ターン158 〈レオナ〉GT-YD
俺達は〈レオナ〉GT-YDを研究所から運び出し、隣接するテストコースへと持ってきていた。
パールホワイトの車体が、陽光を鋭く反射して眩しい。
〈レオナ〉のエンジンが始動された瞬間、あまりの爆音にシャーラ社員達が耳を両手で押さえた。
平然としていたのは、無線のヘッドセットを装着していたケイトさん、ジョージ、ヌコさん。
そしてイヤホンとヘルメットを着用済みで、マシンから少し離れていた俺。
いや~。
ヘルメット越しでも、うるさいな。
ブリッ! ブリッ! と、オナラみたいなアイドリング音は相変わらずだ。
ノヴァエランド12時間やTPC耐久で乗ってたマリーノGT仕様〈レオナ〉の3ローターエンジンも、こんな音だった。
4ローターになって、余計やかましくなったのは気のせいじゃないだろう。
「DRSの動作チェックをするで~」
斜めに跳ね上げるシザーズドアから、上半身だけ〈レオナ〉の運転席に体を入れるケイトさん。
彼女はハンドルに備え付けられた、DRSのボタンを操作する。
直線走行時に空気抵抗を減らし、最高速度を上げるためのドラッグ・リダクション・システム。
俺が去年まで乗っていた、GTフリークスマシンにも採用されていた装置だ。
GTフリークスのはウイングの角度が変化したり、不要な吸気口が閉じたりするだけだった。
だけど、GT-YDマシンは違う。
ケイトさんがDRS作動ボタンを押した瞬間、〈レオナ〉GT-YDはその形状を変化させる。
リヤウイングが――
フロントバンパーが――
前部補助翼が――
後部底面空力装置が――
他にも細部の空力デバイス諸々が、ニュルリと動いて別物になった。
空気の流れで車体を地面に押し付け、安定させる力――ダウンフォース。
それを優先させたハイダウンフォースモードから、空気抵抗を極力減らし最高速度を優先させたロードラッグモードへ。
変化は滑らかで、生物的。
全然機械っぽくない。
うーん。
相変わらず、不思議な動きだな。
〈レオナ〉GT-YDの空力装置に使われているのは、形状記憶合金ヴィシュヌメタル。
電気を流すと瞬時に形状を変化させる、サイエンス・フィクション感溢れる金属だ。
こんなもん、俺が知る限り地球には無かった。
この世界でもコストがバカ高く、参戦費用抑制のためGT-YDマシン以外では使用が禁止されている。
そんなヴィシュヌメタルをふんだんに使ったこのマシンがおいくら万モジャなのか、怖くて考えたくない。
「アルテカジキペイントの方は、実際に走行してみんとちゃんと動いとるか確認できひんな」
「OK、とにかく走ってみるよ。ジョージ、アクティブサスの方は問題ない?」
俺の問いかけに、ジョージ・ドッケンハイムは黙って親指を立てる。
バッチリってか?
完璧じゃないと困るぜ?
なんせ速度域が、今まで俺が乗ってきたマシンと全然違うんだからな。
でも、こいつが完璧だって言うんなら完璧なんだろう。
元から仕事で妥協しない奴だったけど、ルディの事故があって以来さらに拍車がかかった。
それはもう、ビョーキなんじゃないかっていうぐらい神経質だ。
そんなジョージの手掛けた足回りなんだ。
いいぜ。
この命、お前とケイトさんに預けた。
シャーラワークスカラーと同じ白色のレーシングスーツに包まれた体を、俺は運転席へと押し込む。
市販車の〈レオナ〉は右ハンドルなのに、左ハンドルへと変更されていた。
これはたぶん、ユグドラシル24時間のコースが右回りだから。
右コーナーで、視界が良くなるようにだな。
内装は、GTフリークスの〈サーベラス〉と大差ない。
情報を直接投影する、ヘッドアップディスプレイ式の前窓は同じだ。
変わったのは、スイッチやダイヤルの類が増えたぐらいか?
シートベルト装着後、外からジョージがドアを閉める。
すると、ドアが透けた。
これはサイドカメラの映像をドア内側に写して、視界を良くしているんだ。
『ランディ君、出てもええで』
無線とハンドサインの両方で、ケイトさんから発進許可が下りる。
俺はそーっと慎重に、アクセルペダルを踏み込んだ。
750kgしかない車体が、軽々と加速していく。
エンジンだけじゃない。
モーターの力も使っている。
そう。
GT-YDマシンは、ガソリンエンジンと電動モーターを併用して走るハイブリッドカーなんだ。
俺と〈レオナ〉は、テストコースへと進入した。
元々ここは、レーシングカーのテストを行う場所じゃない。
市販乗用車の高速走行試験を行うための施設。
1周は6km。
競輪場のような形状をした、楕円形コース。
道幅は広く、カーブにも傾きがついている。
かなりの高速走行が可能だ。
だからって、いきなりぶっ飛ばしたりなんかしない。
まずはゆっくり流して、マシンに異常がないかを――
――ん?
テストコース近くにある山の中で、何かが光った?
あれは、ひょっとして――
俺はすぐに、無線で報告を入れた。
「ケイトさーん。山の中に、カメラマンが隠れているよ。このままテスト走行を続けていいのかい?」
ひょっとしたらこの〈レオナ〉GT-YDじゃなくて、市販乗用車の新型をスクープしてやろうと待ち構えてたカメラマンかもしれない。
だけどこの車を見たら、迷わず激写してモータースポーツ誌に売り込むだろうな。
『相変わらず、非常識な目をしとるな~。かめへん。上層部も、今日バレるのは織り込み済や。会社の公式ウェブサイトでも、すぐに発表されるで』
それを聞いて、ひと安心。
見つかったせいで怒られたら、たまったもんじゃないからな。
テストコースをゆっくり周回して、車体各部を温めていく。
同時にドライバーである、俺の体も。
――うん。
まったく問題ない。
その後――
俺はゆっくりと周回を重ねつつ、何回かテストコースを外れてケイトさん達の元へと舞い戻った。
テレメトリーシステムでマシンの情報は常に送信されてはいるんだけど、一応直にチェックしないとね。
そして、3度目のコースインをした時――
『ランディ君、そろそろ高速域でのテストに入るで』
き――きた。
緊張感に、全身をピリリと電流が走り抜ける。
「了解。いよいよ〈レオナ〉GT-YD、本領発揮か」
『速さにビックリし過ぎて、チビったらあかんで』
大丈夫、心配は要らない。
今日はレースじゃないから、水分補給は控えめだ。
俺の膀胱は軽い。
深呼吸して、精神統一。
気持ちを落ち着けた俺は、大きくアクセルペダルを踏み込んだ。
バラバラとしていた排気音は、自然吸気ロータリー特有の金属質で甲高い音色へと変わる。
「いいっ!? なんだこの加速!?」
700馬力、車重900kgのGTフリークスマシンに慣れた俺でも理解不能な、圧倒的加速。
200km/h到達までが、一瞬だ。
ここら辺はガソリンエンジンより低速回転力に勝る電動モーターと、4輪で地面を蹴飛ばす4WDシステムの力だな。
そしてここから上の速度域では、エンジンパワーがものをいう。
4ローターエンジンが発生させる力は、900馬力。
GTフリークスマシンに対して、200馬力もの上乗せだ。
しかもこれ、エンジン出力だけでの話。
モーター出力も合わせると、もっといく。
あっという間に300km/hを突破。
〈レオナ〉GT-YDは、まだまだ加速していく。
到達時間は恐ろしく短かったけど、この速度域はGTフリークスマシンでも体験済。
GT-YDマシンの方がダウンフォース量が多く、アクティブサスがしなやかに路面へと吸い付いてくれるぶん安定感も段違い。
おかげで、そこまでの恐怖は感じない。
だけどこの車には、まだ上がある。
『ランディ君。このままDRSと、オーバーテイクシステムも試すで』
ケイトさんからの指示に、ゴクリと唾を飲み込んだ。
ステアリングの左手親指で押せる位置に、赤いボタンがある。
色からしてもう、「押すなよ危険」感が半端ない。
――オーバーテイクシステム。
地球でもそうだったけど、近年のレーシングカーってヤツはむやみやたらとパワーを絞り出しているわけじゃない。
競技ごとに「大体このぐらいの馬力で、皆さん走りましょうね」っていうルールが決まってて、それに合わせて吸入空気量や燃料流量を制限する部品が取り付けられたりしている。
それは900馬力を誇るこの〈レオナ〉GT-YDでも、例外じゃない。
レース中に追い越しを仕掛ける時だけ、「抜きやすいように馬力の制限を緩めてあげますよ」っていうのがオーバーテイクシステム。
速いマシン同士になるほど、レース中の追い越しって難しくなるからね。
全然追い越しが無いレースなんて、つまんないから誰も観ないだろ?
地球でも、こういうシステムはあった。
俺が出ていたF3の1個上、スーパーフォーミュラっていうレースに。
ただスーパーフォーミュラのオーバーテイクシステムは、550馬力のエンジンが30馬力ぐらいパワーアップするだけ。
GT-YDマシンのオーバーテイクシステムは、通常でも900馬力っていうパワフルなエンジンを1500馬力までパワーアップさせる。
クレイジーもいいとこだ。
「それじゃ、次の直線でやるよ」
『ちょうど、ウチらが見とる目の前やね。かっこええところ見せてな』
300km/hでバンクを駆け抜け、俺と〈レオナ〉は再び直線へ。
強張る指を意志の力で強引に動かし、左手のボタンをポチリ。
運転席前方のエンジンルームから、ゴクンという音が聞こえる。
吸入空気量を絞る、エアリストリクターがスライドした音だ。
旺盛な食欲を解放された〈レオナ〉は、ブラックホールかよって勢いで空気を吸い込み始める。
それだけじゃない。
ヴィシュヌメタルを使用したエンジン吸排気ポートは、オーバーテイクシステム作動と同時に高回転・高出力に特化した形状へと変形する。
排気集合管も、同時に変形しているはずだ。
ついでにエンジンの回転数制限装置も、毎分9500回転から16000回転に。
1500馬力が炸裂する。
ギヤは6速だったのに、まるで1速や2速で加速した時のような勢いで全身がシートに押し付けられた。
『ランディ君、DRSもオンや』
チーフ、まだやるんですか?
正直もう、怖いんですけど。
半ばヤケクソ気味に、今度は右手親指の位置にある黄色いボタンをポチリ。
DRS作動、ロードラッグモード。
空力パーツが変形した振動や、音なんかは全然ない。
ただ空気抵抗が減って、大気の壁がフッと軽くなる。
GT-YDマシンのDRSって、ただ変形するだけじゃないんだよな。
実は車体を彩る塗料も特殊な仕掛けがあって、それが作動するんだ。
この世界には、アルテカジキと呼ばれる魚がいる。
とても速く泳ぐ魚で、瞬間最高速度は150km/hに達するんだそうな。
海中でその速度だよ?
異常じゃない?
なんでそんなことができるのかというと、この魚は肌を細かく振動させて水の抵抗を打ち消す能力があるんだってさ。
そこで、優秀なレースエンジニア達は考えた。
「これ、レーシングカーの空気抵抗を減らすのにも使えるんじゃね?」と。
塗装面に電圧素子を取り付けて電流を流し、細かく振動させて空気抵抗を打ち消すのがアルテカジキペイントだ。
「DRS、作動問題無し。アルテカジキペイントも、ちゃんと効果出てるよ」
その証拠に、前窓に投影されているスピードメーターが有り得ない勢いで上昇していく。
うへえ、400km/hを超えた。
地球でもル・マン24時間のマシンやアメリカのチャンプカーってマシンが、400km/hを超えてしまった時期があるらしい。
そしたらすぐにサーキットの直線が短く改修されたり、車両規則が変わって最高速度が落とされたそうだ。
規則を変更した人の気持ちが、良く分かるね。
やっぱさ、400km/hって人類が突入したらいけない速度域だよ。
俺と〈レオナ〉は400km/hオーバーのまま、ケイトさん達が見守るストレートを通過。
『おわっ!』
無線から入ったケイトさんの悲鳴に驚いて、後方モニターを見やる。
どうやらマシンの迫力に驚いたケイトさんが、後ろにひっくり返ってしまったらしい。
「ちょっとケイトさん! 大丈夫!?」
『あ~、大丈夫やで。地面に倒れる前に、ジョージ君がキャッチしてくれたわ』
その返答に、俺は胸を撫で下ろした。
「〈レオナ〉の迫力にビビっちゃったのは、ケイトさんの方だったね」
『……ウチは、漏らしてへんからな』
わざわざ言うと本当にお漏らしを疑われるから、言わない方がいいと思う。
謎の魚を爆誕させるきっかけとなった、カジキさんこと魚類さんのマイページはこちら↓
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