ターン21 一緒にヒルクライム
「あらあら、ケイトのお友達やったのね」
「ええ。3学年下のジョージ・ドッケンハイムといいます。突然声を掛けたので、ケイト先輩はびっくりしてしまったようで」
ケイト・イガラシさんは、目でお母さんに「違うで!」と訴えている。
だけどジョージにジロリと睨まれて、俯いてしまった。
ケイトさんのお母さんは、おっとりとした人だった。
ジョージのでっち上げ話を素直に信じ、俺達を家へと招き入れ、あまつさえおやつまで提供してくれている。
俺はというと、ジョージの話に合わせてニコニコしながら頷くばかり。
余計なことは、口走らないようにしていた。
演技は、名優ジョージに任せよう。
もちろん今の奴は、眼鏡をかけてひょろひょろモード。
とても知的な、大人しい子に見える。
ケイトさんが「恐怖の番長やの!」と訴えても、きっと彼女のお母さんは冗談だとしか思わないだろう。
「ジョージ君とランドール君は、南プリースト町の方からきたって言ってたよね? 今日はなんで、こんな遠くまできたん?」
ケイトさんのお母さんが、穏やかな口調で尋ねてくる。
お。
そろそろ、俺が喋る番かな?
本当のことを正直に話す分には、大根役者でも全く問題ないしね。
「実は俺の伯父さんが、この近くで交通事故に遭って亡くなったんです。今日はその現場を、見にきました」
「そう……。お気の毒に……」
ケイトさんのお母さん。
あなたも何か、知っていますね?
俺の目は、誤魔化せませんよ?
表情筋に、一瞬動きがあった。
まばたきも増えた。
そして視線は、斜め下――
困惑している時に、見がちな方へと向きましたね?
「2人は、現場にお参りにきたん?」
ケイトさんは、おずおずと聞いてきた。
もうここまできたら、余計な腹の探り合いは無しだ。
どうせ大根役者な俺だと、失敗するし。
単刀直入に目的を話して、プレッシャーを掛けてやろう。
「俺の伯父さんは、自殺だったんじゃないかと思われているんです。それが単なる事故だったと、証明したい」
ケイトさん、素直だね。
俺の言葉を受けて、めっちゃ顔が引きつってるよ?
お母さんの表情も、固くなった。
「あかんよ。子供だけであの辺りを調べるなんて、危ないわ。海に落ちたら、どないすんねん?」
「ではマダム。あなたについてきてもらえると、助かるのですが」
おっ。
ジョージの奴も、この親子が何か隠しているのに気づいているな。
いいぞ!
もっとやれ!
「えっと……。その……。ごめん。ウチは、晩御飯の用意があるさかい……」
「そうですか……。でしたら今日のところは引き上げて、後日改めて調査にきます。僕かランディの親と、一緒にね」
ジョージは眼鏡をクイッと指で押し上げながら、宣言した。
キラリと光を反射する、レンズが怖いね。
経済ヤクザのような迫力があるよ。
見なよ。
立派な大人のイガラシ夫人まで、今のジョージにはかなり怯えているよ?
ケイトさんなんて、漏らしそうだよ?
さらに圧力を掛ける方法がないか、俺は思案する。
すると目の前に、フクロウが降りてきてテーブル上に着地した。
さっきまで、ケイトさんの肩にとまって寝ていたヤツだ。
このフクロウは、図鑑で見た記憶がある。
「スリーピングアウル」っていう、昼でも夜でも活動するフクロウだ。
その代わり寝るのも、昼だろうが夜だろうがどこでも寝る。
だから、眠りフクロウと名付けられたって。
こんな生態じゃ、野生で襲われないのか心配になっちゃうよ。
あー。
なんか、同じ空気を感じるな。
以前妹が、「ママ虐めちゃダメ」って言ってきた時と。
「ショウヤ……」
ケイトさんが呟いたのが、このフクロウ君の名前なんだろう。
ショウヤの大きな丸い瞳にじっと見つめられると、これ以上飼い主を追求するのは悪い気がする。
「今日は……これで帰ります」
俺がそう言うと、ショウヤは「それでいい」とばかりに翼をひと振りした。
収穫があったとは、言い難い。
だけど俺とジョージはイガラシ邸を出て、帰路につくことにする。
帰り際にケイトさんは、何か言いたそうな表情をしていた。
けれども今日はもう、話す決心がつかないだろう。
帰りももちろんランニング。
自転車でビュンビュン飛ばすジョージについて行くのは、なかなか大変だった。
「あれで、引き下がるとは……。ランディ、君は思ったより甘いですね。シートを得るためには、手段を選ばない男かと思っていました」
ジョージは涼しい表情で自転車を漕ぎながら、必死で並走している俺に話しかけてくる。
俺はまだ体が小さく、歩幅も短い。
自転車に合わせる為に、足と心肺を高回転まで回しながら走っている。
だから、返答するのもなかなか大変だ。
「はあっ! はあっ! ……そうだね。ライバルを蹴落とすことには、何のためらいもないよ。でもさ……」
「……でも?」
「俺が走ることで、悲しい思いや辛い思いをする人が出るってのは、できるだけ避けたい。レースに直接かかわる人以外にも、様々な人達の支えがあるから走れるんだ」
「現状は、走れていませんけどね」
「うるさいよ! ……とにかく、イガラシ親子はしばらく放っておこう。これからの調査方針は、ドッケンハイムカートウェイにくるお客さんで伯父さんと面識のあった人達の話を聞く。それか、例のパスワードを突破できる人を探すって方向でいこうと思う」
「やれやれ。君が、そう言うのなら」
呆れたように溜息をついた後、ジョージの野郎はペースを上げやがった。
こいつ――
7歳児を、置き去りにする気か?
上等だ、ぶっちぎれるものならぶっちぎってみろ!
レーシングドライバーって人種は、負けず嫌いが多いんだよ!
こうして負けず嫌いを遺憾なく発揮した結果、俺は自宅に着くと同時に体力が尽きてダウンする羽目になった。
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「くっそ~。昨日はジョージのせいで、酷い目にあった」
翌日、日曜日。
俺の体には、昨日無茶なランニングをしたダメージは残っていない。
筋肉痛とかも、全然だ。
これは人間族としては、明らかな異常体質だろう。
ちょっとだけ巨人族の血も入っているからだとか、そんな理由じゃないはずだ。
原因が何なのか気になるところだけど、今は有効活用させてもらおうと思う。
せっかくの便利体質なんだから。
というわけで今日も俺はジャージに着替え、遊びに行くという名目でランニングに出かける。
昨日、ジョージの自転車に最後はチギられてしまったことが悔しい。
無茶な条件だろうがなんだろうが、チギられるのは屈辱なんだ。
家を出て、石畳の歩道を走り始めた俺。
その視界に、何かチラリと白いものが映りこんだ。
街路樹の陰から飛び出しているのは、白鳥のように綺麗な翼。
翼が生えて謎のオブジェと化している木の前を、俺は一旦通り過ぎた。
そしてゆっくりとバックし、隠れているつもりの人物に話しかける。
「……ケイトさん。こんなところで、何してるの?」
木陰から飛び出ていた翼が、一瞬ブルッと震える。
数拍の間をおいて、昨日会ったばかりのケイト・イガラシ嬢が姿を現した。
今日はハーフパンツ姿で、かなりアクティブな印象だ。
そして相方のフクロウ君は、連れてきていなかった。
「わ! わ! ランドール君、奇遇やな。こんなところで会うなんて」
ものすごーく空々しく、偶然出会ったかのように振る舞うケイトさん。
他人がバレバレの演技をしているのを見ると、妙に親近感が湧くな。
しかし、よくこんなところまできたもんだ。
俺の家は、ラウネスネットで調べたんだろう。
昨日会話の中で、「クロウリィ・モータース」の名前を出したからな。
「えーっと、そのぉ……。ランドール君、いま時間ある? 少しお姉さんと、お話せーへん?」
「ないよ。これから、ランニングするんだ」
ちょっと、意地悪な返事だったかな?
明らかに凹んだケイトさんを見て、俺は少し反省する。
「だからさ……。ケイトさんが良かったら、ランニングに付き合ってくれない? 走りながら話そう」
そう言って俺は、ケイトさんの傍らを見た。
スタンドを立てた、自転車が駐輪している。
これに乗ってきたみたいだな。
足の速いケイトさんなら、自転車に乗れば俺のランニングにも軽々とついてこられるだおう。
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こいつは、想定外だったな――
「はあ……。はあ……。はあ……。ぐえっ!」
話す余裕なんて、欠片も残っていない。
汗は滝のように流れているし、息は絶え絶え。
油断すると、胃の内容物がバックファイアしそうだ。
――自転車で走っている、ケイトさんが。
今日のランニングコースは、峠道のワインディングロード。
折り返し地点は、ジョージの自宅もあるドッケンハイムカートウェイだ。
上りを楽しく走っていた俺だったけど、自転車でついてくるケイトさんはもう限界だ。
うーん。
あんまり、急勾配の坂ではないんだけどな?
ケイトさん足は速いけど、スタミナは普通だな。
いや。
原付バイクみたいな速度で自転車を漕ぎ続けても平然としている、ジョージの奴が異常なんだろう。
「ど……どないなっとるねん、ランドール君の体は……? こんなハイペースで走って、汗ひとつかいとらんやないの」
「ああ。俺は、ちょっとばかし鍛えているから」
「ちょ……ちょっとばかしって、レベルやないで! 人間族辞めとるレベルや!」
仕方ないじゃないか。
レーシングドライバーなんて、人間辞めてる連中ばっかりだ。
赤い皇帝とかターミネーターとかいわれた某F1ドライバーは、1日8時間もトレーニングをしていたと聞く。
そんな連中相手じゃ、こちらも人間のままでは太刀打ちできない。
「もうちょっと走ったら折り返し地点だから、そこで休憩しようか? ……あれ?」
折り返し地点――ドッケンハイムカートウェイに辿り着いた俺は、ちょっと戸惑った。
門が閉まっている。
普通日曜日というものは、多くのお客さんで賑わうサーキットの稼ぎ時のはずだ。
「何やねん、ここは? サーキットってやつなん? 初めてくるわ」
「ジョージの自宅だよ」
それを聞いたケイトさんは、また背中の翼をブルっと震わせた。
相当、ジョージを恐れているみたいだ。
「さ……さよか。ほな、折り返してランニングの続きといこうか?」
「ケイトさん、休憩しなくて大丈夫なの?」
「ぜーんぜん大丈夫や。とっとと逃げ……いや。下り坂を、楽しもうやないの」
明らかに逃げ腰なケイトさんを放置して、俺は門の奥に見えるカート場施設を観察していた。
敷地の奥、カートを保管するガレージの近くに人影が見える。
スタンドに乗せられたカートを押して歩く、ジョージ・ドッケンハイムだ。
「お~い! ジョージ~! 入れてくれよ~!」
俺の叫び声を聞いて、ケイトさんは本日3回目の翼ブルッを披露した。