ターン160 ひょっとして、付き合っちゃったりしてるのかな~? なんてさ
樹神暦2641年4月
チューンド・プロダクション・カー耐久選手権
第1戦
シン・リズィ国際サーキット
俺はマシンのハンドルを握り、急なヘアピンコーナーを立ち上がったところだ。
そこへ、無線が入る。
『ちょ……ちょっとランディ様! ペースが速すぎるのではありませんの!?』
イヤホンから聞こえてきたのは、チームオーナー兼監督であるマリー・ルイス嬢の声。
いつもは鈴の音みたいな声なのに、今は焦っているのかちょっと上ずり気味だ。
ヌコさんはシャーラの研究所に入り浸っているから、今年ブルーレヴォリューションレーシングの指揮を執るのはマリーさんなんだよね。
「マリーさん、大丈夫さ。タイヤは最後までもつよ。雨が降る前に、チェッカーフラッグを受けたい」
サーキット上空は、どんよりとした鉛色。
そう遅くないうちに、雨が降り出すだろう。
『雨嫌いは、相変わらずですのね。あれだけ得意なのに……』
得意なのと、好きなのは違う。
それに俺が今乗っているTPC耐久仕様の〈レオナ〉は、GTフリークスマシンやGT-YDマシンと違ってレーダー機能がついていない。
雨が降れば、他の車が巻き上げる水煙で何も見えなくなってしまう。
そうなる前に、ゴールしてしまいたいんだよ。
マリーさんはペースが速すぎるって言ってたけど、俺は全然そんな風に感じない。
かなり、余裕をもって走っているつもりだ。
俺がこれだけ余裕を持って走れているのは、先週このシン・リズィ国際サーキットで〈レオナ〉GT-YDのテスト走行をしたおかげだろうな。
〈レオナ〉GT-YDは、普通のサーキットでも鬼のように速かった。
加速や最高速が頭おかしいレベルなのは分かっていたけど、ブレーキングも旋回もとんでもない。
遠心力で血液が偏るどころか、内蔵が破裂しそうなスピードだ。
「人間族が乗るのは危険」って判断した人達の気持ちが、ちょっと分かっちゃったりする。
だからって、ユグドラシル24時間と世界耐久選手権に人間族の参戦禁止っていう新規則は受け入れられるもんじゃないけど。
そんなお化けマシンに乗っていたおかげで、TPC耐久クラス1仕様の〈レオナ〉はものすごく大人しいマシンに思えてしまう。
このコも一応、500馬力は出てるんだけどな。
コーナリングやブレーキングの限界も低くて、タイヤが滑るような領域で走ってもゆっくりクルージングをしているような錯覚に陥る。
その結果が、TPC耐久のマシンとしては異様なハイペースだ。
すでに2位の〈サーベラス〉GT-Bと、1分近い差がついていた。
『最後の1周ですわ』
なんとか雨が降り出す前に、レースを終えることができそうだ。
ブルーレヴォリューションの企業カラーである鮮やかなブルーメタリックのボディに、銀色のリボンが描かれた〈BRRレオナ〉。
彼女と一体になって、俺はテクニカルなシン・リズィ国際サーキットのトラックを駆け抜ける。
タイヤは摩耗してもうズルズルだけど、燃料タンクが軽くなったからペースはさほど落ちない。
3位のマシンまでを周回遅れにして、俺達BRRはトップでチェッカーフラッグを受けた。
『ランディ様、お疲れ様ですわ。ぶっちぎりもいいところですわね』
「ああ。人間族のドライバーだってレースで通用するんだと、証明しないといけないからね」
そうさ。
あんなふざけた規則、制定させるわけにはいかない。
だけど一介のレーシングドライバーである俺にできることなんて、たかが知れている。
レースで少しでもいい成績を残し、人間族でもやれるんだぞっていうのを世間に見せつけるぐらいしかないんだ。
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暫定表彰式終了後。
ピット内から降りしきる雨を見つめていると、赤い頭髪の男が話しかけてきた。
猫耳と尻尾を持つ獣人、キース・ティプトン先輩だ。
彼はジュニアカート時代、RTヘリオンで走ってた頃のチームメイト。
そして今年、TPC耐久で俺と一緒に〈BRRレオナ〉のステアリングを握る相棒だ。
「ランディ、ニュース見たぜ~。『人間族はユグドラシル24時間に出られません』なんて、ヒデー話だよな」
俺は手元のドリンクを、ひと口飲み込んでから応えた。
「いや、ホント困っちゃうよ。しかも規制推進派が、けっこう多いみたいでさ」
「俺達はガキの頃から、ランディ見てるからな~。人間族の身体能力が低いって言われても、違和感バリバリだぜ」
「同じ種族でも、個人差ってあるよね。それにさ、速いマシンを乗りこなすには身体能力が必要なのは確かだけど、身体能力だけでレースができるもんじゃないでしょ? 運転技術とか駆け引きとか、色んなものが必要じゃないか。そういった部分には、種族差なんて関係ないと思うんだよね」
「言えてら。クリスの奴も貧弱なクセに、速かったもんな」
クリス・マルムスティーン君の名誉の為に言っておくと、彼の体力は人間族のレーシングドライバーとしては標準的だ。
一般人と比べたら、充分に鍛えられているともいえる。
それでも獣人のキース先輩から見たら、体力無いように見えるみたいだけど。
あと同じ人間族で、しかも女性であるキンバリーさんとケンカする度に瞬殺されるから、余計貧弱に見えてしまう。
彼女の格闘能力は、非常識だからな。
「そういやさ、キンバリーさんとクリス君って……」
キース君との会話を中断し、背後にいた黒髪の美女――キンバリーさんを見る。
相変わらず、メイドモチーフのレースクィーンコスチュームがよく似合うな。
「私とクリスが、どうかしましたか?」
「いや……ほら……。ノヴァエランド12時間の後、いい雰囲気だったでしょ? ひょっとして、付き合っちゃったりしてるのかな~? なんてさ」
俺の隣で、キース先輩もニヤニヤ顔だ。
彼も「シルバードリル」時代、クリス君やキンバリーさんと同じチームだった。
いがみ合っているように見えたクリス君とキンバリーさんが付き合っているなんてことになったら、そりゃもう面白くてしょうがないだろう。
「何を言っているのですか? 私とクリスは……」
予想通り。
キンバリーさんのことだから、素直に認めるわけないよね。
後でクリス君の携帯情報端末にメッセージでも送って、探りを入れてみるか。
「1週間前に、入籍しました」
俺は盛大に、飲み物を噴いた。
隣にいたキース先輩も、顎が外れて地面に落ちそうなぐらい口をあんぐりと開けている。
ピット内で撤収作業中だったチームクルー達は工具のキャビネットをひっくり返したり、その場で石像になったり、地面にへたり込んでしまったり。
みんな、聞き耳立ててたのかよ?
「にゅにゅにゅ入籍!? 結婚したっていうこと!?」
「ええ、そうです。まだランディ様には、言っておりませんでしたか?」
「聞いてないよ……」
パニックになるBRRのピット内で、冷静だった人物が2人。
1人はチームオーナー兼監督のマリーさん。
彼女はキンバリーさんの雇い主だから、把握していたみたいだ。
もう1人は――
「わあ素敵! キンバリーさん、おめでとう!」
「ヴィオレッタ様、ありがとうございます」
俺担当のドライバーマネージャー、ヴィオレッタが自分のことみたいに喜んで祝う。
ジョージほどじゃないけど、あんまり感情を表に出さないキンバリーさん。
そんな彼女が頬をちょっぴり赤く染めて、恥ずかしそうにしているのが新鮮だった。
「こ……こうしちゃいられないぜ。こんなビッグニュースは、グレンの奴にも教えてやらないとな!」
雨が降りしきる中、キース先輩はピットから飛び出して行く。
もふもふコンビの片割れグレン・ダウニング先輩は、このTPC耐久のクラス2で〈エリザベス・ジェノサイダー〉のステアリングを握ってたりする。
ちなみに今シーズンのグレン君の相方は、音速の妖精ルドルフィーネ・シェンカーだ。
「まったく……。みなさん、何をそんなに驚いているのですか。私はもう今年で26歳。クリスは25歳。結婚しても、なんら不思議はない年齢でしょう?」
「そりゃ、年齢はそうだけどさ……」
「ランディ様やお嬢様も、24歳ですね。そろそろ結婚を考えてもいい年齢では?」
「俺はまだ、結婚なんて……。レーシングドライバーって、経済的に不安定な職業だしね」
「GTフリークスドライバーだった4年間で、一生食べていけるぐらいの額は稼いだのでしょう? それをヴィオレッタ様が資産運用して、着実に増やしているのだとか」
うぐっ!
さすがはルイス家メイド諜報部隊のエースだった、キンバリーさん。
俺の資産状況は、丸裸だ。
「それだけ経済力があれば、お嬢様を養っていけますね」
「なんの話をしてるんだよ? それにマリーさんの方が、圧倒的にお金持ちだろう? 養うなんて言ったら、鼻で笑われちゃうよ」
本人が聞いていないか気になって、チラリと視線を向ける。
幸いにもマリーさんは他のスタッフと会話中で、聞こえていないらしい。
「実際の経済力より、気概の問題です。お嬢様に養ってもらおうだなんて腑抜けた男は、私が許しません。超一流の専業主夫とかなら、話は別ですが」
「審査が厳しいね。それだけキンバリーさんは、マリーさんのこと大好きなんだね」
「当然です。人妻になったからといって、お嬢様への愛情が減るわけではありません。ランディ様も、憶えておいてくださいね。お嬢様を泣かせる男は……射殺します」
右手を拳銃の形にして、俺へと向けるキンバリーさん。
あー。
「射殺します」は【解放のゴーレム使い】とかいうテレビアニメに出てた、犬耳獣人メイドの口癖だな。
でっかいハンドガンを、2丁拳銃して撃ちまくるメイドさんだった。
おまけに鼻血を垂らしながらハァハァとヒロインに興奮する、どことなくキンバリーさんに似たキャラクター。
元々似ているキャラクターなだけに、モノマネすると本当にそっくりだ。
「ふふっ。ランディ様なら、拳銃の弾丸でも避けてしまいそうですけどね」
「鉄パイプで、銃弾を切り払いしたことならあるよ」
「またまた、御冗談を」
キンバリーさんは、全然信じていない。
うーん。
これは、本当のことなんだけどな。
まあ、仕方ないか。
動体視力に優れたエルフ族であるブレイズ・ルーレイロだって、銃弾切り払いは無理らしい。
「実験してみないとわからないだろ?」って言ったら、アイツ警察に通報しようとしやがった。
本当に、無理なんだろう。
同じエルフのルディにそのことを話したら、ドン引きしてたし。
「……ん? そうか。俺って人間族としては、本当に規格外な身体能力なんだ。それを世界中に分かってもらえれば、あるいは……」
「ランディ様。なにか良いことを思いついたのですか?」
「ああ、キンバリーさんのおかげでね。俺達人間族の凄いところを、世界中に見せつけてやるのさ。……マリーさん、ちょっといいかな?」
俺は背後を振り返り、ちょうど他のスタッフとの会話を終えたマリーさんに呼びかけた。
「はい。どうなさったのですか? ランディ様」
「チームオーナー兼監督であるマリーさんに、許可を取りたいことがあってね。シャーラ社にも、許可を取らないといけないと思うんだけど……」
マリーさんは、不思議そうな瞳で俺を見つめてくる。
そういや、彼女も人間族だ。
俺達人間族の凄さをアピールする作戦に、きっと賛同してくれるだろう。
「俺、明日からネットで動画配信者になろうと思うんだ」




