ターン194 だから俺は、何度でもリスタートを切る
俺は――
どうなったんだ?
生きているのか?
視界が真っ暗だ。
何も見えない。
体も動かない。
転生する前に過ごした、暗闇の空間を思い出す。
また、死んじゃったのかなぁ――
レースはどうなった?
確か、タイヤが破裂して――
減速しきれなかった俺は、最終コーナーの「リヴァイアサンベンド」を真っすぐ突っ切ってしまったんだ。
そしてそのまま、正面のクラッシュパッドに突っ込んで――
俺は負けたんだな。
24時間走り続けてきて、最後の最後でクラッシュしちまうとはね。
ごめんな、〈レオナ〉。
勝負に熱くなって、タイヤからの訴えを聞き逃すとは情けない。
ごめんな、みんな。
みんなの想いを――夢を乗せたマシンを、ゴールまで運ぶことができなかったよ。
そして――
ごめん、ニーサ・シルヴィア。
信頼を、裏切ってしまった。
俺はお前の元に――帰れなかった。
ああ、やっぱりダメだったか。
サンサーラストレートを抜けて、生まれ変わったような――
今度こそ、自分の力で生きていける大人になれたような気がしていたんだ。
でも、実際にはこんなもんだ。
俺は、この程度の男――
諦めて、意識を闇の中に溶かしてしまおうと思った時だった。
『信じている』
声が聞こえた。
その声に、心臓がドクリと脈打つ。
――俺はまだ、生きている!
『あなたのことを、信じているからね。ランディ』
また、聞こえた。
耳だって、まだついている。
音が聞こえる。
闇の中に、淡い光が見えた。
目も見える。
声は、光の向こうから聞こえる。
『たとえボロボロになったとしても、きっとあなたは帰ってきてくれる。何千年、何万年かかっても、きっと私の元へ帰ってきてくれる。……そう、信じているから』
光に向かって、手を伸ばす。
手もある。
体も――
俺はまだ――
――走れる!
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走れると確信した瞬間、闇が晴れた。
俺がいたのは、〈レオナ〉GT-YDの運転席。
「痛てててっ……。死ぬかと思った……」
〈レオナ〉は衝撃緩和のクラッシュパッドに突っ込み、エンジンを止めていた。
車内には何かの焼ける匂いと、変な煙が入り込んできている。
自己診断機能を使ってマシンの破損状況を調べようとしたけど、前窓のヘッドアップディスプレイはかなり損傷しているみたいだ。
あちこちノイズだらけで、まともに読み取れる情報はごく一部。
「〈レオナ〉……。君が守ってくれたのか?」
ブレーキング開始の直前。
あの時ドラッグ・リダクション・システムがキャンセルされてエアブレーキが効いていなければ、俺は死んでいたかもしれない。
ひょっとしたらケイトさんかジョージが、タイヤの内圧センサーから破裂を検知してDRSを自動解除する安全装置でも仕込んでくれていたのかもしれないけど。
俺の問いかけに、当然ながら機械の〈レオナ〉は答えない。
その代わり、一瞬だけ見えたような気がしたんだ。
前窓をかき乱すノイズの中に、翼を持った猫のシルエットが。
「無線は……死んでるな。状況は、どうなっている?」
クラッシュして、どれくらい意識を失っていたのかは分からない。
コース係員がまだ救助に駆けつけていないあたり、さほど時間は経っていないみたいだ。
「帰ろう、〈レオナ〉。みんなのところに……さ……」
エンジンのスタートスイッチを押すと、光の精霊は息を吹き返した。
「君は本当に、ガッツがあるマシンだね。素敵だよ」
相変わらずやかましいアイドリング音だけど、回転が安定しない。
どうやら、圧縮漏れを起こしているローターもあるみたいだ。
後方モニターは、ブラックアウトしていた。
仕方ないのでドアミラーで後方を確認すると、後続車はきていない。
チャンスだ。
バックギヤにも、ちゃんと入った。
タイヤが1輪破裂してしまっているから、ガタガタする。
だけど無事に後退して、クラッシュパッドに埋もれた状態から脱出できた。
うっわ~。
左前側、グチャグチャだ。
痛いだろう、〈レオナ〉。
チェッカーを受けたら、ジョージ達に治してもらおうな。
最終コーナーからチェッカーフラッグが振られるコントロールラインまで、普段ならあっという間だ。
だけど今、俺と〈レオナ〉の速度は自転車以下。
3輪走行状態だし、ギヤも1速より上に入らない。
電動モーターは完全に沈黙していて、息も絶え絶えなロータリーエンジンのみの駆動だ。
ホームストレートである、海沿いの幹線道路。
そこをのろのろよたよたと走り続ける俺と〈レオナ〉の姿は、とてもレーシングドライバーとレーシングカーのコンビには見えないだろうな。
――それでも俺達はまだ、走り続けている。
かろうじて前窓に表示されている情報の中に、順位表示があった。
まだ、1位のままだ。
コントロールラインを越えた時に、情報が更新されるからな。
チェッカーを受けたら、とんでもなく順位は落ちるだろう。
それでも俺達は、チェッカーを受けてみせる。
見ていろ、ユグドラシル島の魔物。
25年前にゴールできなかったヴァイさんの仇は、俺が討つ。
クソうるさい4ローターエンジンの音を飲み込んで、大歓声が聞こえた。
おお!
グランドスタンドのお客さん、総立ち。
俺達が完走できるよう、応援してくれているのか?
こりゃあ、期待を裏切れない。
――あとちょっとだ。
頑張ろうぜ、〈レオナ〉。
サインエリアの前を通過する。
このサーキットは、コントロールラインがピットやサインエリアより奥だ。
全ての参加チームが、金網に張り付いていた。
拳を振り上げながら声援を送っている相手は、自チームのマシンじゃない。
俺と〈レオナ〉だ。
レイヴン自動車メーカーチーム、「ドリームファンタジア」の面々も声援をくれた。
あっ、ディータ・シャムシエル監督。
おたくが優勝でしょう?
おめでとうございます。
俺を評価してくれていたのに、結局あなたの下で走る機会がなかったな。
ヤニ、優勝おめでとう。
そういや、お前とも組む機会が無かったな。
いつか、一緒に走ろうぜ。
ユグドラシル24時間優勝ドライバーになったから、少しはルディも尊敬してくれるかもしれないぞ?
タイヤが破裂した後も残っていた、左のホイールが脱落した。
おっとっと。
うまくハンドルとアクセル操作で、バランス取ってやらないとな。
――それでもまだ、走り続ける。
コントロールラインは、見えているんだ。
続々と俺を追い抜いていくマシン達に、係員さんがチェッカーフラッグを振り続けている。
自チーム、シャーラ・ブルーレヴォリューションレーシングの前まできた。
――おいおい、ポール!
金網に登るな!
お前はアメリカンコミックの蜘蛛人間か!?
また、係員さんに怒られるぞ?
ったくもう。
あんなにハシャいじゃって――
でもお前のそういうところに、いつも元気をもらってたんだぜ。
ありがとうな。
――ヴァイ監督。
これなら走行状態だから、完走になりますよね?
おー、してやったりって感じのドヤ顔。
このままゴールできれば、魔物君へのリベンジマッチはヴァイ監督の勝ちでしょう。
俺はまだまだドライバーとして、ヴァイさんには届いていないと思う。
これからも、背中を追いかけさせてもらいますよ。
――アンジェラさん!
おいしそうな獲物を見る目で、俺をガン見するのはやめて!
舌なめずりもやめて!
その発情顔も禁止!
このレースは、世界中に放送されているんだよ!?
食すなら、ヌコさんかポールにしといてくれよ!
悪いけど、俺の体はニーサ専用なんだ!
――ヌコさん。
ヌコさんが組んだロータリーエンジン、最後まで壊れなかったよ。
今もこうして、回り続けてくれている。
あー。
そのことが、誇らしいのかな?
頭上の猫耳が、何度もピクピク揺れている。
ヌコさんのエンジンなら、俺はどこまでも走り続けられるよ。
――マリーさんは顔の前で、畳んだサーキットパラソルを垂直に構えていた。
たぶん、剣のつもりだ。
もちろん、分かっているさ。
俺はマリーさんの騎士、マリーさんの剣、マリーさんの分身、マリーさんのドライバー。
生涯走り続けるって、誓ったからな。
こんなところで、止まってなんかいられない。
――なんか、俺を見るマリーさんの視線が鋭いな。
ひょっとして、マシンの修理費がかかるから怒ってる?
えーっと。
最終コーナーのクラッシュパッドも破いちゃったから、弁償させられると思うんですけど――
――ケイトさん。
ケイトさんは俺がこのまま完走するって、全く疑っていないね?
金色の瞳からの視線は、いつにも増して真っすぐで熱い。
ひょっとしたらジョージやニーサより、ケイトさんの方が俺というドライバーに厳しいのかもしれない。
いつだって、「ランディ君ならやれるやろ?」って感じだ。
その期待が重く、心地いい。
ケイトさんの設計した〈レオナ〉GT-YDは、世界最高のマシンだったよ。
――誰だお前は!? ジョージか!?
俺の知っているジョージ・ドッケンハイムは、いつも表情に乏しくて――
クールで、しれっとしていて――
金網に張り付いて、涙を流しながら叫んでいるアイツは別人では?
しかも眼鏡をかけた、ヒョロガリモードのままで。
性格が荒々しくなるマッスルモードの時なら、分からなくもないけど――
いや。
ジョージの本質は、マッスルモードの時なのかもな。
クールぶっていても、あいつは熱い男なんだ。
そんなに泣くなよ。
俺まで涙が出てくるじゃないか。
――そして、ニーサ。
俺は必ず、お前の元へ帰ってくる。
どこへ行っても、必ずだ。
だからそんな風に腕を組んだ状態で、プルプルするな。
涙を堪えながら、「私は平気なんだからね」って態度で虚勢を張るな。
俺のことを、信じているんだろう?
もっと安心して、待っていてくれよ。
それはそうと例の約束、完走じゃダメですかね?
ダメだよな? やっぱ――
仕方ない。
来年こそ――いや、年が明けてるからもう今年か。
次回のユグドラシル24時間こそ、頑張る。
だからその時までに、覚悟を決めておけよ。
――ついに〈レオナ〉のエンジンが、止まってしまった!
だけどそれは、チェッカーフラッグを受けた直後。
俺は――
俺達は――走り切った!
完走だ!
前窓の隅に映る順位表示を確認すると、2位だった。
あー。
3位のナイトウィザード〈シヴァ〉とは、けっこう差が開いていたからな。
なんとか逃げ切れたか。
俺はエンジンが止まってしまった〈レオナ〉を惰力で走らせ、ピットロード出口の安全そうな場所に停車させる。
シザーズドアを開けマシンを降りた瞬間、大気と大地が震えた。
正面にある、グランドスタンドからの大歓声だ。
いつもだったら注目を浴びて、緊張してしまうところなんだろう。
だけど、今日はそうならなかった。
疲れすぎて、頭がボーっとしている。
緊張を感じる心も、マヒしてしまっているみたいだ。
なので俺は柄にもなく、観客の歓声にパフォーマンスで応えるという行動に出てしまった。
すぐ近くにあったタイヤバリアの上によじ登って、拳を振り上げ力の限りに叫ぶ。
「俺はーーーーっ!! 俺達はーーーーっ!! またここに、帰ってくるぞぉーーーーっ!! 必ずだーーーー!!」
本当のこと言うと、来年もこのレースに出れるかどうかはわからない。
だけど観客の皆様は決意表明に大満足だったようで、再び大歓声が上がった。
ふむ。
たまにはこうやって目立つのも、悪くない。
タイヤバリアから飛び降りた俺は、ピットロードを逆方向に歩き出す。
仲間達の元へと、帰るために。
歩きながら、ヘルメットとフェイスマスクを脱いだ。
うへぇ。
マスクが汗で、ベチョベチョだ。
雫が垂れてやがる。
ちょうどその時、俺の背後から朝日が差してきた。
その眩しい光を浴びながら、走ってくる人影がある。
小柄な体を目いっぱい躍動させて、元気いっぱいなクリクリ目玉の小鬼族。
年齢に合わない軽やかなフォームで駆けてくる、ワイルドな笑顔のイケオジ狼獣人。
尻尾をフリフリさせながら、踵の高いブーツで走りにくそうにしている妖艶淫魔族。
『にゃあああー!!』という叫び声を上げながら、トコトコと可愛らしく走ってくる猫耳獣人とっつぁん坊や。
朝日を眩しく反射しながら、トレードマークの縦ロールヘアを振り乱している人間族。
パタパタと背中の翼をはためかせ、大きく右手を振りながら俊足を披露している天翼族。
ズレる眼鏡のブリッジを、走りながら何度も押し上げているノッポなドワーフ。
そして長いプラチナブロンドを、風になびかせながら――
青い瞳に、涙を溜めながら――
黄金の鱗に覆われた長い尻尾をブンブン振り回しながら、全力疾走してくる竜人族。
ああそうだ。
俺はいつだって、1人で走ってきたわけじゃない。
みんながいるから、何度でもリスタートを切ることができる。
仲間達に向かって、俺は走り出していた。
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そして時は流れ、1年後――




