ターン28 クロウリィ・ドライビングスクール
■□ランドール・クロウリィ視点■□
「ふぅん……。いい腕してるじゃないか。頭はアホっぽいけど……」
1コーナーでのクリスの野郎とキース先輩の攻防を、俺は後ろから観察していた。
素直に感心して、ヘルメットの中で独り言ちる。
エンジン音と排気音。
風切り音。
さらには路面を斬りつけるタイヤのスキール音に遮られ、賛辞も悪口もクリスには届かない。
わずか1mほどの、至近距離にいるっていうのにね。
続く2コーナー。
ここも急なヘアピンコーナーだ。
俺のタイヤもクリスのタイヤも、まだ充分に温まってはいなかった。
温まっていないってことは、滑りやすいってことだ。
駆動輪じゃない前輪は特に内圧が足りず、外側に膨らみやすい「アンダーステア」な状態の車が多い。
ブレーキングで前輪を路面に押し付けても、まだ食いつき力が不足していた。
だけど、クリスは違う。
曲がらないはずの車を、器用に内側――コーナー出口へと向けていく。
鼻面が向きを変えているというよりも、尻が外側に出ていく動き。
その動きを使って、相対的に車を出口へと向けているんだ。
パワースライド。
後輪駆動の車でタイヤの限界を超えるパワーを掛けることで、意図的に滑らせるテクニック(?)。
テクニックの後に(?)を付けたのは、理由がある。
俺みたいなフォーミュラカー経験者から見れば、それはテクニックではなくミスだからだ。
駆動輪である後輪が滑ってしまうと、エンジンのパワーが路面に伝わらない。
地面をしっかり蹴れなくて、加速がトロくなってしまう。
だけどクリスのパワースライドは、失速がほとんどなくコントロールされたものだった。
なかなか見事だ。
こいつはその優れたマシンコントロールで、スライドする自車の左後輪をキース先輩の右前輪に当てた。
「当たった」じゃなくって、狙って「当て」やがった。
後ろで見てた俺には、はっきりとそれが分かる。
だけど故意だというのを、立証するのは難しい。
今頃母さんが、鬼の形相で相手チームに怒鳴り込んでいるはずだ。
けれども「レーシングトルーパーズ」の監督は、のらりくらりと逃げるのが上手いオッサンだからなあ。
レース運営側に申し立てても、「レーシングアクシデント」ってことでお咎めなしだろう。
さて。
パワースライドを駆使したドリフト走行を連発する、クリス・マルムスティーン。
無駄の塊みたいな走りだけど、こいつが意外と速い。
俺は「無駄」だと断じたけれど、それはハイグリップなタイヤでサーキットのキレイな路面を走るフォーミュラカーでの話。
雨で路面が濡れている場合。
タイヤが冷えていたり、寿命が終わっていてズルズルに滑る場合。
車の調整に失敗して、極端にアンダーステアな車になってしまっていた場合。
そんな時はタイヤを空転させ、エンジン回転数を高く保てるドリフトの方が速く走れてしまう場合もある。
それでもやっぱり、滑らせすぎると遅くなっちゃうんだけど。
ドリフト競技というものが、地球には存在していた。
速さを競い合うんじゃない。
ドリフト走行の派手さや、車を傾ける角度、コーナーへの進入スピードなどを採点し、競い合うカテゴリーだ。
俺達レーシングドライバーをスピードスケートの選手とするなら、ドリフト競技のドライバーはフィギュアスケーターってところかな?
俺の前を走るクリスの野郎は、そのドリフト上がりと見て間違いない。
ドリフト上がりのレーシングドライバーって、速い人が多いんだよね。
荷重移動で車の向きを変えるのが上手な人が多いし、タイヤが冷えていても、雨で路面が濡れていても何のその。
悪条件に、めちゃくちゃ強い。
暴れるマシンをコントロールすることにかけては、ドリフト経験者の右に出る者はいないだろうね。
でもそれで速いっていうのは、レースとドリフトの両方ともよく分かっているドライバーの話。
「さあ、君はどうなのかな? クリス君」
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■□3人称視点■□
スタート時は、ピットからランディを見守っていたRTヘリオンの面々。
彼らは今、サインエリアというピットロードを渡ったエリアにいる。
コースのメイン直線とサインエリアを隔てるのは、コンクリートの壁1枚。
スタート時はサインエリアへの立ち入りが禁止されているので、スタート後に移ってきたところだ。
「あっ! ランドール君が、少しずつ引き離されていくで!」
「ふうむ……。ドッケンハイム総監督。わたくしの目には、ランディ君の加速が鈍いように見えるのですがどうですかな?」
「低速コーナー後の伸びは、クリスの方がありますな。彼はドリフトを多用して、エンジン回転数を高く保っているようです」
顎に手を当てながら、ドーン・ドッケンハイムはエリック・ギルバートの見立てを肯定し、補足する。
低速コーナーならドリフトでタイヤが空転したタイムロスよりも、エンジンの回転数を高く保ったことによるゲインの方が上回ることもある。
「なるほど。2ストロークエンジンは、低速トルクがスカスカですからな」
回転力――つまりエンジンの瞬発力は、ある程度回転数を上げなければ弱い。
特に芝刈り機やレーシングカートのエンジンに使われている2ストロークエンジンは、乗用車などに使われる4ストロークエンジンに比べその傾向が顕著だ。
17000回転まで回るといえば聞こえはいいが、そこまで回さないとパワーが出ないのだ。
その代わり一定の回転数以上になると、爆発的なパワーを絞り出すのがレーシング2ストロークエンジンの特徴だが。
「長いメイン直線に合わせて、歯車が最高速重視になっているんです。そのせいで低速コーナーでは、エンジンの美味しい回転域より下まで回転数が落ち込んでしまう」
横でドーンとエリックの話を聞いているケイトには、チンプンカンプンだ。
だがなんとなく、
「エンジンが力を発揮できていない」
「敵のクリスだけは、それを発揮できている」
というのは理解できた。
「ランディ君はそういった、ドリフトでエンジン回転数を落とさないようキープする走り方はできないのですかな?」
「うーん。あいつの腕なら、やろうと思えばできると思うんですがね……」
エリックの質問に、言いよどむドーン総監督。
続きは、ランディの母親であるシャーロットが答えた。
「あの子、そういう走りは嫌がるんですよ。『タイヤとエンジンに、負担がかかるから』ですって」
「ほっほっほっ。徹底しとりますな。まあ、心配する必要はなさそうです。走りを見ていると、実にスムーズだ。全く慌てていないように見えますな。あんなに大渋滞を、引き起こしているのに」
ランディが乗る黒いマシンの後ろには、大渋滞が起こっていた。
彼のペースが遅いのだ。
(うわー! あんな大勢の人達に、煽られて……。ウチやったら、絶対焦ってミスしてまうな……)
ケイトはそんなことを思ってドキドキしていたが、渋滞の先頭を走るランディの姿は余裕そのものだ。
最小限のブロックラインで、さほどタイムを落とすことなく後続を封じ込めている。
レースを知らないケイトから見ても、「大丈夫なんだな」という安心感を抱かせる走りだった。
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■□ランドール・クロウリィ視点■□
3周目に入った。
前を行く、クリスとの差は何秒だ?
俺はメインストレート通過時に、サインボードで差を確認しようとした。
その時、目に入ったのは――
「おや? ケイトさんじゃないか? サインボード係、やってくれるの?」
ケイトさんのような可愛い女の子がサイン出してくれる方が、モチベーション上がるぜ。
ドーン総監督はオッサンだし、ジョージは男だし、レース中の母さんは怖いしな。
理想をいえば我が家の天使、妹が出してくれるのが1番テンション上がる。
だけどヴィオレッタは、今年でまだ6歳。
脚立でも使わないと、コンクリートウォールの上まで背が届かない。
脚立の上から、落っこちたりしたら大変だからな。
背が伸びるまで我慢だ。
ケイトさん、緊張した顔でボードを出してたなあ。
もちろん俺は、ケイトさんに気を取られてボードを見落とすようなミスはしていない。
残り周回数は、15周。
クリスとの差が、1.9秒。
「ケイトさんを、あんまり不安にさせても悪いからな……。そろそろ始めるか」
そう決意した俺の背後で、後続車のエンジン音が左にずれる。
振り返って確認。
白いカウルのマシンに、白いカートスーツ。
カーナンバーは2。
「レーシングトルーパーズ」の――なんて名前だったっけ?
俺を風よけに使って、車速がかなり伸びている。
右曲がりの1コーナーで、仕掛ける気満々だ。
外から被せて粘り、そのまま左曲がりの2コーナーで内を刺す。
いわゆる「カウンターアタック」を、かましてくるつもりなんだろう。
やれるもんなら、やってみろ。
ノーズはまだ、俺の方が前に出ている。
ブレーキングを相当奥まで我慢しないと、俺に被せるのは無理だぜ?
250mの長いストレートで、車速は軽く110km/hを超えている。
耳元で風切り音が、不気味な唸りを上げていた。
死神の呼び声なんて言う人もいるけど、俺は慣れてるから気にならないね。
カートよりさらに速度の出るフォーミュラカーは、風圧でヘルメットが持ち上がって気持ち悪いぐらいなんだぜ?
1コーナーの奥にある、衝撃吸収のためのマット――クラッシュパッドが、俺達に大きく迫る。
あれを破くと、地球では何万円も払わされるんだよな~。
こっちの世界だと、少しは安いのかな?
ちらっと隣のカーナンバー2を見やる。
ヘルメットの中に見える瞳が、クラッシュパッドに釘付けになっていた。
スピードの恐怖に負けたのか、弁償の恐怖に負けたのか――
ダメダメ。
そんなところを見ていたんじゃ、吸い寄せられちゃうよ。
俺は蹴飛ばすような勢いで、ブレーキペダルを踏んだ。
ブレーキング開始位置の目印は、コース脇にあるコーナーまでの距離を表示したボード。
短く鳴り響くスキール音。
ブレーキが付いている後輪ちゃんが浮きにくいように、しっかり体重を掛けてやる。
エンジンの回転が強制的に引き下げられ、呻くようなサウンドを発した。
見たか。
ブレイズ・ルーレイロも真っ青な、この遅いブレーキング。
同時に目線は、タイトな1コーナーの出口を見る。
車ってのは不思議な乗り物で、ドライバーの目線が向いている方向に進んじゃうもんなんだよね。
だから速いドライバーほど、目線が遠い。
俺がなかなかブレーキを踏まなかったから、焦ったのか――
カーナンバー2君は、自分の限界を見失った。
タイヤをロックさせるようなヘマこそしなかったものの、スピードを殺しきれていない。
前輪が滑って曲がり切れない、「アンダーステア」を発生させてしまう。
彼はコーナー外側へと、大きく膨らんでいく。
俺は、そんなことにはならない。
ブレーキをちょっとだけ引きずりながらコーナーに入る、「トレイルブレーキング」を使っている。
前輪に荷重を乗せつつ、進入しながらさらにスピードも殺していっているからだ。
よたよたと膨らむカーナンバー2の内側を、ウチのグレン・ダウニング先輩が悠々と追い抜きしてきた。
よーし。
バッチリ計画通り。
あとは俺が、クリスの野郎をギッタギタにノシて仕事は終わりだ。
そう。
ギッタギタにね。