ターン169 砂浜の女神
白いビーチが鮮血で染まった。
力を失った男の体が、ゆっくりと砂浜に倒れ込む。
目の前で繰り広げられる凄惨な光景に、俺は全く動くことができなかった。
――いや。
殺人事件とかじゃなくて、デイモン・オクレール閣下が鼻血を噴いて倒れただけなんだけどね。
頑なにマリーさんの水着姿を見ようとしない閣下を、ポールの奴が面白がっちゃって――
頭を掴んで、首をむりやりマリーさんの方へ向けてしまったんだ。
で、ビキニ×どりるをまともに見た瞬間、閣下は火山と化してしまったというね。
吸血鬼が、自分から血を噴いてどうすんだよ?
「へえ~。オクレール閣下って、108年も守り通してるのねぇ~。気絶してる間に、私が卒業させちゃおうかしら?」
意識のない閣下を、アンジェラさんが危険な眼差しで見つめる。
暴食淫魔族の被害に遭う前に、宿泊先のホテルへ送り届けないと。
幸い閣下のチームは、宿泊ホテルがウチと一緒なんだそうな。
責任を取って、ポールがおぶっていく。
ちっこいポールに長身の閣下は背負いにくそうだけど、文句を言える立場じゃない。
よろよろとビーチを去るポールと閣下を見送った後、俺は周囲を見渡した。
――おかしい。
ブルーレヴォリューションレーシング主要メンバーの中で、見当たらないのが何人かいる。
ヌコさんはホテルの自室でダウン中。
ジョージはその様子を見に行った。
ニーサはビーチに来ないと言った。
たぶん、ホテルの自室にいるだろう。
「そういえば、ヴァイさんは?」
「ホテルの自室で、休む言うてたで」
「そっか……」
ならばエルフのレースクィーンのアキラさんは、そんなヴァイさんを監視してるんだろう。
物陰からヴァイさんをじっと見つめるのが、彼女のライフワークだからな。
となると、行方不明なのは――
「ねえ、ヴィオレッタはどこ?」
俺の妹。
ドライバーマネージャーでもあるヴィオレッタには、今回先に現地入りしてもらっていた。
この場か、ホテルにいるはずなんだけど――
俺の質問に、女性陣が気まずそうに目を逸らした。
すごく、嫌な予感がする。
「あ……あんな、ランディ君。ヴィオレッタちゃんは、もう今年で23歳なんやで」
「ねえ? ヴィオレッタはどこ?」
「お……落ち着いて下さい、ランディ様。どこに行ったかは、分かっております。兄妹仲が良いのは喜ばしいですが、ヴィオレッタ様もたまにはお兄様の傍を離れて……」
「ねえ? ヴィオレッタはどこ?」
「大丈夫よ、ランディ君。あの2人はまだ、そういう関係ではないわ」
「ねえ? ヴィオレッタはどこ?」
根気よく笑顔で同じ質問を繰り返す俺に、なぜかケイトさん、マリーさん、アンジェラさんはドン引きしていた。
ああ。
俺は嘘がつけない人間だもんな。
このドス黒い感情が、外にも溢れてしまっているのか。
アンジェラさんが言ったあの2人とか関係とか、どういう意味かなぁ?
まるで、男と一緒にいるような言い方じゃないか。
3人の視線が海――それも、沖の方に向く。
釣られて俺の視線も、同じ方向に流れた。
かなり遠くで、水上バイクを乗り回している若いエルフの男がいる。
真っ赤な長髪を海風になびかせて、楽しそうに海上を滑走しているあいつは――
「ブレイズ・ルーレイロ……」
ああ、奴も世界耐久選手権のドライバーだもんな。
第1戦開催サーキットの近くであるこのビーチにいても、なんら不思議じゃない。
だけどお前、なにしれっと後席にヴィオレッタを乗せてるんだ?
そんな密着状態、神々が許しても俺とオズワルド父さんが許すわけ無いだろう?
海へ向かって走り出そうとした俺の行く手に、ケイトさんとマリーさんが両手を広げて立ち塞がった。
「ちょい待ち! ランディ君、なにするつもりなんや?」
「なにって? ヴィオレッタのところに行くだけさ」
「まさか、泳いで行くつもりちゃうよな?」
「当然、泳ぎだよ?」
「ランディ様。それはさすがに、無粋ですわ。ヴィオレッタ様は『たまには遊んでやってもいいか』とおっしゃって、ご自分の意思でブレイズ様についていったのです」
ふむ、困ったな。
早くヴィオレッタの元へ駆けつけて、ブレイズの野郎を海にポイしないといけないのに。
俺の行く手を塞いだのは、ケイトさんとマリーさんだけじゃなかった。
「ブレイズの邪魔はさせねえぞ、ランディ!」
背後からの声に振り向くと、そこにはジョージ・ドッケンハイム(変身済)の姿が。
もう、ヌコさんの様子見から戻ってきたのか。
ちっ!
そういえばコイツ、ブレイズ大好きマンだったな。
そうかよ。
お前も俺の敵かよ?
ならば、容赦はしないぜ?
ジョージという巨大な筋肉の塊が、俺目がけて突進してくる。
ダンプカーもビックリなその1撃を、腰を落として迎え撃った。
ふんばった両足が砂浜を滑り、軌跡を描く。
だけどそんなジョージの突進を、俺は受け止め切った。
「ちっ! 細ぇのに、なんて馬鹿力だ!」
筋肉ダルマと化したジョージは、ヒョロ眼鏡モードの時とは違う荒々しい口調で悪態をつく。
「ジョージ。お前は1人っ子だったな」
「はぁ? ランディ、いったい何を言って……」
「妹のいないお前には、分からないだろう。兄ってのはな、妹を守るためなら無限のパワァを絞り出せる生き物なんだぁあああっ!」
気合一閃。
俺はジョージの巨体をぶん投げる。
カッコよく決めたと思ったのに、女性陣3人からそれぞれ、
「シスコンや」
「シスコンですわ」
「シスコンねえ……」
というため息交じりの呟きと、冷ややかな視線が飛んできた。
だけど今は、そんなことを気にしている場合じゃない。
「いま行くぞ! ヴィオレッタ!」
俺は海に飛び込み、魚雷の如く沖合へと泳ぎだした。
これは後で聞いた話だけど、水上バイクをバタフライ泳法で追い回す怪人の噂が流れたらしい。
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夕暮れのビーチ。
俺は黄昏色に染まった砂浜の上で体育座りをしながら、沈みゆく太陽を眺めていた。
ふと、砂の上に影が差す。
誰かが背後に立ったんだ。
「ランドール。なにを落ち込んでいるのだ?」
「ニーサか……」
声を掛けられる前に、なんとなく気配で彼女だと分かっていた。
「ヴィオレッタから、怒られた」
「例の水上バイク事件か? マリーさん達から、あらましは聞いたよ」
さすがの俺も、泳いで水上バイクには追いつけなかったさ。
だから燃料切れになって、発着場のマリーナに戻ったところを押さえた。
ニコニコと笑顔を絶やさぬようにしながらブレイズに近づき、奴を海に放り込もうとしたんだ。
そしたらヴィオレッタに、止められてしまった。
『やめて! お兄ちゃん! 私が自分で、ブレイズさんについてきたのよ! それを、海に投げ込むのは酷いわ!』
ショックだった。
今まで近づく男を俺が排除する時、ヴィオレッタはその様子を嬉々として見守っていた。
なのに――
なのに――
しかもヴィオレッタは、ボソリとこう言ったんだ。
「それにブレイズさんと遊ぶの、結構楽しかったし……」
なんてこった――
ヴィオレッタが、男と遊び歩く不良と化してしまった。
祖国のオズワルド父さんに、なんと言って詫びればいいんだ。
しかも周囲には、俺の味方がいない。
ジョージ、ケイトさん、マリーさん、アンジェラさん。
皆が口をそろえて、「いい加減、妹離れしたらどうだ?」と説教してきた。
俺は――俺はヴィオレッタのことが、心配なだけなのに!
「はぁ~っ、ニーサ。やっぱ俺、シスコンってやつなのかなぁ? 世間一般的に見て、異常な兄貴なのか?」
日頃から俺に対して、辛口なニーサのことだ。
「どシスコンに決まっているだろう? 気持ち悪い」
ぐらい言われると、覚悟していた。
だけど返ってきた言葉は、意外なものだった。
「ん? 別に、普通じゃないのか?」
「へっ?」
ニーサの言葉を受けて、俺は砂浜に落としていた視線を上げる。
「貴様とヴィオレッタちゃんは仲がいいだけで、異常ということはないだろう? 仲の良い兄妹とは、みんなクロウリィ兄妹みたいなものだと私は思っている。正直ちょっと、羨ましいな……」
ああ、そうか。
こいつはきっと、兄妹が欲しかったんだ。
竜人族は、子供ができにくいんだったな。
ニーサ自身だって、シルヴィア夫妻がやっと授かったひとり娘に違いない。
だから、俺達兄妹を羨ましいと――
「そっか……。仲がいいだけで、普通の兄妹か……。ありがとうな、ニーサ。おかげで、気持ちがスッキリ……」
お礼を言おうとして振り返り、俺は言葉を失った。
「な……なんだそのリアクションは? 貴様が見たいと言ったんだろう?」
「い……いや、確かに言ったんだけどさ。持ってきてないって、言ってなかったか?」
「……さっき買った。誤解するなよ? 別に、貴様に見せる為だけに買ったわけじゃないからな? たまたまお店に飾ってあったのが気に入ったから、衝動買いしただけだ!」
ニーサ・シルヴィアは、水着姿だった。
エスニック柄の長いパレオと下ろしたプラチナブロンドが、潮風にゆっくりと揺られている。
夕日を浴びて神々しく輝くその姿は、まるで――
「ニーサって……女神様みたいだな」
俺の言葉に、夕日に染まったニーサの顔がますます赤くなった。
尻尾も落ち着きなく、ユラユラしている。
「そ……そんな心にもない歯の浮くようなお世辞を言われても、嬉しくなんかないんだから!」
「口調、変わってるぞ? 俺が嘘の言えない体質だって、お前は知っているはずだ」
「くっ……。あなたはいつもそうやって、女の子を惑わす台詞を簡単に吐く。だから私は、信じられない」
「……いいさ。信じてもらえないなら信じてもらえるまで、何度でも言ってやる。俺はしつこいんだ。覚悟しておけ」
ピーンと尻尾を立たせた後、ニーサは俯きプルプルと震え始めた。
「……禁止だ」
「は? ニーサ、なにが禁止だって?」
「女神とか、そういうの禁止!」
「ああ、そうかい。じゃあ、戦女神様」
「戦と付けただけじゃないか!」
素直に好意をぶつけたり褒めたりすると、ニーサはこんな反応をしてくれるのか――
面白い!
可愛い!
「……明日から戦争が始まる。あてにしてるぜ、俺の戦女神様」
「まだ言う? ……でも、強さだけは本当にそうなりたい。戦女神リースディース様みたいに」
立ち上がり、ニーサと肩を並べた。
そして視線を、遠くの海へ。
見つめる先には、沈みゆく夕日をバックに島が浮かんでいる。
金属とコンクリートで構成された、人工島。
今はひっそりと、静まり返っていた。
だけど明日になれば大勢のレーシングチーム関係者や観客が押しかけ、スピードと爆音の狂宴が始まる。
俺達の戦場――フェア・ウォーニ海上サーキット。
優しい波の音が、戦いの前にひとときの安らぎを与えてくれていた。