ターン22 ブラインドコーナー
「今週はコース路面の改修工事で、営業できないんですよ」
やれやれといった様子で、ジョージ・ドッケンハイムはボヤく。
その間にも、奴の手は止まることがない。
ジョージが何をやっているのかというと、レーシングカート用エンジンの分解整備だ。
お客さんのマシンが保管してあるレンタルガレージに台を持ち込んで、作業していた。
カート用のエンジンには、2ストロークエンジンが用いられる。
乗用車に使われるような、4ストロークエンジンとは別物だ。
2ストは4ストにあるような吸排気バルブが無いから、シンプルな構造をしている。
それを差し引いても、ジョージの作業スピードは速い。
全然ムダがないんだ。
手が滑らかに、最短距離を動く。
急いでいるようには見えないけど、結果的に作業時間はとても短い。
こいつ――
子供なのに、いい腕してやがるな。
俺とケイトさんは、ジョージからもらったジュースを飲みつつ見物している。
あっという間にエンジンはバラバラになり、心臓部たるクランクシャフトやピストンが露わになった。
ジョージは慣れた手つきでマイクロメーターやシリンダーゲージを使い、各部のバランスや摩耗状況を調べていく。
「ほわ~。ジョージ君、凄いなあ。ウチは車のこと、ようわからへんけど」
最初はジョージにビクついていたケイトさんだったけど、整備手腕に思わず感嘆の溜息が漏れてしまったようだ。
無理もないね。
俺もスゲーと思ったもん。
ジョージは俺の3つ上だから、まだ10歳なんだぜ?
早く、こいつの手掛けたマシンで走ってみたいな。
「ケイト先輩。あなたの方こそ、下級生の間でも有名ですよ? 大変成績優秀だと、伺っています。学校側からは、飛び級を勧められているとか?」
「あー。それは種族柄、ちょっと勉強が得意なだけや。飛び級して、高学年の難しい勉強をさせられるなんて面倒やからパスな」
驚いたな。
ケイトさんは、そんなに頭がいいのか。
――ん?
待てよ?
ひょっとして――
「ケイトさんって、コンピューター系にも強かったりする?」
「得意中の得意やで。データ分析からプログラミング、ハッキングやクラッキングまで……っと、最後のは冗談や」
ケイトさんには見えない角度で、俺はニヤリとほくそ笑む。
これで例のパスワード問題は、何とかなるかもしれない。
「……凄いのは、やっぱりジョージ君の方やと思うで。将来は、プロのメカニックになるん?」
「ええ。エンジニアかメカニックか、最終的な進路はまだ決めていませんが……。レーシングカーにかかわる仕事に就いて、『ユグドラシル24時間』で優勝するのが目標です」
「ええな……。将来の目標が、しっかり定まっとるんやね。ウチはジョージ君より3つも上なのに、将来何をしたいかなんて全然決まっとらん」
ケイトさんはそう言って、視線を横へと向けた。
シャッターの外に見える眩しい青空を、空しそうに見つめている。
いやいや、ケイトさん。
13歳でそれって、普通だから。
ジョージの奴が、10歳にしては異常なほど大人びているんだよ。
「生まれる前からレーシングドライバーになると決めていた、どこぞのレース馬鹿には負けますけどね」
「そんなに褒めるなよ、ジョージ。照れるぜ」
「え? え? 生まれる前って、何のことなん?」
俺とジョージの会話の意味が分からず、ケイトさんは目をパチクリさせていた。
不思議そうに、俺達を交互に見る。
「ケイトさん。実は俺、『転生者』なんだ」
「中身はもうすぐ、30歳のオッサンです」
こらこらジョージ。
余計な情報を、付け足すんじゃない。
それに30歳は、まだ若いと思うよ?
それぐらいで、キャリアのピークを迎えるドライバーは多いし。
「ほ……ほんまに? ウチ、転生者って初めて見たわ」
「そうかい? マリーノ国内にも、結構な人数がいるはずなんだけどなあ」
そういえば俺もまだ、他の転生者に出会ってないな。
ラウネスネットや本で知ったり、噂を聞いたりはしてるけど。
「前世でも、レーシングドライバーだったんだ。だから今度の人生でも、レーサーを目指しているってわけさ」
「ランドール君も、将来の目標がちゃんとあるんやな……」
「そこのオッサン小僧は目標が定まっていても、それに向かって1歩も前進できていませんけどね」
むう。
ジョージはまた、余計なことを言う。
「どうしてなん? めっちゃトレーニングしとったし、レーシングドライバーに向けて爆走中とちゃうの?」
「あ~。ケイトさん、実はね……」
俺はレースを始められていない事情を、ケイトさんに話した。
シャーロット母さんに、反対されていること。
トミー・ブラック伯父さんがレースに人生を狂わされ、自殺してしまったと思われていること。
それによって母さんも、俺がレースにかかわるのを怖がっていること。
貧乏で、レースをするお金がないという部分は省略させてもらった。
その問題は、また別に解決策を考えないといけない。
「ほな……ランドール君の伯父さんが自殺じゃないってハッキリ証明できたら、レースができるようになるかもしれへんな」
「そういうことさ」
ガレージ内が、沈黙で満たされた。
ジョージがエンジンのボルトを締め上げていく時に出る、ラチェットレンチの音だけが響く。
ケイトさんは組み上げられていくエンジンを、しばらく黙って見つめていた。
やがて意を決したように大きく息を吐き出し、唇を重たそうに動かす。
「そうやね……。自分の夢が見つからへんなら、せめて他の人達の夢ぐらいは……。それがきっと、ウチが生きている意味……」
ケイトさんは、黄金色の瞳を俺に向けた。
これまではどことなく自信が無さそうな目だったけど、今は強い決意を秘めているように見える。
「ずっと黙っているのにも、疲れてしもうたわ。……聞いて、ランドール君。君の伯父さんが亡くなったのは、ウチのせいやの」
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ケイトさんから伯父さんの死の真相を聞いて、1週間近く経った。
今日は地球での土曜日に当たる、ヨルムンガンドの日だ。
俺は自宅リビングのテーブルで、帳簿をつけている母さんに話しかけた。
「母さん、ちょっと時間をもらえるかな? 大事な話があるんだ
「いいわよ。ちょうど、お仕事終わったし。……あら? あなたは……?」
「初めまして、ミセス・クロウリィ。僕はジョージ・ドッケンハイム。ドッケンハイムカートウェイの経営者、ドーン・ドッケンハイムの息子です」
「そう……。ドーンさんの……。また、レースの話なの?」
「違うよ。今日は、伯父さんの事故の話だよ」
「ランディ。あなた、どこまで知って……」
「全部だよ。母さんよりも、真実を知っている」
「私より……? それはいったい、どういうこと?」
「ケイトさん、大丈夫かい? 無理して直接話さなくても、俺から母さんに話しておこうか?」
俺の背後から、ケイトさんがおずおずと出てきた。
顔色は蒼白で、唇なんか紫色になっている。
でも――
金色の瞳には、先週と同じ強い決意が宿ったままだ。
「ランドール君……。大丈夫や。こんにちは、ランドール君のお母さん。ウチ、ケイト・イガラシっていいます。ランドール君の伯父さんが……トミー・ブラックさんが事故にあった時、現場におりました」
「え……!? そんなこと、警察はひと言も……」
「すんまへん。わたしが怖うて、ずっと黙っとったんです。あの晩、5つやったウチは……」
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■□ケイト・イガラシ視点■□
その晩ウチは、夜中にふと目を覚ましてん。
寝ぼけたままで、部屋で放し飼いにしとるショウヤの止まり木に目を向けたんよ。
そしたら、ショウヤの姿があらへんかった。
「ショウヤ?」
いつもは寝とったり、起きていても止まり木で大人しくしとることが多いのに――
あの子は、ウチの大事な友達。
生まれたばかりの弟みたいな存在。
むっちゃ賢い子やけど、寿命の長いスリーピングアウルは体の成長が遅いんや。
ショウヤもまだ、飛び方が危うい。
「……まどがひらいとる!」
たぶん、ウチが閉め忘れたんや。
ショウヤは勝手に窓から出て行くことなんてなかったから、油断しとった。
きっと本能で、狩りに出てもうたんや。
どないしよう?
あの飛び方じゃまだ、自分が他の動物の餌になるで。
オカンに言えば、止められる。
そう思ったウチは、黙ってショウヤを探しに行くと決めた。
上着を羽織って、音を立てへんようこっそりと玄関から外に出たんや。
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「ショウヤー! どこにおるのー!? へんじをしてー!」
家から少し離れたから、叫んでもオトンやオカンを起こす心配があらへん。
そう思ったウチは、おっきな声でショウヤを呼びながら探し回った。
ちょっと前まで雨が降っとったみたいで、地面は湿っとる。
せやけど今は雲が晴れて、月明かりが夜道を照らしとった。
しばらく森の中を探したけど、ショウヤの姿は見つからへん。
ウチは、海沿いの道路に出ることにしてん。
車が通って危ないから、1人で来たらアカンと言われとった道路。
せやけど、今は夜中。
車の姿なんて見えへんし、きっと大丈夫。
そんなことを考えとったら、「ピィーッ!」って音が聞こえた。
聞き慣れた、ショウヤの鳴き声や。
「ショウヤ!」
声が聞こえた方角へと、ウチは濡れた道路上を走った。
しばらく行くと、またショウヤの鳴き声が聞こえた。
あの大きな木がある、カーブの先からや。
「よかった。あ……すごいショウヤ。これ、じぶんでとったんやね」
足元では、小さな蛾が死んどった。
雨上がりによく飛んどる「レイニーモス」っちゅう種類で、スリーピングアウルの大好物なんや。
ショウヤは「ドヤ!」とばかりに、ピィーッ! と鳴いた。
「えらいえらい。エモノもとれたことやし、もうかえろう」
ショウヤは分かってくれたみたいや。
獲物を丸のみした後、ウチの肩に飛び乗った。
凄いなあ。
ウチもショウヤに負けないよう、頑張るで。
そないなことを思いながら、肩に止まるショウヤを見つめとった時や。
突然強い光に照らされて、目の前が真っ白になった。
「……あ!」
頭の中で、オカンの声が聞こえたんや。
(車が通って危ないから、1人できたらアカン)
オカンの言った通りやった。
今日は波の音が大きかったし、ショウヤに気ぃ取られて車の音にも気づけへんかった。
おっきな木が陰になって、車のライトも見えへんかった。
たぶん車の運転手からは、ウチの姿も全然――
――逃げんと!
このままじゃ、ショウヤも一緒に轢かれてまう!
ウチは対向車線の方へ、逃げようとしてん。
せやけど、今思うと失敗やった。
中途半端に動いたせいで、ウチは道路の真ん中にきてしもた。
動かない方が、避け易かったかもしれへん。
車の運転手は、急ブレーキを掛けとった。
スピードを落としながら、山側の対向車線に避けようとハンドルを切りかけとった。
なのにウチの動きを見て反対側に――海側に、ハンドルを切ったんや。
すごい反射神経や。
ウチのオトンやオカンじゃ、あんな運転はでけへん。
車が、見たこともない動きをした。
後ろのタイヤを滑らせながら、車体が真横を向いたんや。
せやけどそのままでは、横からウチにぶつかってしまう。
運転手の人はそこからさらに振り返して、逆方向へと車を滑らせた。
車がクルクルと回って、まるで魔法みたいやった。
せやけど――
「あかん!」
ガードレールが、途切れたところ。
運転手の人は、そこに少し地面があるように見えたんやと思う。
草が伸びていて、地面なのか空中なのかよく分からへんようになっとったから。
大きく後ろのタイヤを滑らせながら、車の鼻先はウチの体をギリギリで避けた。
ほんで、急に離れていく。
後ろのタイヤが、崖から落ちたんやと思う。
次の瞬間には車体全部が、闇の中へと吸い込まれていった。
ウチは崖から落ちていく車に向かって、手を伸ばす。
車を素手で引き上げるなんて、無理やと分かっとった。
それでも手を伸ばさずには、おられへんかったんや。