ターン170 もう解雇しちゃった方がいいんじゃないのか?
樹神暦2642年3月
ディシエイシ国
フェア・ウォーニ市
世界耐久選手権 第1戦
フェア・ウォーニ1000km
予選日
打ち寄せる波の音なんざ、〈レオナ〉の運転席でハンドルを握る俺には聞こえちゃいない。
聞こえるのはキューンという変速機の唸り声と、さかりがついた猫みたいなロータリーサウンド。
それに200km/hを超えると、ゴボゴボという気色悪い風切音も混じり始めるかな。
だけどいま走っている区間はスピードが乗る区間じゃないから、風切音はそこまでうるさくない。
このフェア・ウォーニ海上サーキットは、1周が7kmという結構長めのサーキット。
前半は、直線がほとんどない。
きつく曲がり込んだヘアピンや直角のコーナー、クランク状に曲がったシケインが続く区間だ。
海に浮かぶ人工島の狭いスペースを隙間なく道が走っているから、やたら窮屈に感じるぜ。
右に曲がったと思ったら左。
左に曲がったと思ったら右。
減速したと思ったら加速。
加速したと思ったら減速。
ステアリング操作もペダル操作も、シフトチェンジ操作もやたら忙しい。
GT-YDマシンは、クラッチペダルが無い。
手元のパドルをカチカチ動かすだけでギヤを変えられるセミATを採用しているけど、それでも大変だ。
とんでもない加速だから、あっという間に次のコーナーがきてしまう。
くはーっ!
開発テストの時から思ってたけど、やっぱ4WD+ハイブリッドって凄い。
普通の2WDならタイヤが滑って空転してしまうような大パワーでも、4つのタイヤ全てで路面を蹴飛ばすと車体がグイグイ前へと進む。
おまけにハイブリッド車で使う、電動モーター。
これが、ものすごい瞬発力だ。
ガソリンエンジンだとある程度高回転域まで回さないと最大トルクは出ないんだけど、電動モーターは回り始めた瞬間にトルクMAXだからな。
というわけで今の俺と〈レオナ〉は、狭い檻の中でパワーを持て余す恐竜状態。
だけどそれも、ここまでだ。
後半からこのサーキットは、高速区間に突入する。
平坦で入り組んだ第1区間、第2区間を抜け、急な下り坂へ。
トンネルに突入だ。
ロータリーエンジン独特の金属質な排気音が反響して、ヘルメットの中にまでガンガン響く。
俺と〈レオナ〉は人工島の地面より深く、海の中に潜る。
青い世界が広がった。
第3区間。
海中トンネル「ターコイズバレル」。
人工島の下を走り抜ける、長さ2.5kmのロングストレートだ。
マリーノ国とナタークティカ国を結ぶ海底トンネル「マーメイドコーリダー」と同じく、透明なMKKクリスタルで作られている。
おかげで海中を泳ぐ熱帯魚や、スキューバ中のダイバー達の姿を見られて絶景――
なんて言ってる暇はない。
左手親指で、赤いボタンを押し込む。
オーバーテイクシステム、オン。
これで〈レオナ〉GT-YDは通常の900馬力から、フルパワーの1500馬力へ。
さらに右手で黄色いボタンをオン。
ドラッグ・リダクション・システム作動。
マシンの各部がにゅるりと生き物っぽく変形して、空気抵抗の少ないロードラッグモードへ。
同時にアルテカジキペイントも作動し、振動する塗装面が空気抵抗を打ち消す。
やかましい風切音が、小さくなった。
急な下り坂というのもあって、速度はグングン上昇。
青い世界は、後方へと消し飛んでいく。
下りきって上り坂へと入った時、頭から股下にかけて強い縦Gがのしかかってきた。
ギヤは8速。
上り坂でも、まだまだ加速する。
速度は400Km/hをオーバーだ。
突然、ターコイズブルーの世界は白く眩い光の世界へと変貌する。
海中トンネルから、飛び出したんだ。
目が太陽の光に慣れ切らないうちに、高速の最終コーナー130Rが迫ってきた。
ブレーキペダルは踏まない。
DRSが解除された瞬間に発生するエアブレーキだけで、強烈に減速する。
俺はその減速に合わせ、ギヤを1つ落とした。
内臓が全部片側に寄ってしまいそうな遠心力に耐えながら、コーナーを立ち上がってコントロールラインを通過。
前窓に、今の周回タイムと現在の予選順位が表示される。
「51位……か……」
世界耐久選手権、年間10レースにフル参戦するマシンが56台。
地元だけのスポット参戦チームなんかも含め、今回のフェア・ウォーニ1000kmに参戦しているマシンは62台。
遅い――
予選51位は、かなり遅い。
自動車メーカーチームなのに、個人参加チームにも何台か前に行かれてしまった。
う~ん。
かなり頑張って、アタックしたんだけどな。
ちなみに世界耐久選手権はGTフリークスと違い、スーパーラップなんてものはない。
予選タイムアタックでドライバー3人とも走り、その合計タイムで決勝のスタート順位が確定してしまう。
ウチも他所もまだ、1人目のドライバーが走り終わったところ。
これからニーサやポールが頑張ってくれれば、大きく順位が上がる可能性は残っているけど――
厳しそうだ。
俺はそんなことを考えながら、クールダウンでコース上をゆっくり流す。
すると前窓に、ベチャリとカモメの糞が直撃した。
あ~。くそ~。
海辺のサーキットは、コレがなぁ――
GT-YDマシンにはワイパーこそ着いているものの、ウィンドウウォッシャーなんてものは着いちゃいない。
下手にワイパーを動かして糞が引き延ばされたら、かえって視界が悪くなるだろう。
前窓には極薄のフィルムが貼られていて、ピットインした時に剥がして綺麗にできる。
あとでジョージに、剥がしてもらおう。
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ピットに戻りマシンを降りると、次に走るポール・トゥーヴィーが待っていた。
待ってはいたんだけど、まだフェイスマスクもヘルメットも身に着けていない。
俺に背を向けて、なにやらプルプル震えている。
「おい、ポール。なにやってんだよ? すぐ、お前の走行だぞ?」
ポールはゆっくりと、こちらを振り向く。
いつもは愛嬌がある丸っこい顔の小鬼族はミイラのように眼窩をくぼませ、頬もゲッソリしていた。
カサカサの唇をむりやり吊り上げて、ポールはかすれたか細い声で言う。
「ら……ランディさん……。あとは俺っちに……任せて……下さい……っス。コース最速記録……いただき……っス」
弱々しくサムズアップしてみせる小鬼族の干物を見て、俺はヘルメットの上から頭を抱えた。
「そんな死にかけの奴に任せられるか!」
叫んでから、元凶となった淫魔族レースクィーンをじろりと睨む。
ブルーレヴォリューションレーシングのレースクィーン達はTPC耐久時代、メイド服をモチーフとした青いコスチュームを着ていた。
だけど世界耐久選手権に挑む今回は、コスチュームをサイバーな雰囲気のものに一新。
白をメインカラーに、背中で燃える青い翼の模様。
なんともシャーラワークスらしいデザインになった。
白い衣装は天使のように清楚なイメージも抱かせるのに、着ている人物は悪魔っぽい翼と尻尾を生やしているというのはなんとも冒涜的。
アンジェラ・アモットさんは全く反省の素振りなく、舌なめずりしながら
「ご馳走様でした」
と言い放った。
くそ――
この淫魔族、もう解雇しちゃった方がいいんじゃないのか?
ヌコさんもまだ、フラついてるんだぞ?
俺達「シャーラ・BRR」の前途は多難です。
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「ごめん、ニーサ。これは〈レオナ〉GT-YDの開発ドライバーである、俺の責任だ」
予選のタイムアタックを終え、〈レオナ〉の運転席から這い出したニーサ・シルヴィア。
フェイスマスクを剥ぎ取り長いプラチナブロンドを振り乱した彼女に、俺は謝罪の言葉を投げかけた。
ポールに続き、彼女の予選タイムも芳しくない。
ドライバーの走りがどうこうという問題じゃなく、マシンの戦闘力が不足しているのは明らかだった。
「ランドール。自分1人で、〈レオナ〉を仕上げたような面をするな。メインの開発ドライバーは貴様だったとはいえ、昨年の終わりからは私やポールも参加しているんだぞ?」
「でも……」
「ええい、ぐちゃぐちゃと……。まだ、予選ではないか。レースは最後まで、何が起こるかわからん。チェッカーフラッグは、1000kmも先なのだからな」
ニーサの奴、俺を責めるつもりはないらしい。
意外とさっぱりした表情で、頸椎を保護するプロテクターのHANSも取り外していく。
「ランディ、ニーサお嬢ちゃんの言う通りだぞ」
背後からやってきて、俺の肩にガシッと腕を回したのはヴァイ・アイバニーズ監督だった。
「そう、ゴールは1000kmも先なんだよ。1発勝負の予選で速く走れなかったぐらいで、動揺するんじゃねえ」
ヴァイさんの赤い瞳には、光があった。
レースを諦めていない者の光が。
「それによ、マシンが遅いなんて言ったらケイトお嬢ちゃんも可哀想だろうが? 〈レオナ〉GT-YDは、誰の愛娘だと思ってんだ?」
「あっ……」
そうだった。
このマシンのチーフデザイナーはケイトさん。
彼女の仕事も、ダメだったということになってしまう。
ケイトさんだけじゃない。
ジョージやヌコさん、シャーラの社員達。
多くの人達の手で、生み出されたマシンなんだ。
ダメだと決めつけるのは、あんまりだろう。
「お前もTPC耐久、GTフリークスと走ってきて、耐久レースってもんが分かってるはずだろ? 勝つためには速さも必要だが、最後まで走り切ることが何より大切なんだよ」
「ヴァイさん……」
遠い目で人工島の外、水平線を見つめるヴァイさん。
何に想いを馳せているのか、大体見当が付く。
おそらく25年前のユグドラシル24時間で起こった、あの事件だろう。
レーシングドライバー、ヴァイ・アイバニーズ。
彼が世界で最も有名になった、悲劇の瞬間。
ユグドラシル24時間への挑戦は、ヴァイさんのリベンジでもあるんだ。
「『最後まで走り切るのが大切』か……。2637年のGTフリークスで、ガス欠してランドールとヴァイさんに負けたのを思い出しましたよ」
さっきまであっけらかんとしていたのに、露骨にニーサの機嫌が悪くなる。
ヴァイさんはそれを見て、気まずそうに頬をポリポリ搔いていた。
俺も気まずい。
ニーサ、あんまり根に持つなよ。
あの時はお前、2位には入ったじゃないか。