ターン187 ユグドラシル24秒
「レナード様。お会いしたら、聞きたいと思っていたことがあるんです。なんで俺って、この世界にスカウトしてもらえたんですか?」
ずっと前から思っていた。
他の転生者ドライバーってF1やNASCARのチャンピオンだったりとか、地球でトップドライバーだった人達ばかり。
それに引き換え、俺は――
「ん? 別に俺は、地球でのレースキャリアだけでスカウトする人材を決めているわけじゃねーぞ? クリス・マルムスティーンだってドリフト競技やっていただけで、プロのドリフトチャンピオンとかだったわけじゃねーしな」
飄々とした口調で、樹神レナードは答えた。
言われてみれば、そうだ。
転生者は、華々しいキャリアを誇った人達が多い。
だけど地球ではそこまで有名じゃなかったドライバーも、少ないながらこの世界に転生してきている。
「なら、転生者の審査基準はいったい……?」
「将来性だな。面白えレースを、俺に見せてくれそうな奴。そういう奴らを、この世界にスカウトしまくっているんだ」
それを聞いて、ちょっと嬉しい気持ちが湧いてくる。
「じゃあレナード様は、俺が全日本F3で低迷している頃から将来性があると目をかけていて下さったんですね」
「うんにゃ、全然」
俺は落胆のあまり、ヘルメットをゴツンとハンドルにぶつけてしまった。
全然って、どういうことだよ!
なんでスカウトした!?
「俺がスカウトしたのは、お前が戦女神の加護を受けた使徒だったからだ。いわゆる、チート能力持ちってやつだな。そんな奴をレーシングカーに乗せたらどうなるか、すげー興味が湧いてな」
「やっぱり俺の体って、普通じゃなかったんですね……。なんか、ズルしてる気分。レナード様も、ズルって言ってるし……」
「気にすんな。チート能力なんて言っても、お前の中にある加護は死んだ拍子にだいぶ弱体化してしまったポンコツ加護だ。前世でリースディースの鉄砲玉やってた頃のお前は、肉体が粉々になった状態からでも復活できる本物のバケモンだったんだぞ?」
「その辺、全然記憶がないんですけど……。レナード様は、リースディース様から何か聞いています? 戦女神の使徒っていうのがどういう存在かも、よく分からないし」
「リースディースから喋るなって言われてるから、教えてやらね。どうしても知りたきゃ、あいつに夢で会った時にでも聞いてみろ」
この話題は終わりだとばかりに、レナード神は顔の前で手をヒラヒラと動かす。
うむむ――
前世の記憶で失われた部分、ものすごーく気になるんですけど。
「そういやなんでレナード様は、ホームストレートまで出向いて来てるんですか? リースディース様からは『ユグドラシルの根元で待つ』って伝言を聞いていたから、てっきり『サンサーラストレート』のトンネル内にでも湧いてくるのかと思ってました」
「俺は移動しながら、色んな場所で観戦したいタイプなんだよ。それにスタート前のお前と、少し話してみたかった。……っと、ここからが本題だ」
レナード神は〈レオナ〉の車体に手をかけ、運転席の俺に、ぐいっと顔を近づけた。
「今まで面白えレース人生を見せてくれたお前に、ボーナスのチャンスをやる。この『ユグドラシル24時間』でも俺を楽しませてくれたら、会わせてやるよ。お前の心残りに」
「心……残り……?」
レナード神は、口角を吊り上げる。
時が止まった白黒世界で、それは色鮮やかな笑みだった。
「会いたいだろう? 地球の家族によ」
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気がつけば、樹神レナードの姿は消えていた。
いつの間にか世界に時間と音、色が戻ってきている。
開け放たれていたマシンのドアも、閉じられていた。
周辺にはもう、お客さんもチームスタッフも姿が見えない。
コース上からは退去していて、フォーメーションラップが始まる直前だった。
場内放送のスピーカーから――
そして無線のイヤホンから、歌が聞こえる。
このエクスヤパーナ精霊国の国歌とは、違う歌だ。
――世界樹の歌。
大地に生まれ、生き抜いて、朽ち果て、死して眠りにつき、そしてまた生まれてくる。
そんな生き物たちを永きに渡って見守り続ける、世界樹ユグドラシル視点の歌。
全ての生命への賛歌。
ホームストレート横に設置された大型モニターの中に、トーガ姿の女性が映っていた。
優しく全てを包み込むような歌声を響かせる彼女は、世界樹の巫女と呼ばれる存在。
毎年交代制で、樹神信仰者の中から歌の上手さで選抜されるらしい。
――歌が終わった。
『命の灯火よ! 魂の煌めきよ! 何度でも燃え上がり、闇を照らせ!』
巫女の祝詞が、このレースのスタートコマンド。
世界最速のGT-YDマシンが102台、一斉にエンジンの咆哮を上げて目覚めた。
生命を持たない機械であるはずの彼女達は、地上のどんな生き物達よりも強い生命の波動を迸らせる。
同時に、篝火が灯された。
ホームストレートの両側。
コース脇に、一定間隔で設置された照明。
昔は木や油を燃やしていたらしいけど、今はガストーチに変更されている。
レース終了までコース脇で篝火を燃やし続けるのが、「ユグドラシル24時間」の伝統だ。
元々は、「火のマナ」を世界樹に捧げるお祭りだったからな。
どうやらこの「火のマナ」って二酸化炭素のことだったんじゃないかというのが、神話・伝承学者の間では通説になっているらしい。
セーフティーカーに先導され、予選1番手の赤いマシンが発進した。
レイヴン〈イフリータ〉GT-YD、85号車。
ブレイズ・ルーレイロ/ヤニ・トルキ/ダレル・パンテーラ組。
スタートドライバーは、ブレイズだ。
それに続き、次々とマシンが動き出す。
13台目。
俺と〈レオナ〉も、ゆっくりと動き始めた。
周囲はまだ、薄暗い。
そろそろ日が昇る時間帯なんだけど、今朝は天気が曇りだからな。
後からは、晴れるらしい。
俺はマシンとタイヤの手応えを確かめながら1コーナーを曲がり、立ち上がる。
1コーナーから2コーナーの間でも、篝火が燃え上がった。
先頭を走るセーフティーカーの進行に合わせて、順番にガストーチが点火されてゆく。
やがて篝火は、第2区間のハイウェイ区間にも。
第3区間、峠道区間にも灯る。
このレースでは、フォーメーションラップにかかる時間がとてつもなく長い。
1周が25kmもある、超ロングコースだからな。
先導するセーフティーカーは、ヴァイキー〈スティールトーメンター427〉。
世界有数の速さを誇るスーパーカーだけど、これは市販どノーマル仕様。
地上最速レーシングカーであるGT-YDマシンと比べると、ハエが止まるほど遅い。
20分ぐらいかけて、やっとサンサーラストレートまできた。
前にいる12台のテールランプが、ゆらゆらと揺れる。
タイヤに熱を入れる、蛇行運転中だ。
そろそろスタートが近い。
俺も、タイヤを温めておかないと。
世界樹ユグドラシルの下をくぐるトンネル入り口で、先ほど見たばかりの顔を見つけた。
レナード神だ。
レセプションパーティーの晩にニーサとキスした転落防止用金網のところから、トンネルに入っていくマシン達を見下ろしている。
確かあそこ、レース中は係員以外立入禁止だよな?
ひょっとして俺以外の人には、姿が見えていないのか?
運転席から軽く手を上げると、レナード神も手を振って応えてくれた。
GT-YDマシンの大群はトンネルを抜け、最終コーナーのリヴァイアサンベンドを曲がり終える。
ようやくホームストレートへと、帰ってきたんだ。
セーフティーカーがピットロード入口の方に逸れ、いなくなった。
いよいよレースが、スタートするぞ。
ゴールは24時間後。
そこまで全力で、駆け抜けてやるさ!
見ていてくれ、母さん!
AM7:00――
青信号!
スロー走行から、全開走行へ。
走行風圧と排気音の音圧で、ホームストレート脇の篝火が大きく揺れる。
102台のマシンが、一斉に1コーナーへと殺到した。
殺到するとは言っても、24時間もの長丁場レースだ。
短距離レースと違って、スタート直後の1コーナーで無茶するマシンは少ない。
皆が慎重にコーナーへと進入し、事故が起こる可能性は低い――
――はずだった。
「うわっ! 眩しい!」
突然雲が晴れ、鋭い朝日が俺の目を焼いた。
いや、俺だけじゃない。
前を走るドライバー達も、何人かやられたっぽい。
ずっと曇っていて暗かったから、みんな全然目が慣れていないんだ。
俺はとっさに視線をずらし、それ以上目を焼かれないように対処する。
ここに集まっているのは、世界最高峰のドライバー達。
瞬時の対応力も、超人じみた人達ばっかりだ。
だけどその超人達をもってしても、朝日の目くらましから逃れられた人は少なかった。
視界を失ったドライバー達はふらつき、ブレーキングポイントを見失い、マシン同士が接触する。
「うわっ! ちょっと!」
眼前で、複数台のマシンが絡み合っていた。
押し合い、圧し合い、タイヤスモークを上げコントロールを失っていく。
完全に、スピンしてしまったマシンもあった。
ガードレールに、突き刺さってしまったマシンも。
「なにがラッキーナンバーは13だ!」
ヘルメットの中で悪態をつきながら、俺は必死の回避行動を取る。
車体と車体の間。
あるいは車体とガードレールの隙間ギリギリをすり抜け、生存ルートを全力で嗅ぎ分ける。
スタートしたばかりで、ぶつかってたまるかよ!
ユグドラシル24時間が、ユグドラシル24秒になっちまうぜ!
真横を向いてしまったレイヴン〈イフリータ〉84号車の鼻先ギリギリを掠めながら走り抜けると、唐突に視界がクリアになった。
事故現場、脱出だ!
「ふぅ~。なんとか生き延びたぞ」
生きた心地がしなかったぜ。
コーナー1つ曲がっただけで、こんなに汗をかいてしまうとはね――
先が思いやられる。
俺は大きく息を吐いて、状況把握に努める。
コーナーポストからコース係員さんが、黄色い旗を振りつつ同色のLEDボードを点滅させているのが見えた。
同時に〈レオナ〉の前窓にも、レース運営からの通達がきている。
『コース全域追い越し禁止』
そりゃ、あれだけの事故が起これば当然だな。
しばらくは事故処理で、セーフティーカーによる先導が入るだろう。
そういや、何台いなくなったんだ?
俺の前にいた連中、けっこう巻き込まれたような?
やけに前方が、スッキリしている。
前にいる赤いマシンは――
ブレイズが乗る〈イフリータ〉85号車?
あいつ1台だけ?
ということは、今の俺と〈レオナ〉の順位って――
――2位!?
『ほらぁ。これ以上予選順位が上だったら、巻き込まれてたっスよ。俺っちに感謝して下さい。やっぱり13は、ラッキーナンバーだったっスね』
「ポール、お前は最高だよ」
俺は割と本気で、無線機の向こうにいるお調子者小鬼に感謝した。