ターン166 ルドルフィーネ・シェンカー
樹神暦2642年3月
マリーノ国 東地域
年が明けた。
世界耐久選手権に――
ユグドラシル24時間に挑む年だ。
「ランディせんぱ~い! こっちこっち!」
広大な公園の広場。
緑鮮やかな人工芝の上に立ち、エルフの女性が手を振っている。
ズボンを履いていることが多い彼女にしては珍しく、今日はふわりとしたロングスカート。
カーキ色のワンピースを着ていた。
――ルドルフィーネ・シェンカー。
怪我で片目を失い、一時は選手生命を絶望視されていた音速の妖精。
だけど彼女はいま、機械化された義眼の力を使いレース界に復帰している。
去年はチューンド・プロダクション・カー耐久選手権クラス2の年間王者も獲得した。
今年はポール・トゥーヴィーの後釜としてGTフリークスに舞い戻り、再び36号車〈ロスハイム・ラウドレーシングサーベラス〉に乗る。
事故直後は機械化義眼がゴツくてサイボーグみたいな容姿になっていたルディだけど、今は普通のエルフにしか見えない。
ここ2年で機械化義眼の技術が急速進化して、本物の瞳に近い見た目になったんだ。
近くから覗き込んでよく観察しないと、機械化義眼だと分からないぐらい。
ただ、右目の色は彼女生来の空色じゃない。
黄金色になっていた。
左右で色違いな、オッドアイエルフだ。
「えへへ……。お久しぶりです、ランディ先輩。もう世界耐久選手権の開幕戦に旅立つ直前だから、忙しかったんじゃありませんか?」
「それはルディだって、そうじゃないか? GTフリークス開幕戦も、近いだろう? 手応えは、どんな感じだい?」
「チームメイトがクリスさんだってこと以外は、すべて上々ですよ。こないだセッティングの方向性でケンカになったから、言い負かしてやりました」
「なんとまあ……。ルディも強くなったもんだ」
今からだともう、13年も前か?
ジュニアカートのデビュー戦でクリス君から睨まれて、おどおどしていたルディを思い出す。
懐かしいなぁ――
クリス君もあの頃は、自分が言い負かされる日がくるとは思ってなかったんだろうなぁ――
「ボクのスーパーライセンス取得のために、クリスさんには相方として頑張ってもらわないといけません。あと何回か優勝するか、年間ランキング2位以内に入ればスーパーライセンスの発給条件を満たせるんで」
2639年に10戦中7回予選1番手獲得というド派手な活躍をして、一躍時の人となったルディ。
だけど彼女は、ユグドラシル24時間に出るためのスーパーライセンス発給条件を満たしていない。
あの年は結局、ランキング3位で終わってしまったから――
「あー、悔しいなー。ホントはポール君じゃなくて、ボクが〈レオナ〉GT-YDのドライバーに推されてたって聞きましたよ? ボクの代わりである以上、不甲斐ない走りしたら許さないよ? ポール君。ふふふ……」
妖精のように可憐な顔に似合わないドス黒い笑みを見て、俺は思わず後退りしてしまう。
ポールよ。
チームの為にもルディの為にも、そして自分の身の安全の為にもヘマするなよ?
俺とルディは、休憩所のベンチに腰を下ろした。
「それでルディ。今日呼びだしたのは、どういう用件なんだい?」
「あっ、そうそう。これをランディ先輩に、渡しておきたかったんです」
小さなポーチから、ルディが取り出したのは――
これは組み紐? ブレスレット? ミサンガ?
「世界樹ユグドラシルの樹皮で、編まれた腕輪です。ユグドラシル島の名産品なんで、これからそこへ行く人に持たせるのはちょっと変な気もしますけど……」
ユグドラシルの樹皮というものは、高価ではあるけれど世界中で手に入れることができる。
皮を剥いでも3日で完全再生してしまうようなモンスター巨木なんで、それを採取して輸出するビジネスが成立してるんだ。
「いいのかい? もらっちゃって。高いだろ、コレ? 有名なブランドの商品とか、芸術家の作品じゃないの?」
原材料である樹皮の価格もさることながら、恐ろしく綺麗に編み込まれた腕輪は細工にも手間がかかっていそうだ。
結構な値打ちものと、お見受けするが――
「あっ。それボクが作ったんで、材料費以外はかかっていません」
「へえ……凄いな。プロが作ったんだと思った」
「えへへ……。先輩に気に入ってもらいたくて、頑張りました。……手を貸して下さい」
ルディは俺の左手を取り、世界樹の腕輪を嵌めた。
なんだか腕輪から、彼女の温もりが伝わってくるような気がする。
「この世界樹の腕輪はね、戦いや旅の安全を祈願するお守りなんですよ」
それは俺も、聞いたことがある。
大昔は、戦場や危険な旅に出向く夫や恋人に贈る風習があったとか。
「くれぐれも、事故には気を付けて下さいね」
俺の左手を握り締めたまま、ルディは俯きながらそう言った。
レース中の事故で片目を失い、命をも危ぶまれた彼女の言葉は重い。
「ああ。きっと無事に、帰ってくるよ」
「ランディ先輩……。先輩が帰ってきたら、ボクは先輩に伝えたいことがあるんです。……って、これは物語でフラグ発言って呼ばれるやつですね。……いいや、いま言っちゃえ」
ルディの両手が、俺の顔に伸びた。
頬を包み込みながら、彼女は真剣な目で見つめてくる。
数秒見つめ合った後、彼女はゆっくりと唇を動かした。
「ランディ先輩……。ボクは、先輩のことが好きです」
「ルディ……」
「最初は、ドライバーとしての憧れでした。でも、そのうちそれだけじゃなくなってきて……」
頬に触れている彼女の手は、微かに震えていた。
「男の人として、好きなんです。ずっと……ずっと前から、好きでした」
「知っていたよ」
「知っていた? そうなんだ……。ランディ先輩には、気付かれていたんだ……。えへへ……。先輩隠しごとが苦手なのに、全然わからなかったなぁ……。スーパー鈍い男だと思っていました。そうか、知ってたんだ……」
俺の頬に添えられていたルディの両手のうち、左手の位置がスッと動く。
そして、動いた左手は――
俺の金髪を、力任せに掴んだ。
「ふ・ざ・け・ん・なーーーー!!」
怒号と共に、ルディの右手が振りかぶられる。
あ、コレは避けられない。
左手で髪を掴まれてるし。
ルディの一撃は、平手打ちでも拳でもなかった。
掌底だ。
グーと違って拳を傷めず、ビンタよりも遥かにダメージのデカい一撃。
的確に顎を撃ち抜かれ、俺の脳が激しく揺さぶられる。
非力なルディ相手に、失神寸前まで追い込まれた。
「知ってたってなんですか! 女の子の想いを分かっていて、何年ものらりくらりとはぐらかしてきたと? サイッテー! どっかの下半身に脳みそがある鬼族より、サイッテー! 大事なことなので、もういちど言います。サイッテーです!」
「……ゴメン」
「謝ったぐらいでは、許されません! ……まさか先輩、他の人達のも?」
「ケイトさんと、マリーさんの気持ちにも気付いている」
言い終わる前に、ボディブローが突き刺さった。
ルディが得意とする、回避・防御不可能なタイミングでのパンチ。
腹筋に力を入れてこらえる間もなかったし、心の準備もできていなかった。
なので非力なパンチでも、とてつもなく効く。
ニーサの怪力パンチの方が、何倍もマシだ。
「今のは、ケイト先輩の分!」
拳を俺の腹から引き抜いたルディは、ベンチから立ち上がった。
「これは、マリー先輩の分だーーーー!!」
こめかみに、膝蹴りを叩き込まれた。
またしても意識外から、防御不能なタイミングでの攻撃。
あれ?
おかしいな?
今は昼間のはずなのに、星が瞬いているぞ?
「そしてこれは、ニーサさんの……」
「ちょ……ちょっと待ってルディ! ニーサは違うよ!」
「言い逃れすると、罪が重くなりますよ?」
ルディが放つ冷ややかな殺気に、俺の背筋が凍る。
「ニーサにはすっとぼけていないし、あいつの心は『黒髪の君』に向いているし、俺が一方的に好きなだけだし」
「え? どういうことなんですか? 全部、ボクに話して下さい。先輩に拒否権はありません」
再びベンチに腰を下ろしたルディに、俺は全て吐かされた。
自分でもやらかしたと思っている、シルヴィア邸でのイキり告白。
その一部始終をだ。
聞き終わったルディは、両手で顔を覆って深く――それはそれは深く、溜息をついた。
「はぁーーーーーー。なんて残念な男なんですか。0点です。ニーサさんの前で、切腹して下さい」
「ジョージからも0点って言われたけど、腹を切れとまでは言われなかったな……」
「自決して転生しても償い切れないほどの罪を、先輩は犯しました。あー良かった。先輩が、ニーサさんを好きで。ボクは完全に、男を見る目がありませんでした」
「ルディ、ひどくない?」
「ひどいのは先輩です! ニーサさんが可哀想! そしてボクも……。こんなよく分からない、グダグダな振られ方するなんて……」
「すまない、ルディ。俺は、ニーサ・シルヴィアのことが好きなんだ」
「だから! それを! ちゃんと! ニーサさんに! 言えって! 言ってるんです!」
ひと言ごとに、貫手で額を小突かれる。
本気で避けようと思っているのに、タイミングをずらされて避けられない。
「まったくもう! あー、腹が立つ! あんまり幻滅させないで下さい!」
「面目ない……」
俺がシュンとしていると、ルディはしょうがないと言いたげに肩をすくめた。
「……ランディ先輩という1人の男性には、本当にガッカリしました。だけどレーシングドライバー・ランドール・クロウリィは、ずっとボクの憧れです。男としてのダメっぷりを、聞かされた今もね」
「ルディ……」
「だからレーシングドライバーとしては、カッコいい先輩のままでいて下さい。世界耐久選手権でダサい走りをしたら、マリーノ国に入れません。国外追放です!」
「……ああ。頑張るよ、ルディ」
「頑張るだけじゃダメです! プロレーシングドライバーなら結果で、走りで示しなさい! 行け! ランドール・クロウリィ!」
ベンチから立ち上がったルディは、空を指で指し示す。
ユグドラシル島のある方角――
西の空を。
「……あれ? なんだか義眼の調子が悪いや。今日はもう、帰りますね。……それじゃ、また」
左目をこすりながら、ルディは走り去っていく。
太陽の光を反射して、宙を舞う雫が輝いていた。