ターン19 人間スピードガン
■□ランドール・クロウリィ視点■□
250年ほど前からこの世界に現れ始めた、地球からの転生者達。
転生してくるのはほとんど、地球でレースエンジニアやメカニック、ドライバーだった人。
この世界の管理者、レナード神の恣意的な人選が透けて見える。
よっぽどモータースポーツが、好きな神様なんだろう。
何故か俺の中には、「神様なんて、そんな奴ばっかだ」っていう認識があった。
さて。
その転生者達に、関することなんだけど――
彼らが地球から持ち込んだのは、モータースポーツやら自動車の普及に関するものばっかりじゃない。
他の文化や娯楽も、けっこう伝わっている。
そのひとつに、野球があった。
この世界ではモータースポーツほどの人気は出なかったけど、かなりメジャーなスポーツだ。
ルールも地球のものとほとんど一緒で、新しく憶える必要はなかった。
俺は今、その野球をプレー中。
左バッターボックスに立っている。
7歳になって、身長は130cmぐらいまで伸びた。
クラスの人間族の中では、高い方かな?
それでも金属バットを握ると、身長に対してやけに長く見えるだろうな。
「なんで人間族が、こっちのグループに混ざってるんだよ? しかもお前、1年生だろ?」
マウンドから迷惑そうに言ってきたのは、3年生の獣人族男子。
髪から突き出た犬耳がピクピクして、ふさふさな尻尾が不機嫌に揺れている。
聞くところによると、彼は犬の獣人ではなく狼の獣人だそうだ。
基礎学校における体育の授業は、1~3年生合同で行われる。
人間族やエルフのように身体能力が平凡な種族は、地球でいう小学校低学年に相応しいカリキュラム。
遊具で遊んだりとか、鬼ごっこをして遊んでいる。
獣人、巨人、ドワーフなどの、身体能力の高い種族は、本格的な球技や格闘技などをプレーすることになっていた。
人間族の俺だけど、今日から本格派グループへと移籍だ。
担任の先生から、許可をもらっていたんだよ。
「大丈夫だよ。イアン先輩、コントロールいいでしょ?」
「ふん! お前、ランドールとかいったな? ちびっても、知らないぞ!」
イアン先輩は、マウンド上で振りかぶった。
全身が鞭のようにしなり、右腕から球が繰り出される。
8、9歳の子供とは思えない、剛速球だ。
ゴウッ! っという、大気を切り裂くバックスピンの音。
それが、俺の耳にまで届いた。
次の瞬間には、キャッチャーミットに白球が吸い込まれる。
ズバン! という、乾いた音が爆ぜた。
「ナイスボール! ……120km/hくらい出てる?」
俺が適当な速度を言っていると思ったらしく、巨人族のでっかいキャッチャー先輩からは完全に無視されてしまった。
彼はボールを、イアン先輩へと返球する。
こちらも肩が強い。
こりゃあ普通の人間族と一緒に、体育を受けさせるのは無理だな。
危険すぎる。
でも俺、普通じゃないから。
今ので正確に、球速は把握できた。
俺の目は、人間スピードガンですよ?
次も速球できてくれるなら、タイミングを合わせるのはそう難しくない。
2球目。
先輩方は俺をビビらせて、尻もちでもつかせてやろうかと思ったらしい。
内角高めを狙ってきた。
1球目より、バックスピンの回転数が多い。
これは速球だな。
ホームベース近くで伸びる、イアン先輩の球。
並みのバッターならボールの下を空振りか、当たっても内野フライだろう。
右投手である先輩の球は、左バッターの俺にとっては出所こそ見やすい。
だけど内角高めのコースは、体にぶつかってしまいそうな軌道に見える。
普通の動体視力の人間には、そう見えるんだろうけど――
死球じゃないのは、俺の動体視力なら余裕で判断できる。
さすがイアン先輩。
絶妙なコントロールだ。
ギリギリストライク。
この球には、手を出すとしようかな。
体寄りの球だから、俺は腕をたたんだ。
少し、アウトステップしながらスイング。
前世の体育でソフトボールの授業の時に、野球部の奴が言ってたな。
「腰が回転するタイミングが早いと、打球は飛ばない」
だっけ?
インパクト直前で思い出した俺は、ギリギリまで腰を回さないよう粘ってみる。
――ところで具体的には、いったいいつまで粘ればいいんだろう?
絶妙のタイミングで、ボールとバットが運命的な出会いを果たした。
軟式ボールって、こんなに潰れるもんなの?
お餅みたいじゃないか。
前世でも体育の授業で打ったけど、こんな風になってたのか?
当時の動体視力じゃ、見えなかったよ。
さあ。
雰囲気的に、そろそろ腰を回転させてもいい頃かな?
ボールはずいぶんと長い時間、バットに貼りついて変形中だ。
骨盤を回転させて、体重をバットに乗せた。
ついでに左手の力で、ボールをグイッと押し出す。
うん。
いい感じに、力が乗った。
アディオス、ボール君!
グラウンドの遥か彼方に消えていくボールを、俺は笑顔で見送った。
視界の端で、グローブをマウンドに叩きつけて悔しがっているイアン先輩はスルーだ。
そっとしておいてやろう。
「お前、ランドールだっけ? 凄いな! イアンの奴は、将来プロ野球選手になれるかもしれないって言われてるんだぞ?」
俺と同じチームのドワーフ族先輩が、バンバンと背中を叩きながら褒めてくれる。
褒めてくれるのはいいけど、痛いよ!
いくら俺の背筋が鍛え上げられているとはいっても、痛いものは痛いんだ!
「ランディでいいよ、先輩。俺、野球は素人だから、今のはたまたまさ。イアン先輩の球が速すぎたから、反発力で飛んだんじゃない?」
「アレで素人なのか? なあ、ランディ。お前、野球クラブに入る気はないか?」
「うーん。俺の家は貧乏だから、道具を用意できないよ」
「それぐらい、コーチがタダで貸してくれるさ。『イアンの全力投球をホームランにした』って言えば、喜んでな」
ふむ。
それはなかなか、良いお話かもしれない。
野球選手になるのも、悪くないかな?
某ハマの大魔神さんのように、野球選手を引退してからレーシングチームの監督になるという人生も魅力的だ。
――ダメだな。
結局、最後にはレースに関わることしか考えていない。
野球選手ルートは無しだ。
やっぱり俺は、レーシングドライバーを目指すしかない。
俺はドワーフ先輩のお誘いを、丁重にお断りした。
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打撃で運動神経の良さをアピールできた俺は、その回裏から遊撃手に大抜擢された。
強い打球が飛んでくるこのポジションなら、動体視力や反射神経の良いトレーニングになりそうだ。
――ん?
次のバッター、どっかで見覚えがあるような?
「なんで、4年生のアイツが……!? それにいつも体育の授業は、サボって読書してるのに!」
三塁手の守備位置に就いていた、先程のドワーフ先輩が青くなっている。
そんなに凄いバッターには、見えないけどなあ。
背は6年生に匹敵するぐらい高いけど、ひょろひょろっとした体格だし。
筋肉も、あんまり付いていないみたいだし。
そのバッターは掛けていた眼鏡をケースに納め、変身を開始した。
筋肉が、モリモリと盛り上がってゆく。
あ~。
2年ぶりだから、分からなかったよ。
筋肉武装された体で、バットを俺の方へと向ける打者。
これは――予告ショートゴロ?
「ランドール・クロウリィ! てめえ! 2年間も、何してやがったぁ!?」
そんなに怒るなよ、ジョージ・ドッケンハイム。
こっちだって、色々と調べることがあったんだ。
「放課後、校舎裏に来い!」
やべ。
怖い先輩に、呼び出されちゃった。
どうせなら、美少女に愛の告白で呼び出されたいもんだ。
「ランディ、安心しろ! ボコられた後、すぐに救急車呼んでやるからな!」
ドワーフ先輩から頼もしいんだか頼りにできないんだかよく分からない励ましを受けて、俺は肩をすくめた。
ジョージの打席?
俺のが可愛く思えるぐらいの、特大ホームランだったよ。
でもね、ジョージ――
野球のバットは、片手で振るように作られてはいないと思うんだ。
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俺は放課後、校舎裏にきていた。
ジョージにボコられ――たりはしていない。
眼鏡をかけて、ヒョロガリモードへと戻った奴は冷静だ。
「……それで? ジョージ、最近の調子はどうだい? K2-100クラスのマシンを手掛けるようになったって、お父さんから聞いているよ」
「やりがいは、増えましたね。マシンが速くなると、僕らメカニックにはよりデリケートなセットアップが求められます。……ただ、チームの戦績は思わしくありません。幼児用KOR-50クラスは、2年連続で『レーシングトルーパーズ』の連中に持っていかれましたよ。ドライバーズ王座も、チーム王座もね。ランディ、君がいなかったせいですよ」
眼鏡をクイッと押し上げながら喋る、ジョージの姿。
先ほどバッターボックスから俺を恫喝し、片手でバットをバドミントンラケットみたいに振り回した男子と同一人物には見えない。
K2-100は、俺がドーンさんのところで乗る予定だったKOR-50クラスよりも上位のクラスだ。
基礎学校低学年の体格に合わせて作られた車体に、2ストローク100ccエンジンを積んだカートを使用する。
最高速度は、軽く100km/hオーバー。
タイヤも太く、大きくなる。
だから旋回スピードや立ち上がり加速、ブレーキング性能も段違いだ。
くぅ~!
俺も乗りたいぜ!
「乗りたくって、たまらない……といった表情ですね」
「当たり前だろう?」
より速いクラスのマシンで、より速いドライバー達と競い合い、勝ちたい。
それはもう、レーシングドライバーの本能だ。
「モチベーションが落ちてはいないようで、安心しました。君の家庭の事情は、うちのお父さんから聞いています」
そうか――
だからジョージは、俺の家まで押しかけてきたりはしなかったんだな。
うちの母さんのこと、気遣ってくれたんだ。
「それで、これからどうするのです? このままではスーパーカートの世界大会どころか、カートを始めるのすら難しいでしょう?」
「そうなんだよね……。なんとか母さんのトラウマを、取り除いてあげないと……。ジョージ。君はドーンさんから、どこまで話を聞いているんだい?」
少し言葉を濁しながら、ジョージは答える。
「君の伯父さんが……その……。運転中の事故で、亡くなったということまで」
「気を遣わなくていいよ。『自殺だと思われている』ってところまで、聞いたんだね? それなら話は早い。ジョージ。ちょっと手伝ってくれない?」
「君がカートを始めてくれないと、ブレイズがゴネますからね。いいでしょう。何をするつもりなんです?」
俺は、自分の手の平を見つめた。
そのまま強く、拳を握りしめる。
「伯父さんは、自殺なんかじゃない。それを調査して、証明するんだ」