ターン27 あの野郎のコンタクト
■□3人称視点■□
右をみても、左を見ても人、人、人。
時々、スタンドに載せられたレーシングカートが通ってゆく。
パドックエリアを行き交う、人々の洪水。
その光景を目の当たりにした天翼族の少女――ケイト・イガラシは、怖気づいていた。
背中に生えた天使の翼も、縮こまってしまっている。
「うわー、凄い人だかりやね。カートレースって、こんなに沢山の人達がかかわるんや……」
今日は地球での日曜日に当たる、リースディースの日。
マリーノ中央地区ジュニア選手権第1戦、決勝日。
去年の最終戦は、家庭の用事で見にくることができなかった。
今度こそはランドール・クロウリィのレースを観るのだと、ケイトは張り切ってサーキットまでやってきたのだが――
「どないする、ショウヤ? どこに行けばランドール君に会えるのか、全然わからへんな」
ケイトはピンク色のゆるふわヘアを振るわせながら、肩に止まっているフクロウを見やった。
しかしフクロウのショウヤは、眠りこけている。
スリーピングアウルという種族名を、象徴するかのようだ。
飛んで空から探してもらうのは、無理な模様。
ケイトの注意は、ショウヤに向いている。
そのせいで、周囲の観察がおろそかになっていた。
「……キャッ!」
誰かにぶつかりバランスを崩したケイトは、地面に倒れ込みそうになる。
眠っていたショウヤも危険を察知し、ケイトの肩から飛び上がった。
だが彼には、ケイトを支えるような力はない。
彼女を支えたのは、機械だった。
「え?」
黒い金属製の駆動部を、カーボンファイバーのカバーで覆った義手。
ケイトは思った。
最近人気のテレビアニメ、【解放のゴーレム使い】に出てくる人型機動兵器マシンゴーレムの腕みたいだと。
「大丈夫ですかな? お嬢さん?」
「あ……ありがとうございます。あっ! お爺さんは、ランドール君の家にきていた……。エリック・ギルバートさん?」
「おお、あの時の。確か、ケイト・イガラシさんでしたかな?」
同一人物だと気付くまで、やや時間がかかった。
クロウリィ家で会った時は全身グレーのスーツで決めて、いかにもビジネスマンといった風体の紳士だったから。
しかし今、ケイトの眼前にいる老人はイメージが違う。
アスリートが使うようなスポーツサングラスをかけ、上半身は胸と背中に企業名とチーム名が刻まれた真っ黒いワイシャツ。
清潔感に溢れた白いパンツで決め、若々しい雰囲気を放っていた。
何より違うのは、右手の義手。
以前は、隠すようにしていた。
しかし今日の義手は、強烈に自己主張している。
蛍光色に塗装されたカバーに覆われ、ド派手な黒とイエローのツートンカラー。
おまけにカバー部分にはYAS研の企業ロゴとRTヘリオンの名前が入り、目立たせる気満々だ。
「おっと。無骨な腕で、怖がらせてしまいましたかな?」
ケイトを立たせると、右手の義手を離すエリック・ギルバート。
その口調は深刻なものではなく、どこかおどけたような言い方だ。
「いいえ! その右手、すっごくカッコええと思います。……あっ! ごめんなさい。ウチ、無神経なことを……」
「いえいえ。可愛らしいお嬢さんにカッコいいと言ってもらえるなら、作った甲斐があるというもの」
エリックは満足げに、右手をニギニギさせる。
滑らかな動きと、機能美溢れるスポーティなフォルム。
何人かの人々が足を止め、「ほぉ~」と感嘆の声を漏らしながらエリックの義手に注目していた。
「さて。新商品の宣伝はこれぐらいにして、一緒に観に行きませんかな? 我がチームが誇る、小さな英雄君の活躍を」
サングラスをずらして見せたエリックの瞳は、少年のようにキラキラしていた。
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エリックに連れられて、RTヘリオンのピットへとたどり着けたケイト。
彼女は面識のあるシャーロット・クロウリィを見つけ、ホッとひと息ついた。
「まあ、エリックさん! ようこそいらっしゃいました! ケイトちゃんも、きてくれたのね」
「やあ、こんにちは。シャーロットさん。ランディ君は、最前列を獲得できたそうですね。これは期待できそうだ」
「フロントローって、何ですか?」
「ああ、ケイトちゃん。フロントローっていうのはね、予選で1番目か2番目にいいタイムを出したってこと。決勝レースでは、最前列からスタートできるのよ。3台並んでスタートするレースなんかでは、3番手までがフロントローね」
「……ってことは、有利なポジションなんですね?」
「そういうこと」
ケイトがシャーロットから説明を受けている間に、エリックは総監督のドーン・ドッケンハイムと挨拶を交わし、他のクラスの予選結果も聞いていた。
(あの人がランドール君のチームに、お金を出してくれているんやね? ランドール君、頑張ってええところを見せて)
ケイトが掌を組んで祈っていたところに、ランドール・クロウリィの妹ヴィオレッタがやってきた。
「ケイトお姉ちゃん、飲み物をどうぞ」
まだ5歳なのに、チームのお手伝いを立派にこなすその姿。
ヴィオレッタに、ケイトは感心していたのだが――
「飲み物はあげますけど、お兄ちゃんはあげませんからね」
ヴィオレッタはにっこりと微笑みながら釘を刺してくる、ブラコン拗らせ幼女だった。
ケイトが頬を引きつらせていると、大きな音が轟く。
「あっ! レースが始まった!」
排気音を響かせながら、一斉に走り出したカートの群れ。
その光景を見て、ケイトは確信した。
「ああ、ケイトちゃん。これはまだ、違うのよ。これはフォーメーションラップっていうの」
まだレースはスタートしていないという言葉を聞いて、ケイトは愕然とした。
スタートしていないにしては、物凄いスピードだ。
遊園地のゴーカートなんて、比べ物にならないぐらいの速度と音量でマシンは駆けて行く。
「カートって乗り物はね、車を停止させちゃうとエンジンも止まってかけ直しになっちゃう乗り物なの。このクラスは子供用でクラッチが付いているから、止まってもエンジンはかけ直さなくていいんだけどね」
「クラッチってなんですか? ウチのオトンやオカンも車を運転する時、左足でクラッチっていうのを踏んでるみたいですけど」
「簡単に言うとね、エンジンとタイヤをつなげたり、切り離したりする装置。いま走っているカートはエンジンの回転が上がると、自動的に繋がる『遠心クラッチ』っていうのを使っているんだけどね」
「じゃあ本来は、いちど走り出したら走り続けないとアカン乗り物だったんですね?」
「そうそう。ケイトちゃんは、賢いわね。……だからカートレースのスタートは、止まった状態からよーいドンじゃないの」
シャーロットの解説を聞いている間に、カートの集団は最終コーナーへと差し掛かっていた。
コース係員の掲げた「DOWN」というボードの指示に従い、全車速度を落とす。
極彩色のマシンとスーツを身に纏ったドライバー達は、綺麗に横2列の隊列を組んでいた。
その状態をキープしたまま、最終コーナーを回り戻ってくる。
「路面に黄色い線があるでしょう? あれを過ぎたら、スピードを出していいの。その25m先にあるスタートラインを越える前に追い抜きをしたら、ジャンプスタート……つまりフライングね。こういうスタート方式を、『ローリングスタート』っていうのよ」
ゆっくり整然と黄色いラインへと向かうマシン達を、ケイトは固唾を呑んで見守っていた。
素人のケイトにも分かる。
今は大人しく走っているが、あれは猛獣だ。
猫科の肉食獣のように、今は気配を殺して獲物に忍び寄っている最中なのだ。
先頭の白いマシンが、黄色いラインを超えた。
その瞬間一斉に咆哮を上げ、猛獣達が加速する。
赤信号、消灯。
肉食獣同士による、食い殺し合いが開始されたのだ。
ケイトは1歩、その場から後退した。
あまりの音圧と速度、ドライバーが発する殺気に気圧されたのだ。
眼前を、スタートしたマシンの群れが通過していく。
群れとすれ違う直前、ケイトは見た。
黒いカウルのマシンに乗った、白いヘルメットの子供。
その子が自分を見て、優しく微笑んだのを。
「ランドール君!?」
結構大きめに叫んだはずだ。
だが爆音にかき消され、ケイトの声が聞こえた者はいなかった。
子供と機械の融合した怪物達が、1コーナーへと向けてなだれ込んでいく。
ここは、急なヘアピンコーナーだ。
先頭の白いマシン――カーナンバー1クリス・マルムスティーンは、がっちりとコーナーの内側をキープ。
そこへ外側から並びかける黒いマシンは、2番手スタートのランドール・クロウリィではない。
カーナンバー5番。
ランディの先輩、キース・ティプトンだった。
3番手からスタートした彼は先頭スタートのクリスにピッタリと加速タイミングを合わせ、ジャンプスタートぎりぎりの絶妙なスタートを決めていたのだ。
キースはクリスのマシンに自分のマシンを被せて、外側で粘る。
このまま踏ん張れば、次の2コーナーは逆曲がり。
キースが内側を取り、有利になるはずだった。
しかし――
「あっ! 1台飛び出したで!」
キースはコースの外側――芝生まで飛び出し、順位を落とす。
その横を、後輩のランディがすり抜けていった。
ケイトはなかなか目がいいのだが、1コーナーまでは距離がある。
詳しい状況は、見えなかった。
頑張り過ぎたキースが曲がり切れずに膨らんで、外側にはみ出してしまったように思えたのだが――
「「あの野郎!」」
見事にハモった、大人2人の怒号。
カートの全開走行音を圧倒して、ケイトの耳にも届いた。
1人は総監督、ドーン・ドッケンハイムの怒鳴り声で間違いない。
もう1人は――
(まさか、シャーロットさんやないやろな? あんな綺麗なお母さんが、「野郎」やなんて……)
そう思いながらケイトが振り返ると、背後に立っていたはずのシャーロットが消えていた。
遠くを見やると、クロウリィ夫人の背中が見える。
陸上短距離選手のような勢いで猛ダッシュし、みるみる小さくなっていった。
「え? シャーロットさん、どこ行くん?」
「抗議に行ったんですよ。白いマシンのチーム、『レーシングトルーパーズ』の監督にね」
「うわっ! ビックリした! ジョージ君、いつの間におったん。……抗議ってことは、ひょっとして?」
「ええ。間違いありませんね」
ジョージは眼鏡を、人差し指で押し上げた。
太陽の光を反射して、レンズが白く染まる。
その奥にある瞳には、静かな怒りをたたえているのだろう。
察したケイトは、震え上がった。
「ぶつけやがりましたね。クリス・マルムスティーンの野郎は」
アニメ化はされておりませんが、「解放のゴーレム使い~ロボはゴーレムに入りますか?~」もよろしくお願いします↓
車好きの方は、現地民の名前に呆れる事間違いなし。