ターン29 速く走るのはマシンとタイヤ
■□クリス・マルムスティーン視点■□
メイン直線に戻ってきて、サインボードを見た時だ。
「なにぃ? ランドール・クロウリィとの差が、詰まっているだと?」
レースは残り13周。
カーナンバー6。
つまりはランドールとの差が、1.6秒になった。
前の周では、まだ2秒近い差があったはずだ。
俺はハンドルに装着されたデータロガーで、自分のラップタイムを確認する。
48秒809。
決勝レース中のラップタイムとしては悪くないし、前の周ともほぼ同じタイムだ。
つまりは俺のペースが落ちたんじゃなくて、ランドールのペースが上がっている。
「あの野郎! 三味線ひいてやがったな!」
俺はこの、「三味線をひく」って言葉が好きだ。
地球で有名な走り屋漫画に出てたから、覚えた。
「手の内を隠す」とか、そんな意味だった気がする。
とにかく、このままじゃ追いつかれちまう。
「コーナー2個も抜けりゃ、バックミラーから消してやるぜ」
この台詞も、某走り屋漫画の台詞だ。
だけど――畜生。
そういえば、カートにミラーは着いてねえんだった。
くそっ!
なんかしまらねえな!
とにかくもっとペースを上げて、ぶっちぎってやる!
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■□3人称視点■□
「あっ! 前のクリス君が、ものすごく飛ばし始めたで。ランドール君、大丈夫かな? 追いつけるやろうか?」
ケイトが見つめるカーナンバー1。
クリス・マルムスティーンのマシンは、後輪をスライドさせながらコーナーに突入してゆく。
暴れるマシンを逆ハンドルで抑え込む姿は、まさにロデオ。
鬼気迫る攻撃的な走りに、ケイトは鳥肌が立った。
同時に心配になる。
ランディが、引き離されてしまわないかと。
「ものすごく飛ばし始めた……ですか。それはどうですかね?」
ジョージは手元のストップウォッチを見て、冷ややかな笑みを浮かべる。
「ランドール君の方は、なんかずっと大人しい走り方で……あれ?」
カーナンバー6。
黒いカウルを纏った、ランディのマシン。
その後ろを走る、カーナンバー5。
同じく黒いカウルのマシンに乗る、グレン・ダウニング。
両者の差が、開いている。
「グレン君が、遅れているんかな?」
「いいえ、違います。ランディのペースが、上がっているのです」
「え!? あないスムーズに走っているのに、なして?」
「そこが、モータースポーツの不思議なところでしてね。ちなみにケイト先輩。あなたが『ものすごく飛ばし始めた』と言ったクリス・マルムスティーンのタイムなのですが、0.2秒しか速くなっていませんよ」
「そうなん!?」
「まあクリス本人も、データロガーに表示されるタイムを見て不思議に思うでしょうね。『俺はこんなに頑張っているのに、何でだ?』とね」
「モータースポーツって、頑張ったらアカンの?」
「速く走ってくれるのは、マシンとタイヤですからね。ドライバーが力んだところで、タイムは縮まらない。ドライバーが頑張らないといけないのは、マシンとタイヤが最高のパフォーマンスを発揮できるよう管理することです」
「ふーん、よくわからへんけど……。ランドール君は、目立たないけど難しいことをやっとるんやね?」
「そういうことです。クリス・マルムスティーンも、相手が悪かった。普通の子供達が相手なら、無双できるドライバーなんでしょうけどね」
「ランドール君、中身が大人やもん。ちょっとズルうない?」
「相手も、中身は大人なはずなんですけどね……」
レースを見守る、ケイトとジョージ。
その眼前を、白いマシンと黒いマシンが駆け抜けてゆく。
白いマシンの排気音は、まるで怒りの咆哮。
それに追従する黒いマシンのエキゾーストは、「ヘイヘイどうした?」と煽り立てているように感じるから不思議だ。
「まあ、短気は損気ということですよ」
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■□ランドール・クロウリィ視点■□
少しづつ大きくなってくる、クリス・マルムスティーンの背中。
奴の背中にはチーム名、「レーシングトルーパーズ」のロゴがデカデカと描かれている。
「おー、焦ってる焦ってる。でもそんな走りじゃ、俺を振り切るのは無理だよ」
俺の追い上げに気づいて、クリスの野郎はペースアップを試みた。
アクセル開度を上げて、後輪を限界まで追い立ててるな。
だけど、こりゃダメだ。
駆動力が掛からず、タイヤが路面を蹴る力が横へ横へと逃げてしまっている。
奴はドリフトで強引に向きを変えられるから、コーナーへの進入スピードは相当に引き上げられていた。
メチャクチャな突っ込みだ。
ブレイズ・ルーレイロもドリフト気味にターンインするスタイルだけど、その後のアクセルワークが違う。
ブレイズなら、駆動力を逃がさない。
車を前へ前へと押し進める、テクニックを持っている。
「しょうがないよね。クリス君は、車を上手く振り回せるってだけの素人さんだからね」
奴のレーシングドライバーとしてのキャリアは、去年からの1年間しかないんだ。
そりゃ、これだけ車をコントロールできる技術があれば、基礎学校低学年の子供相手には無敵だろうさ。
下手したらルールを理解しているのかすら、怪しい子供達もいるからな。
だけど、経験を積んだレーシングドライバーには通用しないぜ?
ラウネスに来てからブランクもあったけど、俺には前世と今世でトータル20年以上のレースキャリアがあるんだ。
うん。
自分でも、ちょっとズルいと思う。
クリス君はこっちに来てからも、ドリフト競技をやれば良かったのに。
まあこの世界ではレース競技に人気があり過ぎて、ドリフトはあんまり流行ってないけどね。
俺はレース開始直後とは、走り方を変えていた。
ブレーキを引きずりながらコーナーに進入して「V」の字を描く走行ラインから、ブレーキをあまり残さず大きく「U」の字を描くラインへと変化させている。
素人目には、分からないレベルの変化だけど。
前半のブレーキを引きずる走りは、突っ込み速度を上げて後ろのカーナンバー2君に抜かれないようにするため。
そして前輪をしっかり発熱させ、後輪を温存するためだった。
今やっている「U」の字ラインは、温存してきた後輪に仕事をしてもらうため。
車の向きを変えたら、早めかつ小刻みにアクセルを開けることによってね。
さらにそのアクセル操作で、少しでもコーナー出口でのエンジン回転数を高く保つためだ。
前後左右。
4輪とも、バランス良く温まってくれた俺のタイヤちゃん達。
彼女らは勤労意欲が高く、チェッカーフラッグが振られるまで最高のパフォーマンスを発揮してくれるだろう。
一方で、クリスのタイヤちゃん達――特に後輪ちゃん達の疲労はMAX。
予選のタイムアタックから、ずっと過酷な労働条件で働かされているからなぁ。
そのうちストライキを起こすか、バッタリいく。
そして後輪ちゃん達の倒れた穴を埋めようと、クリスは前輪をこじって走っている。
だから前輪ちゃん達も、いずれ負担増に耐え切れずダウンする羽目になるだろう。
まさにブラック・マルムスティーン・カンパニー!
ホワイトなのは、奴のマシンとカートスーツだけだ。
レースは残り7周。
俺はクリスの背後にピッタリ張り付き、「テール・トゥ・ノーズ」の状態になった。
「さあ。ここからがこのレースで、1番大事な仕事だ。簡単に、抜いてもらえると思うなよ?」
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■□3人称視点■□
「いけー! ランドール君、頑張れー! ……ああっ! 惜しいなぁ。もうちょっとで、抜けそうやのに!」
サインボードを出しながら、ランディにエールを送り続けるケイト・イガラシ。
しかし彼女の祈りも虚しく、ランディは何度もクリス・マルムスティーンにアタックを仕掛けては追い抜きに失敗している。
少なくともケイトの目には、そう映っていた。
「ランドール君の方がタイム速いのに、なかなか追い抜けへんな。相手の方が、カーブに入る時のスピードが速いからなん?」
「ケイト先輩。レースは初観戦なのに、よくそこまで分かりますね」
「何となくや。ジョージ君。どうやったらランドール君は、クリス君を追い抜けるん?」
「ランディ本人がやる気になったら、追い抜けるんじゃないですか?」
「え? またまた、ジョージ君。それじゃ、ランドール君に追い抜く気があらへんみたいやないか」
「実際、追い抜く気がないんですよ。追い抜こうとする、演技をしているだけです。普段は大根役者なくせに、コース上ではなかなかの名優ですね」
「どういうことなん? このレースは、2位狙いってことなん?」
「いえ、狙いは優勝です」
「前のクリス君を追い抜かんと、優勝でけへんよね?」
「正確には、クリスや他のドライバーより前でチェッカーフラッグを受ければ優勝できます」
「意味が分からへんで~」
「まあ、安心して見ててください」
そこでケイトとジョージの会話に、シャーロット・クロウリィが割り込んできた。
「ジョージ君、そう安心してばかりもいられないわよ」
「シャーロット監督。やはりクリスは、また狙ってきますかね?」
「クリス君の後輪は、熱ダレしてズルズルよ。『思ったより後輪が滑ってしまった。わざとじゃない』って言い訳するには、絶好の状況ね」
「えっ!? シャーロットさん。それってレース序盤キース君にやったみたいに、ぶつけてランドール君を弾き出そうとしとるって意味なん?」
シャーロットの言葉を聞いて、ケイトの顔が青ざめた。
「もしまたウチのチームの車に当ててきたら、私の拳が『レーシングトルーパーズ』監督の顔面に飛ぶわよ」
バシン! と手の平に拳を打ちつけてみせるシャーロット・クロウリィ監督を見て、ジョージは不安げに諫めた。
「監督……。それはチーム全体がペナルティを食らうので、絶対やめてくださいね」