ラップ2ターン1 ずっと走り続ける
樹神暦2644年1月。
俺はマリーノ国内にある、霊園にいた。
ここは丘の上にあって、海が見える。
波の音とカモメの鳴き声が、死者に対する子守歌のように聞こえた。
ここに眠っている人は樹神信仰者じゃなかったから、お墓に木は植えていない。
白くて背が低い、普通の墓石が立っているだけだ。
その墓石に花を供え、俺は片膝を突き瞳を閉じて祈る。
――ついにユグドラシル24時間で、優勝することができたよ。
去年みたいに、惜しくも2位じゃない。
優勝だ。
世界耐久選手権の年間王者には、届かなかったけどね。
凄く嬉しいよ。
けれど、少し残念かな?
俺が勝つ姿を、あなたにも見せたかった。
レースを愛したハーフエルフよ。
これからも俺が走り続ける姿を、天国から見守っていて欲しい。
瞼を開き、視線を上げる。
墓石は何も、応えてはくれない。
ただ静かに、佇んでいるばかりだった。
「……もう、いいの?」
背後から投げかけられた、女性の声に振り向く。
「ああ、しっかり報告できたよ。帰ろうか……。母さん」
振り向いた先には、シャーロット母さんの姿があった。
車椅子に乗った、母さんの姿が。
昨年のユグドラシル24時間直後、母さんは魔晶病の手術を受けた。
そして、歩けなくなった。
骨髄にダメージがあったらしく、YAS研さんのハイテク義足をもってしても歩くことはできなかった。
ただ、結晶化した細胞の除去は完璧に成功している。
手術から1年経った今も、他の細胞へは全く転移していなかった。
「100歳までは生きるわよ~」と、母さんは張り切っている。
歩けなくなって落ち込むどころか車椅子マラソンにどハマりしてしまい、俺がちょっと引くぐらいトレーニングする日々だ。
こないだなんか大会でクラス3位に入り、次は優勝するんだと意気込んでいる。
俺は母さんの車椅子を押し、霊園の通路をゆっくりと歩き始めた。
――トミー伯父さん。また、お参りに来るからね。
穏やかな日の光が差す霊園内を進みながら、俺と母さんは世間話をする。
「ねえ、ランディ。クリス君とキンバリーちゃんところの子供の話、聞いた?」
「ああ、レックスちゃんね。……やっぱり俺やクリス君と同じ、転生者なのかな?」
クリス・マルムスティーン君とキンバリーさんの娘、レックスちゃんはまだ1歳半。
なのに立って歩くどころか、もう走ったりしちゃうスーパーベイビーだ。
おでこを出した髪型がキュートな女の子なんだけど、早くもチャンバラごっことかやっているらしい。
なんでも二刀流の達人で、年上の男の子達を全員やっつけちゃったとか。
こうなると湧いてくるのが、転生者疑惑。
ただ、どうやら地球の記憶は持ち合わせていないらしい。
その代わりレックスちゃんは、
「ぜんせはていこくしょうぐんでした」
なんて、わけのわからないことを言っているそうな。
それを聞いたニーサが、
「私の夢の中に、二刀流の使い手である将軍が出てくるんだけど……」
なんて言い出した。
ひょっとしてレナード神が、地球以外の世界からもスカウトを始めた?
レックスちゃんは、ニーサがいた世界からの転生者?
――まさかね。
「母さん。俺とヴィオレッタが世界耐久選手権で世界中を飛び回っている間、オズワルド父さんの様子はどうだい?」
「うふふふ……聞きたい? 新婚の頃みたいにラブラブな、母さんと父さんの話」
「いえ、結構。ごちそうさまです」
「なによ~、つまらないわね」
オズワルド父さんは自動車整備工場、「クロウリィ・モータース」を閉めた。
あんまり儲かってないかと思いきや、堅実な経営とヴィオレッタの資産運用が実を結び、もう引退しても夫婦が充分食っていけるだけの貯えはあるらしい。
母さんと時々旅行に行ったり、車椅子マラソンのトレーニングに付き添ったりしながらのんびり過ごしている。
レーシングドライバーとしては割と高給取りになって経済的余裕ができた俺は、父さんに車をプレゼントした。
父さんの憧れの車である、クワイエット社のスーパースポーツ〈ライオット〉。
車椅子の母さんが助手席に乗れるよう改造された、特別なモデルだ。
「ば……馬鹿野郎! こんな上等な車、もったいなくて運転できないだろうが!」
俺が今まで見た中で、1番号泣されてしまった。
もったいなくて運転できないとか言いながら、時々この車で母さんとドライブに行っているらしい。
「今年の世界耐久選手権、ヴァイさんが敵でしょう? 勝てるの? ランディ」
「母さん。正直言って、かなりやヴァイよ」
母さんは俺の渾身のギャグを、聞き流してしまった。
なんか悲しい。
ブレイズやヤニが所属していたレイヴン社は、2644年の世界耐久選手権からは撤退することを発表した。
かなり大きな自動車メーカーなんだけど、ここ数年はとてつもない予算をつぎ込んでいたから資金的に限界なんだそうだ。
2642年度にユグドラシル24時間優勝と、WEM年間王者を獲得したからもう充分だよね。
その代わりタカサキ社とヤマモト社が、2644年から世界耐久選手権に戻ってくる。
実は俺にもタカサキから、ニーサにはヤマモトから、乗らないかとお誘いがあった。
シャーラより高い契約金提示に、ちょっとクラっときてしまったよ。
だけどその晩、夢に翼の生えた猫が出てきてジトーっと睨まれた。
そもそも俺は、マリー・ルイス嬢から許可を得ない限り移籍などあり得ない身分だ。
タカサキからのオファーは丁重にお断りして、今年もシャーラ・ブルーレヴォリューションレーシングのドライバーを務める。
「ランディ。マリーお嬢ちゃん。悪いがオレは、タカサキに何十年も乗せてもらっていた恩があるんだ。断れねえ」
ヴァイ・アイバニーズさんはそう言って、シャーラを去った。
世界耐久選手権に復帰する、タカサキ企業チームの監督を務めるそうだ。
そのヴァイさんが率いる、タカサキワークスの〈フェンリル〉GT-YD36号車。
ここのドライバーラインナップが、やヴァイ。
ポール・トゥーヴィー。
ヤニ・トルキ。
そして、ルドルフィーネ・シェンカー。
ポールの奴、あっさりタカサキに戻りやがった。
「シャーラよりタカサキの方が、契約金高いっスからね~」
なんて、ケラケラと笑いながら。
あの野郎、コース上で会ったら虐めてやる。
ヤニの奴は、仕方ないな。
レイヴンワークスが撤退しちゃったもんだから、GT-YDマシンに乗り続けたきゃ所属メーカーを変えるしかない。
元々あいつはストックカー時代、タカサキ系のチームにいたんだし。
ヤニは相変わらず煩悩を振り払うことができないようで、女の子の姿をチラッと目で追ってしまってはペナルティの腕立て伏せをしていた。
メーカー合同テスト走行とかで一緒になった時、よくピット内で腕立て中のヤニを見ることができる。
腕立て中の背中には、いつもルディが乗っている。
動体視力と観察力が抜群のルディには、ヤニが女の子を追う視線がバレバレらしい。
「ボクはペナルティの対象外なんだから、ボクだけ見ていればそんなに腕立てしなくていいのに……」
ヤニの背中に腰かけながら、ルディは不満そうに漏らしていた。
「それで、ランディ。あなたのチームはどうなるの? 55号車には、オクレール閣下が加入するんでしょう?」
「ああ、そうだよ母さん。ポール達が、抜けるからね」
今年、俺と共に〈レオナ〉55号車のハンドルを握る新しい仲間。
その内1人は、デイモン・オクレール閣下だ。
「寿命の長い吸血鬼なら、何百年もワタクシのために走ってくれそうですわね。おーっほっほっほっほっ」
なんて言いながら、マリーさんがヴァイキー企業チームから引き抜いてきた。
閣下は最近忙しい。
レーシングドライバーとしての仕事以外に、会社経営のお手伝い等でもマリーさんから色々とこき使われている。
おかげで閣下は、トレーニングする時間があまり取れないと嘆いていた。
閣下!
ゲッソリと、痩せこけているじゃないか!
そんな体調でトレーニングしたら、過労死しちゃうよ!
短命化手術なんて、受ける必要なくなっちゃうよ!
ただそんな忙しさの中でも、閣下は充実しているみたいだ。
1分1秒の大切さを、噛みしめているのかもな。
ドM神信仰に、目覚めたとかでないことを祈る。
その閣下をこき使っているマリーさんなんだけど、とんでもないことをやらかした。
いつの間にかルイスグループの会長に収まっていた彼女は、シャーラを傘下に置いてしまったんだ。
意味が分からない。
シャーラは国内で4番目の規模だけど、自動車メーカーだぞ?
巨大とはいえ、スポーツウェア産業中心なルイスグループの傘下に収められちゃうもんなのか?
それに最近気になるのは、オクレール閣下が
「余の実家は、そのうちマリー・ルイスに乗っ取られるかもしれぬ」
と、青い顔をしながら呟いていたことだ。
いやいや。
いくらマリーさんでも、巨大石油メーカーの乗っ取りなんて――
やらないよな?
「ランディと組む、もう1人のドライバーは彼ね。将来の義理の息子」
「ダメだよ、母さん。あいつはまだ、俺と父さんの儀式を受けていない。ヴィオレッタとの交際は、認めません」
「前にも言ったけど、その儀式は母さんが許可しません。ランディと父さんのパンチなんて食らったら、ゴリラでも死んじゃうわよ」
2642年度のユグドラシル優勝者にして世界耐久選手権チャンピオン、ブレイズ・ルーレイロは進路を決めかねていた。
所属しているレイヴン社が、世界耐久選手権から撤退するからだ。
母国メーカーのナイトウィザード社に移籍して、GT-YDマシンに乗り続けるか?
それともレイヴンに残って、参戦を継続しているGTフリークスのドライバーになるか?
そんな時、ウチの小悪魔ヴィオレッタは言葉巧みに囁いた。
「同じチームなら、もっとブレイズさんと一緒にいられるのにな~」
ブレイズは、シャーラ入りを即決した。
ユグドラシル優勝者&世界耐久選手権チャンピオンドライバーにしては、やっすい契約金で。
というわけで今年の〈レオナ〉55号車ドライバーラインナップは、ランドール・クロウリィ/ブレイズ・ルーレイロ/デイモン・オクレール組となっている。
ブレイズが味方というのはとても心強く、とてもめんどくさい。
「ランディ達が乗る、マシンの仕上がりはどう? 2644年型〈レオナ〉は速い?」
「もちろんだよ、母さん。今年もケイトさん、ジョージ、ヌコさんが頑張ってくれてるからね。戦闘力は、かなり高いさ」
2644年。
シャーラBRRの監督兼パワートレインエンジニアは、ヌコ・ベッテンコートさんだ。
改造屋業にはもう、戻れない。
なぜなら改造ショップ「デルタエクストリーム」は、完全に乗っ取られてしまっているからだ。
マリーさんの息がかかった経営者と改造屋達が、送り込まれている。
業績は、ヌコさんが経営していた頃の数倍に膨れ上がっていた。
ノヴァエランド12時間の頃から一緒に働いていたスタッフ達も、
「ヌコさんには、帰ってきて欲しくないなぁ~」
という冷たい反応だ。
ま、適材適所って言葉があるからね。
大人しく、レース用ロータリーだけイジっときなよ。
さてさて。
ケイト・イガラシ嬢とジョージ・ドッケンハイムだけど――
この2人、なんと昨年の6月に結婚した。
結婚式場でウエディングドレスまで着ておきながら、
「えっ? えっ? なんでウチ、ジョージ君と結婚するっちゅう話になっとるん?」
と、キョドるケイトさんが印象的だった。
イマイチわからせが足りていないケイトさんを、マッスルモードに変身したジョージはひょいっと担ぎ上げ肩に座らせてしまった。
着ていたモーニングが、筋肉でパツンパツンだったよ。
あとで聞いた話によると、マッスルモードに変身しても破けない特殊素材で作られたモーニングだったらしい。
肩に乗せられたまま参列者達の祝福を受けて、ケイトさんもようやく実感が湧いたっぽい。
最後はジョージの頭に腕を回して、幸せそうにしていた。
「あの2人の結婚式、幸せそうだったわよね」
「そうだね」
「ニーサちゃんも、羨ましそうに見ていたわよね」
「あ……ああ……。そうだね」
「ランディが去年優勝できていれば、あなた達はもう式を挙げていたのにね」
「ううっ、面目ない」
「まあそれは、勝負事だから仕方ないわ。結婚を今年まで、先送りにしたことも仕方ない。ニーサちゃんも結婚前に、ユグドラシルで勝っときたかったみたいだしね。それなのに、あなたときたら……」
「ははっ、はははは……」
ジト目で睨んでくる母さんに、俺は白々しい笑いを上げることしかできなかった。
2643年シーズン。
俺達〈レオナ〉55号車のドライバーラインナップは俺、ニーサ、ポール。
つまりユグドラシルで2位になった前年と、全く同じ組み合わせで世界耐久選手権に出場していた。
ところが世界耐久選手権の最終戦、ユグドラシル24時間で優勝した時の面子は俺、ポール――
そして、助っ人のルドルフィーネ・シェンカー。
ニーサは10戦中9戦までを俺やポールと一緒に戦いながら、最終戦のユグドラシル24時間だけ欠場する羽目になった。
「ニーサちゃん、ユグドラシルにも出たかったでしょうね~」
「はい、その通りだと思います」
「出られなかったのは、いったい誰のせいかしらね~」
「俺のせいです、ごめんなさい」
「あなた、母さんの気持ち分かる? ゴシップ週刊誌の見出しで、息子の名前を見つけた時の気持ちが……。ねえ、『ショットガン・ランドール』」
「ううっ。そのあだ名、やめてくれよ~」
ニーサのお腹には、俺の子がいるんだ。
おかしい。
竜人族って、妊娠確率が低い種族だと聞いていたのに。
妊娠発覚後、俺はすぐにシルヴィア邸へ土下座しに行った。
ガゼールパパに、ボコられるのを覚悟して。
そしたらガゼールさんは怒らずに、
「いかん! どこか遠くに逃げるんだ! ランドール君!」
と、緊迫した面持ちで俺に逃亡を促してきたんだ。
自分のところの息子が――つまりはニーサのお兄さんが、殺しにくるからと。
ニーサとの仲を認めてもらえるよう話し合うとか、そんな状況ではないらしい。
ガゼールさんとヴァリエッタさんに言われるがまま、俺はその足で国外へと逃亡。
その1週間後、ニーサから携帯情報端末に連絡が入った。
『ランディ、もう大丈夫だよ。お兄様には、刺客を差し向けたから』
「えっ? まさか、実のお兄さんを暗殺……」
『バカ! お兄様が昔から苦手にしている子を、ハトブレイク国の自宅に向かわせたの。これでしばらくは……ううん。もうずっと、動けなくなるかもね』
「えーっと……。いったい、誰を向かわせたんだ?」
『アンジェラ』
かくして俺は、無事に帰国することができた。
その後すぐユグドラシル24時間に向けて、出国しないといけなかったけど。
あっ。
もちろんニーサとは来週籍を入れますし、来月式も挙げます。
「もう! 私のレーシングドライバーとしてのキャリアは、めちゃくちゃ! 一生……いえ。転生して人生何回かけてでも、責任取ってよね?」
そう言ったニーサの顔は、あまり怒ってはいなかった。
「それで、ランディ。パパになる気分はどお?」
母さんにそう問われて、俺は足を止めた。
「実はさ、ちょっと不安なんだ」
振り返り、母さんは見上げてくる。
「へえ? どうして?」
「父さんや母さんみたいに、上手く親をやれるのか? ってさ。自信はない。でも……」
「でも……?」
「母さんも、前に言ってたろ? 俺が思っているほど、立派な大人じゃないって。毎日悩んで、迷って、後悔して、自信が無くて、不安に怯えている。それでも子供の前では、なんとか取り繕って生きてきただけだって」
「そうね。今だってそうよ」
「だから俺も……。自分のことは立派な大人だと思えないけど、やれるんじゃないかって……。やるしかないなって……」
母さんは満足げに微笑み、頷いた。
「よろしい! ……走り続けなさい、ランドール・クロウリィ。あなたはレーシングドライバーなのだから。私と父さんの息子なのだから。そしてニーサちゃんの夫で、お腹の子の父親なのだから」
俺も母さんに、頷き返した。
そして再び車椅子を押し、歩き始める。
『ユグドラシルが呼んでいる~転生レーサーのリスタート~』―完―
ご愛読ありがとうございました。
わたくしすぎモンが綴るランドール・クロウリィとその仲間達の物語は、これにて完結とさせていただきます。
ただ彼らはこれからも走り続けていきますし、皆さんの心の中でも生き続けてくれるでしょう。
そうだったらいいな。
ランディと作者の私が最後まで走り続けることができたのは、読者の皆様からの熱い応援があったからです。
本当に、ありがとうございました。
次回作、「【聖女はドラゴンスレイヤー】~回復魔法が弱いので教会を追放されましたが、冒険者として成り上がりますのでお構いなく。巨竜を素手でボコれる程度には、腕力に自信がありましてよ? 魔王の番として溺愛されます~」でお会いしましょう。




