ターン26 ウィッカーマンズサーキット
耳をつんざくような、100cc空冷2ストロークエンジンの高回転音が響き渡る。
甲高い音がするのは、当たり前だ。
このエンジンの最高回転数は、毎分17000回転。
出力は、15馬力を軽く超える。
ドライバー込みで110kgしかない車体には、充分過ぎるパワーだ。
背後から蹴飛ばされるようにマシンは加速し、俺の体はGでシートに押し付けられる。
左手に見えるコンクリート壁の上から、シャーロット母さんが黒いボードを突き出していた。
サインボードってヤツだ。
無線による情報交換が禁止されているカートでは、このサインボードがドライバーに情報を伝える生命線。
表示されているのは、俺がマークしているクリス・マルムスティーンの予選タイム。
予選残り時間から考えて、奴のタイムはこれで確定だろう。
俺とマシンは、一瞬でボードの前を通過してしまった。
だけど、問題ない。
48秒446だろ?
慣れたレーシングドライバーは、ボードを読み損なうことなんてほとんどないんだ。
強い風がヘルメットに当たり、轟々と音を立てる。
長い直線で充分にスピードが乗ったマシンの速度は、110km/hをちょっと超えたぐらい。
「110km/hなんて、大したことないじゃん。高速道路と、同じぐらいだろう?」
って思う人も、いるかもしれない。
だけどレーシングカートのシートは、地面に直接座っているようなもん。
ドライバーの視点は、めちゃくちゃ低い。
だから体感だと、普通の車での220km/hぐらいは出ているように感じるもんなんだ。
――ま、俺は地球で散々カートに乗ってきたから、体感と実速の差には慣れてるけどね。
タイヤの発熱状態は、バッチリ。
ゆっくり丁寧に走って皮剥きした新品タイヤは、内圧もベストな空気圧まで上がっている。
ジョージが路面温度から計算して入れた、冷間時の空気圧がドンピシャにハマったってことだ。
これで俺は、そのまま予選アタックに入れる。
いちどピットに戻って、空気圧を微調整する必要はない。
さーて。
タイムアタック開始だ。
ついでに、コース解説もしちゃおう。
このウィッカーマンズサーキットは、宿敵「レーシングトルーパーズ」の本拠地。
メイン直線の長さは250mと、カートコースとしては比較的長め。
それ以外の部分は短い直線と、きつく曲がった低速コーナーが組み合わされている。
いわゆる、「ストップ&ゴー」と呼ばれる性格のサーキットだ。
全日本カート選手権で走った本庄サーキットに近いけど、あれより低速コーナーの数が多い。
アップダウンがほとんどなく、平坦。
エスケープゾーンや観戦エリアの芝生がやたら広い、開放感に溢れた景観だ。
レジャーシートを広げのんびりと寝転がっている観客達を尻目に、俺はメイン直線を駆け抜けた。
エンジンが悲鳴を上げそうなぐらいに長い長い全開加速をした後、最初に待ち受ける第1コーナーは急な右曲がりのヘアピン。
8R――つまりは半径8mの円と、同じ曲率で曲がっている。
いくら軽量な車体に溝無しタイヤを履くK2-100クラスのカートでも、相当減速しないと曲がり切れない。
俺は床を踏みぬくような、ハードブレーキングを実行。
ズッ! と一瞬、タイヤの滑る感触が後輪から伝わってきた。
ロックしないように踏力を抜きながら、俺とマシンは急減速してゆく。
後輪が浮き上がっている内に、軽くハンドルを切ってターンイン。
ブレーキングで押し付けられ路面に食いついた前輪は、いつも以上に仕事を果たした。
車体全体がクルリと軽快、かつ滑らかに向きを変える。
まるで、フィギュアスケーターのスピンだ。
この荷重移動で車をコントロールする瞬間が、最高に楽しい。
やり過ぎは、禁物だけどね。
軽量なK2-100のカートで馬鹿力の俺が体重移動や荷重移動をやり過ぎると、横転しそうになるから。
第1ヘアピンを立ち上がったら、短めの直線を挟んでまたヘアピン。
今度は左曲がりだ。
第1ヘアピンと合わせて、「ダブルヘアピン」と呼ばれている。
ブレーキは1コーナーより、かなり短時間で済む。
手前の直線が短くて、スピードがそんなに乗っていないからね。
そして3、4コーナーは、右の直角ターンが2連続で続く。
ちょうどカタカナの「コ」の字を、反転させたようなコーナーだ。
2つの直角ターンの距離は近いから、間の直線加速はあまり重視しない。
1個目を進入スピード重視で飛び込んで、2個目は脱出速度重視だ。
タイムを出すためには、内側に設置された紅白の縁石を右前輪で乗り越えないといけない。
だけど、ここの縁石はちょっと段差がある。
乗り越える衝撃で、マシンにダメージがあると嫌だ。
だから俺はアクセルとステアリング操作で右前輪を持ち上げながら、縁石をひょいっと跨いだ。
コーナー出口外側にある縁石は段差がなくてスムーズに乗れるから、こちらはガッツリ踏んでしまうことにする。
左のタイヤが芝生にはみ出すギリギリまで、ミリ単位で道幅を使ってスピードを乗せて行く。
このあと全開で曲がる緩い右コーナーと、裏の直線があるからね。
スピードを稼いどかないと、タイムに響くんだ。
んで、そこそこスピードが乗ったところで左→右→左と切り返す、3連続S字コーナー。
かなり窮屈に曲がった、低速S字だ。
走っていて、あんまり面白くはない。
鈴鹿サーキットのS字みたいに、スピードを乗せながらヒラヒラと左右に切り返すような区間なら楽しいんだけどね。
ウィッカーマンズサーキットのS字は、超ゆっくりじゃないと曲がれない。
ここで必要なのは、忍耐力。
車の向きが変わるまで、ひたすらアクセル我慢が要求される。
いいことといえば、曲がるスピードが遅くてタイヤへの負担が少ないことぐらいかな?
ああ、嫌だ嫌だ。
エンジンの回転数も、落ちちゃうじゃないか。
長いストレートに合わせた歯数のスプロケットにしてるから、いちど回転が落ちちゃうと立ち上がり加速が鈍るんだよな~。
ギヤ付きの自転車に乗った経験がある人なら分かるだろうけど、力が強くて加速のいいギヤは速度が伸びない。
逆に速度が伸びるギヤは力が弱く、加速が鈍い。
カートはチェーンを回すスプロケットっていう歯車の歯数を変えて、加速重視なのか最高速重視なのか決めるんだ。
低速コーナーが多いこのコースは、加速重視のセッティングにしたいところ。
だけど、メイン直線だけはけっこう長いからな~。
途中でエンジンが吹けきっちゃうと話にならないから、仕方なく最高速度重視だ。
低速コーナーからの立ち上がり加速が鈍くなっても、ドライバーがなんとかするしかない。
ストレスの溜まるS字3連発を抜け出すと、今度は大きく右に回り込んだ最終コーナー。
ブレーキ無しのアクセルオフだけで曲がり切れるコーナーなんだけど、こいつがちょっと体力的にきつい。
ハイスピードで曲がるから、かなり遠心力がかかるんだ。
今俺が乗っているK2-100クラスのマシンでも、外側に向かって約3G掛かっている。
3Gって、どれぐらいキツいか分かる?
現在俺の体重が、35kg。
3Gっていったら、その3倍――105kgの力で、外側に引っ張られるって意味だよ。
バケット形状のシートが体を支えてくれるけど、そのシートに105kgで体が押し付けられてるってことだからね。
スーツの内側に着こんでいるリブプロテクター無しだと、大人でも肋骨を疲労骨折したりするんだ。
この高速コーナーは、身体能力チートの俺でもキツい。
大体この世界のカートは人間族じゃなくって、筋力に優れたドワーフや獣人やらに合わせて年齢制限が設けてある。
K2-100クラスは地球ならば、FP3ジュニアカデットに相当する高学年向けのクラスなんだよ。
おまけにジュニアカデットと違って、吸入空気量制限装置でパワー制限をしていない。
だから俺みたいな低学年の人間族を乗せるには、少々危険なスピードだ。
まあ周りの大人達は、誰も止めないけどね。
身体能力が上級生並みなのは、みんな分かってくれている。
俺、鍛えてますから。
そうさ。
ドライバーに、泣きごとを言う暇なんてありゃしない。
この高速コーナーの先は、長い直線。
スピードを乗せないと、大きくタイムに影響してくる。
俺は、ギシギシいう背筋と肋骨の訴えを無視。
最終コーナーでめいっぱいスピードを乗せ、立ち上がってゆく。
過酷な労働条件でストライキを起こしそうになるタイヤちゃん達を、繊細なステアリング操作とアクセルワークで宥めながらだ。
あとはメイン直線を、全開で駆け抜けて――フィニッシュ!
これは手応えあり。
予定通りのポジションに、着けたかな?
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俺がピットロードへと戻ってくると、ジョージが出迎えてくれた。
「ランディ、お疲れ様です。予定通り、君は2番手タイムですよ」
「よっし! 1番手はもちろん、クリスの野郎だよね?」
「ええ、そうなんですが……。ちょっと奴が、予定と違う行動に出まして……」
「そんな……まさか……?」
「はい。彼は君のマークしたタイムが、自分からわずかコンマ1秒遅れだということをサインボードで知ったのです。そして予選終了時間ギリギリにもういちどタイムアタックをし、その差をコンマ5まで広げました」
「なんてこった……」
「クリス・マルムスティーンは、僕たちの想像以上ですね」
ジョージは普段表情に乏しい顔を歪めて、人の悪い笑みを浮かべる。
たぶん俺も、同じような顔をしているんだろうな。
「ほんと、想像以上にバカだよね」