ターン190 行ってきます
「さて……。ここからは、僕らの戦いですね」
ジョージ・ドッケンハイムはメカニックグローブを装着し、手の平を開閉して感触を確かめる。
「頼んだぜ、ジョージ。カッコいいところを、見せてくれよ」
そう言って肩を叩いたのに、ジョージは俺の方を見ない。
見つめているのは、パソコンのモニター相手に戦略を再計算中のケイトさんだ。
はいはい。
俺じゃなくて、彼女にカッコいいところを見せたいのね。
「ランディ。言っておきますけど、あっという間に終わりますよ? 早めに走行準備をしておいて下さいね。僕らの作業が終わった時に準備が終わっていなかったら、罰金5000万モジャです」
「高いよ!」
そんな大金を払わされたら、たまったもんじゃない。
俺はすぐにレーシングスーツのファスナーを上げ、頸椎を守るHANSを身に着け始める。
さすがにヘルメットやフェイスマスクは、まだ装着しない。
あっという間に終わるって言ってたけど、10分ぐらいはかかるよな?
それに肝心のマシンがまだ、ピットに戻ってきていないし。
早く〈レオナ〉が戻ってこないかな~? なんて思いながら、俺はピットロード入口を眺める。
すると〈レオナ〉より先に、レイヴン〈イフリータ〉85号車が戻ってきた。
3速ギヤを失っているにしては、戻ってくるのが早い。
いま乗っているのは、ダレル・パンテーラさんか?
きっと上手いことドライビングでカバーして、タイムをあまり落とさずに走ってきたんだろう。
85号車は一旦ピット前の作業エリアに停車したものの、メカニック達に押されてピット内へと入れられてしまう。
これから変速機の交換を行うはずだ。
ウチはというと――
ニーサの乗る〈レオナ〉が、戻ってきた。
85号車と同じように、メカニック達の手押しで後ろ向きにピット内へと入ってくる。
同時にジョージはピット隅に置いてあった部品から、保護シートを取り外した。
そいつは〈レオナ〉の新品変速機――だけじゃない。
後部緩衝装置と変速機が、一体となったモジュールだ。
〈レオナ〉はディファレンシャルと変速機が一体になっているトランスアクスル構造だから、ディファレンシャルまで一体型になっていることになる。
メカニック達に対し、〈レオナ〉の母ケイト・イガラシさんの号令が飛ぶ。
「さあ! ここからが、ウチの設計した〈レオナ〉GT-YDの真骨頂や! まるっと交換頼むで!」
俺達シャーラ・ブルーレヴォリューションレーシングの取った作戦は、変速機が24時間持ちこたえるよう労りながら走ることじゃない。
「全力で走り、壊れる前に交換」だ。
たぶん85号車も、全く同じ考えだったんだろう。
本当は壊れる前に、交換してしまいたかったはずだ。
変速機の交換には、普通のGT-YDマシンだと20分ぐらい時間がかかる。
このタイムロスをなんとかするために、85号車はギリギリのハイペースを要求されていたんだ。
それは、55号車も同じ――じゃない。
ウチは、20分なんてかからない。
変速機交換の時間を短縮するための秘密兵器が、このサスペンションと変速機が一体となったモジュールだ。
余計な部品をバラさずにまるっと交換できるから、作業スピードは段違い。
あっという間に車から、変速機その他一式が下ろされた。
「わわっ! ほんとに速い!」
ジョージ達メカニックの動きには、迷いも無駄も全く感じられない。
こりゃ俺も急いでヘルメット被らないと、本当に罰金払わされちゃうぞ。
いそいそと準備をしていると、マシンを降りたニーサがヘルメットを脱ぎながらやってきた。
「ランディ。私は最後の走行時間に備え、年越しソバを食べて寝る。あとは頼んだぞ」
「今からサーキットで、ソバ食うのかよ!? このエクスヤパーナ国で、手に入るのか? 年越しソバの文化があるのは、マリーノ国だけだぞ?」
「心配無用だ。こんなこともあろうかと、レース開始の1ケ月前からシェフに手配してもらっている」
「ニーサお前、なにがなんでもソバ食いたいんだな……。まあ、いいや。ソバでも流しそうめんでも、好きなもの食べて寝とけよ。お前の走行時間までに、俺がトップに躍り出ておいてやるからさ」
「あんまり1人で気張るなよ。ポールの奴にも、少しは頑張らせろ。……よいお年を。お休み」
雑な感じで年末の挨拶とお休みの挨拶を済ませ、ニーサはピットから出て行った。
アイツ人前だと、やっぱりこういう口調なんだよな。
「ランディ! もう作業が終わるだニ! とっとと乗り込むだニよ!」
えっ? ウソ?
まだ作業開始から、5分ちょっとしか経ってないよ?
ヌコ・ベッテンコートさんに急かされて、俺は〈レオナ〉の運転席に滑り込む。
変速機と後部緩衝装置を新品に交換して、元気いっぱいになった〈レオナ〉さんや。
俺と一緒に、年越しドライブとしゃれこもうぜ。
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俺の走行中に、年が明けた。
もう、樹神暦2642年じゃない。
2643年だ。
『よう、ランディ。明けまして、おめでとう。新年早々、サーキットを突っ走っている気分はどうだ?』
無線機越しに、ヴァイ・アイバニーズ監督が軽い口調で新年の挨拶をしてきた。
「ショーをじっくり見る余裕が無いのが、残念ですよ」
このユグドラシル24時間は、元々は世界樹ユグドラシルに祈りと火のマナを捧げるお祭り。
日付が変わって新年を迎えると同時に、島の各地で大規模なショーが始まる。
夜空では、無数の光点が飛び交っていた。
蛍のように、美しい。
けれども蛍よりもっと輝きが強く、動きも速く、色も様々に変化している。
光点は光の奔流となって夜空に渦巻き、様々な像や文字を描き出す。
世界樹――
レナード神――
炎――
レーシングカー――
他にもドラゴンとかの動物だったり、ハートマークだったり――
これは空を飛ぶ小型無人機による、ドローンライトショー。
聞くところによると、このショーで飛ぶドローンの数は1万機に及ぶらしい。
すごい規模のお祭りだ。
だけど無線でヴァイさんに答えた通り、走行中の俺にはそんな素晴らしい光景をじっくり見ている余裕なんてない。
400km/hで脇見運転なんて、できるもんか。
『お? 翼が生えた猫。ありゃ、光の精霊レオナだな』
ヴァイさんが、わざわざ無線で実況してくれる。
海沿いのホームストレートを通過中、俺の視界にもドローンが作り出すレオナの姿が映った。
ほんの一瞬しか、見られなかったけどね。
「あっ、ホントだ。綺麗ですね」
『馬鹿野郎。よそ見してないで、走りに集中しろ』
「ヴァイさんが言い出したんじゃないですか」
ちょっとムッとしたところで、カラカラとした笑い声が返ってきた。
ああ。
これは、ヴァイさん流のジョークだな。
ドライバーが、ボーっとしないための配慮だろう。
さすがの俺も、少し疲れてきているからな。
「ニーサとポールは、しっかり休んでいますか?」
『ポールはもう、スタンバイしてるぞ。ドローンライトショーを見ながら、ハシャいでやがる。ニーサお嬢ちゃんは、爆睡中だ』
やれやれ、ポールの奴ときたら。
ハシャぎすぎて、走行中にヘバるんじゃないぞ?
俺と〈レオナ〉GT-YDは、高速道路区間である第2区間へと突入していた。
ちょうど高層ビルのガラス面に、ドローンで描き出された翼ある猫の姿が映り込む。
光の精霊レオナよ。
俺がいま乗っているのは、お前の名を冠するマシンだぜ。
応援しててくれよな。
ガラスの中のレオナは、「分かりました」とでも言うように翼をはためかせた。
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2643年1月1日
AM3:45
俺はホスピタリティブースにある、ドライバー個人スペースのベッドで目を覚ました。
寝やすいよう照明が落としてあるから、周囲は暗い。
そんな中で、ぼんやりと光っているものがあった。
俺の携帯情報端末だ。
画面を覗き込むと、家族からのメッセージが来ている。
ユグドラシル島入りしてすぐの頃は、頻繁にメッセージのやり取りをしていた。
けれどレース決勝日が近づくにつれて、その機会は減っていったんだ。
たぶん俺が忙しいと思って、気を遣ってくれているんだろう。
家族グループに届いた、メッセージの本文を開く。
ヴィオレッタからは、『勝って』と――
オズワルド父さんからは、『悔いのない走りを』と――
そしてシャーロット母さんからは、『行ってらっしゃい』という内容だった。
「……行ってきます」
呟いた言葉と同じメッセージを家族グループのトークルームに残し、俺はレーシングスーツのファスナーを上げヘルメットを手に取った。
地球で走っていた頃から変えていない、ヘルメットのデザイン。
白いメインカラーに、青いライン。
シャーラ企業カラーと全く同じなのは、運命だったのか――
さあ、最後の走行時間だ。
マリーノ国との時差は、約8時間。
みんなまだ、起きてるよな?
テレビの前で、見ていてくれ。
俺の走りを。
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夜中に変速機を交換したせいで、俺達の順位は4位まで後退した。
非常識に素早い作業ではあったけど、タイムロスはタイムロス。
俺達が止まっている間にも、よそのチームは走り続けていたわけだしな。
だけど、そこから猛追を開始。
なんせ俺達の〈レオナ〉は、後部緩衝装置も変速機も新品に生まれ変わっている。
ハイペースで、ガンガン走れた。
前を行くナイトウィザード〈シヴァ〉3台は、24時間変速機交換無しで走りきる作戦みたいだ。
車を労わっている分、ペースは遅い。
俺が寝ている間に、ポールが〈シヴァ〉5号車を――
その後ニーサが、〈シヴァ〉6号車をパス。
4:15現在、俺達の〈シャーラ・BRRレオナ〉は2位まで順位を回復していた。
「アカンな……。さすがのニーサちゃんも、バテ始めたみたいやね」
ピットの中、ケイトさんは渋い表情でタイミングモニターを見つめていた。
確かに彼女の言う通り、ほんのわずかにだけど周回タイムが落ち始めている。
「無理もないな。ポールの奴は、もっとヘバっているんだろう?」
ポール・トゥーヴィーはこの前の走行時間終盤でバテてしまい、予定より10分早くニーサと交代したらしい。
あいつは俺やニーサと比べたら体力無いけど、回復速いのが強みだ。
もう少し寝かせておけば、ラスト1スティントぐらい走れるようになるだろう。
「どないしよかな……。ニーサちゃんのことやから、早めに戻ってこい言うたら意地になるやろな。意地になったら、一時的に集中力とタイムが戻るかもしれへんけど……」
だけどそれは、根本的な解決にはならない。
超人的な身体能力を持つ竜人族のニーサでも、マシンを降りて休憩しなきゃ失った体力は取り戻せないんだ。
「ちょっと、ニーサと話をしてみるよ」
俺は余っていた無線機のヘッドセットを装着し、走行中のニーサに向かって呼びかけた。