心配しなくても、ランディの中身は前世と通算で30歳のオッサンですよ?」
「だから、ちゃうて! そんなんやない!」
「あらあら、あの子も隅に置けないわね。でも魂の年齢で考えたら、30歳と13歳は犯罪よね~」
「がっはっはっ! そんなことを言い出したら、ランディが付き合える女はみんな超年上ばっかりになるぞ!」
「シャーロットさん! ドーンさんまで! ……もう知らへん!」
ケイトの話で盛り上がっている間に、ランディは最後の1周に入った。
大きく後続を引き離し、威風堂々とサーキットを駆けるその姿。
まるで、英雄の凱旋パレードだ。
「何やろう……? ウチ、サインボード出す係しかしとらんのに……。まるで自分が勝つみたいに、興奮しとる」
ケイトの言葉を隣で聴いていたエリック・ギルバートは、柔らかい笑みを浮かべた。
物静かな雰囲気だが、彼もまたランディの勝利に興奮している。
それは、ケイトにも感じ取ることができた。
「モータースポーツというのは、そういうものなのですよ。わたくしも出資しただけなのに、誇らしい気持ちでいっぱいです。これは、わたくし達全員の勝利。レースはチームスポーツなのですよ」
「色んな人の期待を背負って走るなんて、レーシングドライバーって大変なんですね……。まだ、あないに小さいのに……」
「だからこそ、レーシングドライバーは英雄なのです」
最終コーナーを立ち上がってきた、カーナンバー6。
レースの終了を告げる、チェッカーフラッグが振られる。
同時に湧き立つ、大歓声。
いつの間にか自分も叫んでいたことに、ケイトは気づいた。
優勝したランディはマシンをコンクリートウォールに寄せ、左手の人差し指を天高く突き上げる。
歓声と排気音で、言葉なんて届かない。
それでもサインボードエリアに居たチームスタッフ全員に、ランディの言いたいことは伝わった。
――俺達が、ナンバーワンだ。