ターン178 悲劇の3分間
樹神暦2642年12月末
エクスヤパーナ精霊国
サイレンジェラス国際空港行き
リーンハルト航空404便
機内
俺を乗せた超音速旅客機が、離陸滑走を始めた。
速度を上げつつ、メターリカ国際空港ターミナル前を通過する。
オズワルド父さん――
ヴィオレッタ――
そしてシャーロット母さん――
見送りデッキで手を振る、3人の姿が見えた。
向こうからも、側面に青いドラゴンが描かれたこの機体はよく見えているんだろう。
3人の姿は一瞬で見えなくなってしまったけど、俺は窓の外を眺め続けていた。
機体が滑走路を離れ、空港が見えなくなってからもずっと――
ヴィオレッタは、今回のレースについてこない。
父さんと母さんの傍に、残ることを選んだ。
残ってくれるように、俺が頼んだんだ。
母さんだけでなく、父さんの精神面も心配だから。
父さんは、ずっと自分を責め続けていた。
いつも一緒にいたのに、なぜ母さんの病気に気づけなかったのかと。
母さんだって、自分の体なのに気づけなかったんだ。
誰だって、無理だろうと思う。
「1人……か……」
俺がユグドラシル24時間を走る時、チームのピットか観客席には家族が揃い、応援してくれるものだと思っていた。
そういう光景を夢見て、走り続けてきた。
だけど今、俺は1人で世界樹ユグドラシルの麓へ向かおうとしている。
今シーズン、年間10戦中9戦で俺を支え続けてくれたヴィオレッタもいない。
それが、とても心細い。
機内にアナウンスが流れた。
当機はこれより洋上に出て、アフターバーナーによる超音速飛行に入るらしい。
音速を突破した時の衝撃音が、鈍く客室にも轟いた。
凄まじい勢いで、家族との距離が離れてゆく。
俺は窓の外を眺めるのをやめ、座席正面を向いて瞳を閉じた。
今は何もしたくない。
考えたくない。
このまま眠ってしまおうか?
そんなことを考えていたら、スパーン! という音と共に、衝撃が頭部を襲った。
「寝るな! 現地到着時刻は、昼間だぞ!? 時差ボケするではないか!」
瞼を持ち上げて見れば、 蒼玉の双眸が俺を見据えていた。
神話に登場する戦女神、リースディース様を彷彿とさせる月光のプラチナブロンド。
俺の頭を1撃したと思わしき、丸めた雑誌で肩をトントンと叩いている。
彼女が眩しいのは精神が輝いてるからなのか、それとも体を構成するパーツが軒並み煌びやかだからなのか。
「ニーサ……。同じ飛行機だったのか」
「同じ飛行機どころか、隣の席だ。私と一緒で、悪かったな」
「いや、嬉しいよ。もしお前がいなかったら、俺は……」
「ランドール? どうした? なにかあったのか?」
いつもケンカ腰で、突っかかってくることの多いニーサ。
だけど俺が本当に辛い時、弱っている時には、気遣い、励ましてくれる。
だから母さんの病気について、全て話してしまいたい。
そしたらルディの事故の後、病院前の公園でひと晩中話した時みたいに――
「いや、大したことじゃないよ」
話してしまいたいけど、話せない。
なんだかんだで、ニーサ・シルヴィアは優しい奴だ。
きっと俺に共感してくれる。
共感してしまう。
そしたら悲しみで、ニーサのドライバーとしてのパフォーマンスは落ちるだろう。
レース前に、チームメイトの心理的負担を増やしてどうする。
話すのなら、レース終了後だ。
「本当か? これから夢の舞台に挑む男にしては、テンションが低いな」
「ちょっと、怖いのさ」
噓ではないから、ニーサにも看破されない。
俺が怖いのはユグドラシル24時間じゃなく、家族を失うかもしれないってことなんだけど。
「お……おい、ランドール!」
ニーサが抗議の声を上げた。
俺が彼女の手を握ったからだ。
だけど、振りほどかれはしなかった。
「情けないな……。手が震えちまってるよ。なあニーサ、頼むよ。このまましばらく、手を握っていてくれ」
「ランドール、貴様にいったい何が……? し……仕方ないな。片手ぐらい、貸してやる。怖がりで情けないチームメイトを持つと、苦労する」
「ああ、悪いな。走行前には、震えを止めてみせるから」
それからしばらくの間、俺とニーサには沈黙の時間が流れた。
だけどそれは気まずいものではなく、心地よいものに感じられる。
割と早く、手の震えは収まった。
けれどニーサが手を離せと言ったのは、ずっと後。
トイレに行くために、席を立つ時だった。
■□■□■□■□
□■□■□■□■
■□■□■□■□
□■□■□■□■
ユグドラシル24時間が開催されるユグドラシル島には、空港が無い。
なのでチーム関係者や観客は皆、海を挟んで対岸にあるサイレンジェラス国際空港に降りる。
そこからバスかリニアモーターカーで、ユグドラシル島へ渡るっていうのが定番ルートだ。
今回、俺とニーサが選んだ交通手段はタクシーだった。
バスやリニアモーターカーだと、レースファンに取り囲まれてしまう可能性がある。
世界耐久選手権参加チームの中では弱小の部類に入る俺達シャーラ・ブルーレヴォリューションレーシングなんだけど、これが人気だけはトップクラスだ。
この世界で唯一のロータリーエンジンを積む、〈レオナ〉という人気車種を使用していること。
ヴァイ・アイバニーズという、大人気だった元レーシングドライバーが監督を務めていること。
ニーサ・シルヴィアという、女神のような美人ドライバーを起用していること。
あとはチームオーナーのマリー・ルイス嬢が、可愛いこと辺りが人気の秘訣か。
ケイトさんも、レースマニアには名前が知れ渡っている。
そんな大人気チームのドライバーなものだから、目立たないようにしておかないといけない。
ファンに見つかったら一瞬で軍隊アリみたいに群がられて、行動不能になってしまう。
「あれが、世界樹ユグドラシル……」
隣でニーサが窓から顔を出し、感嘆の声を漏らしていた。
現在俺達が乗るタクシーは、海上にかかる巨大な橋の上を走行中。
まだ、ユグドラシル島内には入っていない。
なのに、ハッキリと見えていた。
巨大な樹木が天を貫き、そびえ立っている姿が。
幹の直径は2000m。
高さは6000m。
皮を剥げば3日で完全再生し、1本で世界中の植物全体の5%も二酸化炭素を吸収しているという。
他にも謎の生態が多く、未だに植物学者達が首をひねる存在だ。
神話では、樹神レナードが地上に降臨した姿だとか言われている。
「確かに、凄い木だ……。だけど、変だな? 初めて見るはずなのに、前にもいちど見たことがあるような……」
「ランドール、貴様もか? 実は私も、不思議な懐かしさを感じている」
2人して覚える、謎の既視感。
俺もニーサも、ユグドラシル島を訪れるのは初めてなはずなのに。
「俺はガキの頃からずっと、テレビ中継や動画サイトで見てたから。それでかな?」
「そうかもな。私もシミュレーターでは、飽きるほどこの島を走り込んだしな」
そう結論付けて、俺達は既視感に納得することにした。
どうせ初めてでも2回目でも、やることに変わりはない。
最高の走りを観てもらおう。
レース期間中は現世に降臨して、島のどこかをうろついていると言い伝えられている樹神レナードに。
コースサイドで声援を送ってくれる、観客の皆さんに。
そしてテレビの向こうから、見守ってくれている家族に――母さんに。
タクシーが橋を渡り切り、ユグドラシル島内に入った瞬間だった。
『俺の膝元へようこそ、戦女神の使徒君。今度こそ、本物の英雄になれるかな?』
不意に、男の声が聞こえた。
俺は驚いて、ニーサの方を見る。
「なあ、今の聞こえたか?」
「は? なんの話だ?」
もちろん、乗客は俺とニーサの2人だけだ。
運転手さんに訊ねてみても、そんなことは言っていないし、聞こえてもいないと首を横に振られてしまう。
そもそも運転手さんとは、声が全然違う。
――ああ、そうか。
ついにあなたと、会う時がきたのか。
俺をこの世界にスカウトしてくれた、熱狂的なモータースポーツ好きの神様。
生命と再生を司る樹神、レナードよ。
見ていてくれ。
俺をこの世界に呼んだことを、後悔はさせない。
最高に面白いレースを、見せてやるさ。
■□■□■□■□
□■□■□■□■
■□■□■□■□
□■□■□■□■
俺達BRRのドライバー3人とヴァイ監督は、レンタカーを借りて島を巡っていた。
観光とかじゃない。
コースの下見だ。
レースで使用される「ユグドラシルサーキット」は、島を1周する全長25kmの超ロング公道コース。
明日になれば道路は封鎖され、レースのフリー練習走行が始まる。
封鎖前の今日は普通に一般車両が通行できるから、レンタカーを使ってコースの下見だ。
「またこの島を、訪れる日が来るとはよ~」
助手席で外を眺めながら、ヴァイさんは不機嫌そうに言葉を漏らす。
レンタカーのハンドルを握るポール・トゥーヴィーは、無遠慮に訊ねた。
「ヴァイさん、あんまりこの島好きじゃなさそうっスね~? なにか、嫌な思い出でもあるんスか?」
それを聞いた俺とニーサは、後部座席で体を強張らせる。
――ポールのバカ!
お前タカサキのワークスドライバーだったクセに、あの事件を知らないのかよ?
「なんだよ? ポールは知らねえのか? オレが世界にその名を轟かせた、伝説のレースをよ。……あんな伝説、もう二度とゴメンだけどな」
さすがヴァイさん、器がデカい。
自嘲気味に笑いながら、平然と「事件」について語りだした。
ユグドラシルの魔物に、食われた話を――
「25年前だ。当時タカサキは、どうしてもユグドラシル24時間優勝が欲しくてな。金も人材も、惜しまずに投入していた。ちょうどその年は、前年度優勝のヴァイキーが撤退していなくてよ。オレ達は、チャンスだと思ったぜ」
突然、車内が暗くなる。
世界樹ユグドラシルの真下を通る、トンネルの中へと車が入ったんだ。
なぜかこのトンネル内には、ユグドラシルの根が侵食してこない。
植物学者達が、「ユグドラシルには意思があるのでは?」と仮説を立てている所以だ。
「オレは、タカサキ〈オルトロス〉GT-YDのハンドルを握っていた。こいつがまた、戦闘力の高いマシンでな。ぶっちぎりで予選1番手を獲得して、決勝レースでもピットイン時以外はずっとトップを走り続けた」
トンネルを抜ける。
レンタカーの車内に、陽光が差し込んだ。
「シャーラ〈レオナ〉に続く、史上2回目のマリーノ国産車優勝が近づいていた。タカサキの社長なんて、祝杯用のワインとグラスを用意してテレビの前でスタンバってたらしいぜ。観客連中も、タカサキの旗をブンブン振り回しててな。ありゃゴールと同時にコースへと雪崩れ込んで、お祭り騒ぎする予定だったんだろう」
レンタカーは、海沿いへとやってきた。
ここの交差点が、レースでは最終コーナーである「リヴァイアサンベンド」になる。
「チェッカーフラッグまで、残り3分。突然、なんの前触れもなくエンジンが止まった。……ちょうどこの辺りで、完全にストップしちまったよ。当時のGT-YDマシンは、ハイブリッド車じゃなかったからな。エンジンが止まると、もうどうしようもねえ」
ヴァイさんが、道路を指差す。
そこはチェッカーフラッグが振られるコントロールラインまで、わずか30mほどの距離。
「『ふざけんな! なにがなんでも、ゴールしてやる!』って、オレは思ったさ。うんともすんとも言わなくなったマシンをヒーコラ手で押して、24時間経過後にコントロールラインを通過してやった。この場合、ルール上はどうなる? ランディ」
「チェッカーフラッグは、受けられない。リタイヤですね」
「そうだ。マシンが走行状態じゃねえと、ゴールしたとは認められねえ。完走扱いにすら、ならなかったよ。……ってなわけで『タカサキ悲劇の3分間』って伝説の主人公として、オレの名は世界中に轟いちまったってわけさ。どうせなら、優勝して名前を売りたかったぜ」
冗談めかして言ってるけど、相当ショックだったはずだ。
ヴァイさんだけじゃなく、当時のタカサキ関係者全員が。
「オレは少々、ムカついているんだ。そんな面白くねえクソストーリーを書いた、レナード神様によ。出会ったら、1発ぶん殴ってやろうと思う程度にはな」
神様をぶん殴るという宣言は、少々ってレベルのムカつき方ではない気がする。
あとそれって、レナード神様が書いた筋書なの?
八つ当たりでは? と、疑問に思わないでもない。
それでも――
「やるぞ、クソガキども。悪いが、オレのリベンジマッチに付き合ってもらうぜ」
ヴァイさんの仇だ。
このユグドラシルサーキットに巣食う魔物君を、ぎゃふんと言わせてみせるさ。
リーンハルト航空の名前の由来は、聖女と青き竜の冒険物語からきているそうな。
https://ncode.syosetu.com/n2195gj/