ターン185 ケイト・イガラシ
■□3人称視点■□
「ほんで? この予選タイムは、どういうことやねん?」
ピットの中でケイト・イガラシは、パソコンの画面を指差した。
空いてる方の手に握られているのは、特大ハリセン。
それで自分の肩をトントンと叩きながら、仏頂面をドライバーへと向ける。
「その……ケイトさん。私のタイム、そんなに悪くは……。参加102台中、11番手だし……」
黄金の尻尾を、へたりと地面に降ろしてしまっているのはニーサ・シルヴィア。
180cmの長身が、やけに小さく見える。
反対に150cm台前半のケイトは怒りのオーラを身にまとっていて、実際の体格よりも遥かに大きく見えた。
ハリセンが、机を1発叩く。
コースを疾走しているGTーYDマシンの轟音に負けないほど、迫力ある破裂音がピットに響き渡った。
それを聞いたニーサは「きゃっ!」と短い悲鳴を上げて、さらに身を竦ませる。
「今回のマシン戦闘力、気温、路面コンディション、そして昨日のニーサちゃんが出したフリー練習走行のタイムから計算すると、ち~と遅いで」
そのやり取りを、ジョージ・ドッケンハイムが横から冷めた目で見ていた。
「ケイト先輩、まるで鬼姑ですね」
「やかましい!」
一喝されても、ジョージは涼しい顔だ。
「そら、果敢に攻め込んだ末のミスで、タイム落としたとかならしゃーない。でもなあ、今日のニーサちゃんのタイムが振るわんの、体調不良やろ? プロドライバーとして、その管理力はどうなん?」
いつものケイトは、風邪などの病気でも文句は言わない。
もちろんプロドライバーである以上、厳しいコンディション管理が求められるのは言うまでもない。
だがそれを行った上でも、病気になることはある。
その時、1番悔しい思いをするのはドライバー自身なのだ。
しかし、今回ケイトは怒っていた。
避けようと思えば、避けられる事態だったからだ。
「け……ケイトさん。私は別に、どこも具合悪くなんか……」
「今朝からずーっと、歩き方が変やで?」
「うっ……」
そこら辺を詳しく聞かれたくないであろうニーサに配慮して、ジョージは明後日の方向を向き耳を無線機のヘッドセットで覆ってしまった。
一方で他のブルーレヴォリューションレーシングスタッフ達は、興味津々といった様子で聞き耳を立てている。
特に、レースクィーンの淫魔族アンジェラ・アモットは酷い。
溢れる興味を隠そうともせず、尻尾をフリフリしながらじーっと観察していた。
顔を赤くして俯いている親友を、情け容赦なくガン見だ。
「軽率やで。ドライバーとしても、女の子としてもな」
「ごめん……なさい……」
肩を落とし俯いてしまったニーサの頭を、ケイトは背伸びしてポンポンと撫でた。
「お説教は、これぐらいにしといたる。まだ、痛みや違和感があるんやろ? ホスピタリティブースで、休んどきい」
「はい……」
促されてピットから出て行くニーサの後ろ姿を、ケイトは優しい金色の瞳で見送っていた。
ニーサが立ち去り、聞き耳を立てていたスタッフ達は仕事に戻っていく。
誰も自分達に注目しなくなったところでジョージはヘッドセットを外し、ケイトに話しかけた。
「彼女は恋敵だったんじゃないのですか? 愛する男を奪った相手に、ずいぶん優しいものです
「恋敵……か……。確かに、そうなんやけどな……。途中からニーサちゃんもマリーちゃんもルディちゃんも、妹分みたいに思えてきてな。あの3人の誰かなら、許せると思ってしもうたねん」
「妹分というより、娘感覚なのでは? 最近ケイト先輩はレースファンの間で、『〈レオナ〉の母』と呼ばれているようですし」
「やかましい! 旦那どころか彼氏もおらん内から、オカン扱いされたらたまらんで」
ケイトは椅子の背もたれに体重をかけ、頭の後ろで手を組んだ。
「こら、ウチに勝ち目がないはずやで……。たぶんあの3人に比べたら、本気やなかったんやろな」
「そんなことはありませんよ。ずっとケイト先輩を見ていた、僕が保証します。あなたは本気でした。本気でランディのことを好きなケイト先輩が、僕は好きです」
「そう言ってくれると、この恋心も浮かばれるってもんやで。ありがとうな、ジョージ君」
嬉しくなって、ニッコリと微笑んだケイト。
対してジョージは、いつもの眼鏡クイッで応じた。
無表情だが、これは怒りの眼鏡クイッだ。
「ほう? スルーですか?」
「えっ? えっ? なんで怒っとるん? お礼言うたのに?」
相変わらずジョージに凄まれると、ケイトの翼はブルリと震えてしまう。
ちょうどその時、ライブ映像のモニターに白いマシンが映し出された。
火花を散らしながら高速道路を疾走していく、〈シャーラ・BRRレオナ〉。
ハンドルを握っているのは、ランドール・クロウリィ。
第1区間で速いタイムを記録したため、カメラが追いかけ始めたのだ。
ケイトとジョージの2人は、揃ってモニターに注目した。
「……速いですね」
「そらそうやで。このユグドラシル島で勝つためだけに、設計したんやからな」
ケイト達シャーラワークスと他の自動車メーカーチームでは、この辺りの事情が違う。
シャーラは世界耐久選手権の年間全10戦にフル参戦してはいるものの、全てのレースでいい成績を収めようなどと考えてはいなかった。
彼らにとって、これまでの9戦はテスト走行の場だったのだ。
『ユグドラシルさえ勝てればいい』
それがシャーラ本社の方針。
元々WEMという選手権は、ユグドラシル24時間のおまけとしてスタートした歴史がある。
なので年間王者を獲ってもいまいち目立たず、ユグドラシル勝者にばかり注目が集まってしまう。
シャーラは湯水のようにレース資金を注ぎ込めるような、余裕のある自動車メーカーではない。
様々なレース距離やコースレイアウトで勝てるマシンを作るには、予算が足りなかった。
そのため標的を、ユグドラシル24時間のみに絞ってきたのだ。
それに比べ他社の自動車メーカーチームは、
『選手権全体のチャンピオンも狙いつつ、ユグドラシルでも勝て』
という、欲張りな指令を本社から受けている。
シャーラほど、ユグドラシル特化のマシンは作れない。
その分、予算が潤沢ではあるのだが。
「ユグドラシル特化っちゅうのは、24時間走り続けられる耐久性が確保されとるだけやないで。このコースに合わせ込んどる、ウチの〈レオナ〉は速いんや」
「そうよ私は速いのよ!」と言いたげに、モニター内の〈レオナ〉は峠道である第3区間を駆け上がって行く。
ビル街の第1区間と、高速道路の第2区間におけるタイムはマイナス表示。
暫定トップのレイヴン〈イフリータ〉85号車より、速い。
「さあ、ランディ君。ニーサちゃんが不調な分は、君が取り戻さんとアカンで。こういう時は、男が責任を取るもんや」
モニターの中の〈レオナ〉。
その運転席にいるランディに向かって、ケイトは呟く。
タイムアタック中なので集中力を乱さぬよう、無線で呼びかけたりはしない。
それでも呟きにランディが走りで応えるものだと、ケイトもジョージも疑っていなかった。
「実は僕も、けっこう責任を感じています。昨夜ランディをニーサにけしかけたのは、僕なので。あのヘタレが、まさかこんな行動に出るとは……」
「いや、ジョージ君は悪くないやろ。普通の男は、もっと紳士やで。ランディ君がケダモノなんや。ジョージ君は昨夜爆睡しとるウチを部屋に送り届けてくれた時、なにもせえへんかったやろ?」
――してやろうかと、思ったんですがね。
というジョージの台詞は、ホームストレートを通過したマシンの咆哮にかき消された。
さらには衆人環視の下で、荷物のように小脇に抱えて運ばれるという辱しめを受けたことをケイトは知らない。
泥酔して、眠っていたからだ。
「オカン扱いは、嫌や言うたけどな……。〈レオナ〉GT-YDはチーフデザイナーであるウチと、開発ドライバーであるランディ君の間にできた娘や。可愛くて速い娘を産めて、ウチはけっこう満足しとるんやで」
「僕やヌコさんも、開発にかかわっているんですよ? 忘れないで下さい」
「スマンスマン、みんなの娘やな。……さあ、行け! ウチらの娘!」
ケイトの激励に呼応するかのように、モニター内の〈レオナ〉が変形する。
風をその身に受けて味方とするハイダウンフォースモードから、大気を無視して貫くロードラッグモードへ。
どちらのモードも、ケイトのデザインだ。
白き鳥は、白き矢と化す。
マシンの車体四隅にある、LEDランプも点滅を始めた。
これはオーバーテイクシステム作動中であることを、周囲のマシンや観客に知らしめるためのランプだ。
400km/hを超えて、〈レオナ〉は走り抜ける。
長さ6kmの「サンサーラストレート」を。
「『速さのあまり生まれ変わる』っちゅう、サンサーラストレートか……。ランディ君と同い歳に生まれ変われたら、次はもっと上手く行くかもしれへんな」
「歳上なのを、気にし過ぎですよ」
「せやかて、6歳上は気になるで。出会った時、ウチは13でランディ君は7つや。犯罪臭がせえへん?」
「ふむ。そう言われると、6歳差は大きいのかもしれません」
あまりジョージからの擁護が得られなかったことに、ケイトはガックリと肩を落とす。
「ケイト先輩。6つ歳下の男なら気になるかもしれませんが、3つ歳下の男ならどうです? ちょうどいい歳の差だと、思いませんか?」
ジョージとケイトは、3歳差だ。
これは、自分ならちょうどいいだろうという意味に他ならない。
しかし、ケイトは――
「んー、そうやな。ジョージ君と、同学年に生まれ変わるっちゅうこと? それはそれで、楽しそうやね。あー。ランディ君と学年が近いジョージ君が、羨ましいで。その若さ、30過ぎてしもうたウチに分けてくれへん?」
――さっぱり何も、分かっていなかった。
「……この女、どうしてくれましょうかね?」
ジョージの言葉の意味を、何も分かっていないケイト。
だがクールな表情の下で、彼の怒りボルテージが急上昇していくのは感じ取れた。
「ひっ! ジョージ君、なんでまた怒っとるん?」
「あなたが激烈に、鈍いからですよ。頭脳明晰なくせに、なんでこんな時だけ……。レースが終わったら、分からせてやる必要がありそうですね」
いつにも増して、光り輝くジョージの眼鏡。
そして意味深な分からせ発言にケイトは怯え、背中の翼をぶるぶると震わす。
それは十数年間、幾度となく2人の間で繰り返されてきたやり取りだった。
世界耐久選手権 最終戦
エクスヤパーナ精霊国
ユグドラシル24時間
予選タイムアタック
カーナンバー55 〈シャーラ・BRRレオナ〉
ドライバー ランドール・クロウリィ
予選タイム 5分09秒928
※コース最速記録