ターン16 オーバーフロー
後悔は、すぐに襲ってきた。
何をやっているんだ、俺は?
魂の年齢は、27歳だぞ?
2つしか歳が違わない母さんと言い争って家を飛び出すなんて、本当に大人か?
そりゃ、今の体は5歳児だけどさ。
精神が、肉体に引きずられてないか?
――最低だ。
自分の思うようにならないからってヒステリーを起こして、母さんと妹にあんな悲しそうな顔をさせて――
「少し、頭を冷やせよ」
声に出して、自分に言い聞かせる。
物理的にも、頭を冷やそうと思った。
座っていた公園のブランコを、勢いよく漕ぎ風を受ける。
視界の中で、上下に大きくスクロールする地面と星空。
普通の人には、物凄いスピードで景色が流れているように見えるだろう。
だけど、俺にとっては――
「……遅い!」
こんなの、蠅が止まるように遅く見える。
もっと、速い景色が見たい。
それは――俺の我儘なんだろうか?
全然速く見えない景色に飽きた俺は、気分を変えてみようと後ろに反り返った。
背面の姿勢で、流れる景色を眺める。
すると何回か上下にスクロールした景色の中で、見慣れた大きな姿を見つけた。
俺はブランコの揺れ最高到達点ちょい手前で、前方に飛び降りる。
後方に1回宙返りしてから着地すると、後ろにいた人物の方へと振り返った。
「父さん……」
「お前、足速くなったな……」
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「ま、飲めよ」
父さんは俺に、温かい缶を差し出した。
「ありがとう……って、ブラックコーヒー? 父さん。5歳児の体に、カフェインはちょっと……」
「いいじゃねえか。今回だけだ」
「ま、いっか……。前世では、凄く好きな飲み物だったし」
地球で世界ラリー選手権のチャンピオンが、言ってたんだ。
「速く走るにはどうしたらいいか?」
という記者の質問に対して、
「コーヒーを飲むといいよ」
と。
それを雑誌の記事で読んだ俺は、コーヒーを飲む習慣をつけた。
チャンピオンのジョークだったと気づく頃には、カフェイン中毒と言っていいほどにコーヒーが手放せない体になってしまったんだ。
地球のコーヒーとこの世界のコーヒーは、原材料が少し違う。
だけど味や香り、成分には大差ない。
タブを開けてみると、芳醇な香りが公園の休憩所内に満ちていった。
「母さんは、どうしてる?」
「お前が飛び出していった直後は、パニック気味だったさ。だが俺が出てくる前には、だいぶ落ち着いていたよ」
「……ゴメン、父さん。俺、大人げなかったよね」
「当たり前だ。5歳児だからな」
俺も父さんも、噴き出した。
コーヒーの香りと自分達の笑い声が、重い気分を和らげていく。
「父さん。俺が前世の父さんや母さんの話をしたら、気分悪いかい?」
「いいや。むしろ、興味があるな」
「俺の前世の母さんは、穏やかな女性でね……」
転生者の宿命とはいえ、前世関係者の名前が出てこないことが悲しい。
他の記憶は、こんなにも鮮明なのに――
「俺がレースに出る時は、いつもケガしないか心配していた。でも俺がレースでいい順位に入ると、『よかったわね~』って自分のことみたいに喜んでくれる人だった。レースのルールとか、全然わからない人だったんだけどね」
オズワルド父さんは、黙って頷きながら聞いてくれる。
大きな体は頼もしく、なんでも受け止めてくれそうに見えた。
だから俺は、ぶちまけてしまうことにしたんだ。
前世から、胸に溜め込んでいた思いを。
「全日本F3に乗り始めた頃から、俺は調子を崩した。4年間参戦して、1回も表彰台どころか入賞すらできなくなったんだ」
このことは、以前にも父さんには話している。
この世界にはフォーミュラカーがないから、F3がどういった形の車で争われるカテゴリーかはイメージできていないだろうけど。
「俺が調子を落としてからも、母さんは俺を励まし続けてくれた。俺が『今回もダメだった』って報告すると、俺の無念さに共感してくれた。そんでその後、『まだ次があるわよ』と笑顔で励ましてくれた」
あの笑顔を思い出す度、「次こそは結果を出す」という決意が湧いた。
「向こうの父さんは、資金的に俺を支援してくれた。全日本F3って、チーム体制にもよるけど年間1億ぐらい必要になるんだ。もちろん父さんの経営する会社からだけ、出してもらってたわけじゃないけどね。それでも凄い額だったろうし、他の企業からも出資してもらうために頭を下げて回ってくれていたんだって」
「すまんな、ランディ。俺が、不甲斐ないばかりに……。せめて幼児クラスのカートぐらいには、資金を気にせず乗せてやりたいんだが……」
「ううん。大事なのはそんなことじゃない。オズワルド父さんも向こうの父さんも、俺のレース活動に情熱を注いでくれているのは変わらない。そのことが、嬉しかった。だから……」
ああ、ダメだ。
溢れる――
「俺は……。俺は結果を持ち帰りたかった! 家族に『入賞したよ』、『表彰台に登ったよ』、『勝ったよ』って言いたかった! 『来季から、スーパーフォーミュラに上がれるよ』って言うのが夢だった……」
だから――
だから俺はもう、大丈夫だよ。
自分の力でシートを獲得できるよって、安心させたかったんだ。
「言えないまま……。何の結果も出せないままに、こっちに来てしまったんだ! だから……。だから今度の人生こそ、必ず結果を出せるドライバーに……。みんなの想いに、応えられるドライバーになってみせるって……」
俺は静かに泣いていた。
涙も想いも、溢れて止まらなかった。
父さんの大きな手が、まだ小さい俺の頭を包み込み、ワシャワシャと撫でてくれる。
自動車整備の仕事で荒れた、固くてゴツゴツしたプロの手の平。
それはとても強そうで、そして同時に優しく、温かい。
「ランディ……。お前は優しい子だ。自分の為だけじゃなくって、周りのみんなのことを考えて走っていたんだな」
「それが、レーシングドライバーってもんさ」
観客。
チームの監督。
スポンサー。
自動車メーカー。
メカニック。
エンジニア。
戦略担当。
チームの裏方さん達――
ドライバーが乗り込む前にも走っている最中にも、ありとあらゆる人達がマシンに関わっている。
そんな人達の想いを乗せて走るのが、レーシングドライバーの責任。
そして、やりがいだと俺は思っている。
モータースポーツは、紛れもなくチーム競技だ。
ドライバーが勝利を持ち帰れば、それはチーム全員の勝利に他ならない。
だから――
「結果さえ持ち帰れば、シャーロット母さんも安心すると思った。そして、喜んでくれると思ったんだ。でもそれは、俺の独りよがりでしかなかった……」
「……いや。母さんも、嬉しい気持ちはどこかにあるはずだ。ドーンさんも、言ってただろう? 本当は、レースが大好きな奴だってな。ただ今は、ちょっとな……。レースを好きな気持ちや息子が結果を出して嬉しいという気持ちより、怖いっていう思いが大きくなってしまってるんだ」
「伯父さん……。母さんのお兄さん、トミー・ブラックのことだね? 父さん、教えてよ。俺が生まれる前に亡くなったっていうことと、レースをやっていたらしいってことしか分からないんだ。伯父さんのことは、親戚の人達みんな話したがらないし……」
「もっと早く、話しておくべきだったな……。俺自身、気持ちに整理がつかなかった」
父さんは、星空を見上げた。
俺もつられて見上げると、一条の流星が煌めき――そして消えていった。
若くして亡くなったという、伯父さんの人生を象徴するかのように。
「トミー・ブラックは、プロ志望のレーシングドライバーだった。俺がエンジニア兼メカニック。妹のシャーロットがマネージャー。俺達は学生時代からカートに打ち込み、大人になってからは市販のスポーツカーをベースにしたツーリングカーレースで地方選手権に出場していたんだ。そして……」
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「……というわけだ。だから母さんはレースを他人がやっているのを見るのは好きだが、身内が関わるとなると怖がる。兄の時と同じことが、繰り返されるんじゃないかと思ってな」
父さんから伯父さんの話を聞き終わると同時に、冷たい風がガゼボの中を吹き抜けていった。
「安心したよ。母さんが理由もなく、俺がレースをやるのに反対しているわけじゃないと。……そして俺の将来を真剣に考えた上で、反対してくれているのが分かって」
「だからってランディ。お前がレースを、諦めることはないと思うぞ?」
「諦めやしないさ。だけど今のままじゃ、何度母さんを説得してもダメだと思う。まずは伯父さんに対する、誤解を解かなきゃ」
「誤解?」
「なんだい。父さんも伯父さんが、そんなことをしたって思っているのかい?」
「いや。あいつに限って、そんな……とは思っているんだが」
「断言するよ。絶対違うね。父さんはレースや車が好きだけど、ドライバーじゃないからこの心理はわからないと思う。レーシングドライバーが車で自殺なんて、あり得ない。まあこれを母さんに話しても、理解してもらえないと思うけど。だから俺、調べてみるよ。伯父さんの事故の真相を……」
「ドーンさんのチームで走る話は、どうする?」
「明日、謝りに行くよ……。このまま無理に俺が走ったら、母さんの心は壊れてしまう」
参戦は延期だ。
俺のレースキャリアにとって、幼少時から乗れないというのは結構なハンデ。
でも、絶望的という程でもない。
地球でも、いたんだ。
二十歳からレースを始めてF1の表彰台に立ったり、世界三大レースのひとつインディ500で優勝した人が。
それに比べれば、転生者というチートな俺にはちょうどいい性能調整だ。
「レースは大事だけど、母さんも大事だから……」