ターン175 ただ瞬間の悦びを求めて
「そういえば余は、マリー・ルイスに嫌われているのであった……」
さっきは「ひゃっほう」とか言ってたくせに、デイモン・オクレール閣下はあっという間にメソメソモードへと戻ってしまった。
「あれ? 閣下って、まだ怖がられているの? 第1戦のフェア・ウォーニ・ビーチで会った時は、そんなに怖がられてなかったと思うけど?」
その分残念な男だと思われたっぽいけど、それを言うとますます泣きそうなので黙っておく。
「もう怖がられてはいないとしても、余はどうやってアプローチしたらいいのか分からぬ。教えてくれ師匠。どうすれば……いったいどうすれば、マリー・ルイスに好かれるのだ?」
涙を流しながら、必死で縋りついてくるイケメンというものはなんだか怖い。
うーん。
この残念形態閣下も、マリーさんに近づけてはいけない気がする。
どうしたものか?
実際には近づかずに、仲良くなれるような方法は――
マリーさんってラウネスネットのSNSとかは、あまり積極的に利用していないし――
――あっ!
そうだ!
「文通……とか、どうだろう?」
「「文通ぅ~?」」
俺の提案に、そりゃナシだろうと言いたげな声を上げるブレイズとヤニ。
やっぱダメ――だよね?
言い出しておいてなんだけど、俺もちょっと時代遅れかなと思う。
ところが閣下は目を輝かせて、俺の提案に食いついた。
「文通……そうか文通か。それは良いアイディアではないか」
「えっ? 閣下、本気? この情報化社会で、わざわざ手紙をやり取りするの? 1往復するのにも、すっごい時間かかるよ?」
「かまわぬ。余達吸血鬼は長命種。手紙を待つ時間ぐらい、どうということない」
閣下の台詞に、俺は引っかかりを覚えた。
「ねえ閣下。こういうこと言うと、前みたいに『種族差別だ』って怒られちゃうかもしれないけどさ……。閣下が本気でマリーさんのことを好きだとして、お互いの寿命の差についてはどう考えているの?」
しんと、テーブルの空気が冷えた。
ブレイズとヤニも黙ってしまう。
デイモン・オクレール閣下は、数百年の時を生きる吸血鬼。
マリー・ルイス嬢は、長くても百年しか生きられない人間族。
吸血鬼のような長命種と人間族のような短命種の婚姻は、周囲から反対されるケースが多い。
もし、閣下とマリーさんが一緒になった場合――
閣下は自分より圧倒的な早さで老いて、弱ってゆく彼女を看取らなければならない。
そして、最後は取り残される。
逆にマリーさんは若いままの閣下を見せつけられながら、自分だけが老いて先立つ羽目になる。
それはきっと、どちらも辛い。
だけど、閣下は――
「ふむ。実は最近、不死者向けの医療技術として、画期的な手術が考案されてな」
「え? 閣下、それってまさか……」
「ああ。もしマリー・ルイスを伴侶とできるなら、余は『短命化手術』を受けようと思う」
――短命化手術。
遺伝子のテロメアを操作して、不死者の寿命を人間や獣人、エルフと同程度まで短くする手術。
短命種との婚姻を望む不死者や、周囲の知人や友人に先立たれて精神を病みがちな不死者のために考案された術式。
倫理面から、世間では大論争が巻き起こっている。
「自ら寿命を大幅に縮めるのは、自殺に等しいのではないか?」と。
「余はな、師匠達短命種が羨ましい。短命種から見れば、余達長命種が羨ましいのだろうがな……」
「閣下……」
「短命種の生き方は、苛烈だ。短い生の中で何かを成し遂げ、次の世代に伝えようと命を燃やして走り続ける。まるで瞬間の悦びを求めて、狂おしくサーキットを駆けるレーシングカーのようではないか。そんな短命種の生き方に憧れているからこそ、余はレーシングドライバーをやっているのかもしれぬ」
閣下はグラスを手に取り、注がれていたブラッディ・マリーを喉に流し込んだ。
そしてフウッと息を吐き出し、話を続ける。
「マリー・ルイスの生き様は、余の憧れる短命種の生き方そのものだ。あの若さで大企業の長となり、レーシングチームのオーナーとして世界最高峰のレースに挑む。余なら200年かけても、成し遂げられるか分からぬ大事業だ」
遠い目でテラスの外――インヤンザシティの夜景を眺める閣下。
それに釣られて、俺達3人も視線をそちらに向けた。
闇の中で輝き続ける街の明かりは、思い起こさせる。
いつもギラギラと輝いている、マリーさんの銀髪と活力に満ちたグレーの瞳を。
「短命化手術はまだ考案されたばかりで、手術費用が高い。余はユグドラシル24時間で優勝したら、その莫大な賞金を手術費用に当てようと思っている。実家からは手術に大反対されるであろうから、費用は自分で稼がねばな」
なにも言えなかった。
石油王の息子でボンボンだと思っていたデイモン・オクレール閣下が、こんな覚悟でレーシングドライバーをやっているとは――
「少し、湿っぽい話をしてしまったな……。せっかく男同士で集まったのだ。ここからは、賑やかに飲もうではないか。余のおごりだ」
「え? おごり? 閣下、手術費用を貯めとかなくていいの?」
「手術費用と違って、酒代なら実家のツケにできる。このインヤンザシティは、余の地元であるぞ? さあ、師匠も今晩ぐらいは飲んでもよかろう」
う――うーん。
アンセムシティでのマリーさんとのデート以来、お酒は封印していたんだけどな。
だけどせっかくみんな盛り上がっているし、ちょっとぐらいはいいかな?
このお店にも紹興酒の津孤讃々が置いてあったから、俺は注文してしまうことにする。
これ、好きなんだよな。
そこからはみんな、ハイペースで飲み進めた。
ワイワイと他愛もない会話をしながら、楽しい時間が流れてゆく。
しばらくすると閣下はまた泣き始めて、ブレイズはそれを指差して笑って、ヤニが今度は片足スクワットを始めて――
みんな! 騒ぎ過ぎだよ!
4人の中で1番お酒に強かった俺は、最後まで正気だった。
おかげで周囲とお店の人に謝るのは、俺の担当だ。
必死で謝っていたのに最後は店から追い出され、出入り禁止をくらってしまった。
やっぱお酒って、ロクなもんじゃないな!
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9月初頭。
シーズンは折り返し。
ここから後半戦だ。
世界耐久選手権 第6戦
ガンズ国家連邦ライジー州
カゲヤ・ロノッブ5時間
誰だ!?
こんな場所に、サーキットを建設したバカは!?
そりゃ確かに、ガンズ国家連邦に属する土地ではあるんだけど――
北極大陸でレースって、あんまりだろう。
この世界は地球と違い、北極に大陸があって代わりに南極大陸が無い。
このカゲヤ・ロノッブレースウェイは、北極大陸の中でも最南端に作られてはいる。
とはいえ季節は夏にもかかわらず、周囲は雪で真っ白だ。
灼熱の砂漠の次が、北極でレースとか笑えない。
一応このサーキットには電熱線でコース上の雪を溶かす設備があるから、積雪でレースができないという事態にはならないんだけどね。
チームのスタッフ達は、みんなダルマみたいに着ぶくれていた。
もちろん俺達ドライバーも、走行時以外は上着を着てモコモコだ。
レースクィーンの皆様も、今回ばかりは露出が少ない。
そんな中、やらかしてしまうのがウチのアンジェラ・アモット嬢だ。
「こんな時こそ、ファンサービスが大事よ!」
彼女はそう言い放ち、防寒着を脱ぎ捨てて通常時と変わらない露出多めなコスチュームを披露した。
露出狂め。
露出=ファンサービスってわけじゃないぞ?
――もちろん、バッチリ風邪を引いた。
この世界にも「なんとかは風邪をひかない」的な諺があるんだけど、アンジェラさんでも風邪引くんだな~というのが正直な感想だ。
ニーサも尻尾を両手でかき抱いて、ガタガタと震えていた。
やっぱ竜人族って爬虫類臭いから、寒さに弱いのか?
ヌコさんはピット内に、コタツを設置してしまった。
さすが猫の獣人。
俺とヴィオレッタもコタツ大好きっ子なんで、ヌコさんと尻尾を温めたいニーサの4人で入る。
ぬくぬくしていたらケイトさんが、
「レース期間中に、邪魔やー! マシンがピット内に入れんやろー!」
と、怒りのちゃぶ台返しならぬコタツ返しを炸裂させてしまった。
ああっ! 酷い!
俺達のコタツがぁー!
コタツを失った俺達は30位。
コタツさえ残っていれば、きっと入賞できたはずだ。
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世界耐久選手権 第7戦
ナタークティカ国
クレイズトレイン8時間
このクレイズトレインサーキットは、かなり特殊な成り立ちのサーキットだ。
廃線になった、地下鉄の跡地に作られている。
おかげでコースの大半は、狭いトンネル。
照明施設はあるものの、全体的に暗くて視界が悪い。
普通の屋外サーキットでも爆音なレーシングカーの排気音は、トンネルなもんだから反響してさらにうるさい。
ウチの〈レオナ〉さんは大変アイドリング音の大きなコで、暖機運転をしていたら隣のピットから「うるせえ!」ってスパナが飛んできた。
ごめんなさい。
俺も凄くうるさいと思います。
バッバッと下品なアイドリング音を大音量で響かせる〈レオナ〉の4ローターエンジンなんだけど、これがコースインしてブン回した時のサウンドは最高だ。
甲高く官能的な排気音に、観客席からは大歓声が上がった。
〈レオナ〉は昔から、世界中に根強いファンがいる車だからな。
現行型の〈レオナ〉GR-9型が発売されてから、もう8年。
各地のローカルなレースでは使用するチームも増えたものの、トップカテゴリーを走るGR-9型というのはこの車が初。
販売元のシャーラが、モータースポーツ活動を行っていなかったからな。
〈レオナ〉という車種としては、実に38年ぶり。
そりゃ〈レオナ〉ファン、ロータリーエンジンファンは、久しぶりのそのサウンドに狂喜乱舞するよな。
自分の走行時間を終えた俺はサインエリアで耳を澄まし、トンネル内にこだまするGT-YDマシン達のサウンドに聴き惚れていた。
うーん。
どのマシンも、いい音だ。
特にウチの〈レオナ〉さんの4ローターエンジンと、ナイトウィザード〈シヴァ〉のV型12気筒エンジンが素晴らしい。
両方とも甲高い音ではあるんだけど、聴き比べると違いがあるな。
〈シヴァ〉は管楽器っぽい滑らかな音色で、〈レオナ〉は切りつけてくるような鋭いサウンド。
どちらも、たまりませんな~。
目を閉じてウットリしていたら、ニーサの駆る〈レオナ〉が眼前を通過した。
オーバーテイクシステムとドラッグ・リダクション・システムを作動させて、とんでもない速度で。
しかも、コンクリート壁ギリギリの位置を。
いつぞやのテスト走行の時みたいに、俺は走行風圧でぶっとばされた。
苦情を言ってやろうと無線のヘッドセットを着けた瞬間、先にニーサの方からクレームが入った。
『気が散る! サインエリアでスケベ面をするな! この変態! シャーラ社の恥部め!』
なんとなく、アンジェラさんの同類になってしまったような気がして割と落ち込んだ。
狭くて暗いサーキットだったせいで、レース中は事故が頻発。
ウチも事故したマシンの破片を踏んでタイヤがパンクし、予定外のピットインを強いられる場面があった。
それでもしぶとく走り抜いて、19位入賞。
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世界耐久選手権 第8戦
オズボーン共和国
オーパジマウンテン600km
今回は、山岳地帯の峠道を閉鎖して行われる公道レース。
道路は狭い。
曲がりくねっている。
ガードレールの向こうは、すぐ崖。
上り下りは激しい。
GT-YDマシンみたいな、モンスターを走らせていい環境じゃないね。
それでもなんとか走らせるのが、俺達プロレーシングドライバーの仕事だけど。
レース結果は25位。
うむむ――
全体的に、スピード不足だ。
ウチの〈レオナ〉はホント全然壊れないんだけど、その代わり1発の速さは他所のマシンに後れを取っている。
だからフェア・ウォーニ1000kmやインヤンザ12時間みたいな長距離レースの方が、いい成績を残しやすい。
今回のレースも、距離があと600kmあればな~。
ただ、よそのマシンも壊れにくくなってきた。
相手の自滅待ちで、棚ぼた勝利を――というのは、虫が良過ぎるかもしれない。
2戦を残して、俺達が世界耐久選手権の年間王者を獲得できる可能性は完全に消滅した。
残りを全部勝っても、トップのチームにはポイントが届かない。
でも実はコレ、シーズン開始前からの予定通りだったりするんだよね。
俺達シャーラワークスの目標は、WEMという選手権でチャンピオン争いをすることじゃなかった。
目標は、最初から――




