ターン23 リスタート(2)
■□ランドール・クロウリィ視点■□
「急いでウチは……家に戻って……。両親に、救急車と警察を呼んでもらって……キャッ!」
最後の方は、泣きながら話していたケイトさん。
そんな彼女に、シャーロット母さんが抱きついた。
肩が細かく震えている。
泣いているんだ。
母さんも。
「ごめんなさい……。ウチのせいで、ランドール君の伯父さんが……。シャーロットさんのお兄さんが……」
「いいの……。もう、いいのよ。ずっと苦しかったよね? 『自分のせいで、誰かが死んだのかも?』って考えるの、とってもつらいよね。大丈夫よ。兄さんは今頃、天国で自慢してるわ。『見たか、僕の神回避を』って。そういう人だったから。あなたに怪我がなくて、本当に良かった」
確かに母さんの言う通り、神回避だと思う。
伯父さんは濡れた路面で旋回ブレーキを掛けながら、ケイトさんの動きに合わせて逆方向に避けようとした。
曲がりながらのブレーキングは、乾いた路面でも滑りやすいっていうのに。
伯父さんは濡れた路面で、ギリギリのブレーキングをしている。
そのあと車が横を向いたというのは、おそらくサイドブレーキを使ったスピンターンだろう。
サイドブレーキは、後輪にだけ効く。
ブレーキで後輪を浮かせつつハンドルを切り込んで姿勢を作ってやれば、サイドを引いて後輪を大きくスライドさせることができる。
本来は、サーキットを走るレーシングドライバーの技じゃない。
狭い峠道や、未舗装路を走るラリースト。
あるいはクルクルと車を振り回す必要がある、ジムカーナドライバーの技だ。
俺は練習したことがないから、上手く車を振り回せる自信はないな。
伯父さんはレースに出るお金が無い時に、ジムカーナの練習会とかに出て腕を鈍らせないようにしていたらしい。
レース競技よりは、お金がかからないから。
だからこそ、とっさに繰り出すことができたんだと思う。
いやはや、凄いテクニックを持った伯父さんじゃないか。
生きている内に、会って話をしてみたかったよ。
「兄さんは持てる技の全てを尽くして、車があなたを傷つけるのを拒んだ。最期まで、自分のドライビングに誇りを持っていたんだわ」
ケイトさんの頭をそっと胸に抱きしめながら、母さんは続ける。
「私のせいで兄さんが自殺したんじゃないかって、ずっと思ってた。私がチームのマネージャーとしてしっかりしていたら、ちゃんと大口のスポンサーを見つけてこられたんじゃないかと思って……。兄さんが借金を背負うことは、なかったんじゃないかって……。でも、違ったのね……」
ああ。
やっぱり母さんは、それを気にしていたんだ。
でもスポンサー探しなんて、当時の母さんには難しかったと思う。
伯父さんがツーリングカーレースやってた頃って、母さんはまだ20歳ぐらい?
企業の担当者と、アポを取るのさえ難しかったんじゃないかな?
「自分が行動しなかったせいで、兄さんが死んだと思いたくなかった。だから『レースはお金がある人達だけの世界なんだ』と、自分に言い訳して生きてきたの」
ケイトさんにこんなことを話しても、意味が分かるはずがない。
母さんは、俺に聞かせようとしているんだ。
いいんだ母さん。
伯父さんが死んだのは、誰のせいでもないんだよ。
レースのせいでもない。
人生の終わりは、ある日突然やってくるんだ。
だから伯父さんは、日々を目いっぱい生きていた。
1日1日常に自分の限界を探り、それを押し広げるように人生という名のレースを走り続けた。
その結果は早期のリタイヤになってしまったけど、きっと本人は後悔していないはずだ。
後悔はしていないだろうけど、悔しがってはいるかな?
なんせ、もう少しで――
おっ!
この車の音は――
玄関チャイムが、優しく、柔らかく鳴り響く。
泣いている母さんとケイトさんを、宥めるかのように。
「あら、どなたかしら? 工場じゃなくって、自宅の方に御用なんて……」
「母さん。俺が呼んだ、お客さんだよ。ここに、お通ししていいかい?」
若干戸惑いながらも、母さんは頷く。
俺はゆっくりと、玄関に向かった。
母さんとケイトさんが、泣き顔の後処理をする時間を稼げるように。
「はーい! 今出まーす! 少々、お待ちくださーい!」
■□■□■□■□
□■□■□■□■
■□■□■□■□
□■□■□■□■
俺に案内されてリビングへと入ってきたのは、グレーのスーツをぴしゃりと着こなしたお爺さん。
整髪料でカッチリと白髪を撫でつけ、髭をシェブロン型に整えたその姿は紳士オブ紳士。
「初めまして、ミセス・クロウリィ。わたくしは、エリック・ギルバートと申します。義手・義肢を研究・開発・製造をする、『YAS研』という会社を経営しております」
「まあ! 御社のお名前は、伺ったことがあります。それで今日は、どういったご用件で?」
「実はあなたのお兄さん、トミー・ブラック君とは知り合いでしてな。レース好きが集まるSNS、『みんなのレーシングライフ』を通じて知り合いました。意気投合したわたくし達はチームを立ち上げ、チューンド・プロダクション・カー耐久選手権へと挑戦する計画を立てていたのです。ドライバーは、わたくしとトミー君で」
「TPC耐久に!?」
「トミー君がメイデンスピードウェイでのレースに、スポット参戦した1戦。実はわたくし、予選での彼の走りを現地で見ていたのですよ。いやはや期待の新人が現れたものだと、当時は感心したものです。ですがその後、どこのカテゴリーでも噂を聞かなくなって……。心配していたところ、本人とSNSで出会えたのですよ」
この情報を手に入れてエリックさんと会うために、俺達はケイトさんの力を借りていた。
伯父さんが使っていたノートパソコン自体にはロックが掛かっていなかったものの、SNSのログインパスワードが分からなかったからね。
ケイトさんはジョージの顔色をうかがいながら、震える手でパスワードを解析・突破していた。
俺達は、別に脅してなんかいないよ?
「ひょっとして、兄が死んだことは……?」
「……申し訳ありません。ランドール君達が訪ねてくるまで、存じ上げておりませんでした。企業経営者なのに、情報収集を怠ったと思われても仕方ないことですな……。実はわたくし、若い頃の事故でこういう体でして……」
エリックさんは右手にだけ嵌めていた白い手袋を、ゆっくりと外した。
さらにスーツの袖を、肘までめくってみせる。
金属の駆動部と、それを覆う肌色の樹脂製カバーで作られた右手。
脳からの微弱な電気信号を読み取って作動する、筋電義手だ。
「トミー君と初めて顔を合わせた時、この義手のことを話しましてな。その時に彼は、『それだけの動きができる義手なら、競技に支障はない』と言ってくれました。しかし次の日から、連絡が取れなくなってしまって……」
無念そうに、エリックさんは義手を握り締めた。
過去を、握り潰そうとするかのように。
「怖かったのですよ。この手のせいで、トミー君から見限られたのではないかと……。相方ドライバーとしてやっていけるのか、不安に思われてしまったのではないかと……。それでわたくしは、積極的にトミー君の消息を辿る気になれなかった」
「そんなこと、兄は微塵も考えていなかったはずです。走ること以外には、とんと無頓着でしたし……。『モータースポーツを愛する人は、誰だって仲間だ』って人でしたから」
「わたくしも、初対面の時にはそう思っていたのです。しかし……。やはり、コンプレックスに感じていたのでしょうな。いちど疑念を抱くと、なかなかそれを振り払えなかった。わたくしはモータースポーツへの未練を断ち切ろうと、仕事にのみ集中するようになっていたのです。……今までは」
「『今までは』……ということは?」
「はい。もういちど、レースに挑戦します。わたくしは今年でもう、55歳。ドライバーとしては、体力的に厳しい。なのでスポンサーやチームオーナーとして若手ドライバーを育て、共に戦っていきます。その若手ドライバー第1号としてランドール君の資金援助をさせていただきたいのですが、ご両親の許可を……」
「ぜひ! 息子をよろしくお願いします!」
母さん、完全なフライングだよ。
まだエリックさん、言い切っていなかったよ?
そして、変わり身早っ!
今まで散々反対していたのは、いったい何だったんだ?
「ランディ。顔がニヤついていますよ?」
「ジョージの方こそ」
すぐ顔に出る俺とは違い、ジョージ(変身前)はクールで感情的にならない子供だ。
それが今、俺と顔を見合わせ満面の笑みを浮かべている。
泣いていたケイトさんも、今は表情を綻ばせていた。
自分の告白が、皆の笑顔を作り出したことが嬉しいみたいだ。
ああ。
そう言えば転生前の真っ暗空間で、女神様がこんなことを言っていたのを思い出した。
『レーシングドライバーとして観客を魅了し、夢と希望を振り撒いて突っ走れ』
まだ走り出してはいないけど、俺はこの場にいる人達を笑顔にすることができた。
夢と希望ってヤツを、少しは振り撒けたんじゃないだろうか?
いつの間にかリビングに入ってきていたヴィオレッタも、一緒になってはしゃいでいる。
どうやら隣の部屋から、こちらの雰囲気をうかがってたみたいだな。
2年前、無理して母さん相手に我を通さなくて良かった。
あの時選択を間違っていたら、母さんとヴィオレッタの笑顔は失われていただろう。
「こうしちゃいられないわ! ドーンさんにギルバートさんを紹介して、来シーズン……いいえ。今シーズンの最終戦からランディを乗せてもらえないか、聞いてこなくちゃ!」
母さん、やめてよ。
そのがっつき方。
お客様の前ですよ?
そんなシャーロット母さんを見ても、エリックさんは笑顔だ。
きっとこの人も、伯父さんが突然いなくなったことで色々と悲しい思いをしてきたんだろう。
多くの人達の止まっていた時間が、これでまた動き出す。
仕事中の父さんをほったらかしにして、母さんは俺、ジョージ、ヴィオレッタをバンに乗せようとする。
あれ?
成り行きで、ケイトさんも一緒に乗り込んでるぞ?
本人も楽しそうだし、まあいいか。
俺はバンの後部座席ドアに向かって、歩いていこうとした。
その時、背後から視線を感じたんだ。
――だけど振り返っても、誰もいない。
俺は視線の主がいるはずの方向――蒼穹の彼方を見つめながら、そっと呟いた。
「伯父さん、ドライバー交代だ。ここからチェッカーまでの長距離運転は、俺が走り切る」
だから後はゆっくり、観戦でもしててよ。
母さんから急かされた俺は、バンに向かって全力で駆け出した。